らびっとブログ

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パソコン通信からSNSまで

2年前に某大学サークルの創立40周年企画に参加したら、連絡手段が60代から現役生まで郵送/メール/LINE/ツイッターと見事に混在したのが面白かったので色々振り返ってみたい。個人的な話からPC、通信規格、映画など混在なのはご容赦。

 

 

電子メール

大型コンピュータを使用した電子メール自体は1960年代から色々あり、私は1980年代の外資系コンピュータ会社入社から社内メール(メインフレーム上で稼働するVM/CMSベースのODPS/PROFS)を使った(ITという言葉は1990年代後半から)。

 

入社研修までキーボードに触ったことも無かった文系人間なので実技は遅くて泣いた。でも当時は他には長距離が劇高な電話/FAXか(IP電話はまだ無い)、郵送/社内便なので、帰宅前に海外に出したメールの返信が翌朝に届くのは便利だった。また自分はユーザー企業に常駐が大半なので、上司との日常の連絡もメールで済んだ。

 

日本語も使えたが、日本語(DBCS)と英語(SBCS)の間には特殊文字(Shift-in / Shift-Out)が自動挿入され、自動改行はできなかった(日本語3270/5250の仕様。後にGUIフロントエンド化で改善)。

 

当時は「電子メール」と言わないと郵送と誤解された。電子メールが普及してくると郵送を「紙のメール」や「郵政省メール」などと呼んだ(郵便局の民営化前だ)。昔はエレキギターと呼んでいたのに、最近は元のギターをアコースティックギターというようなものか。

 

1990年代後半は、某スポーツイベント関係で長野のオフィスのOA化(死語?)に参加したけれど、メールボックスは朝だけ見る、ある課長は自分宛メールを部下に印刷させて机上の「未処理」箱から読む、2~3行の簡単な連絡をワープロで書いてメール添付で送信する、逆にメール本文をブランク詰めの嵐でセンタリングや段落字下げなどを作り込む、など「郵便文化」だった。文化は根強いのだ。

 

そもそも当時は世間でPCで仕事すると上司が「遊んでる」と叱ったり、逆に大手コンピュータ会社の社員は「PCなんかオモチャだ」(メインフレーム至上主義)の文化ギャップが激しく、両方の文化がそこそこわかるだけに複雑だった。

 

ところで会社で「電話しかできない中年」と「スクショしかできない若者」は根が同じ説を聞いた。本来は道具は状況に応じて使い分ければ良く、自分世代のスタイル押し付けは発想が同じ、との指摘だ。必要なのは柔軟性ですね。

 

パソコン通信草の根BBS

1988年にサークル後輩のhironon氏が、自主制作アニメーションの情報交換の場として「早ア同 まきちゃんねっと」を立ち上げて誘われたのでユーザー参加した。

 

当時はアニメーション80や各大学など色々な上映会があったが、情報は各上映会場などの紙のちらしか、貴重な情報誌「ぴあ」(月刊→隔週→週刊)で、本当に予定通り開催されるかは当日行かないとわからないし、かといって主催者の個人宅電話に気軽に掛けるのはためらわれた。

 

 前年に入手したIBM JX(IBM PC Jrの日本仕様PC)にモデムと通信ソフト(日本語ProComm)を買い足して電話回線でダイヤルアップ接続。電話料金の安い夜間を待ってログインして、準備したコマンドで会議室を巡回してログにダウンロードして、その後に読んで発言を準備する流れだ。

 

もちろん接続先のホスト側も個人のPC(PC-9801、確かWWIV)と家庭電話回線だ(確か受信専用の2回線目は安く引けた)。ホスト側が別の通信中(お話中)ならば眠い中に手動リダイヤルを繰り返すしかない。寝ぼけて最後に回線切断してない事に翌朝気づくと真っ青だし、接続を戻し忘れると家族から後で「今日は電話が使えなかった」と怒られたり大変だった。

 

最初に買ったモデムの通信速度は1200bpsだったので、2400bps、4800bpsが普及した時にはその「高速」ダウンロードに驚愕した。1200bpsではダウンロード中に掲示板の文章がほぼ読めたのだ(企業でも高価な業務用モデムで9600bpsも主流な時代だ)。

 

この友人のBBSは後にお絵描き(ドローイング)の、特に Woody-Rinn さんによる MAKI/MAG フォーマットの普及拠点の1つに発展して、更に各分家BBSと区別して「本家まぐろBBS」となったが、このあたりは以下リンク先や書籍をどうぞ。(なお私は色々迷惑はかけたけど全く何も貢献してません。)

