らびっとブログ

趣味で映画、本、政治思想とか時々書きます(^^)/ ご意見はツイッター @rabit_gti まで

アニメ「リズと青い鳥」

劇場アニメ「リズと青い鳥」(2018年)は「響け! ユーフォニアム」シリーズ(TV 1,2期、劇場版 1,2)のスピンオフ作品で、無口なみぞれと良く喋る希美(のぞみ)の2人を描いた映画的な佳作だった。

 

U-NEXTで2か月前の別料金から「見放題」(標準料金のみ)になってたので観た(我ながらせこい)

 

ユーフォ」は吹奏部という珍しい舞台とアニメでのリアルな演奏描写で話題になったが、実は学園スポーツもの王道で、経験者の主人公が入部、そこへ鬼監督登場、割れる仲間、実は複雑な人間関係、過去や想いですれ違い、でも最後は大会に一致団結、ハイライトシーンは音楽で盛り上げ、という判り易い青春群像ものが背骨だった。

アニメ「響け!ユーフォニアム」1, 2期の感想 - らびっとブログ

 

「リズ」は違う。

 

宣伝画像も地味だが中身も地味。極論すると女子高生2名だけの全編百合、何日か練習してるだけ、事件は何も起きない、大きな変化すらない、最後の大会もない。「なにこれ」と思う人は多いと思う。

liz-bluebird.com

 

 

でも冒頭の20分間がもう圧巻だ。

 

カラフルで水彩風の絵本パートでの、暖色系のリズと赤いアクセントのある青い鳥。

 

直後の対比的にくすんだ色調のシャープな現実パートで、3年生カラーの水色の中に瞳の中の赤がアクセントなのぞみ。

 

そしてただ校門から部室へ登るだけの主人公2人の、足元アップでの微妙な感情描写、ハンディカメラ撮影風の画面揺らしフォーカス(背景や前景のピンボケ)の多用、露光過多のような自然な明るさなどが、これでもかこれでもかの連続波状攻撃で観客を引き込む。

 

そして頻度は変わるがこれらは全編ちゃんと続いて統一感。

 

画面揺らしやフォーカスはハルヒの God Knows! でも効果的だったが、「リズ」では頻度や細かさがパワーアップしてる。もはや特殊効果というより標準効果か。

涼宮ハルヒの憂鬱 God Knows!

 

京都アニメーションは、最初はハルヒのGod Knows! やらきすた OPなど特定パートがオタク的に評判になり、次にけいおん! で生活感ある作画とシリーズ全体の安定品質が更に評価されたと思うけど、この「リズ」はアニメと実写の境界的な描写をギリギリに、でも単なる「リアル風な絵」ではなく「絵」を基本にした、情感を丁寧に伝える1つの到達点かと。もはや映画だ(映画だけど)

 

同じシリーズ内でファンのイメージも守りながら、登場人物によって世界の描き方(演出)自体が大きく違うというのは、チャレンジングと思う。更に発展できそう。

 

細かい話では、ちょっと昔のカルピス劇場(世界名作劇場)みたいな絵本パートでリズのハンカチが風で空に舞い上がると、青い少女が思わず飛ぼうとする足元のアップ(これまた足元だ)。これだけで十分でうまい。

 

ただハイライトシーンと思われる最後の練習シーンは、画面揺らしやフォーカスの総動員ながら無理に盛り上げてないのがいいけど、そのせいでちょっと盛り上がらない(どっちだ!)。ここは悩ましい。趣味が判れそうだ。(実はフルートとオーボエの変化がさっぱり聞き分けられない自分が悪い気もする。)

 

そしてラスト。2人の会話のすれ違いが、やっぱりずっとズレたまま、でも少し変化している。多分そうして続いていくのだろう。それだけなのがまたリアルだし納得感。

 

従来手法を丁寧にリファインしていった形での京都アニメーションの、もはやアニメというより1つの映像作品に思うのでした(アニメだけど)

 

(了)

嘱託殺人/安楽死/優生思想とは

2020年7月23日に、医師2名が嘱託殺人(本人の自死希望による殺害)で逮捕された。当初は安楽死問題と思えたが、医師の優生思想発言など特異な事件となった。ツイートした話を整理した。

 

今回の事件

  • 難病で八王子の自宅で療養中の女性が医師2名の投薬で死亡した
  • 女性は安楽死を希望していた
  • 医師は主治医でなくSNSで知り合い金銭受領、家族・主治医に伝えず
  • 医師は従来より優生思想的な発言を繰り返していた
  • 京都府警は容体安定など安楽死判例要件は満たさず、金銭目的の嘱託殺人と判断して立件した

 

(事件の経緯)

難病患者に薬物投与 嘱託殺人容疑で医師2人逮捕―SNSで知り合ったか・京都府警:時事ドットコム

 

(医師の優生思想発言?)

「高齢者を枯らす技術」逮捕の医師がブログに死生観 - 社会 : 日刊スポーツ

 

(医師の著作?)

Amazon.co.jp: 扱いに困った高齢者を「枯らす」技術: 誰も教えなかった、病院での枯らし方 eBook: 山本直樹, mhlworz: Kindleストア

 

安楽死議論と今回の事件の共通点と相違点)

ALS患者の嘱託殺人容疑で逮捕の医師 SNS通じて知り合ったか | NHKニュース

 

嘱託殺人とは

依頼を受けて殺人すること。日本の刑法では「同意殺人罪」の一部で、通常の殺人罪より刑が軽い(広義の殺人罪殺人罪減刑類型などと呼ばれる)。なお懲役(労働あり)より禁錮(労働なし)の方が軽い。

 

この 202条は以下を含むが、刑は同じなので分類はあまり意味が無い。なお自殺自体は不可罰だが、他者の自殺への関与は犯罪になる。

 

安楽死とは

以下は区別される。

  1. 消極的安楽死(苦痛を伴う治療をしない、不作為)
  2. 積極的安楽死(投薬などで死亡させる、作為)←今回の医師側主張?

安楽死と自殺幇助の違い - 日本臨床倫理学会

 

日本では、本人や家族の依頼でも、医師や看護師が殺人罪嘱託殺人罪になる可能性がある。

 

日本の判例では積極的安楽死 4要件東海大病院事件の1995年 横浜地裁判決)がある。

  1. 患者の耐えがたい肉体的苦痛(耐えがたい苦痛の発生後)
  2. 生命の短縮を承諾する患者の明確な意思表示(本人同意が必須)
  3. 死が避けられず死期が迫っている(終末医療のみ)
  4. 苦痛の除去などのため方法を尽くし、他に代替手段がない(緩和策無し)

つまり、本人が意思表示できない場合や、改善の可能性が僅かでもある場合は認められない。また4要件を満たしても、現在の判例であり、今後の個別の裁判も同じ判決になる保証は無い。(医療者が殺人罪になる恐れは残っている。) 

「積極的安楽死」の4要件とは 地裁判決で厳格に設定|社会|地域のニュース|京都新聞

 

日本尊厳死協会は、終末医療での事前署名による尊厳死の法制化を求めている。(現状は病院に断られる場合あり。安楽死ではない。)

目的 | 公益財団法人 日本尊厳死協会

 

ただし安楽死の議論では、「本人の意思」でも実際には周囲から強制されている場合もあり、また本音では優生思想から安楽死に賛成している立場もある。このためスイス等では厳格な要件で法制化している。 

 

日本の法制化議論は進んでいない。このため患者側、病院側とも権利義務は不明確で、個々の現場の判断が続いている。

 

優生思想とは

現代の安楽死議論と、優生思想による高齢者処分は、発想の根本が違う。

  • 安楽死(現在の議論は、本人の自死選択権)
  • 優生思想(社会が劣等者とみなした者を除去すべきとの思想)

 

優生思想はナチスのT4作戦、日本の優生保護法が有名だ。T4作戦では「優秀なドイツ民族」のために障害者数万人以上をガス室等で組織的殺害し、後のユダヤ人虐殺のリハーサルとなった。また戦後も一部継続された。 

T4作戦 - Wikipedia

  

 スイス等の事例

スイス等は厳格な要件で安楽死を法制化しており、日本からの渡航者もいる。本人意思が必須で、団体や医師によるチェックがある。目的は本人保護(本当に本人意思か)と医療側保護(殺人罪にしない)。 

スイスの安楽死 - SWI swissinfo.ch

 

オランダとベルギーにおける安楽死

 

(了)

 

パソコン通信からSNSまで

2年前に某大学サークルの創立40周年企画に参加したら、連絡手段が60代から現役生まで郵送/メール/LINE/ツイッターと見事に混在したのが面白かったので色々振り返ってみたい。個人的な話からPC、通信規格、映画など混在なのはご容赦。

 

 

電子メール

大型コンピュータを使用した電子メール自体は1960年代から色々あり、私は1980年代の外資系コンピュータ会社入社から社内メール(メインフレーム上で稼働するVM/CMSベースのODPS/PROFS)を使った(ITという言葉は1990年代後半から)。

 

入社研修までキーボードに触ったことも無かった文系人間なので実技は遅くて泣いた。でも当時は他には長距離が劇高な電話/FAXか(IP電話はまだ無い)、郵送/社内便なので、帰宅前に海外に出したメールの返信が翌朝に届くのは便利だった。また自分はユーザー企業に常駐が大半なので、上司との日常の連絡もメールで済んだ。

 

日本語も使えたが、日本語(DBCS)と英語(SBCS)の間には特殊文字(Shift-in / Shift-Out)が自動挿入され、自動改行はできなかった(日本語3270/5250の仕様。後にGUIフロントエンド化で改善)。

 

当時は「電子メール」と言わないと郵送と誤解された。電子メールが普及してくると郵送を「紙のメール」や「郵政省メール」などと呼んだ(郵便局の民営化前だ)。昔はエレキギターと呼んでいたのに、最近は元のギターをアコースティックギターというようなものか。

 

1990年代後半は、某スポーツイベント関係で長野のオフィスのOA化(死語?)に参加したけれど、メールボックスは朝だけ見る、ある課長は自分宛メールを部下に印刷させて机上の「未処理」箱から読む、2~3行の簡単な連絡をワープロで書いてメール添付で送信する、逆にメール本文をブランク詰めの嵐でセンタリングや段落字下げなどを作り込む、など「郵便文化」だった。文化は根強いのだ。

 

そもそも当時は世間でPCで仕事すると上司が「遊んでる」と叱ったり、逆に大手コンピュータ会社の社員は「PCなんかオモチャだ」(メインフレーム至上主義)の文化ギャップが激しく、両方の文化がそこそこわかるだけに複雑だった。

 

ところで会社で「電話しかできない中年」と「スクショしかできない若者」は根が同じ説を聞いた。本来は道具は状況に応じて使い分ければ良く、自分世代のスタイル押し付けは発想が同じ、との指摘だ。必要なのは柔軟性ですね。

 

パソコン通信草の根BBS

1988年にサークル後輩のhironon氏が、自主制作アニメーションの情報交換の場として「早ア同 まきちゃんねっと」を立ち上げて誘われたのでユーザー参加した。

 

当時はアニメーション80や各大学など色々な上映会があったが、情報は各上映会場などの紙のちらしか、貴重な情報誌「ぴあ」(月刊→隔週→週刊)で、本当に予定通り開催されるかは当日行かないとわからないし、かといって主催者の個人宅電話に気軽に掛けるのはためらわれた。

