らびっとブログ

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映画「特別編 響け!ユーフォニアム アンサンブルコンテスト」はあくまで特別編

8月4日の劇場公開の翌日に二子玉川109シネマズで。簡単な感想です。

 

 

(シアター入口の液晶パネルのポスター)

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①あくまで「特別編」

良くも悪くも「つなぎ」のスペシャル版で約1時間。劇場では「ODS」(非映画コンテンツ)表記の一律1500円で「劇場版なのに映画扱いではないのか?」と戸惑ったけど、公式サイトに「中編」ともある。昼に客席7割ほど。

 

「ユーフォ」はテレビ1期・2期と、ほぼ総集編の劇場版1・2、スピンオフで映像美と情感あふれる「リズと青い鳥」があり、そして来春(2024年4月)からテレビ3期が発表済なので、シリーズ復習&事前イベント用みたいな作品だ。

 

だからシリーズを知らない人が突然見ると、「これまでのあらすじ」無しにキャラクターが最初から沢山いるわ、終盤の盛り上げ無く「Next Spring」だわ、「なにこれ」かも。

 

とはいえ各キャラ登場時に性格と名前をすぐ出すなど配慮もある(結構忘れていたので助かった)から、関心があればこれから見始めても良いと思う。

 

②それなりに良かった

(入場者プレゼントの小冊子 3種中の「偶発的再開と他愛ない会話について」表紙)

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王道な事件や勝負も無いし、「リズ」のような映像美作品でもなく、今までの劇場版のようなラスト演奏シーンすら無い(演奏の話なのに!)ので、正直1本の劇場映画としては物足りない

 

ただ主人公の久美子を中心に多数のキャラとの「らしい」日常演技はさすがの京アニだし(窓開けとかマリンバ運びとか)、今回のテーマは実はコンテスト自体ではなく「部長になって自信の無い久美子がコンテスト準備の中で自分の意外な才能に少し気づく話」だから、敢えてラスト見せ場は無い構成だったのかも、と思えるのでした(批判も多そうですが)

 

③オマケ

 

(まとめ)あくまで特別編ながら日常のさりげない成長描写は健在に思えました

 

以上です。

映画「君たちはどう生きるか」見て良かった【ネタバレなし】

公開2日目の7/15(土)に二子玉川109シネマズで。前日ネット予約時からほぼ満席。

 

簡単に言うと、

  • 事前情報完全ナシは良かったのでは
  • 前半は「うーん」、見終われば「良かった」
  • 少年少女向けだけどやや高学年向けかも
  • タイトルは話に直接関係ないけど実は関係ある
  • 各シーン考察が溢れそう(でも感じたままでも良い)
  • 宮崎作品の簡潔なセリフ回しや場面展開が健在とは恐るべし(ここ重要)

 

画像はシアター入口のディスプレイ。

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①事前情報完全なし

当日にパンフも無い常識外の情報統制で、鈴木敏夫プロデューサーの暴走とか、批判も含めて宣伝成功とか言われたけど、今回は原作絡みの宣伝ネタも無いし、話の展開を伏せるための予備知識ゼロが向いていたかも。

 

個人的には事前情報避ける派なので今回は楽だった。というか「避けたくても、つい見えてしまう」SNS時代では適切かも。多業種との大規模タイアップ前提のディズニーにはできない、制作主導が残るジブリだからできる手法とも思う。

 

宮崎駿監督といえば

1980年代の「未来少年コナン」や「ルパン三世」(1期後半、カリ城、アルバトロス、さらパ)当時よりマニアから愛を込めて「宮崎ワンパターン」「うんちもおしっこもしないお姫様」「ロリコン」「マザコン」などとも呼ばれて来た、年齢にかかわらず少年のような映像作家。

 

例えば黒澤やワイダやグリモーは力強い映像を繰り出したのに老年期には形式主義に見えてインパクトが感じられなくなってしまったけど、宮崎駿は今も元ネタからイメージをどんどん創出できる映像作家なのだと改めて思った。年齢を考えるとこれ凄いのでは。

 

③良かったのは

ネタバレ回避で印象だけですが、

  1. 劇中で登場する名前は数人もいなくて助かった(^^;
  2. 前半は地味だなー、でもちゃんと展開していく
  3. あちこちの歴代宮崎アニメを連想するシーンはご愛敬
  4. ちょっとした少ないセリフがキャラや背景を感じさせる世界観
  5. 単純な善悪で割り切れない、次第に悪者側のモブまで愛を感じる宮崎イズム

 

多分意見が分かれるのは

  1. ちょっと暗め。漫画映画なトトロより、ハウル風立ちぬやマーニな感じ。でもそれを「つまらない」と感じるか「色々考えさせられる」と感じるかは自由。
  2. 宮崎駿の自伝ではないか。観た後でネットで感想を見ると多い。でもそれを言ったら全作品自分を投影しまくりなので、この作品が特にそうとは言えない気もする。
  3. 最後の超短いエピソード。でも、これだけで判るし、一瞬の方が想像の余地があって「よしっ」と席で小さくガッツボーズしちゃいました。

 

(追記)賛否両論分かれる中で個人的に面白かった感想を勝手にご紹介

・映画出た本の中に講談社「世界名作全集 小公子」があったそうです。

「君たちはどう生きるか」を観てきました - Joy & Jura with Whippet Floren

 

・タイトルも内容も良いですね(^^)

『君たちはどう生きるか』を見て生きかたをすべて理解した - 蟻は今日も迷路を作って

 

・思わず納得しそうになるマザコン映画説(^^;)

「君たちはどう生きるか」の胎内めぐり - 挑戦者ストロング

 

感覚ばかりですみませんが以上です(ペコリ

 

 

メインフレームとは(要約版)

一般には馴染みの薄いメインフレームコンピューターについて。昨年書いた「メインフレームとは」は文字が多かったので表で要約してみました。 

 

 

①超まとめ

  • メインフレームは基幹業務向けの大型コンピューターのこと
  • 日本で汎用機と呼ぶのは不正確!
  • メーカー現存5社のうち、継続表明は2社のみ(IBM, NEC)
  • 独自仕様で専門的で高価だが、大量データ処理や信頼性・安定性が特徴
  • 実はオープン性のレベルは、時代やメーカーの差も大きい

 

②最新例

2022年発表のメインフレームIBM z16」です。画像はシングルフレーム構成で、右側の凹凸は単なるラック前面扉のデザインです。ストレージなどの周辺機器を備えて空調完備のマシンルームやデータセンターに設置されます。

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③コンピューターの分類

コンピュータの分類と用語は時代や視点にもよりますが、一般的には以下と思います。

コンピューターの分類
大分類 中分類 初期の例

スパコン

-

1960 LARC

1961 IBM 7030

メインフレーム

(ホスト)

専用機 *1

1951 UNIVAC I

1952 IBM 701

汎用機 *2 1964 System/360
分散系 ニコンオフコン 1960 PDP-1
オープン系サーバー *3 1970 PDP-11
PC

1977 Apple II

1981 IBM PC

 

それぞれ補足すると、

 

*1 専用機:以下いずれかの用途(CPU命令セット)のメインフレーム

・科学技術計算用(浮動小数点演算、fp)

・商用計算用(10進数演算、Decimal)

 

*2 汎用機:上記「専用機」に対して、両用(両方のCPU命令セット)のメインフレーム。なお日本ではメインフレーム全体を「汎用機」と呼ぶ場合が多いのは恐らく過去の「IBM System/360対抗」意識からだが、UNIVAC Iなどの専用機が含まれず、大半の分散系も実際は「汎用」なので、適切な用語ではないと思う。

 

*3 オープン系サーバー:日本特有の用語で、メーカー独自仕様に対する、UNIX, Linux, Windows稼働サーバーだが、そもそもH/WとS/W(OS)を混同しているし、仮にH/Wならば x86, 各RISCなどの間に互換性がある訳ではなく各プロセッサーもオープンとは限らないし、また仮にOSならばWindowsMicrosoft独自仕様だし逆にLinuxがネイティブ稼働するメインフレームもあり、雑すぎて適切な用語ではないと思う。

 

④時代ごとの分類

分類(用語)を時代に分けてみました。用語は区別する必要が発生した時に生まれ、普及した用語は過去にも遡って使用されます。記載は一般に広く普及した用語だけで、各社の大型・中型・小型や「スーパーミニ」などは省略しました。

 

コンピューターの分類の歴史
時代 分類 備考

1950~

黎明期

コンピューター メインフレーム *1

1960~

3分類に

スパコン 別格扱い
ホスト メインフレーム
分散系 ニコンオフコン

現代

スパコン 別格扱い
メインフレーム 2000年頃から徐々に普及した用語?
分散系

・ミニコンオフコン)*2

・サーバー(オープン系、独自仕様 *3)

・W/S、PC など

 

1 当時の名称は単に「コンピューター」ですが、現在では遡って「メインフレーム」と書かれている(例 IBM Archive - Mainframe)。

 

*2 現存のオフコンIBM PowerSystemIBM i (旧 AS/400)など。

 

*3 現存の独自仕様サーバーは HPE NonStop(旧タンデムの無停止コンピュータ)など。

 

⑤現存メーカー

メインフレームのメーカー(メインフレーマー)は過去には世界に多数ありましたが、現存は6社で、うち今後の継続表明は2社のみ(IBMNEC)です。

 

現存するメインフレームの種類
大分類 現製品(主なOS) 今後
IBM互換 IBM Z (z/OS, z/VM, z/VSE, Linux) 継続表明 *1
富士通 GS21 (OSIV) 撤退予定 *2
日立 AP10000 (VOS3) H/W撤退済 *3
IBM互換 NEC ACOS (ACOS) 継続表明*4
Unisys ClearPath (OS2200, MCP) 新製品なし? *5
アトス BullSequana M series (GCOS) 詳細不明 *6

 

*1 IBMの今後のメインフレームへの投資表明 (2023年)

*2 富士通は2030年のメインフレーム販売終了を表明済 (2022年)

*3 日立はメインフレームのハードウェア撤退を表明済 (2017年)

*4 NECのメインフレーム継続宣言 (2022年)

*5 BIPROGY ニュースレターにClearPath新製品発表が見当たらない...

*6 仏アトス社の製品ページ

 

なお過去のメーカーはGE、RCA、BUNCH (バローズ、ユニバック、NCR、CDC、ハネウェル)とその継承者(UNISYS、Bullなど)や、日本の国産6社3グループ富士通・日立:IBM互換路線、NEC東芝:非IBM提携路線、三菱・沖:独自路線)、そしてIBMスピンアウトのアムダール(IBMハードウェア互換)などが有名です。

 

IBM系は情報が非常に少ないですが、NEC ACOSはGE GCOSの、Unisys ClearPathはUNIVACおよびバローズを継承する長い歴史を持っています。

 

⑥特徴の比較

乱暴に比較すると以下でしょうか。

特徴の比較
 

メインフレーム

(例 IBM z16 + z/OS)

一般的なサーバー

(例 x86

備考
用途

基幹業務用

汎用 *1
CPU

独自(z/Architecture)

CP + IFL + zIIP + zAAP *2

x86 + GPU

*2
入出力 チャネルサブシステム 基本はCPU *3
ストレージ 外部のみ 基本は内蔵 + 外部 *4
ミドルウェア

Webサーバー(IHS)

アプリサーバー(WAS)

RDBMS(Db2)

階層型DBMS(IMS)

色々 *5
開発言語 FORTRAN, COBOL, C, Java 色々 *5
信頼性・運用

アドレス空間独立

開発と運用の分離

細かい障害調査と修正

ユーザーが神

累積修正が基本

*6
例えると? 鉄道? 道路と自動車? *7

 

*1 一般論では汎用製品で済む用途は汎用で良く、銀行の勘定系もネット銀行や地銀はオープン系が増加中だが、メガバンクの大規模処理は当面はメインフレーム

(例)

三菱UFJ銀行今後の勘定系近代化にメインフレーム継続 (2022年)

三井住友銀行次世代の勘定系にACOS継続 (2020年)

 

*2 用途に応じて基本のCP、Linux特化のIFL、Java特化のzAAP、Db2特化のzIIPを組み合わせできる。なおCPUマイクロ更新で処理効率も更新される(マイクロプログラム方式。メーカーが適時更新し、起動(IML)時に反映)。

 

*3 チャネルサブシステムは入出力専用のプロセッサーで、大量I/O発生時にCPU負荷を避けて安定的なI/O処理を行う。なおz/OS等はテープも順次ファイルとしてそのまま読み書きできる。

 

*4 起動(IPL)時に起動ディスク(OS格納のSYSRES)を選択可能なため、IPL不可障害時の切り分けや、障害時の運用変更(開発機→本番機など)は容易。

 

*5 IBMは1980年代の標準化(SAA CPI)で FORTRAN, COBOL, C 、1990年代に更に Java をOSや主要ミドルウェアでサポート。なおメインフレームCOBOL」は日本の特殊事情で国産メインフレームの印象が強い。

 

*6 メインフレームの基本設計は組織内役割分担で、開発(プログラマー)と運用(起動停止やリソース割振りするオペレーター)は分離、プログラム間もアドレス空間を分離、障害発生時の取得資料(トレース, SLIP等)も多く、修正情報DB (SMP/E)で必要最小限の修正(PTF)適用が可能など、専門的で面倒だが厳格。なおUNIX, Linux, Windowsの基本思想は「ユーザーが神」で全てを簡単に操作できるが、万一特権を奪われるとセキュリティは終了が基本(ただし各種仮想化併用で差は縮小できる)。これらは神学論争になりがちですが、善悪というより文化相違と思う。

 

*7 都市計画に例えると、メインフレームは鉄道で、高価で専用技術が必要でメーカーも限られるが、大量の乗客を高速・安定的・エコに運送できる。サーバーは道路と自動車で、安価で誰でも運転でき柔軟で調達容易だが、要件や設計によっては渋滞や排ガスやサポート増大にも陥る。これも道具の特性相違なので善悪ではなく、選択と組み合わせの問題と思う。

 

