らびっとブログ

趣味で映画、本、政治思想とか時々書きます(^^)/ ご意見はツイッター @rabit_gti まで

アニメ「彼女、お借りします」1期は魅力的

略称「かのかり」のアニメ1期は12話で終了した。お下品半分で偶然/ご都合連続のナンパな話ながら、原作のイメージを活かしてOPも秀逸で2期も決定と色々魅力的でした。

 

まずは原作漫画のタッチを残した(アニメというよりイラストな)透明感ある瞳のキャラが魅力的。水原は優秀だけど主人公にだけ本音攻撃がハルヒツンデレ要素か。ただ最初の怒りモードに原作ほど突然性/意外性が見えないのは残念要素。

 

主題がレンタル彼女(レンカノ)で主人公らの下ネタも多くて「少年誌やテレビアニメでほぼ風俗を宣伝はやり過ぎ」とも思うが、実は純粋な「デート目的で安易に」は失恋直後の最初くらいで、次からは家族のため、女性もそれぞれまじめな目的を持って規約も確認して始めた、とか色々配慮はしてる。

 

主人公のダメ男ぶりが話題だが、昔の私小説とか「男おいどん」とか「めぞん一刻」の五代とか、日本の伝統ジャンルなのかも。どれも情けなく身につまされるが、たまに筋を通そうとして勘違いでまたミジメ、との哀れパターンも似てるかも。

 

水原は爆発モードでも正論連射だが、だらしなく身勝手な主人公も悪意はなくて毎回一瞬は相手の立場も考えようとする(当たってるかは別)とことか、そのキャラらしくてポイントだ。

 

あと水原が眼鏡だけで変身して誰にも気づかれない(水着の時ですら)のは、クラークケントや少年少女漫画のお約束ですね。

 

そしてOPは音楽と詩にドンピシャで、今風のスマホ自撮り、水原の多面性、ヘタレな主人公がやっと決断してもぐるぐる、そして最後の領収書がレンカノ再認識だけど捨てたようにも見えるとこが憎い。

 

また更科瑠夏の過去説明の7話EDは柔軟な映像と最低限の説明で、瑠夏の悩み、レンカノの動機、そして主人公土下座シーンで本編に無い子供時代と同じ表情を出して「子供からの願いがやっと」の内面と一直線な性格を表して感動的だ。

 

悪いけど該当の絵を引用。傾きまで似てる。

f:id:rabit_gti:20201005193508p:plain f:id:rabit_gti:20201005193750p:plain

このOPと7話EDは秀逸でスタッフも同じ、各100回は見てしまった。

 

各話では最初の1,2話と、最終回直前の10,11話は作画/演出も良くて、格段に酷い回も無かったけど、最終回はもうちょい動いて欲しかった。

 

1話や10話とかでの漫画的な画面文字描きは、アニメ的には本来邪道だけど、原作のニュアンスを削らずに、下手なセリフ化よりテンポ良いので、もっと入れて良かったと思う。

 

最終回も最終回らしく無理にまとめないのも、原作世界優先でいいのでは。そもそも原作とアニメは別物だけど、これは原作イメージをうまくアニメ化できた例かと。

 

という訳で、なかなか魅力的な作品でした。

 

ところで昔は「地方の人が放映日が遅いのは仕方ないでしょ」と軽く思ってたが、U-NEXT(翌木曜、6日遅れ)でSNS上の色々残念な想いを体験して、ひとの痛みは自分で経験しないと判らないと痛感した(^^;

 

(了)

 

(続)東証システム障害とITシステム

前回(東証システム障害とITシステム)の続きです。続きを書くつもりは無かったが、あまりに赤面な発言を見てしまったので。

 

10/2に以下記事が出ていた。国民民主党党首の玉木氏の変なツイートを指摘し、会見を行った東証のトップを評価した、非常にまともな記事と思う。 

biz-journal.jp

 

問題の玉木氏のツイートはこちら。記事と重複ながらツッコミを入れたい。

 