 

 前年に入手したIBM JX(IBM PC Jrの日本仕様PC)にモデムと通信ソフト(日本語ProComm)を買い足して電話回線でダイヤルアップ接続。電話料金の安い夜間を待ってログインして、準備したコマンドで会議室を巡回してログにダウンロードして、その後に読んで発言を準備する流れだ。

 

もちろん接続先のホスト側も個人のPC(PC-9801、確かWWIV)と家庭電話回線だ(確か受信専用の2回線目は安く引けた)。ホスト側が別の通信中(お話中)ならば眠い中に手動リダイヤルを繰り返すしかない。寝ぼけて最後に回線切断してない事に翌朝気づくと真っ青だし、接続を戻し忘れると家族から後で「今日は電話が使えなかった」と怒られたり大変だった。

 

最初に買ったモデムの通信速度は1200bpsだったので、2400bps、4800bpsが普及した時にはその「高速」ダウンロードに驚愕した。1200bpsではダウンロード中に掲示板の文章がほぼ読めたのだ(企業でも高価な業務用モデムで9600bpsも主流な時代だ)。

 

この友人のBBSは後にお絵描き(ドローイング)の、特に Woody-Rinn さんによる MAKI/MAG フォーマットの普及拠点の1つに発展して、更に各分家BBSと区別して「本家まぐろBBS」となったが、このあたりは以下リンク先や書籍をどうぞ。(なお私は色々迷惑はかけたけど全く何も貢献してません。)

MAGフォーマット - Wikipedia

まぐろのすべて―MAGフォーマット開発秘話 (SOFTBANK BOOKS) | まぐろBBS |本 | 通販 | Amazon

 

パソコン通信(商用BBS)

世界ではCompuServeやAOL、日本では1986年からNECPC-VAN(→BIGLOBE)、富士通OASYS通信サービス(→NIFTY SERVE)、日経MIX、そして後発のPeople(日本IBM東芝など出遅れ組の弱者連合)などがあった。

 

日経MIXは実名中心で博識な業界人や有名人が多い、BIGLOBEはパソコン界のガリバーのNECなので各分野で幅広い、NIFTYは提携したCompu Serveと同様のフォーラムと呼ばれる各分野の会議室を充実させて盛り上がり、Peopleは閑散としてた印象だ。

 

当時の有名人にはプログラマーで「ざべ」こと「THE BASIC」ライターで日経mix常駐の中村正三郎(show)さんもいて「これからはインターネットだ、BBSの匿名文化とは違ってインターネットは実名の世界だ」とか、天下のマイクロソフト日本法人(MSKK)に公然と喧嘩を売るなど賑やかだった(私はFIBM来訪時にわざとボケレスを書いて、本人からレスを頂いて喜んでいた、すみません。)

 

私はNIFTYIBMフォーラム(FIBM) に良く入っていた。今の PC は Mac を除けばほぼ IBM PC互換で、「PC」という言葉自体が「IBM PC」発祥と言えるが、1990年までは超マイナーだった。

 

当時の日本のパソコン界は各社独自規格で、メーカーが違えば原則としてソフトウェアも周辺機器も動かない(正確には画面制御するソフトは全滅)。

 

16ビット以降ではガリバーはNEC PC-9801で、次いで富士通の FMシリーズやFM-Towns、ちょっとニッチなグラフィック重視のシャープ X68000、露骨に富裕層向けの Macintosh、家庭向けの MSX (8ビット)などで、IBM(互換機)系は 東芝 T3100/J3100、IBM JX、AX協議会か、外資系企業やマニアの個人輸入程度だった。

 

しかし1990年の DOS/V (どすぶい)登場から、1997年のNECの方向転換(PC-98NX)までに、IBM(互換機)が主流に逆転して、この期間に雑誌以外の貴重な情報源として FIBM も大盛況になった。

 

ところでNIFTYでは一般人のフォーラム管理者(シスオペ)が権限と収入を得るのが公然の秘密だった。FIBMではほぼ姿を見せないシスオペW氏の交代運動がユーザー内で盛り上がり、結局はバランス感覚もあって人望もあるライターのYanaKen氏に交代したのは良かったと思う。(私は「月刊OUT」で初めて知った。DOS/Vの記事も良く書かれていた。)

 

あれYanaKenさんのサイトを発見した。

YanaKen's history(年譜)

 

商用BBSでコミュニティの維持発展のために日々活躍する有難いユーザーは、純粋なボランティアか、何らかの報酬もアリか、それは非公開(守秘義務)なのかは、オープンソースやその周辺ビジネスを含めて古くて新しい問題と思う。テナント業やイベント業みたいなもので、優秀で熱心なシスオペさんが集まって活性化し続けてくれないと、投資だけしてもビジネス継続できないのだ。そしてネットでは特色が無ければ1番手以外が生き残るのも困難だ。コミュニティとは人間社会そのものなので難しい。

 

余談だが日本でのパソコン通信」と言う言葉は好きでない。パソコンはデバイスの1つにすぎず、高価な大型コンピュータでも、当時の通信機能付きワープロ専用機でも良い。正確には「コンピュータ通信」。「電子書籍」を「パソコン書籍」とは言わないのと同じだ。AOL は「オンラインサービス」と呼んでいた。

 

オンラインサービス「AOL」が4月から日本で正式サービス開始

 

インターネットの前と後

インターネット普及前の話。

 

上述のパソコン通信は「非同期・無手順」の原始的な通信方法だ。パソコンなどのシリアルポート(RS232C)でモデム同士で接続後は、単に文字(コマンドやデータ)を流し込む、いわゆる「垂れ流し」だ。画像ファイルも文字に変換してから送る。日本では変換ツールの ish と 圧縮ツールの lzh の組み合わせが良く使われた。でもこの通信方法は今も制御系などでは良く使われている。

 

これに対して業務用の画面(パネル)も使える信頼性ある通信手順は元々は各大手メーカー独自仕様で、業務のオンライン化が進む中で IBM の SNA (System Network Architecture)を筆頭に、DEC の DNA (DECnet)、富士通の FNA、日立の HNA、NEC の DCNA などがデファクトスタンダードを目指して競争した。これらは中央のホストコンピュータが、全ての通信や端末の集中管理(セッション管理、ステート管理、暗号化など)を行って、通信の世界だけでセキュリティ(端末ごとの権限設定)や性能確保(帯域制限、同時セッション数、優先度など)もできたりする。昔のSF映画に出てくる中央集権的な「マザーコンピュータ」のイメージ元だ。

 

後に ISO が国際標準化規格の OSI を提唱したが普及せず、規格比較用に「OSI参照モデルの7層レイヤー」の概念が残った形だ(ただし各規格は別物なので「OSI参照モデルのXX層に相当」というのは「まぁ例えればこの範囲の機能です」程度の意味だ。)

 

これらは端末側にも各社独自の高価な通信カードやソフトウェア、ホスト側にも専用の通信装置が必要だった。しかも各規格の実装は時期や製品によっても異なり、実は同じ規格なら必ず繋がる訳でもなく、企業ではネットワーク構築自体が一大プロジェクトだった。

 

これら独自規格に対して、インターネットは分散系出身で後発の EthernetTCP/IP がベースで「信頼性が低い、管理困難、保証されない」と随分言われていた。それは事実だが、色々なツールや技術を組み合わせて補い成長してしまったのが現実と思う(IBM PC互換機の世界と似ている)。

 

1990年代後半からインターネットが商用解放されて一般にも普及すると、まずは商用パソコン通信間でもインターネット経由で転送ができるようになり、次第に個人がインターネットのプロバイダ(ISP)に入る事が普通になってきた。

 

当時の人気映画「ユー・ガット・メール」(1998年、トム・ハンクスメグ・ライアン)は、その題名(You've Got Mail)は当時のアメリカのパソコン通信大手の AOL でメール受信時にパソコンが音声通知するセリフだ。

 

AOLはGUI対応の専用ソフトを売りに、ダイヤルアップの BBS から ISP に進み、BIGLOBE@nifty も同じ方向に向かい、日経mixは終了した。

 

Windows95 

日本でよく聞くWindows95フィーバーでインターネット元年」は日本の特殊事情だ。世界的には Windows 3.1 が "It's Cool!" と評判になり、1992年にインターネット接続機能標準版の Windows 3.1 for Workgroup (WFW) が出て普及した。Windows95 は、MS-DOSとの統合とGUIの改良が中心だ。

 

日本ではこのWFWが発売されなかったので、1995年の Windows 95 が世界から遅れて「初のネットワーク機能標準版」と話題になった。もちろん以前からも各社のネットワーク用ドライバを組み合わせて接続できたが、MS-DOSの知識が必要で、日本語環境ではコンベンショナルメモリ等の制約も厳しかった。

 

WFW日本語版が出なかった理由は不明だが、恐らくは当時の日本はネットワーク普及後進国で(社内LANも珍しかった)、多数の日本独自仕様パソコンへの移植や保守の手間と見合わなかったからかと思う。

 

iモード

モバイルのネット接続も各時代に色々あったが、日本では1999年のiモードで急拡大した。ただインタビューなどで良く聞くiモードはオープンなので普及した」は「勝てば官軍」なので一言。

 

当時はモバイル用の国際規格にHDML(Handheld Device Markup Language)があり、HTML類似だがモバイル端末用の複数画面などをサポートしていた。それに対して「HTTP/HTML」をほぼそのまま持ち込んだNTTドコモ独自規格がiモードだ。

 

つまり iモードは当時は逆に独自仕様だったのだ。

 

ところで iモードの最初の広告塔は広末涼子。また i モードの次に、固定電話向けの Lモードが登場して、某銀行のLモード対応に関係したけど全く普及しなかった。

middle-edge.jp

 

フェイスブック

マーク・ザッカーバーグハーバード大在籍時に学生の交流用に作ったのが始まりで、それを描いた映画「ソーシャル・ネットワーク」(2010年)も学生のバカ騒ぎやギーク(技術オタク)な雰囲気が出てて面白いいし、確かに同級生を探したりは便利だ。

 

基本は「人単位のミニブログ」みたいなものかと思ってる。特に海外を含めて名刺代わりというか。

 

でも単に表札的に軽く使おうとすると、最近使ってないがどうしたとか、更新が少ないとページを削除するとかの「大きなお世話」メール攻撃やメッセージが多くて馴染めない。無料なので活性化を要求するのは当然ながら、うっとうしい。

 

ツイッター

若い人に聞くと「普段はツイッターでメールは滅多に見ない」人が結構いる。メールはもはや昔の郵送か小包か。まぁ色々なショップのメンバーになると営業メールが大量に着て普段見たくなくなるのはわかる(アドレス分ければいいのだけど)。

 