⑦オープン性のレベル

メインフレームは各メーカーの独自仕様ですが、そのレベルは時代やメーカーよる差も大きくあります。

 

メインフレームのオープン性 (IBM)
    備考(日本)
1964~

System/360

・H/W仕様の公開 *1

・OSの無償公開 *2

1960 国産メーカーに特許公開
-

業界標準言語の採用

FORTRAN, COBOL, C

 
1970~

知的所有権重視に転換

・S/370 XA

1981 IBM産業スパイ事件
1990~

オープン標準の取込

Java, Web, TCP/IP

UNIX環境(USS)

Linux

・64bit CMOS CPU

・並列クラスタ(Sysplex)

(国産各社は大幅な拡張は停止)

 

*1 System/360シリーズはCPU命令セットとI/O命令(Chanel Control Word = CCW)を標準化してユーザー(プログラム)から見た互換性を保ち、更にマニュアルで公開した。このためユーザープログラムも普及し、周辺機器や本体の互換機も普及した。

 

*2 商用初のOSであるOS/360を無償公開(パブリックドメイン)し、ソースを公開した。このため技術力あるユーザーはOSをユーザー用に修正して使用できた。またユーザー開発のサブシステム(JESなど)をパッケージ化してOSに取り込んだ。

 

⑧リンク集

最近拝見したもの。わかりやすいですね。

 

なお宣伝的な煽り記事は、表現を真に受けないリテラシーが必要かと思います。例えば以下タイトルは富士通の撤退発表から1年以上後に「激震」とは今更感があります(記事内容は良いのですが)。

 

またメインフレームからの移行事例は実際には毎年沢山あるのに、タイトルでCOBOLAWSを強調しすぎるのも移行業者の宣伝感を感じます。

 

他方、IBMは従来から「IBMメインフレームはレガシーではない」、「世界ではWeb, ERPなどのニューワークロード用途が増加中」と主張していますが、更に最近の「AI推論、対量子暗号化」などの売りは果たして普及するのか。

 

以下は最近更新されていませんが、資料として纏まってます。

*1 「プラグコンパティブル・メインフレームの盛衰」や「通産省と日本のコンピュータメーカー」は貴重に思えます。

 

⑨最後に

  • 表を使った要約ブログなのに、結局長くなり何週間もかかり敗北感(苦笑
  • はてなブログは表をHTMLで書く必要がありますがタブなどは落とされて色々面倒でした(HTML可能なだけ良いですが

 

以上です。長文失礼しました。間違いなど指摘頂けると嬉しいです(ペコリ

 

映画「シン・仮面ライダー」で感じた10のポイント(ネタバレ控えめ)

一般公開初日の3/18(土)に劇場で観た感想です。ストーリーのネタバレはありません。

 

 

(ポスターの1つ)

 

①一言で言うと

  1. 賛否両論あるけど私は面白かった
  2. PG12で血しぶきシーンはあるけど最初だけ
  3. 子供向けヒーロー物を期待すると違うかも
  4. アクション大作ではなく、着ぐるみで人間が演じる演劇的な迫力
  5. オリジナル世界をうまく押さえた庵野監督世界の「自主制作」

 

「シン」3部作の比較

超オタクな庵野氏なので全てオリジナル世界を深く抑えているけど違いは感じる。

 

③暗く孤独なオリジナルのイメージ

印象は世代でも違うと思うけど、私は小学生頃に観た初代(前半)のテレビと漫画で、拉致され改造人間にされた不条理、暗闇での蜘蛛男との格闘など、暗く孤独で泥くさいイメージなので、「V3」以降の決めポーズのスマートなアクションは違和感があった。

 

仮面ライダーは「サイボーグ009」や「デビルマン」や「タイガーマスク」のような「抜け忍物」でダークな「裏切者」なのだ。その点「シン・仮面ライダー」は初代のイメージをベースに、世代交代にも触れていて好感が持てた。

 

④劇場の様子

土曜の午後で満員だが高齢男性比率が高い(笑)。小学生は1割以下で、終わって喜ぶ子供は見なかった(やはり)。良かった、感動したとの声はちらほら。

 

特典の「シン・仮面ライダーカード」は袋の注意書きの通りネタバレで要注意です(ネタバレはカードの裏面です)。

 

⑤PG12は少しだけ

最初の戦闘シーンで血が飛び散るが、相手は悪役の戦闘員で、血以外のグロはなく、実はその後は無いので、「進撃」や「鬼滅」とかよりソフトな気もするし、ストーリー上の描写でもあり、保護者の判断は分かれそう。

 

⑥着ぐるみ感で自主制作&演劇感

これが最大の特徴では。ハリウッドSFXのように実写と特撮の差を見えなくする「リアルだが飽きやすい」映像ではなく、ライダーも怪人(オーグ)もヘルメットやスーツをいかにも着ている事を強調しまくって「自主制作や演劇風だが人間の演技が迫って来る」感じ。

 

ライダーは完全に変身しても首や髪が見えて防護服にもなってないが、これは庵野氏の学生時代の自主制作「帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令」も連想するし、変身後も人間との連続感がある。

 

もちろん「シン・ウルトラマン」の「いかにも人形」な飛行シーンと同じで、「いかにも着ぐるみ」はテレビシリーズへのリスペクト(というか庵野氏の拘り)もあるだろう。

 

そして最後は各役者の迫力勝負で、各怪人のキャラも異彩で、もはや小劇場で演劇を間近で観る感覚だ。主役陣は勿論、西野七瀬長澤まさみもまた視たくなる強烈な印象だ。(軽いネタバレ?)

 

これをハリウッド大作な派手なアクションを期待して観ると「なにこのチープで悪趣味な映像の連続」になりそう。

 

⑦SHOCKERの知性と愛

オリジナルのショッカーは「世界征服を企む悪の秘密結社」だが、映画のSHOCKERはより個人商店風だし、多くの怪人が(アブナイ奴でも)それなりの知性と礼儀を持っているのがメフィラス星人みたいで今風かと。

 

ただの乱暴者集団ではないので、仮に思想に賛同すれば、正義は簡単に逆転してしまう怖さがある。そして狂気の裏には愛がある。これまた監督のショッカーや怪人への(偏)愛を感じる。

 

しかし秘密結社なのにヘルメット背面にSHOCKERロゴとは、ブランド名か製造物責任なのか。これも今風で面白い。

 

あと公式サイトでエンブレムがダウンロードできるのもイカれてる(笑

ショッカー|『シン・仮面ライダー』公式サイト

 

⑧小物への拘り

仮面ライダーのトレードマークの仮面(ヘルメット)、赤いマフラー、風を受ける変身ベルトを、話にうまく組み込んで印象的でした。観終わると、このアイテムはこれしかない、と監督に洗脳された感じだ。まぁマフラーが泡は不思議だけど。

 

⑨そして終盤

まさに演劇世界でエヴァみたい、そして予想通りの古典的エンドロールと、やっと流れるオリジナルの歌が良い。

 

⑩おまけ

・劇場で売ってたポップコーン。暴利と思ったらクリアファイル付き。

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・しかしこれは本当の暴利では(笑

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ちゃんと買った方もいるのも凄い。

【本気か?】『シン・仮面ライダー』を見に行ってなにより驚いたこと | ロケットニュース24

 

 

・最後に、過去に書いた庵野氏関連作品の感想ブログです。よかったら見てね。

 

(1)映画「シン・ウルトラマン」が「シン・ゴジラ」と同じ処と違った処 - らびっとブログ

 

↑は何故か↓で紹介してくれて、突然アクセス激増してびびりました(笑

特撮ファンの「理解と不安」。『シン・ウルトラマン』の感想ブログを集めました! - 週刊はてなブログ

 

 

(2)漫画「アオイホノオ」と「DAICON III オープニングアニメ」 - らびっとブログ

 

以上です。

佐伯啓思「資本主義の臨界点」は面白い

1年前の朝日新聞のオピニオン記事だけど読み返しても面白い。

 

 

佐伯啓思

保守派の思想家と言われるが、単に知識の多い学者というより、左右の知識を元に自分自身の意見を語る感じで、納得できない主張も多いが、視点を発見できるのは楽しい。

 

例えば、トランプ・プーチンエルドアンなどの権威主義的政権の登場を「民主主義への脅威というより、民主主義が効きすぎている」などと言う。

 

この場合の「民主主義」は、自由な市民による議論という自由主義的な意味では無く、大衆の喝采を得るというカール・シュミットヒトラーを支持した法学者)風の意味で使っていると思われるが、氏の根底には元々は左翼思想である「民主主義」への保守派としての懐疑も感じられて、時々ムカッともするが、視点としては面白い

 

②「資本主義」は否定的な語

記事に戻ろう。

ついに、というべきか、はてさて、というべきか、岸田文雄首相の所信表明演説にまで「資本主義」が堂々と登場することになった。

 

1970年前後、マルクス主義の影響もあり「資本主義」は徹底してマイナス価値を付与された言葉であった。ほとんど悪の象徴のようなものである。

 

オーソドックスな経済学では「資本主義」の語はまず使われない。もっぱら「市場経済」の用語が使われる。

 

「資本主義」の語が肯定的な意味を帯びるようになったのは、90年前後の冷戦終結あたりからである。

 

全く同感だ!そもそも「資本主義」(キャピタリズム)は「カネが人間を動かす体制」との批判語で、肯定的に使う方がおかしい。肯定的ならば「市場経済」か、より哲学的には「経済的自由主義」と思う。

 

もちろん絵画の「印象派」のように批判語が通称に転ずる事もあるが、ある程度は本来の意味は知っていて欲しい。

 

③「資本主義」は「市場経済」とは違い資本の自己増殖運動

資本は未知の領域の開拓によって利益を生み出し、自らを増殖させる。

 

「資本主義」は「市場経済」とは違っていることに注意しておきたい。「市場経済」はいくら競争条件を整備しても、それだけでは経済成長をもたらさない。経済成長をもたらすのは「資本主義」であり、経済活動の新たな「フロンティア」の開拓なのである。

 

これも全く同感だ!そもそも単なる交換経済の「市場経済」なら中世にもある。しかし産業革命以降の「資本が資本を生む」つまり「資本の自己増殖運動に、資本家も労働者も動かされる」という産業社会が「資本主義」だ。

 

どうも「社会主義共産主義 の否定が資本主義=市場経済」みたいな単純視を世間で見かけるが、自由に商業できるだけでは資本主義とは言えない。

 

ここは保守派の佐伯氏の資本主義の説明が、マルクスと全く同じなのが興味深い。(佐伯氏は学生時代に批判的ながらマルクス経済学を学んだらしい。)

 

④しかしフロンティアは限界

歴史の話は少し長いので以下の1文に要約する。

 

歴史を振り返ると15世紀の地理上の発見(新大陸、アジア)、19世紀のイギリス産業革命、20世紀のアメリカ大量生産・大量消費、80年代のグローバル化などが資本主義のフロンティアだったが、先進国は成長率鈍化や格差問題、そして一握りの情報関連企業に巨額の利益を集中させた(GAFA問題)。

 

空間、技術、欲望のフロンティアを拡張して成長を生み出して来きた「資本主義」は臨界点に近づいているといわざるを得ない。「分配」と「成長」を実現する「新しい資本主義」も実現困難といわざるをえないだろう。

 

ここは賛否あるだろう。50年前には冷戦崩壊・グローバル化やIT革命がほぼ予想できなかったように、将来発生するパラダイムシフトの有無を予想する事は難しい。

 

しかし現状に問題があり、今後の経済成長策と言われているグローバリズムは逆に国家間の国益競争に陥り、またイノベーションは勤労者の所得を低下させる、という点は正しい気がする。

 

ところで「企業が儲かれば、少しは給与も上がるかも」と思う人がいるが、そういう人は家庭の収入が2割増えたら、電気水道ガスやスーパーの同じ買い物にも「いつもありがとう」と今後は1割アップで払うのだろうか。

 

収入が増えたからと、同じものに必要以上の単価を払う人はいない。家族経営ならともかく、より良いものか、より多くか、貯蓄だろう。「本来の昇給を延期していた」とか「給与を上げないと他に取られる」などの事情が無ければ給与を上げる必要性はない。せいぜい一時金(プレゼント、賞与)だろう。

 

これは経営者の良い悪いではなく、労働市場での労働力調達という一般常識で考えれば判る事だ。「社員」や「家族主義」などの言葉で「私も会社の一部だ」と騙される人がいるが、法的には交換可能な「従業員」で「労働者」にすぎないし、だからこそ良くも悪くも自由な市民、でもある(先進国では)。

 

⑤問題は近代人の欲望

そこで結論。

 

われわれはようやく「資本主義の無限の拡張」に疑いの目を向けつつある。とすれば、われわれに突き付けられた問題は、資本主義の限界と言うより、富と自由の無限の拡張を求め続けた近代人の果てしない欲望の方にあるのだろう。

 

なんか一部市民運動家の「反成長路線」のような結論ですが、良くある生活者視点の反近代ではなく、「資本主義」のダイナミズム分析側の近代思想批判なのが興味深いですね。

 

なお歴史的には保守主義反自由主義(反資本主義)なので、本来は保守こそ思想的な近代批判をすべきとは思います。

 

⑥参考

全文ではなく抜粋のブログ

 

朝日新聞のトピックス

 

なお朝日新聞には確かに左派論調もしばしば乗りますが、同時にクオリティペーパーとして左右幅広くの主張が読めるところは利点に思います(他紙はほぼ1種類の論調で単調だったり)。

 

これも面白かった。

 

以上です。

映画「すずめ〜」鈴芽が草太を好きになる描写が不足?【ネタバレあり】

すみません前回「2回目で気づいた6点」の書き忘れの7点目ですが、ちょっと気になるポイントです【ネタバレあり】。

 

⑦鈴芽が早太を好きになる描写が不足?