MAGフォーマット - Wikipedia

まぐろのすべて―MAGフォーマット開発秘話 (SOFTBANK BOOKS) | まぐろBBS |本 | 通販 | Amazon

 

パソコン通信(商用BBS)

世界ではCompuServeやAOL、日本では1986年からNECPC-VAN(→BIGLOBE)、富士通OASYS通信サービス(→NIFTY SERVE)、日経MIX、そして後発のPeople(日本IBM東芝など出遅れ組の弱者連合)などがあった。

 

日経MIXは実名中心で博識な業界人や有名人が多い、BIGLOBEはパソコン界のガリバーのNECなので各分野で幅広い、NIFTYは提携したCompu Serveと同様のフォーラムと呼ばれる各分野の会議室を充実させて盛り上がり、Peopleは閑散としてた印象だ。

 

当時の有名人にはプログラマーで「ざべ」こと「THE BASIC」ライターで日経mix常駐の中村正三郎(show)さんもいて「これからはインターネットだ、BBSの匿名文化とは違ってインターネットは実名の世界だ」とか、天下のマイクロソフト日本法人(MSKK)に公然と喧嘩を売るなど賑やかだった(私はFIBM来訪時にわざとボケレスを書いて、本人からレスを頂いて喜んでいた、すみません。)

 

私はNIFTYIBMフォーラム(FIBM) に良く入っていた。今の PC は Mac を除けばほぼ IBM PC互換で、「PC」という言葉自体が「IBM PC」発祥と言えるが、1990年までは超マイナーだった。

 

当時の日本のパソコン界は各社独自規格で、メーカーが違えば原則としてソフトウェアも周辺機器も動かない(正確には画面制御するソフトは全滅)。

 

16ビット以降ではガリバーはNEC PC-9801で、次いで富士通の FMシリーズやFM-Towns、ちょっとニッチなグラフィック重視のシャープ X68000、露骨に富裕層向けの Macintosh、家庭向けの MSX (8ビット)などで、IBM(互換機)系は 東芝 T3100/J3100、IBM JX、AX協議会か、外資系企業やマニアの個人輸入程度だった。

 

しかし1990年の DOS/V (どすぶい)登場から、1997年のNECの方向転換(PC-98NX)までに、IBM(互換機)が主流に逆転して、この期間に雑誌以外の貴重な情報源として FIBM も大盛況になった。

 

ところでNIFTYでは一般人のフォーラム管理者(シスオペ)が権限と収入を得るのが公然の秘密だった。FIBMではほぼ姿を見せないシスオペW氏の交代運動がユーザー内で盛り上がり、結局はバランス感覚もあって人望もあるライターのYanaKen氏に交代したのは良かったと思う。(私は「月刊OUT」で初めて知った。DOS/Vの記事も良く書かれていた。)

 

あれYanaKenさんのサイトを発見した。

YanaKen's history(年譜)

 

商用BBSでコミュニティの維持発展のために日々活躍する有難いユーザーは、純粋なボランティアか、何らかの報酬もアリか、それは非公開(守秘義務)なのかは、オープンソースやその周辺ビジネスを含めて古くて新しい問題と思う。テナント業やイベント業みたいなもので、優秀で熱心なシスオペさんが集まって活性化し続けてくれないと、投資だけしてもビジネス継続できないのだ。そしてネットでは特色が無ければ1番手以外が生き残るのも困難だ。コミュニティとは人間社会そのものなので難しい。

 

余談だが日本でのパソコン通信」と言う言葉は好きでない。パソコンはデバイスの1つにすぎず、高価な大型コンピュータでも、当時の通信機能付きワープロ専用機でも良い。正確には「コンピュータ通信」。「電子書籍」を「パソコン書籍」とは言わないのと同じだ。AOL は「オンラインサービス」と呼んでいた。

 

オンラインサービス「AOL」が4月から日本で正式サービス開始

 

インターネットの前と後

インターネット普及前の話。

 

上述のパソコン通信は「非同期・無手順」の原始的な通信方法だ。パソコンなどのシリアルポート(RS232C)でモデム同士で接続後は、単に文字(コマンドやデータ)を流し込む、いわゆる「垂れ流し」だ。画像ファイルも文字に変換してから送る。日本では変換ツールの ish と 圧縮ツールの lzh の組み合わせが良く使われた。でもこの通信方法は今も制御系などでは良く使われている。

 