でもツイッターは従来のツールとパラダイムシフトがある気がする。

  1. パソコン通信会議室は「まずは場所(グループ)を探して入らないと始まらない」世界。現実社会のサークルに似ている。馴染めればいいが、途中で嫌になると、それまで築いた人間関係を捨てて抜けるか悩む。
  2. 逆にサイト(ブログ、フェイスブック)はホスト単位の世界だが、見る方は各サイトを巡回しないといけない。色々なツールはあるが面倒だ。そしてサイト側は読者の反応が余り見えない。SNS普及前のコミケの同人誌販売みたいだ。
  3. ツイッターは発信も受信も個人の世界だけど、読む側はタイムラインで仮想的にまとめて見られるし相互レスも簡単だ。会議室やサイトの「場」に対して、より仮想的なグループ(リレーショナルデータベースの検索結果の表のような)を毎回表示してる感じが、ヒエラルキーが低くアナーキーで、個単位なのがリベラリズムというか(フェイスブックも2011年からタイムラインを始めたけど)。

 

ただツイッター手軽だけどテキトー文化と思う。ツイートが時々見えない、翌日見えたり、通知も来たり来なかったり、同じトリガーで何回も通知されたり、とか日常茶飯事、全てがアメリカンワールドだ。

 

そして「つぶやく」フロー重視だから、情報蓄積(ストック)には向かない。検索やブックマークはできるが、単に過去履歴を辿るのは大変だ。

 

ただツイッター自体はただのお知らせ&気軽ツールに徹して、必要に応じてブログとかオンラインストレージとか別ツールを組み合わせる発想UNIXとかオープン系文化で、自前主義のデパート囲い込み文化でないのは正しいと思う。複数アカウントの切替もかなり楽だし。

 

そしてネット社会

私は会話より文字が好きで、IT関係のせいか功利主義なので、ネット社会自体は賛成だ。

 

お隣の韓国では、引越しの手続き(住民票、学校、電気水道、警察、年金など)がネットで1発でできるらしく羨ましい。アフリカでは電気も電話も未敷設の地域で、家のソーラパネルで充電するスマホ電子マネーの振込も普及している。遅れた世界ほど逆に最新にジャンプしやすく、過去のレガシーは資産から桎梏にもなってしまう。インフラだけでなく人間の文化として残る。

 

ネット投票の議論もあるが、なりすまし防止は認証システムの問題だし(オンラインバンキング、e-TAX)、本人の意思確保は郵送でも大差ない(日本でも在外投票、アメリカでは大半の州で郵送投票可、バーコード印刷済)と思う。つまり制度設計とシステム次第だ。

 

昔は「雲の上」だった漫画化や小説家などのクリエイターも、アクティブな方は多い。ファンとしては本当に嬉しいし、もちろん社交的な方もいると思う。しかし一方で「本人も営業する時代」とのプレッシャーも聞く。

 

昔の雑誌や書籍では「この仕事はこうだ」とか「私はあの作品や監督は嫌いだ」とか意見表明も多かったのに、今は炎上対策なのか周囲を片端から持ち上げてスマートに謙遜する「大人な」振る舞いが広まっていて、さすがだなぁとも思うが、ちょっと不気味にも感じる。

 

若者も含めて「ネットは誰でも発言できる民主的で自由な世界」が「日常も相互監視だから自粛世界」に転じるのは皮肉かも。悪いのは本人か大衆社会か。

 

表で自粛なので、匿名で発散する人もいそう。しかし人間なら丁寧な時も、放言する時もあるのが自然なのに、ネットは断片で評価され炎上しがちだ。ネットを通じた大衆社会集団主義、暴力性)の表面化で、その反発で過剰な個人主義(匿名主義、進歩主義忌避)もあるのかも。

 

つまりネットは昔も今も人間社会そのもので、便利な道具だがリテラシーは必要と思う。

 

 という訳で、シンプル好きとしてはあまりツールの手を広げたくはないが、使えばメリデメが見えてくるのも楽しい事ではあるのでした。

 

(了)

 

「カメラを止めるな! スピンオフ 『ハリウッド大作戦!』」

タイトルが長いがクレジット表示通りなので仕方ない(笑)

同作(2019年)は、前作 「カメラを止めるな!」(2017年)のスピンオフドラマとしてAmeba TV配信と限定劇場公開された。これも劇場は見損ねたので今回U-NEXTで観た。未見の方も多いと思うので前作以上にネタバレは最小限に書きたいが、ネタバレ無くすと書く事が無くなってしまうので困る。

 

前作のスタッフ・キャストがほぼ再結集。続編や新作というより、スポンサーのネスレ提供の前作ファン向けの同窓会的なプレゼント企画という感じだから、厳しいコメントは野暮かも。

 

こういうのは同じキャラやパターンを期待するファンも、新展開を期待するファンもいるのでバランスが難しいと思うけど、「全く同じじゃないか」という構成と、「でも重要なポイントがいくつか違う」の両面があり、どうにか両方クリアできたように思える。

 

なお前作は緻密な伏線回収の宝庫だったけど、当作は単純化して絞っている。こだわりたい人には物足りないが、メインテーマはシンプルになったのでは。「ハリウッド」がいくつかの意味を暗示している。

 

とはいえ、前作は見返すと再発見が楽しめたが、当作の前半のハリウッドサインは白すぎて詐欺っぽい(我ながら苦しい表現)。

 

最後に。前作では従来はヒロイン役(秋山ゆずき)と監督役(濱津隆之)がうまいと思っていたけど、前日に前作を見返したら実は娘役(真魚)がすごくうまい気がしてきた。そして本作を見たら確信に変わった。演技に見えない雰囲気だ。今後も期待したい。

 

映画「カメラを止めるな!」はワンカットと悪役が良い - らびっとブログ

 

(了)

映画「カメラを止めるな!」のワンカットと悪役評価

話題作「カメラを止めるな!」(2017年)は劇場で1回、テレビ録画で3回見たが、スピンオフの「ハリウッド大作戦」を観る前にとU-NEXTで見直した。公開当時はSNS時代なのにネタバレ防止がかなり守られて映画ファンのモラルも話題となった。

 

最初は既に評判が高まってからだが「冒頭37分はワンカット・ワンカメラ」だけの知識で観て、何故か静かな劇場で、監督が実は私怨で女優・男優に詰め寄るシーンは吹き出してしまった。

 

この作品は映画製作や業界モノに興味がある人には面白いと思う。でも現実から離れて美しい映像や感動ドラマを求める人には「なにこれ」かも。「面白さがわからない」という感想も結構あるけど、それでいいと思う。

 

まず冒頭37分は本来「違和感だらけの素人フィルムだ金返せ」と思わせて、後半で伏線回収(というか種明かし)する構成と思うのに、個人的にはワンカットが凄すぎて驚愕して、いまいちのれなくて困った。

  • もちろんB級ゾンビ映画は、特殊メイクとカット割りで持ってる低予算の代表格なので、「ゾンビ映画をワンカット・ワンシーン」は聞いただけで無謀だ。
  • そこでワイドショーの芸能人街歩きのように、絵になる地点は決めるけど後はカメラが単に役者に同伴する形と思っていた。
  • ところがいきなりハイライトシーンで個々のカット(?)が本格的、廃墟の特徴的な丸窓や天井や機械をうまく映す、カメラは室内別通路で並行移動、そして劇中劇とスタッフ視点の間の切替もスムーズ(監督がカメラの後ろに回り込むと劇中劇復活とか)など、37分間の撮り方を綿密に計算してたとしか思えない。
  • 更に後半は細い地下道や屋上階段で、スタッフ並走もできずカメラがこけたら全部取り直しで、無謀すぎ、バカなんじゃないの(ほめ言葉)と手に汗を握ってしまった。

 

そして後半のメイキングもどき。

  • よろしくでーす」は何回見ても本当にムカつく(これもほめ言葉)名セリフだ。
  • 多数のスタッフがカメラに映らないよう黒子として大活躍するのが目玉だ。
  • しかし何回見ても事故で参加できなかった2名(劇中劇の監督役とメイク役)は印象に残らない。もう少しキャラ立てても良かったのでは。(すみません顔を覚えられない人なので。)
  • 好きなシーンは主人公の監督がラストシーンの変更を迫られた時に娘の真央がそれを見つめるカット。他よりやや長めで、何も言わない、動きもしないが、制作者の情熱が親子間で初めて共有できた瞬間だ。主人公の「わ、わっかりました」の飲み込むようなセリフは社会人なら共感できるのでは。

 

最後に。2人のプロデューサーはもちろん「上の都合で現場に無理難題を押し付ける悪者役」だけど、社会人視点で見ると結構有能。何故かこの評価は少ないけど、色々に思えるのは深い。

  • イケメン・プロデューサーの古沢は、思わぬトラブルに直面しても、すぐに次善の判断をする。現場の手伝いはしない。実は実世界で一番困る上司は、判断を先送りしたり曖昧にしたり、逆に現場の手伝いを始めて本来の役割(ロール、決断)から逃げてしまうこと。特にテレビ生放送なら、職人の拘りより放映を守る事が優先だ。最後に放送中止に傾いたのも、良い手段が無ければ正しい判断だった。(強要されたにせよ)彼がOKを出したのでラストシーンもできた。決して個々のスタッフに介入したり、精神論などの圧力はかけない。日本人的には悪役かもしれないが、自分の役割を判っているマネージャで、ある意味理想の上司かと。
  • キャラ抜群のテレビディレクターの笹原は、無茶な企画の根源だし、トラブルを「こだわりのポイント~」などと適当な事を言って最後はスポンサー?と飲みにいくなど終始現場無視だ。しかしもし真面目なプロデューサーなら、スポンサーにトラブル続出がばれまくりで、放映中止されなくても責任や賠償や処分で現場を巻き込み大騒ぎになる筈なのに、結果的に上層部から現場を守って大成功の形にしたのは凄い。彼女の場合、ごまかす以前に本当に判って無いようだが、しかし不思議と現場とは別世界で、明るさで会社や人間を繋ぐ人もいて世の中は回っている面もあるなぁと痛感させられた。

 

無茶もトラブルも続出の困った世界だが、結果的に皆いいチームだったと思えるハッピー映画でした。

 

「カメラを止めるな! スピンオフ 『ハリウッド大作戦!』」 - らびっとブログ

(了)

映画「ダンケルク」いまいち

映画「ダンケルク」(2017年)は映画館で見損ねて、やっとU-NEXTで観た。ダンケルク第二次世界大戦初期の重要な撤収戦だが描いた映画は珍しく、「ダークナイト」などで人間の描写に迫力あるクリストファー・ノーラン監督だからとても楽しみだった。

 

映画は以下が同時進行で交互に描かれ、最後にほぼクロスする。

  1. ダンケルクからイギリスへ陸から船で脱出(1週間)
  2. イギリスからダンケルクに救援に向かう民間徴用船(1日)
  3. イギリスからダンケルクに向かう戦闘機(1時間)

 発想は面白いが各シーン間の時間が異なるので、シーンが変わると突然夜になったり、その次は前の昼がまだ続いてたり、同じイベントが別の視点でかなり後から再び描かれたり、変な感覚だ。

 

映画でもドイツ軍の戦車が止まったと話が出る。ヒトラーが袋のネズミ状態の憎き英仏軍を前に停止を命じたのは謎とされるが、電撃戦の空前の大成功の後で最後に慎重にしたのはわかるような。そもそも数や国力で劣るドイツは消耗戦は避けて戦略的勝利を重ねるしかない。しかしこの間にイギリスは民間徴用船を含めた大撤収を成功させてしまい、後の連合軍による西部戦線反攻(D-Day)に繋がってしまうのだ。仮にナポレオンなら撃滅戦を行ったのではないか。