1回目は確かに「イケメンに一目ぼれはわかるけど、それだけでは軽薄みたいで、もう少し欲しい」と感じた。

 

でも2回目で、最初に会った時に「どこかで会った気がする」(?)のセリフと、それは幼児期に見た扉の向こう側で立っている男女、と気が付いた。つまり「イケメン一目ぼれだけではないよ」というわけだ。

 

なお子供が母親かと思った女性の隣の男性なら普通は父親と思うのでは?とも思うけれど、鈴芽の記憶には父親不在なので矛盾はない。

 

ここで妄想すると、製作者は「母が1人で育てた」話に加えて、この「謎の男性を父親ではなく恋愛対象に想って育つ」ためにも父親を消した気もするし、すると鈴芽の想いにはファザコン要素も潜在していて、安定の新海監督キモイ(誉め言葉)かも(笑

 

ところで「少し会っただけの女性を男性が命がけで守る」ならばドラマの定番なので、「女性が男性を好きになるには丁寧な心理描写が欲しい」と思ってしまうのも「男は活発な狩人だが、女は貞淑で家庭」なジェンダー認識かも(ちょっと反省

 

とはいえ鈴芽は最初から「ここぞと思えば命は惜しくない」感じの思い切りの良いキャラと思うし、劇中の恋愛描写は最低限にしたことで「想いが深まったのはあそこじゃないか」「いやこっちでは」とか観客が後で色々と想像できる映画になって良かったのでは、とも思うのでした。

 

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(映画館のIMAX用ポスターでテーマは「愛は異種間を超えられるか」←嘘)

 

PS.この画像を貼ってから「戸締り」でなく「戸締まり」と気が付きました...

 

以上です。

映画「すずめの戸締まり」2回目で気づいた6点【ネタバレあり】

公開直後(11/12)に観た後で、2回目(11/20)で気づいた6点です【ネタバレあり】。

 

 

なお2回目も満席で、私は劇場で2回見るのも、上着を忘れて清掃中の劇場に頼んで再入場の失態も始めてでした。

 

①椅子の目は動いてないか?

椅子となった早太は動きとセリフだけで演じ続けるけど、目の輪郭や目の中の白色(ハイライト)を動かすなどの感情表現を実は入れてないのか? が1回目に感じた個人的疑惑でした。

 

そこで2回目に注視したけれど、椅子への影や脚などのデフォルメはあるものの目の動きは発見できず、仮にあっても観客の大半は気づけないレベルとしか思えない。

 

ディズニーなアニミズム世界とはまた違って、異世界のダイジンやミミズはデフォルメ多用で、現世の人物や椅子はリアリティを保つ、描き分けて併存なバランスが良い作品と思います。

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(ポスターの椅子も、目はただの穴で、目の中の光源の反対側に白が入っているが、作品中もずっと同じでした)

 

②ダイジンは正直者か?

1回目でも、邪悪な悪魔の使いに見える白猫のダイジンは、実は最初から素直な感情(すき!)と事実(ムリ!人がいっぱい死ぬよ)しか言っていない気がしたが、本当だろうか。

 

見返したら本当でした!主人公と観客をうまくミスリードさせる運びが絶妙です。(リアルでも印象操作と事実関係の違いに気を付けましょう笑)

 

(11/23 追記)要石は元は人間の人身御供らしく年月をかけて神となる孤独な存在だけど、すずめが偶然にも開放してくれて、訪ねていくと餌と水をくれて「うちの子にならない」とは女神に見えたかも。その女神の隣にいる要石を戻したい危険人物を「お前も窮屈な身体になれ、そして自分で要石になれ」と呪うのも当然にも。

しかし人間の犠牲を減らすため後ろ戸の場所を知らせ続けて、最後にすずめが要石になる決心をすると、黙って自分が身代わりに戻っていく。

こう思うと「すずめの自業自得の騒動話」から「ダイジンの自己犠牲愛の物語」にも思えるし、全2作の「宿命を持った巫女」の要素は、救われてハッピーエンドになる早太だけでなく、納得したにせよ石に戻るダイジンの両方なのかも。人知れずサポート役で消える人間と、それを活かして未来へ向かう人間、どちらも現実。深読みですが。

 

③サダイジン良くわからん

1回目は、要石はなぜ東西2個か、東の要石はいつ誰に抜かれたのか、なぜ環の深層を代弁したのか、なぜダイジンよりでかいのか、などなど謎だらけ

 

見返したら、やっぱりわからん。良く言えば、主人公達にも「結局よくはわからなかった部分」のままで良いとも思う。謎解き作品でもないし無理に苦しい説明なくてもいい。

 

ぶっちゃければ、最終バトルで手前には主人公と子猫、背景には巨大怪獣格闘の絵が欲しかった、そして何より「最後の戸締りを主人公2名で対等にするには要石が2個必要だったから」が製作側の本音に見えるので、後付けの設定詳細を余り語るのは野暮にも思える。

 

④芹澤はなぜ後半から?

地方で生きる人々と対比してチャライ東京な芹澤だけど、2回目で気が付いた。

 

ネコが喋るとか非現実的な出来事に、前半はすずめが「ええっ」連発でバランスを取っていて、すずめが覚悟を決めた後半は芹澤が「ええっ」役を引き継いだ構成なんですね。

 

非現実が当然のように続くと観客も嘘っぽく感じるので「ええっ」の突っ込みは欲しいし、その後の諦め感との反復がコメディ。個人的には芹澤のいない本作はありえないくらいナイスでした。

 

ところでお茶の水は堀・地下鉄・橋のビジュアルが有名ですが、都会というより学生街なので、地に足が付いた選定に思えました。

 

⑤幼児向け?震災シーンが多い?

1回目の後に少し世間の感想を拝見して。

 

マクドナルドの陰謀もあるのか土曜午前の上映で幼児が1割ほどでしたが、上映直後に「面白かった」風な子供は見えなかったような。暗い画面も多くて、歩く椅子との楽しいディズニーアニメではないし。ただ年齢に拘わらず色々な作品に触れる事自体は良い事かと思う。

 

また「知らずに観て震災描写にショック」との声もあるようですが、実は直接犠牲になるようなシーンは無く、家の上に船(直後ではなく蔦が絡まる廃墟)、日記の日付が「3 11」、上空から見た真っ赤な地上(街?)とか、「当時を知ってる人だけが連想できる」配慮はあったと思う。

 

⑥どこがラスト?

2回目でやっと判ったけど、「戸締まりの話」は扉の前でスパッと終わっていて潔く、続くエンドロールでの後日談イラストはロードムービーのおしまい、そして最後に最初の舞台に戻って「おかえりなさい」と本を閉じるようなボーイミーツガールのラストとは、万人向けにエッジが効いた構成でさすがに思えました。

 

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二子玉川109シネマズのポスター)

 

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(ポスターの監督サインの拡大)

 

以上です。

映画「すずめの戸締まり」は期待を裏切らない新海ワールドでした。

劇場アニメ映画「すずめの戸締まり」は新海誠監督の前2作「君の名は。」「天気の子」とはパターンは違えど同じ方向性で、コメディ・旅・災害・人間模様などを盛り込んだエンタメ作品で楽しめました【ネタバレ最低限】

 

 

できれば映画館で、入場特典は後で読みたい

前2作と同様に外界を遮断して一気見できる映画館が向く作品ですが、入場特典の「新海誠本」はネタバレ満載なので先に読むのは避けたいと思います。(表紙の裏に「ご鑑賞後にお読みください」とありますが、見たいページから見てしまうとこでした)

 

公開日翌日の11/12(土)の二子玉川109シネマズでは、全35スクリーン中の7スクリーンが同作で、ほぼ満員でした。

なお作品側の問題ではないが、この「スクリーン独占」状態は問題視もされている(日本全国のシネコン、『すずめの戸締まり』にほぼ戸締まりされる

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(入場特典の「新海誠本」中の企画原案の絵の一部。椅子のシンプルな造形がキュート。)

 

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(館内の壁ポスター。キャッチコピーの「行ってきます。」が鑑賞後は別の実感に。)

 

公開の数日前は、大して内容のない自分のブログで過去の新海作品感想のアクセスが少し上がったのも世間の期待を感じました。

 

まずはキャラクターが良かった

主人公の鈴芽(すずめ)はポスターでは前2作より大人びた絵柄に見えたが、喜怒哀楽豊かな表情とセリフは健在で安心。巻き込まれ役で最初は「ええっ」ばかりなのも笑える。声優の原菜乃華が声優初挑戦とは信じがたい。そして「スズメのミミズ退治」なネーミングも判りやすい。

 

次に相手役の草太(そうた)は、監督作品らしからぬ大人イケメンなビジュアルが不安だったが、作中の大半では椅子としてコミカルな演技を延々続けるというギャップが面白い。この椅子は目も動かないので、動きとセリフだけの、まさにアニメーション映像ならではの表現も実はすごい。

 

ペット的外見ながら悪魔的なダイジンは、きまぐれで自分勝手なのは日本古来の祟る神や猫の特性と同じで納得できて、また実は決して嘘はつかないのはキュウべえとも似ていて、実は身勝手な人間に対比させた神の化身のようで、また見返したくなる。

 

そして他のサブキャラが全て実在のように活きている作品世界。個人的にはメインキャラより良かったくらい。

 

話の展開は

最初のバトルシーンは相手のミミズはもっと見せなくていいのでは。予告編の見せ場用かも知れないが、鎮める相手が段々エスカレーションするという定番パターンが弱い気がする。

 

しかしその後の日本縦断の旅は予想外な展開、クスリと笑えるシーン、魅力的なサブキャラ陣と、展開が見事だ。説明が少なく観客の推測の余地があるし、決めセリフの変化も楽しい。

 

キャッチコピーの「行ってきます。」も、ポスターでは「どこでもドアで異世界に旅立つ話か」と思わせて、納得な展開を映像だけで語るのも映画的で良い。

 

監督作品の代名詞ともなった「リアル背景」も「天気の子」よりは光を抑えて、再びキャラと展開に集中させた気がするのも良かった。

 

また「扉」を探す中で、廃墟の観覧車の物理的な怖さはリアリティとオリジナリティを感じた。

 

ただ椅子が身体に「慣れてきた」セリフは、高速で走り出してからではご都合に見えるので、少し前にそれとなく触れても良かったのでは。

 

ところでオープンカーの自動収納ルーフを高速走行中に戻すのは風を巻き込んで大変危険なので真似しないようにしましょう(笑

 

君の名は。」「天気の子」と比べると

比べると「君の名は。」はキラキラ東京と「愛は災害を救う」で、その反省もあり「天気の子」は東京ダーク面と「災害より愛を選ぶ」になり、また「天気の子」の「男の子が宿命の女の子を救う」ジェンダーな関係性も「すずめ」では逆パターンになった。監督が自分の作品の反響をみては「それだけとは限らない」とバランスを取り続けているような。

 

でも常に災害が裏表だが、過去を抱えながらも信じた方向に進みたい、というのは一貫していて、一連の3作品は監督の作家性が現れていると思う。

 

これは宮崎駿監督が「男の子がお姫様を助ける、うんちもおしっこもしない女の子」と言われ続けた後に、「ナウシカ」や「魔女の宅急便」を作ったのと似てるようで、パターンは変えても根(世界観)は同じなのが作家性かなと思う。

 

これを「またこの世界観か」と見るか、「この作家世界が良い」と見るかは観客の自由だろう。

 

もともと新海作品は1作目の「ほしのこえ」からコア信者と「自己陶酔でキモイ」との嫌悪派に分かれやすいし、初期のマイナーな世界観が好きな人には、「君の名は。」以降の「メジャーへの転向は裏切り」と批判的な人もいる。ただ自主制作や実験作品と商業作品をいったりきたりのマルチで多芸なアーチストは昔から多いし、「浮気しないのが道だ」の美学には権威主義な弊害もあり、どちらが偉いという訳ではないと思う。

 

まとめると「すずめ」は前2作と同じ方向性ながらパターンを変えて、コメディ・旅・恋愛・スペクタクルの要素をうまく組み合わせたエンターテイメントになった成功例と思うのでした。また見返したい。

 

以上です。

常識外れの経済政策が続くのは「青い鳥症候群」な政治のせい

10月の1ドル150円台突入で、円の価値は2011年の75円から半減して「安い日本」となった。その原因は2012年から続く「異次元緩和」だが、なぜ非常識な経済政策が続くのか、その原因は安易な政治にあると思う。

 

要旨を先に書いてみる。

  1. 「価値を高める」のが本来の市場経済
  2. 異次元緩和と円安のアベノミクス継続は非常識
  3. そもそも政府に経済を強くする力は無い
  4. 非常識な経済論は「青い鳥症候群」の政治が生んでいる

 

まず市場経済は、次々参入するライバルに対抗して「商品価値を高め続ける」事が本質で、企業はより良い製品、労働者もより良い仕事の提供を目指して、自己革新し続けない者はトップに居続けられない社会で、資本主義とは継続革命だ。

 

各国は1次産業から2次・3次産業へ、GEは総合家電から航空機や医療に「選択と集中」し、イギリスは金融業にシフトした。日本も一時は円高になった。

 

しかしアベノミクスの「異次元緩和」は、元は「三本の矢」での新産業成長までの時間稼ぎだったのに、新産業が失速後も「道半ば」と政治理由で無意味に続けた結果、市場への通貨供給過剰で「安い国」に転落したのは経済の常識通り。

 

そもそも経済のグローバル化で政府の経済への影響力は限られているのに、政府に「景気」を求めるのが間違い。景気循環は資本主義の基本だし、政府の役目は補助金等での誘導や激変緩和やセーフティネット整備程度で、政府が人為的に株価を上げても市場が歪むだけで、経済主体が強くならないと実体経済は向上しない。

 

昔の選挙で「成長戦略」という言葉は聞かなかったが、「私に成長戦略がある」と言う詐欺に国民が次々と信じ続ける「青い鳥症候群」のせいで、「異次元緩和を続ければ景気が良くなる」など原因と結果が転倒した非常識な経済論が横行してしまい、当然結果は出ないのに、「やってます」感だけで続けてしまう。

 

そもそも異次元緩和や人為的な円安・株高は「高度成長の夢よもう一度」の手法で、「株高になれば、景気が良くなった気がしてバンバン金を使えば、本当に景気が良くなる」という希望的観測な心理学だが、現実の市場は甘くなく結果は出ないし、逆に弱い産業にカンフル剤を続けて出口戦略が見えずに後の政権への負の遺産になっている。