  1. 政治家が技術の専門家でないのは当然だ。専門用語が多少不正確でも仕方ない。しかし流行りの用語のしったかぶりは、軽薄で読む方が赤面するのでカンベンして欲しい。判らないなら「分散化を進める必要もあると思う」だけで良いのだ。
  2. ブロックチェーンは仮想通貨(暗号資産)用の技術だ(実際の経緯はビットコイン登場が先でブロックチェーンは後だが。)善意で解釈すれば「証券システムは今後は仮想通貨もサポートすべき」かもしれないが、それでは「分散化」と関係が無く意味不明だ。(通貨の種類と、証券売買システムの信頼性は関係ない。)
  3. サーバー型ではなく」も意味不明だ。「サーバー」はソフトウェア上の役割分担であるクライアント・サーバーモデルの片側で、そこから転じてサーバー向けのコンピュータ、更には従来型のコンピュータ(メインフレーム/オフコン/スパコン等)との対比で使用されている用語だが、どの意味でも「分散化」との対比にはならない。むしろ「サーバー=分散システム(日本ではオープンシステムとも)」と呼ばれている。善意で解釈すれば「1箇所に設置のシステムではなく、システムとリスクを分散」との趣旨かと思うが、やはり「サーバー型」では意味不明だ。

 

繰り返すが、政治家が技術用語が多少不正確でも仕方ない(お互い様)。しかし訳がわからないなら普通の言葉、例えば「故障しても業務影響が限定できるシステムも検討すべきだ」とかと言って欲しい。

 

思わず夜中に予定外のブログを書いてしまった。カンベンしちくり(八つ当たり)

 

(追記)既に以下ツイートされているようですが...

 

そして「分散化」は別に高度な話ではない。以下は一般論ですが、

  • 統合した大証や名古屋/札幌/福岡を別システムに分離。基本設計共通化なら全体費用圧縮もできる。分離の上で東京/大阪の相互バックアップ/災対も有力。取引所間連携は疎結合(MQなどの非同期キューイング)も組み合わせ可。
  • 1システムでも大手銀行のように内部2系統化。この場合も今回同様にデータベースがネックになるが、ここはクラスタリングメインフレームのSysplex、分散システムのORACLE RAC)またはDISK装置側のメトロミラー、あるいはタイムラグはあるがDBログ反映など。(しかし恐らくこれらを比較検討した結果、オンメモリDBとDISK装置2台の自動切替になったと思われるが)。
  • 単純にDISK装置障害対応なら、仮にRAID-5ならRAID-10化、各DISK装置筐体に対してミラーのバックアップDISK装置筐体を付ける、など。処理速度とのトレードオフだが。
  • 運用改善。今回、2019年11月更改時のテストではDISK装置自動切替は機能していたらしい。以後の再確認テストは不明だが、しかし特にDISK装置のファームウェアは毎月でも更新すべきだし、更新後は無影響確認が望ましく、他の作業時の人為的誤設定混入リスクも常にある。四半期ごとに災害訓練(稼働確認)していれば業務停止時間帯時に早期発見でき、原因混入時期も絞れたた可能性もある(定常業務以外の実施リスク、保守時間帯、運用負荷などとのトレードオフだが。)

 

以上は全て20年前から一般的な技術/手法だ。ファームウェアによるハードウェア故障の早期検知レベルなど向上した個々の技術要素も多いが、障害対策(高可用性設計)は確立した1分野で、アーキテクトなら必須で、営業/政治目的などで最新技術アジデータに陥ってはならない。

 

(了)

 

映画「TENET テネット」うーん

映画「TENET テネット」(2020公開)見た。軽いネタバレあり。

 

クリストファー・ノーラン監督が「ダークナイト」で見せた、表情を抑えたアップ連続での観客が窒息しそうな息詰まるダークな人間描写は健在だった。

 

前回作「ダンケルク」では得意の主観映像と違ってスペクタクルシーンに無理を感じたけれど(以前の 映画「ダンケルク」いまいち 参照)、今回は戦争ものでもない。

 