 

映画の冒頭ではイギリス歩兵が街で銃撃に追われ海岸に辿り着くが、説明なし、敵は見えない、主人公にカメラが付いて回ると、後の「1917 命をかけた伝令」(2020年)の奔りみたいだ。

 

しかし細かい揚げ足を取るようだが、色々とリアルに感じられない。

  • 人間なら撃たれたくない。まず銃撃された方向を考えて物陰に隠れながら逃げるのが普通なのに、道の中央を皆でどんどん歩いて次々撃たれて減るなんて映像&ストーリー優先とは思うが不自然すぎ。
  • 船のすれ違いもスピットファイアの編隊も間隔近すぎ。映像優先はわかるが、これではアクロバットだ。
  • 砂浜に並ぶ兵士を上空から海岸線に沿って延々と何回も映す、ここが I-MAX 撮影の見せ場と思うが、30万人もの大撤収なのに人数が余りに少ない。民間徴用船も10隻くらいしか見えない。安易にCGを使わないのは偉いが、予算制約なら見せ方を考えて欲しい。しかも後ろの街並みは現代風で綺麗なのも違和感。
  • スピットファイヤは何回も敵機と遭遇しては撃ちまくる。弾切れが心配になる。「紅の豚」ではここぞという瞬間だけ押してたが、なんか幼児用テレビゲームみたいだ。あと弾が届く時間を考えて敵機より少し先を狙うべきじゃないのか。

 

それでも肝心の人間が描けていれば良い。民間船の3名、特に船長のドーソンと息子のピーターの演技はなかなかで、息子の変化がかっこいい。ただそれ以外は、船の沈没などの恐怖を監督得意の描写で描いて窒息恐怖症になりそうで迫力満点なのだが、しかし同じようなシーンが反復される。まぁダンケルクは海に追い詰められた話なので当然とはいえ、やっぱりワンパターン。どうせ細部はフィクションなので、「ダークナイト」のようにキャラクターに合わせた山場が欲しかった。

 

そして遂に3つのストーリーがクロス、といっても特に劇的に絡むわけでもなかった。これはリアルなのか拍子抜けなのか。

 

エンドはチャーチルイギリス賛美で終わる。「1917 命をかけた伝令」のように「実はもう一つ」がある訳でもない。この撤収成功で「ダンケルク・スピリッツ」が盛り上がったのは事実だが、なんだーただの英国ナショナリズム映画か、みたいな感じだ。

 

ただイギリスの田舎町で住民が「敗残兵」を温かく迎えるのは良いシーンだ。生きていれば次の希望もある。旧日本軍のような「お国のために死ぬことが名誉」「自分だけ生きて帰るのは恥辱」の精神論的美学ではない、しぶとい歴史と国民性を感じる。

 

確かにノーラン監督作品だったけど、なんだかなー、いまいちな作品でした。

 

映画「1917 命をかけた伝令」のワンカットと塹壕戦 - らびっとブログ

「涼宮ハルヒの憂鬱」TV版の見どころ

自宅療養中の家人が海外ドラマ見たいというのでU-NEXTを契約してPS4からTVに映るようにしたら、突然「京都アニメーションのアニメが良いと聞くけど何があるの」と聞かれて「ハルヒはオタクすぎ、けいおん!もいいけど、シリアスならユーフォニアムかな」と答えたが、自分でも気になりハルヒ(TV 1期)を見返して面白さを再実感した。

 

 

原作小説 (2003~)

原作は当時は角川スニーカー文庫で「驚愕」まで読んだ。谷川流の独特なノローグ文体は、主人公が思っているのか喋っているのかが、なんと相手の言葉が返るまで分からない!最初に読んだ時はこんな書き方もあるのかとたまげた。

 

そして気軽な学園ものなのに主人公キョンのセリフに哲学的なネタが混じる軽快さ、更にいとうのいぢの巨大な瞳と刺繍などこだわりあるイラストで超ベストセラー、「ラノベ」という用語が世間一般に知られた作品とも思う(それ以前もスレイヤーズとかあったけど)。

 

平穏な生活を望む主人公キョンが、ヒロインの涼宮ハルヒ、「宇宙人」の長門有希、「未来人」の朝比奈みくる、「超能力者」の古泉一樹らと「SOS団」に巻き込まれて、迷惑や面倒を感じたりしながらも、不思議な信頼感が積み重なっていく。

 

主要キャラクターには熱心なファンが付いた。ただ回を重ねるとキャラクター中心が進んで話の工夫は試みていたけどなかなか難しかったような気がしている。

 

長期休刊時に書店に唯我独尊キャラのはずのハルヒごめんね看板が出た時はギャップに驚愕した(作者がインタビューで「ハルヒには腹パン程度で許してもらえるだろうか」と言っていた記憶)。なお私が見たのは以下リンク先写真ではなく、ハルヒ型に切り抜かれた自立型立て看板でした。「驚愕」発売時のユキの「おまたせ」もちょっとギャップが(^^;

「涼宮ハルヒの驚愕」当初の発売予定日から3年 - きーぼー堂

 

TVアニメーション (2006 1期)

京アニが世間に最初に注目された作品と思う。特にエンディングの「ハレ晴れユカイ」(ハルヒダンス)。

 

ただ後のけいおん!やユーフォなどと違って、回(スタッフ)ごとの絵柄や作画品質のばらつきはかなり大きい。原作イラストに近い「憂鬱 I, VI」など(池田晶子作監)や、アニメ的に丸っこくて良く動く「憂鬱 III」「射手座の日」など(堀口悠紀子作監)が特に人気だったと思う。

 

更に予告編も毎回の工夫が話題だったが、含まれておらず残念。(TV放映は時系列ではなく、予告編もその順序を話題にしたネタもあったので、難しいのかも。)

 

原作のポイントを押さえながら、違和感あった点はさりげなく修正されてる(コンピ研からのPC強奪時に、原作では制止役のキョンハルヒに従い「セクハラ証拠写真」を撮影してハルヒの悪事に加担してるが、アニメではハルヒが自分で撮影、とか。)

 

特に好きなところは

  • 「憂鬱 I」 オープニングやエンディングに原作の作品世界をあちこちに感じさせるので原作ファンとして感動。特にキョンノローグは映像化困難と思っていたら、なんと「そのまま」で、しかも自然に繋がっているので驚いた(スタッフ内で色々議論があったらしい)。
  • 「憂鬱 III」 駅前のグループ分けで、ハルヒが抽選結果に不満そうにストローを吸う描写がおかしい(これは憂鬱 VIエンディングに続く)。
  • 「憂鬱 IV」 なんといっても朝倉涼子とユキの対決シーンの映像化。1回では見切れない。私は朝倉ファン(少数派)なので原作イメージ通りで嬉しい。(配慮ある殺意が逆に恐くて有終の美。だから原作で後で復活すると、ファン需要も判るが偽物みたいで複雑だ。)
  • 「憂鬱 VI」 憂鬱内憂鬱の最終話。終盤の閉鎖空間は、ほぼグレーな世界なのに微妙な色分けでこんなに綺麗な画面ができて驚き。しかもハルヒが普段になく不安な表情、転じて満面の笑み(キョンには不安)、そしてハルヒキョンに納得させようとする(従来ならありえない)微妙な動作、本当に神レベルハルヒキョンの関係がセリフで無く見えるのがいい。「フロイト先生も爆笑だ」(夢分析の深層心理の性的願望まんま)も笑える。
  • 射手座の日」 原作でもハルヒにPC強奪されたコンピュータ研があまりに一方的でヒドすぎるから作った「今回は自業自得だったな」エピソードと思うが(当時のキョン作成風の公式ホームページのセリフ)、遊び心満載でPCのLANケーブル配線やWindows XP画面までリアルだし(TVアニメ初では)、特にハルヒの丸っこく動き回る喜怒哀楽の作画満載堪能しまくれる(京アニのジト目の元祖では)。
  • ライブアライブ」これは有名すぎ。京アニ演奏映像の起源。God KnowsはCD版をiPoDに入れて通勤で毎日聞いてた。ただ傍若無人ハルヒがステージで他のライブメンバーを気遣ったスピーチしたり、成長と同時にキャラのイメージも変わってきてしまう。

 

やはり回やシーンによる品質差が激しい。どうせTV放映とは順序が違うし「憂鬱 I~VI」以外は半分独立エピソードなので、ピックアップして観るのも良いかと。

 

数話なら本筋の「憂鬱 I~VI」(途中で作画の波はあるが)、1話だけならSFパロディ調の「射手座の日」 か、学祭や音楽好きなら「ライブアライブ」とか。

 

(了)

 

「ほしのこえ」~「天気の子」新海作品感想

新海誠監督の劇場アニメーション7作品のミニ感想です。「君の名は」と「天気の子」は劇場で見て、その後にそれ以前の作品をテレビ地上波やU-NEXTで見ました。

 

 

 

ほしのこえ」(2002年、25分)

  • 対タルシアン戦に向かったミカコと、地球に残るノボルのストーリー。
  • 時空を超えて想いは伝わるか」は、ほぼ全作品に底流と思う。リアル風の光と影を強調した風景、描写は生活で時々空を見上げる、携帯電話(ガラケー)への異様な拘り、モノローグ中心、安易な結末をつけない、など監督世界が各所に見える。
  • どうしても「トップをねらえ!」を連想しまくるが、SF世界ながら観念的・情緒的で監督がファンと言うレイ・ブラッドベリな雰囲気も感じる。ストーリー中心(起承転結)でなくエピソードで語るというスタイルも。

 

雲のむこう、約束の場所」(2004年、91分)

  • 分断国家側の謎の純白タワーに飛行機で向かいたい浩紀・拓也と佐由理。
  • ちょっと長く感じた。情報機関とか武装組織とかアキラ的計画とか、斬新すぎる機体デザインとか、色々ある割に中途半端で結末のキャラ行動も納得感がない。
  • しかし電車、駅、「通じ合った2人」など、後に「君の名は。」で使用の要素満載。同じく作家性の強い宮崎駿が「パンダコパンダ」の洪水シーンなど得意な描写を積み上げて再構成してるのと共通性を感じる。

 

 

秒速5センチメートル」(2007年、63分)

  • それぞれ転校してしまう貴樹と明里、再開の旅、そして花苗の想い。
  • いやこれは凄いと思った。ストーリーの展開は実はほとんど無いのに、映像と音楽だけで延々と持たせてる。断片エピソードで世界観を感じさせる方向性の一つの完成形かと。見終わって音楽が頭から離れない。
  • これもモロに「君の名は。」に繋がっていく。

 

星を追う子ども」(2011年、116分)

  • 山間で暮らす明日菜と、アガルタから来たシュン、そして教師森崎の冒険
  • 絵柄も動きも美術もジブリ風なのは良いけど、冒頭の線路で寝てる明日菜が起きて走り出すとか、ジブリならある時間の溜め(?)が無い、シーンの繋がりが自然に見えないなど、見た目が似てるだけに余計にあちこち気になった
  • 陰に潜む敵、巨大な穴など面白い描写はあったが、長かった...