 

アメリカはアメリカンドリームな移民大国で成り立っているが、日本では移民もフランスのような少子化対策もしないなら、高齢化で縮小均衡しか無く、更に若者層に現状維持な保守指向が蔓延すれば国際競争からも脱落して新産業も生まれず衰退一直線。

 

結局、オリンピックとかムード先行のギャンブル資本主義を追い続けるのはやめて、現役世代がチャレンジできるセーフティネットや、将来不安を減らして経済が廻るヨーロッパ的社会保障を取り入れていくべき、と思うのでした。

 

以上です。

「SPY×FAMILY」はファミリーなのが良い

10月にアニメ2期開始予定の「SPY×FAMILY」ですが、原作漫画もアニメ1期も面白かった、との今更ながらの感想です。

 

原作漫画はジャンプラで見て、アニメ化は難しそうと思って期待せず見てなかったけれど、先日ふと1話を観たら原作イメージを保って面白く、12話一気見してしまった。

 

まずOPから作品世界。東欧風世界でカッコイイ本来のロイド、ハイテンポな絵本風のアーニャ視点、華麗なヨルさん、そして最後はコメディタッチでファミリー一緒だけど「X UPSET(転覆禁止)」でロゴとなる構成が、丁寧な作画と色彩でさすがです。個人的には音楽に合わせてスライドする絵本な風景や、シルヴィアの髪の波打つ動きも好きです。

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アニメ化と聞いて気になったのが、スパイものに多い読み返して判るシーンの描き方。例えば原作のアーニャの最初の超能力シーンの「チチチ」は漫画でも見落としそう。(以下、1話から引用)

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更には「チチチ」も無いけど、(超能力または直感で)実は判ってるシーン。

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でもテレビのリアル視聴では前のページには戻れないので、アップなど強調するとネタバレだし、再度映すのも説明っぽいし、どうするのかなと思っていたら、ほぼ原作忠実な流れで、でも意外と違和感なかった。見落とし配慮より原作忠実の方向は、録画や配信の比率が増えた背景もあるのかも。

 

ところで列車、自動車、椅子などのインテリアも洒落てますが、これは映画「ライフ・イズ・ビューティフル」の「これはゲームだよ」オマージュに見える。せっかくのセリフも相手がアーニャなので即バレですが(笑。

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そしてまた各話クロージングとしても見事なED星野源の歌に合わせたアーニャの「夢の中」のコラージュのような紹介の後、「私の居場所はつくるもの」と1人だけだったのが、2人、3人、更にコミカルに家になだれ込み、「ふざけた生活は続く」と夢の世界へ。偽の家族の物語。泣けそう。名作です。

www.youtube.com

 

ところでEDのこれはシネカリ(フィルムをひっかいて直接絵を描く映像手法)風ですよね。

(EDのシネカリ風の画像)

 

アニメ映画「この世界の片隅に」でも、すずさんが生死をさまようシーンでシネカリ風がありました。

 

なお本当のシネカリは手間暇さえかければ誰でもフィルム購入費だけで(現像すら不要で)映像が創れちゃいます。たぶん世界で一番有名なシネカリは「線と色の即興詩」("Blinkity Blank"、1955年、5分、カナダNFB制作、ノーマン・マクラレン)で、学生時代に図書館16ミリフィルムを借りて何回か上映しました。

 

さて、最後に本題ですが「SPYxFAMILY」が面白いのはファミリーものだから、と思います。当たり前ですみません。

 

「スパイ・殺し屋・超能力者の設定がスゴイ」な紹介を良く見ますが、「それも事実だけど、単なる設定盛り過ぎでハチャメチャにならないのは、いつも家庭に戻っているから」と思えるのです。

 

実は「スパイのファミリーもの」自体なら、2005年の映画「Mr. & Mrs. スミス」(男女が互いに秘密)とか、2020年の映画「スパイ・ファミリー」(タイトルが大変紛らわしく検索に苦労するが、父を娘が助ける)とかもあるし、子供が秘密のスパイに憧れるのも世界共通。

 

でも「SPYxFAMILY」は色々な任務や派手なアクションはあっても、ベースはあくまで「エリートなのに本人の恋愛や子育ては実は不得手」なエリート擬装ラブコメ要素と、「家族サービスの水族館や、学校での特待生狙いに、予想外の障害が次々と襲い掛かかってくる」という子育てドタバタ要素があるので、サザエさん的な安心感がある。

 

エリートラブコメといえば「かぐや様は告らせたい」と「SPYxFAMILY」の原作マンガの冒頭3ページは似た構成で、話のお約束を最初に説明してますね。そういえば主要キャラのデザインも似てるかも。

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そして子育てドタバタと言えば、「ケロロ軍曹」のテーマは家族と聞いた時も、最初は「えー、あんなハチャメチャ宇宙人の話が?」と思ったけれど、やんちゃな子供達が「秘密基地だ、世界征服だ」と大騒ぎしては年長の夏美に毎回おこられる、子供視点の空想世界にも思える。

 

「SPYxFAMILY」も、子供が「自分の学校も旅行も実は秘密任務なのだ」とも思える構成なので、かなりぶっとんだエピソードがあっても、最後は家に戻ってきて笑い話で終わる安定感と安心感があるようにも思う。

 

ところでこの家族の秘密が世間にばれそうであたふたコメディーは、古くはアメリカンドリームな専業主婦文化を世界に見せつけた「奥様は魔女」(1966-)や、そのパクリが大ヒットした日本の「奥様は18歳」(1970-)シリーズ、更には、あだち充「みゆき」など同居ものや、ハーレムものなど、長寿コメディーの黄金パターンですが、「SPYxFAMILY」も「お互いの秘密」が続くのに安定感を感じます。

 

■(おまけ1)子育てマンガ要素

歳のせいか、仮に仕事は一流でも子供のフリーダムな言動は理解できず疲れ果てる、あるある要素と落差感が笑えます。

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■(おまけ2)エレガント命な先生

ヘンダーソン先生。任務達成には敵役なのに、時には味方もするキャラにするには、強烈な独自の美学を持たせるしかないというキャラ設計なのか、ファンも多そうです。

 

ところでエリートラブコメのはしり?でもある「東京大学物語」(江川達也、1992~)の4話にもエレガントが口癖(らしい)矢野先生がいますが、これも少し似てる?孤高のエレガント先生は実は昔からいるのか気になります。

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■(おまけ3)なるほどなブログ

OP/EDを、こんなに整理して分析できるなんてすごいです。

musubikik.com

 

タイトルだけでも作品世界!

torafujikuraud.hatenablog.com

 

■(おまけの最後)アニメ2期の予告動画

www.youtube.com

 

以上です。長文読んでくれてありがとう。

早大の原理研(統一教会)の過去と現在

安倍元首相銃撃事件後に話題となったカルト宗教団体「統一教会」や「原理研」を、若い人は知らない人が多いと聞いて隔世の感だが、1980年代の自分の早大在学時代を含めて簡単に書いてみた。(最終更新 2022/8/28)

 

 

1.まとめ

 

2.教祖 文鮮明早稲田高等工学校に入学

統一教会の教祖の文鮮明は1941年に早稲田高等工学校に入学した(1951年閉校。統一教会側の「日本統一運動史」より。「真の御父様」=文鮮明。)

1941年春に、真の御父様は早稲田大学附属の早稲田高等工学校電気工学科に、「江本龍明」の日本名で入学されました。

(略)

早稲田大学附属早稲田高等工学校(以下、早稲田高等工学校)は、1928年4月に創設されました。創設者は、早稲田大学総長の高田早苗氏であり、同校の初代校長は徳永重康氏でした。

 

しかし信者の中には「早大卒」との誤解や、早稲田周辺や戸山公園の「聖地」扱いもあるという(週刊現代

統一教会信者の中には、文鮮明早稲田大学の卒業だと信じている人が少なくありません。

(略)

留学中の文鮮明戸山公園を訪れていたとして聖地になったようです。

 

こんなブログもある。

その箱根山の、或る大きい木が文鮮明=御父様の木で、小さい木が妻の韓鶴子(現・教祖)=御母様の木だというのである。都電・早稲田駅の近くに信者らが共同生活をしていて、毎朝この木に手をかざし祈り、歌っているとか。その様子を写した13年前の写真が数枚アップされていた。

 

箱根山に早朝に行った事は無いのでラッキーだったかも。

 

3.1964年 早稲田大学 原理研究会 発足

早大原理研は1964年に作られた(「日本統一運動史」)。

(8)早稲田大学原理研究会発足(1964.4)

1964年4月、尾脇準一郎委員長、大貫啓司・条谷真由美両副委員長のもとに早稲田大学原理研究会が発足しました。

 

教祖の縁に加え、知名度の高い大学を組織的に狙い、他校での勧誘時の信用材料にしていると思われる。

 

そして1967年代には社会問題化した(日本における統一教会の活動とその問題点

統一教会が最初に社会的に知られたのは<親泣かせ「原理運動」 学生間に広
がる学業放棄>というセンセーショナルな新聞記事であった(朝日新聞 1967
年 7 月 7 日)。同記事によると「原理運動」と呼ばれる宗教が全国の大学や高
校に広がり、そのため家庭を破壊されたという父母からの訴えが学校や警察に
相次いだ。

 

また早大原理研側の「早稲田原理研時代と私」にも以下記載がある。(内部では「現研」と記載。漫研、映研的な略称か。)原理研の発祥も社会問題化も早稲田が最初に読める。

1967年

早大原研は東京地区の主管下になり、戸山町と余丁町に二つのホームを構え

(略)
一方、この時期、早稲田原研が朝日新聞によって世を惑わす奇怪な運動として紹介され教会迫害の口引きになった。それが<親泣かせ原理運動>だ。新聞、週刊誌、テレビ、ラジオなどあらゆるマスコミからネガティブイメージによる悪宣伝がなされた。また、この頃早稲田原研員の父母たちが「原理運動反対父母の会」を結成し、世論からのバッシングをうけることになった。特に角田昭代さんや小林育三さんの親は強硬に反対運動を展開した。負の側面でも早稲田が発祥地になった

(略)

原研委員長時代1968年4月

原理研究会CARPといわれるようになったのはこの時からだった。COLEGEATE ASOCIATION FOR RESEACH OF PRINCIPLE 韓国の原理研究会から使われた。

 

4.1981~84 在学時の話

私は1981年に早大法学部に入学した。当時は大半の自治会(政経、商、社学、文、二文、そして文連と早稲田祭実行委員会)は新左翼系の革マル派が支配し、唯一法学部が日本共産党系の民青だった(革マル派は2000年頃迄にほぼ追放された)。

 

革マル派と民青は敵対関係で、「民青=日本共産党は打倒すべきスターリニスト官僚だ」「革マルによる川口君殺害事件を忘れるな」と批判し合っていたが、原理研統一教会に対しては「韓国軍事政権=KCIAの手先の反共反動偽装集団」とそれぞれ非難していた。

 

なお革マル派も民青も「自治会には色々な立場の人もいる。特定の党派と言うのは不正確な権力側のデマだ」と言うが、形式的にはそうでも、ビラや立て看を観れば用語も立場も完全に党派と同一だった。なお原理研も「色々な人がいる。宗教や統一教会ではない。」と論法は同じだ(創価学会公明党神社本庁と神政連などもだが。)

 

1980年代も原理=統一教会は社会問題化していたと記憶している(朝日新聞 天声人語)。

犬も歩けば棒に当たるではないが、1980年代の大学のキャンパスでは、統一教会系の学生組織、原理研究会の人からよく声をかけられたように思う。誘われるままに、彼らが拠点とするマンションに行ってみたことがある▼話の内容はよく覚えていないが、たしかサタンがどうのこうのという独特の世界観を聞かされた。

 

早大には「原理研究会」の他、「早稲田学生新聞」「早稲田文化」など複数の偽装サークルやメディアがあったが、他は覚えていない。なお「早稲田大学新聞」は別新聞(当時は革マル系)と名前が紛らわしい。相当な資金力と動員力が無ければ継続できない物量だ。(以下はワセクラより)

統一協会=原理研究会の活動に対して警鐘を鳴らす。

「公認」団体にも原理系サークルは存在します。一部教員が宣伝に荷担してる例もあるので騙されないように。『早稲田学生新聞』『早稲田文化』等原理系メディアにも警戒を。

 

週末などの高田馬場駅前には大抵「聖書に興味はありませんか」「あなたのために祈らせてください」などの宗教系勧誘がいて、学生同士で「あれが原理だ」「話を否定していたら、突然形相が変わり集団で囲まれて、悪魔だ悪魔だと罵られた」「信者になると行方不明になる」などと良く話題になっていた。

 

ある時、法律系サークルの飲み会の帰りに先輩が勧誘者に「我々は宗教懇談会ですよ」などとウソのサークル名でしばらく会話して、後で「これで1人でも助かったかも知れない」などと言っていた。

 

そして多分1984年に原理追放集会が学内(本部キャンパス)で開かれ、残念ながら出席できなかったが、既に学生運動は沈静化していた在学時では最大の集会だったようだ。とはいえ元々偽装集団なので、公然とした立て看やビラ配布は減った気がしたが、偽装サークルや新聞などが消える訳ではなかった。

 

5.現在の各大学の対応

大学によりかなり相違があるようだ。

 

京都大学の説明は非常に詳しく、「大学公認」は信用度にならない説明や、ネットで話題となった「原理新聞リスト」もあるので、お勧めです。

1.『京大新聞』と『京大学生新聞』は違う団体
2.統一協会とは何か
3.学内での原理研究会の活動
4.京大学生新聞の内実
5.あてにならない「大学公認」
6.全国に広がる原理新聞問題 (末尾に関連リンク・原理新聞リスト)

 