これに対して業務用の画面(パネル)も使える信頼性ある通信手順は元々は各大手メーカー独自仕様で、業務のオンライン化が進む中で IBM の SNA (System Network Architecture)を筆頭に、DEC の DNA (DECnet)、富士通の FNA、日立の HNA、NEC の DCNA などがデファクトスタンダードを目指して競争した。これらは中央のホストコンピュータが、全ての通信や端末の集中管理(セッション管理、ステート管理、暗号化など)を行って、通信の世界だけでセキュリティ(端末ごとの権限設定)や性能確保(帯域制限、同時セッション数、優先度など)もできたりする。昔のSF映画に出てくる中央集権的な「マザーコンピュータ」のイメージ元だ。

 

後に ISO が国際標準化規格の OSI を提唱したが普及せず、規格比較用に「OSI参照モデルの7層レイヤー」の概念が残った形だ(ただし各規格は別物なので「OSI参照モデルのXX層に相当」というのは「まぁ例えればこの範囲の機能です」程度の意味だ。)

 

これらは端末側にも各社独自の高価な通信カードやソフトウェア、ホスト側にも専用の通信装置が必要だった。しかも各規格の実装は時期や製品によっても異なり、実は同じ規格なら必ず繋がる訳でもなく、企業ではネットワーク構築自体が一大プロジェクトだった。

 

これら独自規格に対して、インターネットは分散系出身で後発の EthernetTCP/IP がベースで「信頼性が低い、管理困難、保証されない」と随分言われていた。それは事実だが、色々なツールや技術を組み合わせて補い成長してしまったのが現実と思う(IBM PC互換機の世界と似ている)。

 

1990年代後半からインターネットが商用解放されて一般にも普及すると、まずは商用パソコン通信間でもインターネット経由で転送ができるようになり、次第に個人がインターネットのプロバイダ(ISP)に入る事が普通になってきた。

 

当時の人気映画「ユー・ガット・メール」(1998年、トム・ハンクスメグ・ライアン)は、その題名(You've Got Mail)は当時のアメリカのパソコン通信大手の AOL でメール受信時にパソコンが音声通知するセリフだ。

 

AOLはGUI対応の専用ソフトを売りに、ダイヤルアップの BBS から ISP に進み、BIGLOBE@nifty も同じ方向に向かい、日経mixは終了した。

 

Windows95 

日本でよく聞くWindows95フィーバーでインターネット元年」は日本の特殊事情だ。世界的には Windows 3.1 が "It's Cool!" と評判になり、1992年にインターネット接続機能標準版の Windows 3.1 for Workgroup (WFW) が出て普及した。Windows95 は、MS-DOSとの統合とGUIの改良が中心だ。

 

日本ではこのWFWが発売されなかったので、1995年の Windows 95 が世界から遅れて「初のネットワーク機能標準版」と話題になった。もちろん以前からも各社のネットワーク用ドライバを組み合わせて接続できたが、MS-DOSの知識が必要で、日本語環境ではコンベンショナルメモリ等の制約も厳しかった。

 

WFW日本語版が出なかった理由は不明だが、恐らくは当時の日本はネットワーク普及後進国で(社内LANも珍しかった)、多数の日本独自仕様パソコンへの移植や保守の手間と見合わなかったからかと思う。

 

iモード

モバイルのネット接続も各時代に色々あったが、日本では1999年のiモードで急拡大した。ただインタビューなどで良く聞くiモードはオープンなので普及した」は「勝てば官軍」なので一言。

 

当時はモバイル用の国際規格にHDML(Handheld Device Markup Language)があり、HTML類似だがモバイル端末用の複数画面などをサポートしていた。それに対して「HTTP/HTML」をほぼそのまま持ち込んだNTTドコモ独自規格がiモードだ。

 

つまり iモードは当時は逆に独自仕様だったのだ。

 

ところで iモードの最初の広告塔は広末涼子。また i モードの次に、固定電話向けの Lモードが登場して、某銀行のLモード対応に関係したけど全く普及しなかった。

middle-edge.jp

 

フェイスブック

マーク・ザッカーバーグハーバード大在籍時に学生の交流用に作ったのが始まりで、それを描いた映画「ソーシャル・ネットワーク」(2010年)も学生のバカ騒ぎやギーク(技術オタク)な雰囲気が出てて面白いいし、確かに同級生を探したりは便利だ。

 

基本は「人単位のミニブログ」みたいなものかと思ってる。特に海外を含めて名刺代わりというか。

 