 

言の葉の庭」(2013年、46分)

  • 雨の日の朝に新宿御苑で出会うタカオとユキノ
  • 再び新海節炸裂の世界観。女性が年上はこれだけ。複雑な家族構成の絡みも「君の名は。」に繋がってると思う。
  • ただエンドを除いて音楽が最小限であまり印象に残らなかった。

 

君の名は。」(2016年、107分)

  • 東京の瀧と山間の三葉の入れ替わり物語
  • ご存知エンタメ路線転向での大ヒット作。劇場で「端からは端まで良くできてるなぁ」としか思えなかった。蓄積した歴代描写を素材的に集大成、音楽と合わせテンポよく伏線張りまくり、ギャグ・恋愛・家族・ミステリそしてスペクタクルありと、全方位型娯楽大作だ。
  • 知人の演出家は、冒頭の早回しで雲が流れる映像はアニメで初めてではと言っていた(全く気付かなかった)。
  • 監督は「随分と裏切り者と言われた」とコメントしてたが、自主制作も商業作品も両方喜んで見てた人間としては、2つの世界の間の「壁」はわかる気がする。そう言われるのは避けられない。でも本来どっちを作っても、交互に転向しても良い事だと思う。「1つの道を極める」同調圧力儒教の影響だろうか。
  • 個人的には、三葉が田舎を嘆くシーンの背景(息をのむ自然美)、「割れた」直後のTVアナウンサーの呑気な解説(観客には判る)、三葉の父親のドラマ(決断に影響と観客が推測できる)とか、観客への押し付けを避けた計算された感情移入が良い。

 

「天気の子」(2019年、114分)

  • 神津島から東京に来た帆高と、晴れ女の陽菜の物語
  • 前作「君の名は。」のダークバージョンと思う。地方の子供に「前作のキラキラ新宿だけを真に受けないでね」みたいな。
  • 妹→弟、お婆さん→お爺さん、駆け降りる→駆け上がる、など少しづつ変えたとこが却って相似的に見えてしまう。
  • 個人的には、生粋の貧乏人はラブホの自販機で大喜びしない、雲上シーンは前年の「ペンギン・ハイウェイ」に劇似、雨続きで海にはならない(ファンタジー)、とか気になってしまった(本質外ですが)。
  • 中高年は非ハッピーエンド、若者はハッピーエンドと感じた人が多かったとの説が興味深かった。中高年は既存の東京を護りで見てしまい、若者は未来を見る。それで良いと思う。

 

(了)

「スパコン世界一」は偉いのか?

日本のスーパーコンピュータ「富岳」が、スパコン性能ランキングの「TOP500」で一位となった。  しかし一応IT関係者としては「世界一高速」が単純に偉いのか疑問に思う。  

 

日本のスパコン「富岳」、8年半ぶり世界一奪還 :日本経済新聞

 

 

性能と順位

 

誰でも日用品は費用と価値にこだわるが、家とか高価で詳しくないものには確認が甘くなりがちだ。コンピュータも「道具」なので、どんな性能・機能が必要かは用途次第だ。元は税金で、仮にオーバースペックなら無駄だ。戦艦大和は昭和の三バカ査定と言われている。「プライドだけの無駄なハコモノ公共事業」ではいけない。

 

また性能評価の常で、TOP500はLINPACKというベンチマーク(性能評価ツール)を使うが、このツールに合わせて最適化する(つまり順位は上がるが、実際にはそれほど速くない)という場合すらある。何事も順位だけが全てではない

 

そこで用途を見ると、スパコン上位の米中は核爆発シミュレーションなど軍事用が中心で超高速な計算が求められる。しかし日本では創薬や環境問題などなので、仮に1/10の性能のスーパーコンピュータを20台買えれば、もっと効率的かもしれない。

 

今のスパコンは汎用的(一般的)なCPUを何万個も並べて並列処理をする。乱暴にいえば、「金さえかければ性能世界一ができる」訳で、だから適正な目的・性能・費用が重要だ。

 

もちろん並列処理の技術は非常に難易度が高いし重要だ。ただCPUの数が増えれば多少とも効率は落ちるので、「世界一」を優先すれば費用対効果も落ちてくる。(ここはソフトウェアも絡むので、ハードウェアだけで高速化は実現できない。)

 

利便性

 

「性能」だけで語れないのは「利便性」だ。今回「富岳」の関係者も強調している。

 

なお以前の「京」も、色々な種類の計算で安定して性能が出ているようで、この意味では「利便性」(処理の汎用性)は高かった。

 

しかし「京」のCPUはSPARC64系(元はSun、富士通カスタマイズ)、OSはLinuxのため、高価で消費電力や発熱も大きく、運用コストに影響し、また使えるソフトウェアが少なく、「京」ベースの市販スパコンはあまり売れなかったらしい。これでは結果的に大艦巨砲主義だ。(このほか、最初はベクトル演算とスカラー演算のハイブリッドという不可解な構成が、NECの撤退によりスカラーのみに変更など、開発経緯も二転三転した。)

 

そこで「富岳」ではCPUはARM、OSはRed Hat Linuxに変更した。ARMはスマホなどで広く使われているが、TOP500上位になったのは初めてだ。そしてRed HatLinux で最も普及しているディストリビューション(パッケージ)だ。

 

なお2-3位(従来1-2位)の「サミット / シエラ」は、CPUはPowerとNVDIA、OSはRed Hat Linuxだ。このPowerも性能あたりの消費電力が低い。つまり「富岳」と同じ方向性だ。

 

今回「富岳」は「京」の100倍の性能を、半分の設置面積(ラック数)、3倍の消費電力で実現し、消費電力当たりの性能ランキングの「Green500」でも上位になった。さすがARMの効果はばつぐんだ。こちらの方をもっと強調すべきと思う。

 

(追記)正確には、プロセッサの命令セットはARMだが、内部実装(マイクロアーキテクチャ)は「京」と同じSPARC64系らしい。

 

「2位ではいけないのですか」はまともな質問

 

なお「京」は「2位ではいけないのですか」が話題になったが、これは仕分けでの質問なので「1位を目指す必要性」を答えれば良いところ、予想外の質問だったようで担当者が答えられなかったために予算削減されてしまった。

 

「2位以下であるべき」とか「1位ではいけない」とは誰も言ってない。しかし仮に「世界一になりたいから、組織は威張れるし、金は税金だから」ではだめだろう。税金で国策なので、やはり目的や必要性に応じて性能があり、順位は結果だ。(モラルや人材確保の面もあるのは判るが、税金な以上は主客転倒はおかしい。)

 

最後に。今回の「富岳が1位」は、スパコンの世代交代のタイミングで他より早かったからで、1年後は別のシステムが1位になっている可能性は高いようだ。(「京」が一位だったのも2011年の2回だけだ。)

 

スパコン世界一」とはそういうものだ。巨額を投じるなら1年間のプライドより、ライフサイクル全体の利用利益が優先と思う。

 

なお理研側も「2位でもいい、順位より利便性」との発言をしている。こちらの方が妥当と思う。

 

世界4冠のスパコン「富岳」 基本姿勢は「2位になっても仕方ない」だった(神戸新聞NEXT) - Yahoo!ニュース

追跡:計算速度は2位でもいいんです スパコン、利便性に比重 - 毎日新聞

 

(オマケ)京の「2位じゃダメなんですか?」の経緯を良く整理した記事

 

 

 

 

(了)

大阪都構想は地方自治か

2020/6/19 「大阪都構想」が府市の法定協議会で可決された。秋にも予定される2度目となる住民投票で可決されれば実現し、「大阪市」は廃止されて4つの「特別区」に再編される。これは「東京都制」(今の東京都と23区)をモデルにしている。それは地方自治なのか。

 

(新聞報道)

大阪都構想、執念の再挑戦 4区再編 税収差など配慮 :日本経済新聞

 

 

(制度)東京都制は戦時の行政統制

まず「地方自治」は憲法にも記載された制度で、詳細を住民が民主的に変革していく事自体は、民主主義・自治・住民参加の立場からも賛成だ。

 

そして「大阪都構想」は維新の看板政策で、維新は道州制を含めた地方自治と、政治主導による既得権益打破を、一貫して主張している。

 

しかし「大阪都構想」のモデルの「東京都政」は戦時中の政府による行政統制制度で、地方自治とは正反対だ。

 

元は「東京府」と「東京市」で、大阪を含めた各道府県などと同じ構成だったが、太平洋戦争で戦局悪化後の1943年に帝国議会の議決により、「東京府」は「東京都」になり、「東京市」は解体されて「特別区」(当時は35区)になった。

 

今回の「大阪都構想」も、「大阪市」を解体して4つの「特別区」にする形は同じだ。逆に道州制の議論では、東京23区を「東京市」に戻す案もある。

 

地方自治を言いながら、正反対の戦時法制の名残の中央集権を増やすという発想が、制度の観点では不可解だ。

 

(理由)二重行政の解消

大阪都構想」推進派の一貫した主張は「大阪府大阪市による二重行政の非効率解消」だ。これはある程度理解できる。

 

ただ、それは大都市を抱える都道府県に共通の話で、大阪特有ではない。(長野に数年住んでいた時は、県と市が仲が悪いとさんざん聞いた。長野オリンピックの開催は「都市」なのに、開会式では県知事がスピーチした。)

 

特に都道府県と政令指定都市は法的に同等で、重複も多く、広域行政の調整は大変だが、それらは当たり前の事でもある。

 

しかも現在は大阪でも府長も市長も維新で「二重行政の弊害は解消された」が、「今は人に頼っており、制度的な歯止めのために大阪都構想は必要」という。

 

他県では調整してどうにかやっている事で、大阪でも今はできているのに、「大阪は戻ってしまうから制度化が必要」という。「大阪人は特殊で調整ができないから、お上が強制分担する」という趣旨なのか。これでは差別だし、個人的に知る限りでは逆に社交的で調整力ある方が多いと思う。

 

現状を誇るなら「我々は実現した。今後も必要だ。」で良い。目的と手段が逆転しているようだ(維新の政治の弊害はここでは触れない。でも手段の目的化は、実は教条主義権威主義官僚主義の始まりなのだ)。

 

(動機)「都」と呼ぶ理由

今回の「大阪都構想」が実現しても、大阪は「府」のままで「都」にはならない。しかし2008年以来の維新の「大阪都構想」では、大阪都」の名称を強く主張していた(政府や、当時「日本維新の会」の石原慎太郎共同代表などが反対して実現しなかった)。

 

名称が「都」になれば偉いのだろうか(上述のように東京の「都」は戦時法制の結果)。京都に差をつけたいのか。強硬に主張するほどコンプレックスの裏返しに見えてくる。

 

大衆支持にはある程度のナショナリズムは必要だが、悪い意味での「ポピュリズム」(本来は「人民主義」「民衆派」など良い意味だが)が混ざっているのでは。

 

(時期)コロナ下の住民投票

維新の大阪都構想は2008年から続いている。維新も「今は府市連携できてる」と言っていて、1~2年を争う訳でもないのに、広範囲な住民議論や集会が望まれる案件を、わざわざ新型コロナの終息が見えない今年秋に住民投票なのか(一応、状況を見てと前提がついているが)。

 

維新がコロナ対策で支持率が上がった今がチャンスというのは政治的にはわかるが、党利党略が露骨すぎでは。住民の健康より党の遺産作りなのか。

 

まとめ

道州制を含めて、住民が制度を変えていく、多少課題はあっても参加していく(何をやっても課題はあるし、経験しなければ住民も組織も成長しない)のは良い事だと思う。

 

しかし、やはり以下は気になるのでした。

  1. (制度)モデルの東京都制は戦時の行政統制(地方自治の反対では?)
  2. (目的)二重行政解消(他県も同じ、大阪だけ特殊なの?)
  3. (動機)「都」のネーミング(コンプレックス?)
  4. (時期)コロナ対応下(党利党略すぎ?)