またプロテスタント系大学は非常に厳しい対応をしているらしい(ブログ「プロテスタント系大学での統一教会の扱い」)。

日本の多くのプロテスタント教会統一教会と戦っているので、そのミッション校である大学では統一教会の活動ははっきりと禁止されている。「信教の自由」みたいな微温的な言い分には完全に聞く耳を持たない。

特にピリピリしているのが学内での勧誘や原理研の偽装サークルを通じたオルグで、入学時のオリエンテーションでかなりの時間を掛けて注意を受ける。 

もし学内での勧誘が発覚したらかならずこうする、と強く警告を受ける。

 

他の多くの大学でも新入生への注意喚起がされている。(3年前に私の子供が入学した大学でも入学式で団体名は挙げずに注意喚起していた。)

 

しかし早大は少なくともホームページの検索機能では注意喚起は見つからない。

「暴力電話には屈しない」というコラムを書き、統一教会と対立姿勢を明確にした。

 

ただ約40年前の1981年入学式の総長説明でも「大学は皆さんを大人として扱うので、注意事項などは言いません」と聞いた記憶があり(当時はこれが普通と思っていたが、その後に多くの大学は高校の延長風だと気が付いた)、議論はあると思うが、規制や統制に反抗するリベラルな校風の影響かも、と思うのでした。

 

(おまけ)早大の学生新聞の比較

 

以上は現在ではいずれも大学とは無関係です。また他に「早稲田スポーツ」「ワセダ学生新聞」や、大学発行の「早稲田ウィークリー」もあり、ネーミングもややこしくアナーキーな感じが早大な気もします。

 

以上です。

安倍氏銃撃事件の法的な話題(テロ、警備、銃規制、統一教会、信教の自由、政教分離、個人v.s.家族「思う壺」論、死刑、国葬など)

安倍元首相銃撃事件(2022/7/8)より1か月、法的な話題などを書いてみました。(最終更新 2022/8/22)

1.テロとは呼べない

容疑者の供述や多数の証言などを見る限り、動機は明らかに私的怨恨による殺人なので、少なくとも本来の意味では「テロ」とは呼べない。

 

事件当日は「テロ行為許されない、民主主義踏みにじる行為」(読売新聞)などの見込み報道が溢れたが、結果的に参院選投票日2日前のミスリードとなった。

 

「テロ」は政治用語で、フランス革命の際の革命政権への批判用語として登場し、国連や各国や事典の定義でも「政治目的の殺人や破壊など」を意味し、そして各国は敵側の武装組織を互いに「テロ組織」と呼んで非難し合っているのが実情で、客観的・中立的な用語ではない。

 

そもそも日本には「テロ罪」や「テロ組織認定」は無い。刑法上は殺人罪、傷害罪、銃刀法違反など。警察白書公安白書では「テロ」との用語も使われるが、極右や極左による政治目的限定だし、刑法上の類型ではない。また公安の破防法上の監視団体や、未遂以前の準備行為を処罰できる「テロ準備罪」などはあるが、今回の事件(個人による既遂)には関係ない。

 

ただ相手を政治家と知った上で、選挙遊説中を狙った点は「テロの側面がある」とか「テロ対策上の事件」とは言えると思う。

 

そのためか「政治テロ(政治的動機によるテロ)ではない」などの折衷的な表現も聞くが、それでは「非政治テロ(政治的動機の無いテロ)」もあるのか、という疑問もある。「暗殺」も同じ。

 

2.警備の失敗

結果論で「警備失敗」との判断は当然だが、単なる現場非難ではなく、客観的な検証は必要と思う。

 

警備体制は直前に決済された、後方監視担当者の前方監視への変更が共有されなかった、1発目は銃声ではなくパンク音かと思った」などが報道されている。

 

しかし本来ならば1発目後に複数犯も想定して標的を隠すために周囲のSPが覆いかぶさるべきところ、「動作が遅れた」だけならともかく、安倍氏が一人で倒れるまで覆いかぶさる役割のSP自体がいないのは、役割分担の失敗と思う。

 

3.「札幌地検判決で警備が委縮」は筋違い

ところで2019年選挙で「安部やめろ」ヤジの警察排除を札幌地検が違法と認めた影響で「警備が委縮した」との説は筋違いだろう

 

札幌地検は、ヤジ者を観客エリアの前面から後方へ警察が強制移動した事を違法と判断した。しかし今回の事件は、観客エリアを超えて容疑者が警備対象に接近できた事なので、関連性が無い。(容疑者は拍手など支持者のふりをしていた。そもそも確信犯がヤジを飛ばして注目を集めてから接近するとは考えにくい。)

 

4.自作銃の規制はムリ

銃器や火薬の規制は必要だが、今回の自作銃と火薬は一般的な素材から作られたようで、従来話題の改造銃や3Dプリンターなどとは無関係だし、規制は不可能と思う。

 

しかし一般人に火薬の製造とテストは労力もリスクも高いので過剰反応も不要と思う。

 

容疑者は「爆弾を作って殺すつもりだったが、周りの人に迷惑が掛かると思い自作の銃を使った」と供述し、わざわざ手間とリスクの高い銃にした訳で、単なるテロ警戒ならば爆弾の方が簡単に製造できる。

 

銃に過剰反応は良くない。

 

5.「特定の宗教団体」との表現

マスコミは当初は「特定の宗教団体」との表現を続け、「統一教会」との報道は最初はフランス紙、日本ではゲンダイが最初だった。

 

発生直後に容疑者側の主張をそのまま流すのは問題があるが、今回は当事者の統一教会が記者会見した後まで「特定の宗教団体」との表現を続けたのは、マスコミの過剰対応のように思える。

 

6.「統一教会」との通称

統一教会」は従来も今も通称なので「旧」は不要と思う。また日本共産党などは「旧称の一部は協会で、教義もキリスト教会とは言えない」と「統一協会」を使用するが、英語ではチャーチ(教会)、韓国では「統一教」だし、通称は揃えた方が追及や被害防止に良いのではないか(日本共産党は何でも独自路線に拘って分裂させるが)

 

7.「信教の自由」か

信教の自由は近代国家の原則(世俗主義)で、憲法20条にも明記されている。

 

しかし統一教会は多数の違法判決や信者逮捕にかかわらず、組織的な宗教脅迫で信者を増やし、家族を行方不明にし、「霊感商法」を継続する反社会的な集団である点が、他の「色々と問題の多い新興宗教」とは異なる。

 

全国霊感商法対策弁護士連絡会の被害集計(1987~2022)は3万件を超える。更に2022年は従来諦めていた人が相談して大幅増になる可能性も高い。

 

「信教の自由は統一教会にもある」のと同様に「職業選択の自由暴力団にもある」し、「思想信条の自由は極左・極右組織にもある」けれど、各団体の反社会的行動は非難されないといけないのと同じだ。

 

なお創価学会の過激な布教活動(折伏)や言論弾圧事件、エホバの証人の子供を含めた輸血拒否事件なども社会問題化しているが、統一教会は組織的に違法行為を継続している点で大きく異なる。

 

8.「統一教会は成功したオウム」

なるほどな表現ですね。

 

どちらも反社会的なカルトながら、オウム真理教は閉鎖集団で武装蜂起へ突き進んだ連合赤軍パターンだったが、統一教会は信者の無給貢献で政治家に食い込むジャパッシュパターンで、後者が成功した。

 

特に政治家の秘書は政治家の代理人で、政治家のスケジュールを管理して、人間関係や密約など裏事情も把握でき、単なる「応援要員」とは言えない。統一教会指示の長年の無給勤務も本来ならば税務上の「寄付行為」ではないか。

 

9.統一教会の政界進出(特に自民党安倍派)

創価学会公明党)や幸福の科学幸福実現党)は自ら政党を立ち上げたが、統一教会は神政連(神社本庁)や日本会議(旧成長の家)と同様に、既存の保守政党を支援して関与を深める黒子戦術を選択した。

 

これ自体は、保守政党の各業界団体や宗教団体、革新政党の労組や消費者団体などの支持団体(圧力団体)があり、組織候補もいて政策に影響を与えているのと同じだが、やはり統一教会は反社会的行為への刑事告発を「政治の力」で阻止した(有田氏)、と言われる点が次元が異なる。

 

統一教会の支援先は与野党に跨るが、8割は自民党で、その中心は安倍派(清和会)で、安倍氏が統一教会票8万を采配したという。

 

なお統一教会と岸・安倍家の付き合いは深いが、安倍氏が統一教会と深く接近したのは民主党政権で野党転落してからという。確かに当時の記憶でも、第1次安倍政権は「憲法改正」「お友達内閣」で失速したものの宗教右翼の報道はあまり聞かなかったが、第2次安倍政権から「美しい日本」「愛国心」「家庭」などの宗教保守主義が全面に出て、日本会議や神政連の影響力が報道されるようになったと思う。

 

統一教会日本会議が安倍派に急速に浸透した背景には、従来の岩盤支持団体の遺族会や神政連などで高齢化が進んで集票力・行動力が低下した背景もある気がする。

 

10.自民党のシンボルマークも統一教会から?

これはさすがにネタのようだ(自民党 1975年から、統一教会 1997年から)。

 

とはいえ自民党シンボルマークの作成年は探すのに苦労した。歴史を誇る政党ならサイトに採用年を明記して欲しい。

 

11.でも「政教分離」違反か?

しかし統一教会と議員・政党・政府との関係に対して政教分離違反」との批判は少し違うと思う。

 

政教分離は国の歴史や文化によっても違う。

 

つまり少なくとも日本の判例の基準では、宗教団体が(他の政党支持団体と同様に)選挙活動をする、政策を要望する、更には政党を作る事は禁止はされていない

 

ただし当然ながら「政府が支持した宗教団体に便宜を図った、政策に反映された」などと疑われないような公平性と透明性は確保する必要はある。しかし日本では重要な話は水面下で決定されるので疑惑が消えない。

 

単純に「統一教会の候補支援は政教分離だ」と言うと、創価学会新宗連なども一緒になってしまう。もちろん「日本もフランス並に公共の場から宗教を追放してはどうか」などの立場も中にはあると思うが、今回の事件は以下がポイントと思う。

 

12.統一教会の「家族保護」

自民党の家族保護政策は、統一教会の政策だ」との批判も増えている。これは半分は正しいが、統一教会には限らないと思う。

 

いわゆる宗教右翼や保守派の「家族保護」は

 

これは日本会議、神政連(神社本庁)、自民党保守派などもほぼ共通で、統一教会だけの主張とは言えない

 

ただし、宗教団体の支援を受けた政治家は、支持者のために原則論をアピール合戦する必要があり、議論や妥協など政策の柔軟性が失われている現状はあると思う。

 

アメリ宗教右翼ティーパーティーなど)による、中絶反対派運動などと同じ構図ですね。

 

13.憲法の「個人の尊重」

ところで憲法の「個人」を、自民党改憲案は「人」にしている。

  • 「すべて国民は、個人として尊重される」(憲法13条)
  • 「全て国民は、人として尊重される」(自由民主党改憲案

 

「個人として」は、実は近代法に重要で、従来の身分制法制度の「人はその所属する集団に応じた権利義務を持つ」に対して「いや、所属集団とは無関係に、個人が基本単位だ」という自由主義的な意味がある。単に「人」では「人とは何か、本来の人とは集団の中で生きるものだ」と後退してしまう恐れがある。

 

しかし保守派や宗教右派はこれを「戦後の行き過ぎた個人主義を招いた」と批判している。憲法の歴史への無理解と思う。

 

14.「容疑者の思う壺」か?

統一教会への批判に「容疑者の思う壺」批判があるか、筋違いと思う。

 

確かにテロ発生時はテロ自体よりも社会の過剰反応の方が危険なのは事実だ。

  • 日本では515事件や226事件など、貧しい農村を背景にした青年将校を「義士」と呼び、皇道派の暴走と統制派の全体主義を招いた。
  • アメリカは911後に「対テロ戦」を宣言して、世界中を自由に爆撃し、拘束者は「テロリスト」として捕虜待遇も裁判も否定して、国際法と人権を無視した。
  • ロシアや中国も「対テロ戦」と称してチェチェンやウィグルへの弾圧を正当化した。

 

しかし安倍氏殺害事件では、容疑者への同情論はあっても、殺害を「義挙」と賛美する見解はほぼ無く、昭和のテロリズムとは異なる

 

例えば問題だらけの遊覧船が沈没すれば、まず運航会社が非難されるのは当然だが、「監督官庁への批判は、運航会社を免罪する事になるからやめろ」と言うのもおかしい。問題点は客観的に検証すべきで、「容疑者が一番悪いから、他を批判するのはおかしい」というのもおかしい。

 

15.死刑になる?