でも単に表札的に軽く使おうとすると、最近使ってないがどうしたとか、更新が少ないとページを削除するとかの「大きなお世話」メール攻撃やメッセージが多くて馴染めない。無料なので活性化を要求するのは当然ながら、うっとうしい。

 

ツイッター

若い人に聞くと「普段はツイッターでメールは滅多に見ない」人が結構いる。メールはもはや昔の郵送か小包か。まぁ色々なショップのメンバーになると営業メールが大量に着て普段見たくなくなるのはわかる(アドレス分ければいいのだけど)。

 

でもツイッターは従来のツールとパラダイムシフトがある気がする。

  1. パソコン通信会議室は「まずは場所(グループ)を探して入らないと始まらない」世界。現実社会のサークルに似ている。馴染めればいいが、途中で嫌になると、それまで築いた人間関係を捨てて抜けるか悩む。
  2. 逆にサイト(ブログ、フェイスブック)はホスト単位の世界だが、見る方は各サイトを巡回しないといけない。色々なツールはあるが面倒だ。そしてサイト側は読者の反応が余り見えない。SNS普及前のコミケの同人誌販売みたいだ。
  3. ツイッターは発信も受信も個人の世界だけど、読む側はタイムラインで仮想的にまとめて見られるし相互レスも簡単だ。会議室やサイトの「場」に対して、より仮想的なグループ(リレーショナルデータベースの検索結果の表のような)を毎回表示してる感じが、ヒエラルキーが低くアナーキーで、個単位なのがリベラリズムというか(フェイスブックも2011年からタイムラインを始めたけど)。

 

ただツイッター手軽だけどテキトー文化と思う。ツイートが時々見えない、翌日見えたり、通知も来たり来なかったり、同じトリガーで何回も通知されたり、とか日常茶飯事、全てがアメリカンワールドだ。

 

そして「つぶやく」フロー重視だから、情報蓄積(ストック)には向かない。検索やブックマークはできるが、単に過去履歴を辿るのは大変だ。

 

ただツイッター自体はただのお知らせ&気軽ツールに徹して、必要に応じてブログとかオンラインストレージとか別ツールを組み合わせる発想UNIXとかオープン系文化で、自前主義のデパート囲い込み文化でないのは正しいと思う。複数アカウントの切替もかなり楽だし。

 

そしてネット社会

私は会話より文字が好きで、IT関係のせいか功利主義なので、ネット社会自体は賛成だ。

 

お隣の韓国では、引越しの手続き(住民票、学校、電気水道、警察、年金など)がネットで1発でできるらしく羨ましい。アフリカでは電気も電話も未敷設の地域で、家のソーラパネルで充電するスマホ電子マネーの振込も普及している。遅れた世界ほど逆に最新にジャンプしやすく、過去のレガシーは資産から桎梏にもなってしまう。インフラだけでなく人間の文化として残る。

 

ネット投票の議論もあるが、なりすまし防止は認証システムの問題だし(オンラインバンキング、e-TAX)、本人の意思確保は郵送でも大差ない(日本でも在外投票、アメリカでは大半の州で郵送投票可、バーコード印刷済)と思う。つまり制度設計とシステム次第だ。

 

昔は「雲の上」だった漫画化や小説家などのクリエイターも、アクティブな方は多い。ファンとしては本当に嬉しいし、もちろん社交的な方もいると思う。しかし一方で「本人も営業する時代」とのプレッシャーも聞く。

 

昔の雑誌や書籍では「この仕事はこうだ」とか「私はあの作品や監督は嫌いだ」とか意見表明も多かったのに、今は炎上対策なのか周囲を片端から持ち上げてスマートに謙遜する「大人な」振る舞いが広まっていて、さすがだなぁとも思うが、ちょっと不気味にも感じる。

 

若者も含めて「ネットは誰でも発言できる民主的で自由な世界」が「日常も相互監視だから自粛世界」に転じるのは皮肉かも。悪いのは本人か大衆社会か。

 

表で自粛なので、匿名で発散する人もいそう。しかし人間なら丁寧な時も、放言する時もあるのが自然なのに、ネットは断片で評価され炎上しがちだ。ネットを通じた大衆社会集団主義、暴力性)の表面化で、その反発で過剰な個人主義(匿名主義、進歩主義忌避)もあるのかも。

 

つまりネットは昔も今も人間社会そのもので、便利な道具だがリテラシーは必要と思う。

 

 という訳で、シンプル好きとしてはあまりツールの手を広げたくはないが、使えばメリデメが見えてくるのも楽しい事ではあるのでした。

 

(了)