 

(了)

神社本庁離脱一覧

2020/6 金刀比羅宮こんぴらさん)の神社本庁離脱に関連して、過去の離脱を簡単にまとめてみました。随時追加します。

(主な更新)

2020/11/18  金刀比羅宮離脱を反映

2021/3/1 東京地裁での神社本庁全面敗訴を追記 

2024/3/12 京都霊山護国神社鶴岡八幡宮の離脱を追記

2024/3/29 金毘羅宮の表明、鶴岡八幡宮の記事を追加

 

離脱一覧

2005年からの10年間で214の神社が離脱 *1

知名度などで報道されたものは、

 

*1 神社本庁から有力神社が続々離脱、改憲賛同署名集まらぬ状況|NEWSポストセブン

*2 神社本庁から離脱した東京・渋谷の明治神宮 | せとうちタイムズ

*3 気多大社の神社本庁離脱認める 最高裁判決: 日本経済新聞

*4 神社本庁「恐怖政治」の実態、地方の大神社で全面戦争も | 瓦解する神社 | ダイヤモンド・オンライン

*5  「京都・建勲神社神社本庁を離脱~別表は富岡八幡以来」|自浄.jp

*6 神社本庁激震!“こんぴらさん”が離脱、「本庁は天皇陛下に不敬極まる」 | ダイヤモンドSCOOP | ダイヤモンド・オンライン

 *7 「こんぴらさん」が神社本庁を離脱 大嘗祭の供え物届かず「天皇陛下にも不敬極まりない」東京新聞

*8 金刀比羅宮 | 神社本庁離脱の経緯(2020)

*9 2020? 図録▽全国の神社信仰 

*10 2023/2/21 神社本庁の危機! - レコンキスタ Online (一水会)

*11 源頼朝ゆかりの鎌倉・鶴岡八幡宮、神社本庁から離脱へ…本庁の「総長」人事対立が背景か | 読売新聞 

*12 「宮司が独裁で神職、巫女が大量退職」 神社本庁離脱の「鶴岡八幡宮」で何が起きているのか(全文) | デイリー新潮

 

なお明治以降の神社等級化の「旧官国幣社」のうち、戦後の「別表神社」(神社本庁の包括関係神社)ではないものは、以下のいずれか。

  1. 1946年の神社本庁成立時に配下に入らなかった(靖国神社など)
  2. その後に離脱した(日光東照宮など)

別表神社 - Wikipedia

 

その他

*a  女性宮司は認めない?有名神社の跡継ぎ騒動で見えた日本の大きな課題(伊藤 博敏) | 現代ビジネス | 講談社(1/2)

 

なお神社本庁に関しては、こちらもどうぞ。

 

(了)

 

こんぴらさん神社本庁離脱

 2020/6/12 に「こんぴらさん」こと香川県金刀比羅宮が、神社本庁を離脱するとの報道が。そこで金刀比羅宮神社本庁、「神社本庁の色々な問題」「包括政治団体」、そして神社本庁の戦前回帰な政治主張、日本会議との違いについて、まとめてみました。

 

(主な更新)

2020/11/18 金刀比羅宮神社本庁離脱を追記

2021/03/31 東京地裁での神社本庁全面敗訴を追記

 

 

かんたんにいうと

  • 神社本庁」は敗戦後にできた民間の宗教法人の1つ
  • 神社本庁色々な問題」を批判して金刀比羅宮が離脱
  • 離脱後は「単立宗教法人」になる(特に困らない)

 

以下は毎日新聞の報道。

mainichi.jp

 

こんぴらさん」とは

 祭神は大物主命、崇徳天皇。起源は諸説ながら、神仏習合真言宗のお寺となり「金毘羅大権現」を祭っていたが、明治政府の廃仏毀釈神仏分離で神社となった(国家神道の被害者ですね)。

 

参道の785段(奥社まで1368段)で有名だ。1回だけ行ったが、曲がりくねった参道を登るにつれて景観が変わるのが楽しい。大半の観光客は賑やかな本宮までで引き返してしまうようだが、奥社までは静寂な山道で別空間。元気があればこちらもおすすめしたい。

 

ウェブサイトは何故か大胆すぎで、情報がどこに何があるのかさっぱり判らない。超有名で観光ガイドは溢れているから、これでいいという割り切りなのか。

 

www.konpira.or.jp

 

神社本庁」とは

 

神社本庁の色々な問題」とは

  • 不可解な本庁不動産取引、癒着疑惑(幹部が個人マンションに流用?)
  • 2019年 大嘗祭当日祭用の幣帛(へいはく)料が届けられなかった

 

以下の「ダイヤモンド・オンライン」の一連の記事が詳しい。特に2つ目の「不可解な不動産取引」は量があるが、表面化しにくい宗教関係者内部の細かい経緯を、複数の関係者に何回も取材し冷静にまとめていて、これぞジャーナリストな労作と思う。

 

diamond.jp

 

diamond.jp

 

以下は2017年の富岡八幡宮離脱の記事だが、色々関連している。

diamond.jp

 

別件ですが、同日 2020/6/12 の神道政治連盟関係の記事。続きますね。

diamond.jp

 

(2021/3/31 追記)神社本庁全面敗訴の報道。上述の不明朗な不動産取引を「背任行為があったと信じるに足りる相当の理由があった」として、内部告発した幹部への懲戒解雇を無効と判決。

diamond.jp

 

bunshun.jp

 

「包括宗教団体」とは?

以下の文化庁のサイトを参照。実は離脱しても「単位宗教法人」のまま。

www.bunka.go.jp

  

文部科学大臣所管の包括宗教法人神社神道系)も複数あり大手は以下。

  1. 神社本庁(全国、78,727社)
  2. 誠心明生会(広島、91社)
  3. 神社本教(京都、78社)
  4. 神社産土教(広島、72社)
  5. 北海道神社教会(北海道、60社)

文化庁 宗教年鑑 令和元年(2019年)版 (P54)

https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/hakusho_nenjihokokusho/shukyo_nenkan/pdf/r01nenkan.pdf

 

(参考)神社本庁と「国家神道

 

神社本庁と、その関連団体の「神道政治連盟」の主張を、各ウェブサイトより引用してみる。(各記載は少なくとも10年以上変更されていない。)

 

神社本庁の政治主張

(GHQは)「神道指令」を発し、神社の国家からの分離を命じました。
神道指令」によって不当に圧迫された神社信仰の回復に意を注いできました。

神社本庁のご案内 | 神社本庁

 

神道政治連盟の政治主張

 

靖国の英霊に対する国家儀礼の確立を目指します。

 

誇りの持てる新憲法の制定を目指します。

  

行き過ぎた政教分離を戒める

 

憲法前文の国民主権には)当時のアメリカ人が勝手にそう信じ込んでいたらしい「人類普遍の原理」(略)といった言葉がつらなっています。

 

神政連は夫婦別姓制の危険性を強く訴えてきました 

 

戦後教育は、結果として、民主主義者を装う利己主義者を育ててきた

 

ジェンダーフリーは、社会の常識や慣習を支えている性別秩序を崩そうとする運動

 

 (教育基本法に)「愛国心」、「宗教的情操の涵養」を条文に盛り込む

 

www.sinseiren.org

 

(参考)神社本庁日本会議の関係

 

比較がわかりやすい記事。

www.news-postseven.com

 

こんな本も。

www.kinokuniya.co.jp

 

最後に

私は左右を問わず「多様な意見が存在する事が自然で健全」で、また「透明性の無い硬直的な組織は腐敗する」とも思っています。

 

神社本庁は民間の宗教法人なので政治主張は自由ですが、GHQへの恨みで「反米、戦前回帰」を固守しているのは、一部左翼が安保闘争敗北などのルサンチマンを基に形骸化した反権力を主張し続けているのと、時代的な共通性を感じてしまいます。

 

日本古来の伝統的な神道多神教で特定の教義は無く祭神も経緯も多種多様ですが、国家神道は明治に作られた「天皇を中心とした官僚的・中央集権的・一神教的な制度」で、色々と正反対です。(國學院出身の知人も、あれは違うよねと言う。個人的には、国王に忠実なイギリス国教会のパクリで、近代化の舶来思想と思っている。)

 

神社本庁は全国最大の神道包括宗教法人ですが、日本古来の神道を含めた幅を持った立場で組織的な透明性も確保していくのか、旧ソ連のように思想的・組織的にも硬直的なまま歴史からフェードアウトしていくのか、選択が求められているように思えます。

 

以上です。

「クラウド蓮舫」どっちがおかしい?

2020/6/11の国会でマイナンバーカードのシステムトラブルに関しての蓮舫議員の「サーバーは増やすんじゃなくて、時代はもうクラウドなんですよ」との発言が話題のようだ。

(最終更新 2021/4/11 リンク追加)

  

しかしIT業界関係者としては、この表現は普通で違和感が無い。それでは「クラウドはサーバーの固まりだ」などの議員への批判は妥当なのか。軽く見ていきたい。

 

なお私は安倍首相の「GO TO」の「強盗」読み間違えも、言い間違いは誰にでもある、揚げ足取りより実質的な話をしたい、と思う立場です。

 

まず事実関係はこちらの記事を。

mainichi.jp

 

(2020/6/13 追記)質疑全体はこちら(長いです)

https://twitter.com/buu34/status/1271377610019233792?s=20

 

 

 

1.この質疑での「サーバー」とは?

 

まず話の流れは

  1. トラブル対応で(自営・自前の)サーバー増強を計画中
  2. (それに対して)「時代はもうクラウド

 

普通に聞けば「自前のサーバーの増強だけでなく、将来的にクラウド化も考えるべきではないか」と思える。議員が「クラウドならサーバーは(どこにも)存在しない」と言っている、と主張するのは強引すぎだろう。

 

実は国会質疑のような表現は、経営層やIT管理部門や営業では普通だ。ユーザー視点で「サーバーを無くしてクラウド移行」とか。言葉の理解は、使われている状況を見ないと意味が無い。

  

思うに、PCマニアやプログラマなどが「クラウドでもサーバーはある」と言っているのではないか。そりゃ内部的にはそうだが、議員が政府に対しての質疑発言なので「政府の自前のサーバーの話だけでなく、外部サービス調達は検討しないのか」と聞くのが普通かと思う。

 

(オマケ:「サーバー」の話。読み飛ばしてOKです。)

「サーバー」は本来はソフトウェア設計の用語(手法)の「クライアント・サーバー・モデル」から。複数プログラム(コンポーネント)の役割分担で、クライアント(要求側)からの要求で、サーバー(サービス提供側)が処理結果などを返す。古典的な「中央のホスト側が全てを管理し、ユーザーは端末で接続する」モデルと比べて緩く役割分担できていて、仕様をちゃんと作れば片方の拡張や交換も容易だ。1990年代に大手コンピューターメーカーは自社のコンピュータ(ハードウェア)も「サーバー」と呼ぶようになったが、これは単に「サーバー用途にどうぞ」というだけで、それを買って個人ゲーム機にするのも自由だ。つまりハードウェアの「サーバー」は派生的な意味しか持っていないのだが、普及してしまった。なお日本語で「サーバ」と最後の長音を付けないのはJIS用語集準拠の電電公社系の国産メーカーやその顧客に多く、「業界用語」と言っているが、絶滅危惧種だ。

 

2.「クラウド」は「サーバー」なのか?