裁判所判断なので起訴前の量刑議論もおかしいが、既にまともな記事がある

本件では、(繰り返しますが完全責任能力があることを前提とすれば)銃殺であって犯行態様は相当悪質で、計画性もあることから軽い罪にはならないでしょうが、極めて残虐とまではいえず、通行人1名の射殺と考えたとき死刑には至らないことが多いと思います。

 

なお「元首相だから社会的影響が大きく重罪」との意見は、刑法の平等原則を軽視している。確かに情状考慮の材料にはなるが、社会的影響は結果論の面が大きいし、例えば「幼児や浮浪者は影響が少ないので殺しても罪が軽い」とはいえない。

 

なお1891年の大津事件では、日本訪問中のロシア皇太子(後のニコライ2世)への傷害事件に、日本政府が圧力をかけた日本の皇族への障害罪(死刑)ではなく、本来の傷害罪を適用して司法権の独立を守った事例となった。被害者が権力者だからと法を歪めるならば、それは野蛮国家で、法治国家とは言えない。

 

16.国葬で国論分裂

「静かな環境で故人を悼む」には、「51%なら勝ち」の政治対決型より、幅広く合意を得られる形で行うのが一般的な感覚かと思う。

 

しかし各社の設問内容や調査方法にもよるが世論調査は見事に2分された。

 

過去の国葬は色々な議論や経緯があるが国葬は本来は国家が個人の栄誉を讃えるもので、今回の唐突な閣議決定法治国家として強引に思う。

 

17.岸田政権の対応下手

岸田氏は国葬閣議決定後に発表したが対応が下手すぎと思う。

 

例えば発表前に各野党党首に電話して「今回は特別に国葬にしたい。本来なら立法が望ましいが、招待を含めると時間が無い。終了後に今後の国葬法案を審議したい。在職期間など客観基準もいいのではないか。」などと打診すれば反発を減らせたと思う。

 

岸田氏は外相時代に内外の検討や調整を重ねていたはずだ。

 

「過去に国会審議した基準を政府が勝手に変えて、追及されてから認める」のは、学術会議問題や黒川氏退職問題など、第2次安倍政権で「国会軽視、違法グレーゾーン、強権的」などと批判された手法だ。

 

岸田氏は保守派(安部派)配慮を優先して「決断力」をアピールしようとして、安倍政権と同じ「強権的」手法に陥ったと思う。

 

ただ発表した以上は変更困難だし、「黄金の3年間」なので次の国政選挙ではテーマが変わっていると考えて、「議論は不利、国会は開かず、再説明なしがベター」と考えているかと思う。

 

以上です。

書籍「日本赤軍!」に見る重信房子氏のリーダータイプ

本日5/28に元日本赤軍最高幹部の重信房子氏が出所しました。かわぐちかいじの漫画「メデューサ」のモデルで、出所直後の会見も高齢ながら安定な印象でした。

 

私はブントや赤軍派に批判的ですが、書籍「日本赤軍!」のインタビューを読むと、重信氏を「義侠心、ロマンチスト」と呼んだ一水会のツイートも納得感あるタイプのリーダーかと思えました。

 

 

はじめに

日本赤軍とは

日本赤軍自体の説明は、警察や公安の資料が意外と日本赤軍側の主張もポイント良く引用していて、わかりやすいです。

www.moj.go.jp

 

もちろん公安側の文章は「現在も危険だから監視対象にしてます」との予算正当化でもあります。

 

なお「攻撃対象」の先頭の「天皇・皇族」は公安側の記載順序で、日本赤軍を含めた当時の左翼側の優先は政治経済ですね。

 

簡単にまとめると、

  1. 既成左翼(ソ中や各国社共)を批判して西側諸国で新左翼が生まれた
  2. 日本では共産同(ブント)の分派として軍事路線の赤軍派が生まれた
  3. 赤軍派が軍事訓練中に大量逮捕(大菩薩峠事件)
  4. 獄外グループの一部がハイジャックして北朝鮮へ(よど号グループ
  5. 残る獄外グループから重信らが中東に渡り「日本赤軍」となって独立
  6. 更に残る獄外グループが他派と合流して「連合赤軍」を結成し壊滅

 

ところで赤軍派は「政党」なのか、「分派」(フラクション)とは分裂なのか。

 

赤軍派の軍事路線

しかし私自身は赤軍派の「軍事路線」は子供のころから批判的です。

  • 理想を持ち社会変革や革命を目指すのは良いが、そもそもブントは政治思想は薄く、後先考えない勢い頼りな学生運動の面を感じる
  • 「軍事路線」で仮に数百人の兵士で官邸や国会を占拠できても、警察に包囲されて終了で軍事的合理性が無い

 

フランス革命ロシア革命も一部兵士が革命側につき、また東欧革命では軍が「中立」を守ったために成功したように、実際には既に破綻した政府の「腐った扉を蹴破った」ケースが多く、一般人だけの武装蜂起による暴力革命は困難です。

 

実は当時の新左翼中でも、赤軍派の「軍事路線」は「プチブル冒険主義」(成算の無い無謀な方針)と激しく批判されて全体では少数派でしたが、より武闘派ほど目立つのも現実です。

 

戦前の青年将校と似たロマン主義的暴走の側面を感じます。

 

懲役20年は軽いか

ネットでは「何十人も殺したテロリストが懲役20年とは軽い」との声も見かけますが、法的には重信氏はハーグ事件での逮捕監禁罪・殺人未遂罪などの共謀共同正犯容疑で起訴され、本人は無罪を主張し続けたが、有罪確定したものです。

 

殺人罪はなく、実行犯でもなく、罪状と比較すればかなり重い量刑でしょう。

 

共産主義者はみんな仲間か

また「出所なのに意外と左翼が静か」との声も見かけましたが、それは「ロシアも中国も北朝鮮も、更に日本共産党革マル派中核派赤軍派も、みな共産主義者だから仲間のはず」程度の認識の方に多いようです。

 

実際には大半の新左翼各派と、中ソや日本共産党は最初から敵対関係で、それは新左翼が登場した歴史上も当然でしょう。

 

逆に、代表的な戦後右翼テロの浅沼社会党委員長刺殺事件も、保守派の大多数は歓迎した訳ではないし、実行犯の山口少年の出所も騒がれなかったのと同じでしょう。

 

書籍「日本赤軍!」に見る重信氏

日本赤軍!世界を疾走した群像」は、元最高幹部の重信氏や、途中で日本赤軍を去って重信氏らを批判した和光氏、(日本赤軍ではなく)赤軍派元議長の塩見氏などのインタビュー集ですが、メンバーによって内容やトーンが違うのが面白いです。

 

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例えば赤軍派議長の塩見氏は、氏が獄中に結成され、同志連続殺人事件を起こした連合赤軍は、以下のように整然と論破します。

  1. 上部(塩見議長)の承認無しで、配下の非公然部門が勝手に合流した
  2. 反スターリン主義者とスターリン主義者の合流で、思想的にも野合
  3. 武装蜂起なら都市ゲリラなのに、地方に逃亡
  4. しかも山小屋に篭るのでは、毛沢東主義の「人民の海」にもならない
  5. つまり連合赤軍は全てデタラメで話にならない

 

この連合赤軍批判は論理的ですが、しかし「だから私には全く責任ない」とも読めるし、逆に自分自身のブント書記長暴行事件は「ちょっと殴っちゃった」と軽く説明するなど、頭はいいが保身ばかりの官僚的にも読めてしまう。

 

次に途中で日本赤軍を抜けた和光氏は、リッダ闘争(テルアビブ空港乱射事件)は「京大パルチザン」として参加したのに重信氏らが後から「日本赤軍の作戦」のように言った、パレスチナでの軍事訓練中に「思想学習」の名で執行部の方針を押し付けようとした、などと日本赤軍を批判してます。ただ「学習でベクトルを合わせる」事は企業でも多く、どこまでが押し付けかは難しいのと、少なくとも連合赤軍のような「総括」という名の暴力は無く平和的に離脱できたし、自分だけ正当化しているようにも読めてしまいます。

 

ところが重信氏だけは全く違うトーンで驚きました。現地で軍事訓練を受けた「共産主義革命戦士」のはずなのに、思想や軍事の話は全く無い。多くの活動家のような「この思想や路線が正しい、批判者は理解不足だ」との正当化も無い。

 

重信氏は、学生の時は弱小セクト(明大社学同)の方に協力し、パレスチナでは強大なイスラエル占領下の難民へ共感し、和光氏の日本赤軍批判には「当時は気づかなかったすれ違いの責任は我々にもある」と反省を連ねる。

 

企業や大学はもちろん左翼党派内でも「女性は男性の補助役」との意識が強かった時代に、リーダーのタイプでは理論家や思想家より、教師を目指していたのが「なるほど」な人間性(恐らく理想を語ってブレず、相手も理解しようとする共感力・抱擁力)で組織をまとめていたように思えます。

 

「そう見せるのが上手い」のかもしれませんが、プロジェクトマネジメントでもメンバーへの見せ方(振る舞い)はリーダーに必要なスキルとされています。

 

学生時代にオルグ(勧誘)が得意で仲間から「魔女」と呼ばれたとか、塩見氏評の「普通の学生だった」とか、今でも「ふーちゃん」と親しみを持ったツイートを見かけるのも納得味があります。

 

義侠心でロマンチスト

民族派新右翼一水会がこんなツイートしてました。

 

新右翼新左翼は正反対のようで、反政府や反米の少数派同士として昔から交流がありますが、この「義侠心、ロマンチスト」は、うまいこと言うなと思いました。

 

上記書籍でも、常に弱い立場の側に立つ信念で、基本はブレない、という感じです。

 

なお塩見氏は壊滅状態の赤軍派残党に、無謀な「反右派闘争」(内部の敵を探して打倒する)の指示を繰り返して完全分解させてしまいます。支持者からは「日本のレーニン」とも呼ばれましたが、本領は分裂を繰り返す「壊し屋」だったのかもしれません。

 

ジェンダー発想ではありますが)政治理論に固執しやすい男性リーダーの方が、自縛となり挫折しやすいのかもしれません。

 

おまけ

出所時のコメント映像

多数のカメラを前に、高齢でゆっくりながら、後から文字に起こしてもOKそうな長文を語れるとは、なかなかできないと思いました。

www.youtube.com

 

出所時の質問回答全文

確かに当時はマスコミも「武装勢力」「ゲリラ勢力」などの中立的表現が普通で、以前からロシア革命の「白色テロ、赤色テロ」などの言葉もありましたが、安易に「テロ」という非難を込めた政治的用語が一般に普及したのは911以降と思います。

news.goo.ne.jp

 

ところで今回の出所は産経新聞が前日も当日も異様に詳報しています(笑)。法的には出所すると一般人に戻るため、積極的には報道しない事が大手マスコミの通常なのですが。

 

映画「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」予告編

メインは連合赤軍ですが、重信氏役も美人役で何回か登場します(笑)。監督は日本赤軍関係者の若松氏なので、赤軍側を好意的に描いてるのかと思ったら、史実を客観的に淡々と描写し続けるので、これは怖いです、トラウマになります。(ただ映画オリジナルのラストの安易な叫びには、本人など当事者から批判もあり、私も変と思いますが、一般観客向けのカタルシス用と思ってます)

www.youtube.com

 

映画『革命の子どもたち』予告編

日本赤軍の重信とドイツ赤軍のマインホフの、それぞれの娘を描いた映画。

www.youtube.com

かわぐちかいじの「メデューサ

陽子はオルグのプロで、パレスチナに渡って革命戦士となるなど、露骨に重信氏がモデルですね。

csbs.shogakukan.co.jp

 

それでは。

映画「シン・ウルトラマン」が「シン・ゴジラ」と同じ処と違った処

公開2日目の5/14(土)に二子玉川の映画館で見て普通に面白かったので、ネタバレ控えめで感想を書いてみました。

 

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(映画館の入口ディスプレイの写真)

 

公開後の最初の土曜の午前で、IMAXは混んでいたので普通の2Dで、座席は7割ほどで子供から若者・年配まで幅広かった印象です。

 

なお「シン・ゴジラ」ほどではないですが、画面に巨大な字幕が次々映るシーンもあるので、なるべく読みたい人は後ろの座席が良いと思います。

 

シン・ゴジラ」とスタッフやキャストの共通点も多く、実際似ていたので、つい色々比較しながら観てしまいました。

 

 

テレビの初代「ウルトラマン」は

さてテレビの初代「ウルトラマン」は幼稚園の頃で、続く「ウルトラセブン」と「帰って来たウルトラマン」まで見たけれど、特に初代「ウルトラマン」はオムニバス的で回によってコメディ調だったり、単純な正義で割り切れない話があったのが子供心にも印象的でした。

 

例えば相手の怪獣や宇宙人も、

  • 村人に差別される孤児の女の子(雪んこ)を助けに現れるウー
  • 自分から攻撃しないのに、巨大で迷惑と人間に攻撃される不条理なスカイドン
  • 宇宙開発競争の犠牲者が、元は人間と隠されたまま抹殺される悲惨なジャミラ
  • ウルトラマンが過去に退治した、静かな宇宙墓場に帰りたいだけの嘆きのシーボーズ
  • 母星が核実験で滅んで宇宙難民となり地球への移住を希望するが、数多すぎと闘いになり、最後にウルトラマンが母船で眠る20億人を当然のように母船ごと破壊して終わるバルタン星人(!)

 

うーん、今見ても凄いものを子供向けに放送していたもので、今のエンタメ枠では収まらない。

 

「怪獣もの」の中に、正義とは何か、人間とは何か、の問いかけが潜んでいる。沖縄出身の脚本家の金城氏や、実相寺氏の特徴的な映像にも熱心なファンが多いのも納得です。

 

シン・ゴジラ」と同じところ

①主人公側は常に自衛隊と行動する

初代の「科特隊(科学特捜隊)」は特別な研究機関か特殊部隊か、という感じですが、この映画の「禍特対」は政府配下で、現地で自衛隊の指揮権も引き継いだりします。

 

攻撃シーンでの連携を考えれば自然かもしれないですが、それではまるでゴジラガメラシリーズで、謎追及で探偵要素な「ウルトラQ」後継シリーズに思えない気がします。

 

特に最初の2回の出動は自衛隊の野戦テント内の映像までそっくりだし、主人公が突然「子供を助けに行きます」と単独行動するウルトラシリーズのお約束も背後に屈強な自衛官が多数映っているのでは「出口に近い隊員に指示した方が早いのに不自然すぎ」でしょう。まぁ前半は「シン・ゴジラ」ファン向けのサービスシーンでしょうけど。

 

②政府や外交の駆け引き

これも「シン・ゴジラ」同様にテンポ良く早口セリフと表情で見せるのがうまいけれど、「シン・ゴジラ」では感情移入させたいためか日本被害妄想な視点も感じましたが、この「シン・ウルトラマン」は色々な思惑が並立している感じウルトラシリーズ風に思えて私は良かったです。

 

③仲間との描写

相棒役の長澤まさみの「こんな奴いるか」感は「シン・ゴジラ」と同じですが、変態的な「匂い」シーンも主人公側は健全で、「バディ」軸の会話もシンプルで判りやすかったと思う。ゼットンと人類の関係も(賛否あるけど)まぁオリジナル尊重でした。

 

シン・ゴジラ」と違ったところ

①意図的に昭和な特撮

怪獣もののリメイクでは、ハリウッド版「ゴジラ(GODZILLA)」のようにオリジナルの雰囲気とは異質すぎて別物なものや、逆に「キング・オブ・モンスターズ」のようにオリジナルへのオマージュは素晴らしいしリアルだけど「CGでリアルにすれば良いのだろうか」とも思えてしまう(なんとも勝手なものだが)。

