らびっとブログ

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映画「1917 命をかけた伝令」のワンカットと塹壕戦

映画「1917 命をかけた伝令」(日本公開 2020年2月、監督 サム・メンデス)良かった。お勧めです。戦争映画の形ですが、とても映画らしい映画でした。

 

ただ原題は単に「1917」。スピルバーグの「1941」やオーウェルの「1984」も連想する。日本人に第一次大戦が馴染みが低いのはわかるが、「命をかけた伝令」との副題はベタすぎると思った。

 

 

疑似ワンカット映像

 監督が祖父から聞いた実話がベースで、第一次世界大戦西部戦線を舞台に、無名の伝令が攻撃中止命令を伝令するだけの話だが、宣伝文句の「全編ワンカット映像」がうまく効果を出している。

 

「全編ワンカット」とは、事前の準備はとても大変だが、カメラは1台で済み、撮影も編集もわずか2時間で終了するので、大変楽な映画製作方法で、今後は主流になるといわれている。なーんてことは勿論ない(^^;

 

「カメラを止めるな!」の前半パートなどの「本当のワンカット」ではなく、ミュージックビデオによくあるデジタル編集でうまくカットを繋いで、ワンカットに見せているから、いわば「疑似ワンカット映像」。しかしそれでも、カメラ(観客)はほぼリアルタイムで主人公に同伴し続けて、更にレイアウトや映像が美しいので、体験共有できる没入感はなかなか。

 

しかし本当のポイントは「主人公がその時に見聞きできた以上の説明は一切無い」ことで、背景とか相手の想いとか、全て推測するしかない。ここは好き嫌いが分かれるし、分かれて良いと思う。私は良かったと思う。

 

1泊2日を2時間にするため、距離や時間はデフォルメされている。主人公の主観的時間軸でもあり、監督が演劇出身なのもなるほど。そして監督が人間の善悪対比のうまいクリストファー・ノーランの影響を受けているのもなるほどです。

 

ここで舞台背景の復習を。

 

西部戦線塹壕

 第一次世界大戦サラエボの皇太子暗殺事件を契機に、英仏露などの連合国と、独墺などの中央同盟国の間で4年間も続いた。当時は世界経済も好調で、各国は開戦を避ける努力をしたが、勢力均衡による平和を主張して数十年かけて構築した軍事同盟が、この時は単なる一地方の偶発的事件を世界戦争に発展させてしまった。

 

特に仏独間の西部戦線」といえば悲惨な塹壕だ。機関銃の発達と大量運用により、従来の騎兵や歩兵による突撃は鉄条網で足止めされ機関銃でなぎ倒されて、死傷者は激増、英仏海峡からスイス迄の長い国境線に大小の塹壕が何重にも掘られて、戦線は膠着状態に。

 

塹壕にいても狙撃や砲撃で死傷が続くが、無人化すれば占領されるため、ナショナリズムに燃えて戦場での華々しい活躍を夢見る若者が続々と補充されては、湧き水など劣悪な環境の塹壕で延々死傷する「消耗戦」が何年も続くという地獄。そう、兵士は消耗材なのだ。

 

だから塹壕戦は英仏独などのトラウマで、この悲惨を描いた小説・映画には「西部戦線異状なし」がある(悲惨な消耗戦の状態が「異状なし」という怖い題名だ)。またロンドンの「王立戦争博物館」には塹壕を模擬体験できるアトラクション風の展示もある(おもわず「かわいい」と思ってしまう悩ましい兵器の展示もあり、お勧めです!)。そして今も不発弾処理が続いている。

 

なお塹壕戦対策として毒ガス、そして塹壕突破のため戦車(イギリスでの暗号名「タンク」)が登場するが、この大戦では状況打破にはならない。(映画では放置された1台が見えるだけ。)

 

そして連絡は有線電話が中心のため、まだまだ「伝令」が重要だった(後に第二次世界大戦を引き起こすヒトラーもドイツ側の伍長で伝令でした)。

 

戦争映画かスリラーか

 映画に戻ります。

 

最初は木陰での休息から塹壕へ。それも平和そうな景色から、後方の食事洗濯などの生活から、簡易な浅い塹壕、そして前線の深い塹壕や疲れて荒れた様子まで、画面どうりに「地続き」なのが圧倒される。生活も戦闘も同時に続いているのが戦争だ。そして観客には、時間と距離のデフォルメも最初から始まっていることが判る。

 

途中で兵士の「クリスマスに帰れるか」の会話が聞こえるが、これは1914年の大戦勃発時の各国兵士の楽観論「この戦争はすぐ終わる、クリスマスには帰れる」をイメージしていると思う。

 

この映画は「戦争映画」か「スリラー」かの議論があるが、戦争映画としてシビアに見ると、いくつか気になった。

 

まず主人公ら2名が前線を突破するシーンでは、敵前かもしれない場所でも2名が常に一緒に移動する。ここでカメラは嘘のように離れたり回り込んだり水上を通ったりと「ワンカット」映像の凄さを見せつけるので、2名を常に近い位置に入れたかったのはわかる。しかしこれでは2人は良い標的だ。1名が構えて援護、1名が進むを繰り返さないと危険すぎ。戦闘は未熟な兵士なのかもしれないが、これは気になりまくりだった。

 

逆にドイツ軍の塹壕(要塞の一部?)はやけに立派でいかにもドイツという感じで面白かった。エイリアンとか異文化への侵入(^^;

 

そして狙撃兵の潜む建物への突入などは、映画の変化や時間経過の必要性はわかるが、兄を含めた1600名の命を救う使命を持った伝令としては任務の優先順位が疑問。同等の人数と武装なら守備側が有利だし、仮に勝率が0.5でも、川に沿って大きく迂回も可能な地形に見えるし、伝令を優先すべきと思ってしまった。

 
とはいえ相手の意図などが見えないのはリアル。助けた敵パイロットに仲間が刺されるシーンは「ひどい」とか「戦争の狂気」との感想も見ますが、捕虜は可能なら敵を殺して自力帰還すべきなのは基本任務。だから確保側も本来は威嚇しなから武装解除する。

 

このシーンでは救助を優先して武装解除の余裕は無かった訳ですが、パイロットは狂信的だったのか、パニック状態だったのか、捕虜は惨殺されると信じていたのか、何か誤解があったのか、そもそも主人公は見ていないので何もわからない。ただこの後で、それでも主人公は若い敵兵士を殺さないようと行動するが、また別の結果に終わる。結果的には間違った判断だったかもしれないが、戦争や人間はそういうものかとも思う。主人公はその時点でできる事を選択している連続なだけだし、説明セリフが一切無いだけに後々も考えさせられる。


そして後半は、照明弾らしき光で照らされる夜の廃墟、燃える街でのフランス人の婦人、合流した部隊などは、主人公も疲弊しているためか、戦争映画なのに美しくもあり、もはや幻想世界のようだ。

 
最後には任務の後で、実は別の伝令が残っており、木陰で休む映画の最初に回帰するようなシーンで終わる。伝令は総攻撃を中止させただけで、特に英雄でもなく、当時は多数繰り返された小さな物語の一つすぎない事を暗示しているようだ。

 

まとめ 

 「1917 命をかけた伝令」はスペクタル戦争映画ではないが、塹壕戦を舞台に、個人の小さな体験を観客が同伴し続けて、そして何を感じたかも観客次第という、売りは最新映像でも、実はとても映画らしい映画でした。