 

次は「クラウドとは何か」の話。

 

確かに「クラウドはサーバーの固まり」ではある。Googleのデータセンターは自作サーバーだが発熱対策が大変だ(Powerプロセッサ化はどこまで進んだのだろう)。しかし「クラウド」は単に「サーバーをネット上に置いただけ」ではない。

 

  • サーバーを自前(自営)で持つ事は「オンプレミス」と言う。
  • 自分のサーバーを単にネットワーク接続の他社センターに置くのは「ホスティング」だ。クラウドとは呼べない。
  • 更にベンダー資産のサーバーを「サービス」として使用するのは「アウトソーシング」だ。地銀の勘定系システムの大半は既にこれ。これを無理に「地銀クラウド」と呼んだベンダーもいるが、普通はクラウドとは呼べない。課金は定額でも従量制でも個別見積でもいいが、「サービスとして提供」がポイント。
  • 本当の「クラウド」は性能向上(リソース割当変更)が自動化されている。つまり、ユーザーの増強依頼を、クラウド側のデータセンター内で、いちいち内部発注したり手作業で増強しているようでは「クラウド」と言えない。

 

(また細かい話なので読み飛ばし可)もちろん例外はあり、例えば物理サーバーをクラウド提供するベアメタルもあるし、また仮想化・自動化できていても一定量以上は手作業の増設作業が入る場合もある(ただし移行を含めて手順化・標準化されている)。それでも「ユーザーがサーバー10台分を求めた場合に、クラウド側データセンター内で10台を内部発注している」訳ではない。仮にそうなら、単にスケールメリットによる定額調達や技術者集約による統合効果程度で、これではアウトソーシングと同じだ。

 

つまり「クラウド」では各種の仮想化技術を組み合わせて、プロセッサパワーなどのリソースをプールしており、これをユーザーからのGUI画面などからの要求で、ほぼ自動的・短時間で提供している(プロビジョニングなど)。身近なクラウドである、iCloudとかGoogleドライブなどのクラウドストレージの容量追加と同じだ。

 

 

簡単に言うと、「単にネットワークの先にサーバーがある」だけではクラウドとは呼べず、「ユーザーから見てほぼ自動で性能増強容易なのがクラウド」だ。

 

 

ここで国会質疑の記事の表現を見返すと「サーバーは増やすんじゃなくて、時代はもうクラウドなんですよ」で、ユーザー視点での性能増強の調達方法の話だから、「個々のサーバー増設より、クラウド(のリソースプール)を使えばいいのではないか」と思えて、違和感はない。

 

逆に「クラウドはサーバーの固まり」というのは、クラウドの必須条件より、内部的・形式的(物理的)な話をしているだけに見えてしまう。

 

なお、もちろん「クラウド」の定義はベンダーや立場によって違う。ほぼ元祖の Salesfoce.com は「パブリッククラウド経由のPaaSが本来のクラウド」と強調するし、大手メーカーは「特性を満たせばユーザーが自社内に構築するプライベートクラウドもある」と言う。ひどい場合はネットワーク経由なら何でも「クラウド」と呼ぶ人もいる。

 

ただ繰り返しになるが、「クラウド」は「ユーザーから見てほぼ自動化」されていなければ、意味が無い。

 

3.クラウドで大丈夫か?

マイナンバーのような高いセキュリティが必要なシステムにクラウドが適さない、という批判もある。

 

しかし米国政府はマイクロソフト Azure を採用し(アマゾンが抗議中)、日本も官庁クラウドを推進中だ。三菱UFJ銀行AWS採用も話題となった。各クラウドベンダーも国内複数拠点(災害対応)や、金融なら金融庁や日銀の監査にも対応できる高い基準のセキュリティ対策も進められている。

 

もちろん米国軍のスーパーコンピュータや、銀行の勘定系システムの大半はクラウド化する事は無いと思うので、向き不向きはあるし、クラウドで苦労する点も山とあるが(ユーザーは自分で運転が基本、個別運用は限界、全滅リスク軽減には複数クラウドも必要)、「重要システムはクラウドは向かない」とはもはや言えない。時代錯誤すぎる

 

なお話題の議員も官庁クラウドや、その移行タイミングにも触れてるようだ。

 

 

 

最後に一言。ツイッターは便利だが、ステレオタイプな叩きが横行するのが難点だと思う。そして叩きゲーム趣味の人が多いようで、誰かが事実を指摘しても、事実には最初から関心がない(叩きゲーム続行、中身より量)ようだ。いちいち真に受けない、単純に数に影響されない、というのもネット時代(というか実はネット以前からの)のリテラシーかと思う。

 

(オマケ)「2位じゃダメなんですか?」の経緯を良く整理した記事

t.co

 

(オマケ2)より詳しくまともな説明

anopara.net

 

 

(了)

望月三起也「ジャパッシュ」に見る独裁政治の作り方

アメリカ黒人暴動に乗じた独裁日本の対米侵攻が出てくる望月三起也の「ジャパッシュ」(1971年)は、エンタメで「独裁政治の作り方」を描いていて今読んでも面白い。子供時代に「ワイルド7」より衝撃を受けたけど、今でも魅力だ。

 

eBook電子書籍版(全2巻)の表紙(コミックシーモア)- 別の意味でアブナイ表紙に見えてしまうけど健全です(^^;

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和製ヒトラーの元祖?

 

ヒトラー的独裁者はチャップリンの映画「独裁者」(ヒトラー全盛期の1940年!)をはじめ、手塚治虫の漫画でもナチス風のスタイリッシュな(時に苦悩する)悪役が沢山登場する。

 

しかし子供用エンターテイメント漫画で日本を舞台にヒトラー的独裁者の成立過程を詳細に描いたのは「ジャパッシュ」が最初だったと思う。

 

なお、より三島由紀夫風の独裁権力者の神竜(後の「キルラキル」の鬼龍院皐月のモデル)が登場する池上遼一の「男組」は1974年連載開始で、ブラックギャグながらヒトラー風の町内掌握過程を描いた藤子不二雄(A)の「ひっとらぁ伯父サン」は1979年と、ちょっと遅い。

 

時代背景

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1971年の作品で、3年未来の1974年を描いている。1970年 安保闘争、1971年 成田空港闘争激化までが事実で、1972年以後は空想だ。しかし実際に1972年 あさま山荘銃撃戦やドイツ赤軍の要人襲撃、1986年 日本赤軍三井物産支店長誘拐事件などもあり、自衛隊の治安出動は政府内で1969年にも検討されており、1971年時点では現実味ある。

 

なお「またも乗っ取り、キューバへ」は、1970年 よど号ハイジャック(北朝鮮着陸)を踏まえている。(具体的事件はぼかしていると思う。)

 

また1970年の三島由紀夫事件(自衛隊クーデター呼びかけ)も、日向の演説などに影響が。(絵柄はどうみても第三帝国ですが。)

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「美しさ」が重要

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悪役の日向は空前の美形、それを追う幼馴染の石狩は火事で醜悪な顔、との対比だ。

 

日向は金も成績も無いが、顔を武器に女性を利用し、創立した民兵組織「ジャパッシュ」の行進者は美男のみで、警察には「見た目のよいお人形ごっご」と油断させ、後に選挙やイメージ戦略に大活躍する。日向の絵柄はピーターがモデルのようで、女性からの人気も芸能人のようだ。

 

大衆支持による独裁者にシンボルやスタイルは重要だ。ムッソリーニは「黒シャツ隊」、ヒトラーは「親衛隊」(SS、身長170cm以上)で、女性と若者の支持が圧倒的だった。三島由紀夫は「盾の会」で女性誌などでのアピールを繰り返した。支持層はインテリではなく庶民なので、人気者で、演説は単純明快でなければ受けない。良くも悪くもポピュリズム

 

ジャパッシュの制服や小道具も基本はナチス風だが、ダブルボタンは盾の会にも似ている。

 

まずは忠実な女性と部下を得て、企業に恩を売って組織拡大する。警察や政府はジャパッシュを都合よく利用しようとして、逆に利用され、最後は支配されてしまう。ヒトラーを利用しようとした政治家・資本家によるヒトラー政権獲得から、国会議事堂放火事件と大量検挙までは1か月弱なのだ。

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ところでこの作品は、悪の日向の出世物語が読者に大人気になり、作者が中断した。しかし正義の味方の側の石狩が、外見だけはいつもの正義風なのに、「冷静 - 感情的」のキャラクター対比のためか、個人的恨みで日向を発見次第に不法に殺そうとする、一般人の巻き添えも辞さない「危険人物」すぎて、これでは感情移入できないと思う。

 

独裁の土壌

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義理と人情は、美学でもあるが、宿命論のように人間を縛る。日本の政界では今でも「恩を忘れた、弓を引いた」と言われると致命的。本来は「現在、国民にとって良いかどうか」が、変わってしまう。

 

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日向に従った部下の自死は、実は目撃者がいたが、面倒ごとを避けて通報しなかった。また日向が危機に陥った裁判では、裁判官がクーラー故障の暑さに耐えられずに安易に無罪にしてしまう。

 

映画「ニュールンベルク裁判」のラストシーン(当時は仕方が無かった、と論理的に訴える元裁判官に対して、一言「でも、あなたの判決ではじまったのです」)を思い出す。

 

もし自分だったら別の選択をできただろうか。人間としてこわいシーンだ。

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中国や欧米からの舶来に学び、民主主義も上から与えられた歴史から、勤勉だけど従順で同調圧力が高く、自分の考えは控えめ、というのは支配側には好都合ですね。(逆に活字を禁止して愚民化するのはブラッドベリのSF「華氏451」ですが。)

 

左右の取り込み

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「独裁=一方的弾圧」とは限らない。大衆支持安定化には支持層拡大が必要なので、左右にウィングを広げる必要がある。

 

日向は警察に協力して警察権を得ながら、デモ隊鎮圧は避け、「徴兵制を避けるには自発的なジャパッシュでの活動を」などと訴えて左派学生を取り込んでしまう。相手の心配事に触れて、協力したいと言うのは説得術の基本だ。

 

ところでデモ隊の各党派ヘルメットも遊びが入っている。

 

(そのまま)

 

(お遊び)

 

政府の上から「指導」

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「独裁者=自分が政府になる」ではなく「独裁者=政府を指導する」。この1頁は凄く判り易い。単に政府になると、以後は忙殺されるし、政府見解に縛られるし、失政の責任も取らないといけない。独裁者は1人で全権限を持っても、全部を自分でやっては機能しないし、仮に出来ても続かない。

 

しかし昔の君主は、細かい事は議会や政府が行うが、大きな方針は指示する。

  

民衆支持を背景に、キングメーカーとなり、自分は日常業務で手を汚さず、国民に受けの良い事だけ言えば良い。各国君主を破門できる全盛期のローマ教皇のようなものか。

 