 

シン・ゴジラ」ではオリジナルの雰囲気を保ちながらもリアル路線だったけれど、「シン・ウルトラマン」は意図的な「着ぐるみ&人形」表現なのが、いかにも庵野氏の趣向に思え、しかし光線合戦などはド迫力で、これは一つの方向性と思いました。

 

当然「お粗末な画像、幼稚な特撮」との批判も多いし、予算制約もあるようですが、良くも悪くも意図的かと。

 

②オムニバス的

ゴジラシリーズは映画なので巨大な敵を倒しておしまいですが、ウルトラシリーズはテレビシリーズなので毎回相手が変わり、たまに関連性もあったりします。

 

「シン・ウルトラマン」も複数の怪獣(禍威獣)や宇宙人との闘いで構成されていて、実は関連したり、「何故日本ばかり襲われるのか」とのお約束へのツッコミにも関連して、ここはウルトラ風で良かったと思います。

 

カタルシスが少ない(軽いネタバレ)

いくつか感想を拝見すると、やはり感じている方は結構いる気がします。

 

怪獣ものはどれも最後はクライマックスや必殺技で盛り上げるし、それはウルトラシリーズや、スポ根もガンダムエヴァも基本は同じでしょう。

 

ところが「シン・ウルトラマン」は実は最後の2戦は余り激しくないし、子供の憧れだった「光の国」が実は敵みたいで最後もすっきりしないので、観終わると消化不良に感じます。

 

ただ初代「ウルトラマン」は最初に書いたように、ウーやシーボーズなど最後は倒さないけれど人気の高い回も結構あるので、これもスタッフの意図的な構成かなとも思いますが。

 

賛否をまとめると

  • 禍特対が数人だけで不自然」これは「マジンガーZ」の光子力研究所とか「ガッチャマン」の科学忍者隊も含めて「ヒーロー側の部隊は数人まで」な伝統だけど、前半で「シン・ゴジラ」風に中途半端にリアルに自衛隊と行動したせいもあって目立ってしまった。
  • 画像も特撮も下手」これは人形・着ぐるみの昭和の特撮再現とか、人間巨大化の静止画風も異質感を出す意図的と思うけど、ここは評価が分かれて仕方ないと思う。何でも「リアル」が良い訳ではないけれど、「シン・ゴジラ」と比べると映像全体が安っぽいのは否めない。
  • 複数の話が詰め込まれて散漫」これもウルトラシリーズ再現なので半分は仕方ないのでは。
  • なぜ人間の味方するのかわからない」これもウルトラシリーズだから(こればっか笑)。いくら説明しても、最後は論理的ではない「責任感と想い入れ」で仕方ないのでは。
  • 腰を叩くアップがセクハラ長澤まさみはセクシー役で、真面目な主人公には効いてないから必ずしもNGではないと思うけど、過剰なドアップの繰り返しが下品に見えたと思う。例えば画面の隅でポンとやって、気付く人は気付く程度がスマートだったかと。
  • 最後に爽快感が無い」実は初代テレビ版のラストは、もっとあっけなく倒して「ええー」だったので、これでも無理やり共同作業にして盛り上げたとは思う。ところで一番最後の「結局どうなったのか」の判断を観客に委ねるスパッとしたエンドは個人的には良かった(後日談を延々はダサイ派なので)。これも賛否は分かれているようですが。

 

それではまた。

メインフレームとは?

大型汎用機とも呼ばれるメインフレーム・コンピュータについて、その範囲と種類、技術的特徴、そして比較を書いてみました。

 

私は外資系IT企業のSEなどを約30年間(メインフレームとオープン系比率は4:6くらい)経験しましたが、世間やネットの話題には以下を感じるためです。

  1. 実はメインフレームの範囲は広くて色々な製品系列も含まれている。
  2. 本当の特徴はハードウェア自体より、基本設計での堅牢性と思う。
  3. コンピューターは適材適所だけど「メインフレームCOBOLでバッチなど時代遅れ」との批判はローカル(日本特有事情)では。

 

 

きっかけは、富士通メインフレーム撤退発表を機会にした、kodukiさんの入門的まとめ記事が面白かったから。知らない人にもわかりやすくオススメです!

zenn.dev

 

私はプログラマー歴は短く詳細は判ってませんが、色々なシステムのインフラ面に触れる機会はあったので、それを交えてIBM系を中心に書いてみたいと思います。

 

メインフレームとは?

①基幹業務用の大型コンピュータです

メインフレーム」を直訳すれば「主枠、主筐体」ですが、多くの事典や辞書では「企業などの基幹業務用の大型コンピュータ」などの説明です。

企業の基幹業務などに利用される大型コンピューター。

IT用語がわかる辞典

 

富士通も同じ内容で、オープン系と比較してます。

メインフレーム ~ Mainframe ~
主に企業の基幹業務などに用いられる大型コンピュータのこと。信頼性・安定性・互換性が特長。オープンシステムとは異なり、独自に設計しているメーカーが多い。(富士通 用語集

 

IBMメインフレームの「メイン」の説明なのか「大型で、特に周辺のコンピュータが接続する主コンピュータ」という説明です。

"Mainframe" defined
The IBM Dictionary Of Computing defines "mainframe" as "a large computer, in particular one to which other computers can be connected so that they can share facilities the mainframe provides (IBM Archives - IBM Mainframes)

 

しかしこれだけだと「現在では企業などの基幹業務にも使われているオープン系サーバーも含めて良いのでは?」とも思えてしまいます。

 

しかーし!メインフレーム」は歴史的用語で「当時の各社大型」を指す言葉なので、オープン系や、非オープン系でも「中型」は含めないのです。

 

(オマケ)

日本では「オープン系」でUnix/Windows系を指しますが、世界的には「オープンシステム」は本来ソース公開のUnix系などを指し、独自仕様OSのWindowsも含める場合には「分散系」と呼ぶのが一般的です。恐らく日本では、MS-DOS時代に各メーカー独自仕様のPCが続いたので「Windowsでメーカー依存が消えた=オープン」な感覚かと思いますが、世界は本来のソフトウェア観点、日本はハードウェア観点、という気もします。

 

②でも実は歴史的用語です

実はメインフレーム」との呼称は後からで、当初は単に「処理装置(プロセッサー)」や「コンピューター」などと呼んでいました。しかし1960~70年頃のミニコンUNIXサーバーの普及後に、徐々に「メインフレーム」という通称(俗称)が使われていきました。

メインフレーム」という呼称は、後から生まれたもので、当時のコンピュータは全て大型だったが、その後の小型コンピュータに対して「汎用大型コンピュータ」「大型汎用機」と区分され、「メインフレーム」という通称が生まれた。(IT用語辞典 e-words

 

メインフレーム(mainframe)コンピュータは歴史的な用語で、1960年代以降、
企業、大学、研究所等の組織のあらゆる情報処理を、科学技術計算も事務計算
も一手に引き受けていた汎用コンピュータのことをいう。(小柳研究室

 

例えばIBMは今では1952年の IBM 701 以降を「メインフレーム」と呼んでいますが、当時の発表レターやマニュアルなどには「メインフレーム」との言葉はありません。

www.ibm.com

 

ちょうど、日本の明治時代に「洋服」が普及すると「和服」の用語(分類)が生まれたり、RISC登場で従来のCPUをCISCと呼ぶ分類ができて、技術的な差異が消えた今でも「RISCMIPS, SPARC, Powerなどの総称」との歴史的用語で残っているのと似ていますね。

 

なので、競合比較やアポロ計画までの説明もさすがなコメディ漫画に突っ込んで野暮の極みですが、正確には発表当時には「メインフレーム」との言葉は無かったはずですね。

(中略)

トニカクカワイイ」(畑健次郎)より

 

③だから色々な種類を含みます

では「メインフレーム」には現在どんな種類(アーキテクチャ)があるのでしょうか。

 

大別すると多数派IBM系(IBM富士通・日立)と、全くアーキテクチャの異なる少数派の非IBM系(ユニシスNEC)があり、それぞれ長い歴史があります

 

過去を含めた各メーカーは以下で一覧できます(注:スマホなどモバイルでは表示されません)

ja.wikipedia.org

 

④日本の「メインフレーム=汎用機」はちょっと変

ここで「メインフレーム」の範囲の話に戻りますが、日本では何故か「メインフレームはSystem/360から始まり、汎用機と同じ」との定義が幅広く見られます。

メインフレーム - 誕生と発展の歴史
1964年にIBM社からシステム/360が発表され,コンピュータの第3世代が始まった.(中略)事務計算,科学技術計算を始めとするすべての応用分野をカバーする「汎用コンピュータ」が実現され,汎用コンピュータは「メインフレーム」とも呼ばれた.(コンピュータ博物館

 

メインフレームとは
基幹システムなどに用いられる大型コンピュータシステムのこと。商用メインフレームのベースとなったのは「IBM System/360」。(ITトレンドのIT用語集

 

IBM社のSystem/360シリーズが1964年に発表された。これは種々の多くのアプリケーションを1台で集中実行可能な汎用コンピュータで,現在のメインフレームの原型と言える。(日立製作所

 

メインフレーム・コンピューターは、主に企業の基幹業務処理や大学や研究機関における科学技術計算処理などに利用されてきた「大型汎用機」あるいは単に「汎用機」とも呼ばれる大規模なコンピュータ・システムです。(「メインフレーム・コンピューター」で遊ぼう

 

現在のUNIXサーバーやPCも「汎用」ですが、ここで言う「汎用機」はSystem/360以前の「専用機」との対比語で、つまり同一メーカー内でも商用計算(10進演算)用と科学技術計算(浮動小数点演算)用に分かれてソフトウェアの互換性が無かった「専用機」と対比した「汎用機」です。

 

初期PCで言えば「CPUの8086(10進演算)に、コプロセッサの8087(浮動小数点演算)を追加すれば汎用に使える」みたいなものですね。

 

しかしSystem/360以前のUNIVAC I や IBM 701 なども「企業の基幹業務用」の商用コンピュータなので、日本に多い「メインフレーム=汎用機」の説明は不正確に思えます。

 

以下は想像ですが、当時の日本の通産省や業界はIBM対抗が国策で、仮想敵がSystem/360(とその子孫)だった影響にも思えます。また「第3世代」など半導体視点の分類が非常に多いのも日本の特殊性で、少しハードウェア偏重にも思えます。

 

似た例に「PC/AT」があります。世界的にはPCもソフトウェアも周辺機器も、ユーザー(ソフトウェア)から見た互換性の表記として「IBM PC互換 (IBM PC Compatible)」が一般的ですが、日本では今も「PC/AT互換機」の表現に拘ります。まぁ日本ではIBM PC知名度が低い、ライバルの社名は避けたい、当時はATバスが多くDOS/V前提もWindows表記も「PC/AT互換機」だった、などもありますが、これも日本市場の特殊性で、世界よりもハードウェア偏重にも思えます。

 

現役だけでも色んなメインフレーム

それでは現在の代表的なメインフレーム系列を見ていきましょう。

IBM zシリーズ

トップバッターはやはりこれ。1964年に大ヒットしたSystem/360の子孫で以後の世界トップシェア。日本のメガバンクでは「赤い銀行」や「青い銀行」が使用してます。歴史は以下のサイトがおすすめです。

www.ibm.com

 

富士通GSシリーズ(撤退予定を発表済)

富士通IBM互換路線(いわゆるOS互換)で国内首位です。

 

しかし今回メインフレーム撤退を発表し、ロードマップの図にも「2030年度 販売終息、2035年度 保守終了」と書かれています。

www.fujitsu.com

 

なお「保守終了」と言っても、実際には大手各社は個別見積の延長保守で更に延長できる場合が多いのですが、やはりリスクも考えればユーザーは標準保守終了以前の移行完了が無難でしょう。

 

富士通メインフレームのマスターコンソールでIBMのMVS系OSの表示コマンド("D U,DASD,,123,10" など)がそのまま使えて「本当にそっくり」と思いました(当たり前ですが)。

 

富士通メインフレームは型破りで天才肌の池田敏雄氏の功績が絶大と言われています。

www.fujitsu.com

 

また3代目社長の山本卓眞氏は旧日本陸軍の特攻隊生き残りで、部下の社員を「兵」と呼び、富士通のモーレツ文化を築きました。 

 

なお富士通はコンピュータ専業のためか対IBM全面戦争路線で、IBMスピンアウトのアムダールへの支援、Sun提携、UNIX戦争でのUI陣営、PCでのEISA・NT陣営などもありました。

xtech.nikkei.com

 

更に1980年代頃まではメインフレーム筐体の側面パネルの色も、富士通は赤、IBMは青と、マシンルーム内で勢力分布が一目で判りました(デフォルトの色指定が各社のコーポレートカラーのため)。

 

日立製作所 AP8000(ハードウェア撤退済)

日立もIBM互換路線ですがIBM協調派IBMから技術提供を受けましたが、2017年にはメインフレームのハードウェア製造からは撤退して後継機はIBMメインフレームをベースに独自OSのVOS3を搭載する、と発表しました。

www.hitachi.co.jp

 

日立メインフレームの歴史は以下サイトの「第十五回(2009年8月号) 世界一のコンピュータ製品をめざして」でも触れられていて、I/Oの重要性強調などがメインフレームらしさを感じます。

www.hitachihyoron.com

 

ユニシス ClearPath

ユニシスは日本ではディズニーランドのエレクトリカルパレードのスポンサーで有名ですね。

 

しかし世界的には歴史ある非IBMメインフレームの流れを汲み、大規模用のOS2200モデル(旧UNIVAC・スペリー系)と、中規模用のMCPモデル(旧バローズ系)があり、日本ではBIPROGY(旧日本ユニシス)が提携販売しています。

pr.biprogy.com

 

日本の金融機関も採用していますが、2015年以降は新製品の発表が見当たらないような.....

pr.biprogy.com

 

NEC ACOSシリーズ

国産唯一の非IBM系のNECも長い歴史を持ちます。

 

特に大規模向けのACOS-6系は、祖先はGEのGCOSで、なんとバイトマシンではなくワードマシンです。当時は世界最大の電機メーカーのGEが、後発のIBMの前にメインフレーム撤退して業界に衝撃を与えましたが、その子孫がGEからハネウェル経由でNECに受け継がれています。

 

過去に某金融機関のマシンルームで見たメインフレーム筐体には「NEC」と「Honeywell」の両方のロゴパネルが付けられたダブルブランドで歴史を見た想いでした。

 

しかし!扱えるビットの単位が可変(!)で、9ビット単位の大量データをIBM系に移行すると2バイト(16ビット)に収めるしかなく、ユーザーに「容量が無駄すぎる」と怒られましたが、データ再設計しない限り仕方ありません。独自なのは便利ですが大変です。

 

なおACOS-6のCPUは独自からIntel Itaniumに移行後に独自(NOAR-6)に戻りました。

www.itmedia.co.jp

 

この他に中規模向けのACOS-4や、小規模向けで弟分のACOS-2もありますが、これらはバイトマシンです。

jpn.nec.com

 

NECは「ACOSはまだまだ続けます」宣言を発表しました。

jpn.nec.com

 

ロードマップの図の「次々々機ACOS」との記載はちょっと過剰にも思えますが、NECに限らずロードマップ発表は競合他社からのリプレース攻勢への対抗策でもあります。(ただし損害賠償訴訟防止の「保証ではなく変更の可能性もあります」とのディスクレーマー文言が付いているのも各社同じです。)

 

そして日本のメガバンク勘定系では唯一のACOSとなった「緑の銀行」ですが、次期勘定系にもACOS後継機を使用予定と発表済です(もちろん勘定系の中心部以外はオープン系サーバー群ですが)。

xtech.nikkei.com

 

⑥(おまけ)メインフレームには含まれない中型コンピューター

ところで「メインフレーム」には含まれない中型(ミッドレンジ)にも先進的なコンピューターは存在します。日本では単純に「各社独自仕様のオフコンなんて過去の遺物でしょ」とか思われがちですが少し触れます。

 

例えばHP NonStop(旧タンデム、コンパック)は「無停止コンピュータ」で、全部品の冗長化に加えて障害発生時のデータ損傷ゼロを目指したフォールトトレランス性を持ち、なんというかハードウェアを含んだ全体がデータベースみたいな感覚です。日本の金融機関の対外接続(フロントエンド)などにも使われています。

 

またIBM i(旧System/38、AS/400、iSeries)はIBMの次世代システム(Future Systems)の技術を取り入れて、シングル・レベル・ストレージ(ディスク上のプログラムもメインメモリに移動せず実行できて仮想メモリ不要)、ハードウェアへのRDBMS標準搭載など、かなりユニークです。

www.imagazine.co.jp

 

私が思うメインフレームの本当の特徴は

①身近なメインフレームの影響

メインフレーム由来の技術やトリビアと言えば......

 

また大手銀行のATM入出金も、基本はセンターの勘定系メインフレームトランザクション処理を完了してから結果を返しているので「間接的にはメインフレームを操作している」と言えるかも知れません。

 

②OSが違えばタスク管理も違う

IBMメインフレームの中でも、主力のz/OSの他、中規模向けのz/VSE、オープンなLinux、仮想化OSのz/OS、特殊なz/TPFなど複数のOSがあり、タスク管理なども違います。

 

たまに「いまどきバッチがタイムシェアリングではないなんて!」とかの話も聞きますが、スループット重視ならI/O割り込みの方が有利なのは自然で、要は選択や組み合わせかと思います。

 

IBM

  • z/OS - OS/360やMVSの子孫で大規模向け。ジョブ(JOB)やプロセス(STC)やTSOユーザー(TSU)は、各起動時に生成された独立したアドレス空間内で動くので、堅牢性が高い事が特徴です(複数アドレス空間)。またPOSIX準拠のUNIXシステムサービス(USS)も含みUNIXブランドも取得済です(USSを除いたz/OS自体は技術的にはUnix系とは到底言えませんが、移植には便利です)。
  • z/VSE - DOS/360やDOS/VSEの子孫で、中規模向けでz/OSの弟分。z/OSよりアドレス空間が少なく、ジョブやプロセスなどはアドレス空間内の区画内で動きます。またJCLではなくJCS、TSOではなくICCFなど色々違い、昔からz/OSに統合されると噂されながらも続いているところが互換性・継続性重視の世界ですね。
  • z/VM - CPやVMの子孫で、VMwareXenの元祖のようなオンライン指向の仮想化OSです。仮想マシン(VM)を作成して、ゲストOSとしてz/OSやLinuxや付属の軽量OSと言えるCMSなどを同時に動かせました。このCMSはOS管理のほか、多数を動かせばマルチユーザーの安全な仮想環境が作れるので、今のデスクトップ仮想化のように、教育機関・研究所・社内電子メールなどにも使われました。
  • Linux - IBMメインフレーム上でネイティブまたはz/VM配下で動くLinuxで、SUSEなどが提供してます。専用OSの堅牢性などはありませんが、メインフレームのハードウェアのI/O能力や保守運用が欲しいユーザー向けと思います。
  • z/TPF - 大量トランザクション処理に特化した特殊なOSで、航空会社などで使われています。 

 

富士通

  • MSP - 富士通メインフレーム用のIBM MVSの互換OSとして誕生した。ライバルのMVSは24ビット・アドレッシング(仮想記憶16MB)から、31ビット(仮想記憶2GB)のXA、64ビット・データ空間のESA、64ビット仮想記憶のz/Architectureと拡張しましたが、MSPは31ビット対応までです。

 

(日立)

  • VOS3 - こちらも日立メインフレーム用のIBM MVSの互換OSとして誕生し、基本は31ビット拡張までで、一部64ビット機能があるようです。

 

以下はIBMIBM互換系がまとめて載っていて比較できて便利です。

arteceed.info

 

③現在の信頼性とは

メインフレームは性能と信頼性」と言われますが、現在は規格や製造の共通化も進んで、オープン系と機械自体には極端な差があるわけではなく、残る本当の大きな差は、むしろ地味な設計思想(仮想化、組織役割分担、ロギング、保守性)などと思います。

 

例えばIBMメインフレーム(主にz/OS)では......

  • ハードウェアとプログラムの分離で堅牢性が高い。プログラムからは自分自身のアドレス空間と、データ用の共通メモリ(CSA/ECSA)しか見えず、別のアドレス空間で動く隣のプログラムへの「悪さ」は原理的に不可能なので、バグ・脆弱性・悪意・クラッシュ・ハッキングなども影響最小化されます。これはSystem/360以前からの各種エミュレータ(仮想化技術)や、MVS (Multi Virtual Storage)以降のアドレス空間分離によります。オープン系でも仮想VMやコンテナなどで分離も可能ですが、MVS系では全ジョブ標準です。(これは富士通MSP、日立VOS3なども同じです。)
  • 開発(プログラマ)と運用(オペレータ)も分離プログラマと運用(入出力、使用メモリ上限、優先順位、先行関係など)は、JCLで明確に分離されます。良く「JCLはシェルの一種」との説明を見ますが、オープン系はユーザーがコンピューターを便利に使える事が基本で、シェルは任意の便利機能で、プログラム内でファイル指定もOSコマンド発行もできます。もちろんオープン系でも各種権限を絞って役割分担しますが、考慮漏れ、設定漏れ、脆弱性、運用ミス、セキュリティ攻撃などで差が出たりします。
  • コンソールも分離。OS起動などハードウェア操作はハードウェア管理コンソール(HMC)、OS操作はマスターコンソール、プログラム開発はTSS端末(のエミュレータ)と、こちらも分業です。ISPF/PDFなどTSS端末から一部OSコマンド投入もできますが、基本は分離で、個別に権限付与します。オープン系では権限があれば基本なんでもできて設定やツールで分業するのと、反対の設計思想です。
  • 障害時の原因追及。程度の話なので説明しにくいですが、メインフレームにも障害や原因不明は山とあるものの、各ハードウェアやソフトウェアのログや取得資料がオープン系よりも詳細なため、経緯や内部動作が解明できて原因追及・修正作成できる場合が多いと思います(高価なので当然でもありますが)。
  • 修正時の個別FIX。あまり語られませんが、メインフレームのOSや主要ミドルウェアは、不具合や新機能の修正(FIX、APAR、PTF)を適用する際に、SMP/Eなどのツールで管理して、その前提PTFも洗い出して、必要最小限の修正のみを適用して影響最小化・リスク軽減する事が一般的です(バージョンアップは数年単位で別途計画する)。これがオープン系では、単体FIXはあっても限定的で、累積FIX(フィックスパック、サービスパックなど)の適用しか方法がない場合も多く、変更範囲が増えてリスクが高くなります。(クラウドでは良くも悪くも強制適用が基本ですが)。

arteceed.info

 

④例えるなら

メインフレーム例えるなら電車かな。

 

国や街を作るときに、通勤に普通の自動車を多数使えば、調達も容易で、少ない訓練で済み、急なルート変更も楽々です。しかし電車を整備すれば、莫大な費用と専門スキルが必要ですが、少ない職員が大量の通勤客を載せて環境負荷も少なく正確に運行できます。

 

どちらが良いかは文化にもより、個人の自由を重視するアメリカは車社会、社会秩序も重視するイギリスや日本は電車の比率が高いように、流通業界は安く柔軟なオープン系、金融業界は集中管理でき監査対応もしやすいメインフレームの比率が高いと思います。

 

最初に都市計画を作って進めるか、身軽に個々の課題をクリアし続けていくか、という方法論の違いな気もしますが、リスクは常にある以上、片方が「正解」とか「間違い」と断定はできなと思います。

 

COBOLとバッチで古臭く非効率?

これは両論ありますが、日本では国産メインフレームの機能拡張が止まってしまった事も背景にあると思います。

 

20年前から以下見解がありますが、今も基本は変わっていないと思います。

zシリーズの場合は、オープン系を含めた包括的なソリューションを提供することで、逆に、以前からのメインフレーム系のサポートも続けられる。ところが、そうではない日立、富士通のユーザーはどうするのでしょうか? いわゆるレガシーの問題が大きくのしかかってきていますよね?

 

IBMは、全世界にまたがる多数のユーザーと自らのビジネスを守るために、オープン環境と従来のアーキテクチャが共存できる「zシリーズ」を世に送り出した。この「z」は、C/S方式の脆弱性や運用の複雑化を嫌う世界の大企業ユーザーに受け入れられ、既存のシステムを吸収しながらデータベースサーバーとしての地位を確立しつつある。

 

一方、富士通、日立といった日本のメインフレーム・メーカーはどうしたのか。オープンサーバーの出現でIBM互換機路線と縁を切ることができると考え、早くからオープン環境に適合できるサーバーの開発に傾注していった。当然、既存のメインフレームシステムはアーキテクチャの継続性が保証されなくなり、その時点からレガシーへの道を歩み始めたのである。

 

ascii.jp

 

以下も20年前ですが、似た趣旨かと思います。

日本はメインフレーム大国である(略)日本は世界の中で最もメインフレームを出荷し続けている国となっている。

 

米国のほとんどのメインフレーム・ユーザーは、オープン・ソフトウェアを使っている。そのため、メインフレームが自社の要望に合わなくなれば、すぐにオープン・システムへ移行できるが、日本ではそれができなくなっている。つまり、米国のメインフレーム・ユーザーは、時代に則してオープン・システムに移行できるのに対し、日本のユーザーはメインフレームと心中するしかない状態にあるわけだ。

 

atmarkit.itmedia.co.jp

 

⑥絶滅するの?

10年後にはメインフレームは絶滅する」は、1990年代からマイクロソフトが言い続けていますが、それは技術的見解というより、当時から金融業界や官公庁などへのNT進出に熱心なマーケティングもあったと思います。

 

またIBMなどメインフレーマーは逆に、2000年代以降はあまりメインフレーム(最近ではサーバーも)を前面に出さず、クラウド・AI・ブロックチェーン・量子コンピューティングなどを宣伝しますが、これも企業イメージ戦略を含めたマーケティングでしょう。(ソリューションを提案して、製品やサービスはその中で販売する。)

 

マスコミはマッチポンプで双方に記事を販売でき、メーカーは「自社パンフより中立的」な販促ツールを得て、ユーザーも社内でシステム部門が財務部門などへの説得材料になるという「三方よし」ですね(笑)。

 

そもそもコンピュータは道具なので、オープン系などの汎用機器で済めば通常はその方が有利ですが、差別化として投資する企業がいる事も事実ですし、結果的に成功するかはケースバイケースです。

 

時代と共にオープン系やクラウドの比率が高まるのは自然ですが、メインフレームやオープン系の片方が絶対悪や理想のように言うのは、ちょっとマーケティングに踊らされていると思います。

 

少なくともCOBOLなどの言語自体への批判は見当違いかと思います。COBOLFORTRANに次ぐ元祖業界標準(オープン)言語で、多くの大手ユーザーで現役ですし、多くのミドルウェアでサポートされ続けています。

 

逆に世界的にはメインフレームでCやJavaも多く使われていて、COBOLは単に選択肢の一つにすぎません。(日本では進化が止まってしまったシステムが多く、その言語にCOBOLが多いという話と思いますが、それはCOBOL自体に問題がある話ではありません。)まぁ私はS/370アセンブラーかPL/IREXXでしたが全て忘れました(笑)

 

www.ibm.com

 

(さいごに)

メインフレーム全体で、入門的な記事には以下もあります。これも日本的に、最初のメインフレームはシステム/360と書いていますが。

atmarkit.itmedia.co.jp

 

ブログを書く効率が悪くて2週間かかってしまい話もあちこち飛びましたが、読んで頂きありがとうございました(ペコリ)

 

(2023/5 追記)当記事の1年後に、内容重複しますが表を多用して追加情報を入れたブログも書きましたので、よければご覧ください。

rabit-gti.hatenablog.com