侵略前の分断推進

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キング牧師暗殺後に勢力拡大したブラックパンサーらしき文字と旗が見える(かわいいが)。

 

侵略の前に、相手国の分断を拡大して介入の口実とするのは古今東西共通だ。分断させ、独立を煽り、支配後は抑圧する。戦争は平時前から始まっている。

 

 

(お遊び)作者ネタ

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「雨印アイスクリーム」など単純な言葉遊びから、少しひねったものまで。ジャパッシュの形式上の指導者「丸目」だが、作者本人としか思えない。「二世部隊もの」は「二世部隊物語」だろう。それに「絵描きが指導者」なので警察に警戒されないのは、三島由紀夫の「盾の会」が事件までは作家のお遊びと軽視されていたのと似ている。

 

 

 

(作品の魅力)日常に潜む秘密基地

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望月漫画はデフォルメ最低限の軍用車が日常的な建物に突っ込むシーンが無暗に多い(さすが模型ファン)が、ここは新宿駅西口の山手線の有人改札が実は対戦車用ライフルの銃座という、特にぶっとんだアイディアだ。形からの連想としか思えないが、何故戦車が苦手な市街戦でわざわざ複雑な建物に突入するのか、対戦車ライフルで61式戦車の正面が貫通できるのか、こんな頑丈な改札は通勤客が変に思う、などと当時中学生ながら「でたらめすぎる」と思いながらも、その空想力にはたまげたし、秘密基地的でわくわくした。射手もなんか楽し気だ。

 

同様に、「ダイナマイトは食べれば甘く羊羹と同じで、どんな形にも変形できる」と羊羹に擬装したダイナマイトも登場するが、まさか。可塑性の爆薬ならプラスチック爆弾ではないのか。いまだに悩んでいる。

 

 

そして最後に

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最終回の最後のコマ。この老婆は「ワイルド7」でも途中から出てきていたような。

 

映画「戦争のはらわた」ラストのブレヒトの言葉を思い出す。「諸君、あの男の敗北を喜ぶな。世界は立ち上がり奴を阻止した。だが奴を生んだメス犬がまた発情している。」。歴史は繰り返す

 

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これは単行本での作者メッセージ? 子供向け視線で、現実世界に繋げているのがいいですね。

 

最後ながら、なるほどと思った感想文を。

 

漫画化の田川さん。政治の戯画化でなく、政治自体の演劇性とは、なるほどです。

 

blog.goo.ne.jp

 

ちゃんとした説明と、最後の一文がなるほどでした。

 

(了)

政治思想用語の本来の意味は?

政治関係の議論を横から見ていると、用語の意味の違いに気づかずに揉めていることが非常に多いと思う。でも用語の意味を知れば、自分の認識や世界も広がる。そこで「世間での意味」と「本来の意味」を比較して、簡単に書いてみたい。

 (最終更新:2020/5/30)

 

 

はじめに

  • 用語は対比先が普及してから生まれる。例えば幕末に「洋服」や「洋食」が入ってから「和服」や「和食」の用語も普及した。「本来は何に対する用語か」はポイントと思う。
  • 「~主義」は「イズム」の訳なので、思想以外にも状態や傾向を含んでいる。例えば「民主主義」は思想の他、状態や制度を意味することもある。
  • 用語や分類はあくまで便宜上のもの。自称を含めて時代・立場・解釈で変化する。そもそも人間やその思想は単純に1色ではなく色々混ざっている。また日本では、その言葉が輸入された時点の影響(認識)が強いと思う。

 

左翼・右翼

  • 多くの事典や辞書でも「左翼:社会主義共産主義」「右翼:国家主義民族主義国粋主義」など、表面的な説明が多い。
  • 本来の意味は「左翼:理性を信じる進歩(革新、革命)主義」、「右翼:左翼に懐疑的な保守伝統主義」(左翼が台頭して右翼が明確化される)
  • 左右はフランス革命の議会の座席より。当初は「左:自由主義。右:王党派」で、次第に「左:革命派。右:自由主義」に変化した。また当時は「ナショナリズム」は革命派(左翼)。つまり、その時代で「進歩的・革命的」と認識されているものが「左翼」で、その反対者が「右翼」。中身は時代により変わる。50年後は更に入れ替わっているかも?

 

民主主義

  • 「選挙と多数決」の事と思っている人、逆に「熟議、少数意見尊重、デモなど直接的な民意反映」と言う人がいて、話がかみ合わない例が非常に多い。
  • 本来の意味は「貴族支配」(優秀とされた少数者による支配)に対する「多数者(人民、大衆)支配」。
  • 多数者支配のために、共通のルール(制度)として選挙・議会・多数決があり、その実質化のために熟議・少数意見尊重などの運用(プロセス)もある。逆ではないし、一部でも無意味。選挙は北朝鮮にもあるし、未来の電脳化社会なら投票・議会は不要な民主主義かも。しかし選挙は「優秀な少数者の信任投票」(実質貴族と万年平民)に陥りやすく、また「民意の直接反映」は暴政(多数派による少数派への専制)に陥りやすい。つまり制度が無いと混乱や人治に陥り、制度はあっても適切な運用が無ければ形骸化するので、本来の目的である「多数派支配の継続(実質確保)はどうあるべきか」の趣旨を踏まえないと民主主義は意味が無いと思う。

 

権威主義

  • 「権力に従う、権威をかりること」みたいな認識があるのでは。
  • 広く「非民主主義」のこと。
  • 権威主義は、絶対君主制(サウジなど)や事実上の一党独裁制(中国など)の他、「制度は民主主義だが実際は違う」(ロシア、トルコなど)も含む事が多い。また「権力」と「権威」は違う。大統領や社長は公式な権力(軍事力、人事権)がある。しかしローマ教皇は宗教的権威、多くの君主は伝統的権威、戦争や革命の指導者は実績上の権威があり、公式の権力は無くても影響力がある。つまり公式な支配力は権力、非公式な支配力は権威。「実は支配されている」は権威主義権威主義は政権側だけではなく、思想や集団ごとに存在するし、程度の問題でもある。

 

共和主義

  • 日本では認知度が低く、「アメリカ共和党の政策」と思っている人も。
  • 本来は「君主国」(私物の国)に対する「共和国」(公共の国、君主がいない国)を目指す考えや、共和国成立時の政治思想。
  • 君主国では(形式的にせよ)国も人も君主の私物。共和国(リパブリック)の語源は古代の共和政ローマフランス革命後の共和国で国庫を分離して近代的な国民国家が生まれる前は、国庫=君主の私費(家族経営)。イギリスでは今も、国や軍は国王のもの。なお日本の天皇は「象徴」で政治権力が最初から全くない(君主の定義に収まらない)ため、日本は既に共和国という説もある。

 

自由主義

  • 単に「自由を尊重する」と思っている人が多い。
  • 本来は「宿命論」(運命論、身分制など)に対しての「人間には理性があり選択する自由がある」(自己決定権、個人主義)。
  • 人を共同体の身分ごとではなく、独立した個人として扱う。理性主義が前提なので、初期には制限選挙(一定の身分・資産・教養)の根拠にも。政治的な自由主義は、宗教の自由や言論の自由から始まり、参政権や社会的自由権(健康で文化的な生活を営む自由)などに拡大した。経済的な自由主義は、私有財産を保護して、土地など公共財を私有化していく(後の資本主義)。

 

リベラル

  • 「実質左派のこと」などのトンデモ認識が多い。
  • 本来「自由主義(的)」の意味しかない。
  • アメリカで民主党主導のニューディール政策公民権運動などを指す表現として広まった。しかしヨーロッパや世界では「リベラル=自由主義」のままアメリカのリベラルも、お互いの自由を認めるには寛容が必要、政治的自由には一定の経済的支援も必要、など基本は自由主義。ただし政府による一定の干渉を認める(大きい政府)ところが、リバタリアニズムと異なる。(そもそもアメリカは「自由主義」同士の二大政党制なので、区別のために「リベラル v.s. 共和主義(またはリバタリアニズム)」という特殊表現が普及した。リベラル(寛容、社会的公正)の概念自体は良いが、状況が異なる日本で政党の対比で使うのは不適切と思う。)

 

リバタリアニズム

  • 日本ではあまり聞かない。
  • アメリカで「リベラル」に対して本来の自由主義を強調した用語。自由至上主義などと訳される。
  • リベラル的な政治を「大きい政府」と批判して、個人主義・市場主義を徹底。極端な立場では地方分権(反連邦)、規制撤廃(銃、麻薬、ポルノも)、民営化(行政、教育、警察、軍も)、納税廃止(資産家の自発的寄付のみ)、中央銀行廃止(貨幣は各都市などが発行)、他国不介入(海外軍撤収)など、かなり革命的だ。

 

資本主義

  • 単に「市場経済」(非社会主義)のように使われている
  • 本来は「自由主義」に対しての社会主義者による批判語(資本家も含め資本に支配されている、との意味。)
  • この「資本」は、単なる市場経済(交換経済、商業資本)全般ではなく、産業革命以降の産業資本で、個々の資本家の手を離れて自己増殖する。だから「資本主義が良い」などの表現は少し違和感がある(私だけ?)

 

社会主義

 

共産主義

  • 日本では「共産主義ソ連」の認識が強い。
  • 本来は「コミューン」(共同体)による財産共有
  • 「資本主義(私有化)で破壊された、伝統的な共同体による共有の復権」という意味では保守主義。「経済的隷属から人間を解放する」という理想では自由主義、「資本主義の制約(当時は個人所有、恐慌)を除去して更なる生産力発展」の目的では進歩主義(左翼)。なお「共産主義」には主に以下の3つの意味がある(従って「反共」も、どれを指しているのか要注意。)
  1. 財産共有全般(原始共産制プラトン、宗教共産主義など)
  2. マルクス主義(当時は「社会主義」とほぼ同義)
  3. 特にレーニン主義(「共産党」を自称し暴力革命と独裁を主張)

 

アナキズム無政府主義

 

保守主義

  • たまに「改良や改革もするので保守ではない」などという人も
  • 近代保守主義フランス革命への批判としてバークが理論化した。「人間は不完全なので、理性のみに頼るのは危険で、伝統的な積層(身分制など)も尊重」。
  • 大きな分類での「進歩派 - 保守派」なので、「保守派は改良を一切しない」とか「進歩派は 伝統を一切尊重しない」のような極論ではない。なお革命後には革命派が「保守派」になるので、「保守=政治的な右派」とは限らない。(中国では左派の毛沢東主義者が「保守派」、イランではイスラム共和国主義者が「保守派」と呼ばれ、各反対派は「改革派」など。) 

 

帝国主義

  • 「帝国(皇帝の国)による支配」との誤解が多いと思う。
  • 「帝国」の語源は古代ローマ帝国(共和国)で、広大な地域や民族を支配する国のこと。「皇帝」とは無関係(例えば「大英帝国」は王国)。またヨーロッパの「皇帝」はローマ帝国継承の自認で、中華秩序(王より皇帝が上)とも無関係。本来は良い意味でも使うが、レーニン以降は特に批判語となった。

 

ファシズム

 

ナチズム(国家社会主義

 

全体主義

 

とりあえず。