しかもタイムリープの時間ものとなれば、ハインラインの古典小説「夏への扉」、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」、「君の名は。」などのファンとしては見ない訳にはいかない。

 

(脱線)ところで私はコロナ禍以来初めての映画館で、入口で半券を切らない、1席間隔の座らないでください表示、20分間で全空気入替との換気案内映像を初体験。たまたま109シネマズのファーストディ(毎月1日は大人 1200)で、ファンな「NO MORE映画泥棒」の逃げ回る新作もスクリーン鑑賞できた。

 

タイトルの「TENET」は「信念」などの意味だが、回文で主題の時間逆行にかけてる。

 

冒頭のキエフの劇場でのテロ事件はガス攻撃を含めて、2002年のモスクワ劇場襲撃事件(チェチェン独立運動)がモデルと思うが、広いホールと狭い通路の対比が効果的な導入。

 

ちょっと不可解な画面があちこち出ても「君の名は。」同様に覚えておきたい。

 

ただスパイものなので絶体絶命の危機連続は良いが、敵の機嫌次第で簡単に殺される場面や、銃撃の中で全く当たらない場面が何回も繰り返されると、偶然すぎてリアリティが減ってくる気がする。せめてパターンを変えて欲しかった。

 

売りの時間逆行は、SF的に時間の整合性を発見したり語り合って楽しむ作品なのか、「マトリックス」のように「んなバカな」と気軽に映像を楽しむ作品なのか。多分後者かな。

 

バンジージャンプでのビル侵入は、ゆっくり上昇が新鮮だった。

 

ただ普通のスパイ映画は小さな工夫で大きく実現なのに、空港もハイウェイもヨットレースも大作戦な割に目的が単純だ。見せ場と伏線作成優先なのか、無駄すぎる作戦に思えてしまう。

 

ハイライトの赤/青腕章の2部隊突入は映像的には面白く、遠景でどう見ても後ろ向き歩きしてるのはご愛敬だが、なんで逆行部隊先行で先に地上の敵を一掃しないの?と、つい思ってしまう。

 

そしてハイライト山場の対決は、相変わらず主要人物は流れ弾も気にせず、結局は普通の地味なバトルなのはちょっと残念。時間ものなのに時間が決定打には見えない。

 

後半で種明かしは「カメラを止めるな!」形式かも。

 

人間も映像も魅力的で緊迫感あるけど、気楽に見ると話がわからず、真面目に見ると色々気になってしまう、ちょっとうーんな感じでした。

 

(了)

東証システム障害とITシステム

2020/10/1 東証の売買システムが終日停止した。当日は四半期初日で、中国や韓国の証券取引所も休みのために時差共存の世界市場のうちアジア地域で値が付かない深刻な影響になったようだ。

 

現時点、原因は共有ディスク装置1号機のメモリ故障(恐らくキャッシュ用またはコントローラ稼働用のメモリ)で、共有ディスク装置2号機への自動切替(フェイルオーバー)が何故かできなかったという。各取引サーバーは多重化されているが、各サーバーからデータ共有するディスク装置がネックとなった模様。

 

部外者の推測だが、切替機能の不具合(該当ファームウェアまたはソフトウェアの既知/潜在バグ)、故障の詳細状況(仮に中途半端な壊れ方の場合の切替機能による検知可能性)、人為ミス(切替テスト後の誤設定/誤操作)などが考えられると思う。

 

以下は夕方の東証記者会見を伝える日経XTECHとITMediaの記事で内容はほぼ同じ。

xtech.nikkei.com

 

www.itmedia.co.jp

 

どの業界でも基幹システムは障害対策で冗長化するが、最終的なデータ保管場所(通常はデータベース、オンメモリでも障害対策ログはディスク保存が基本)は整合性と処理効率のため無暗には分けられない(整合性のレベル次第では色々なクラスタリングやディスク複製技術も組み合わせできる。)

 

東証のシステムは、2005~2006年頃に障害多発し、2010年に信頼性と高速性を目的にした新システム「アローヘッド」が稼働し、2019年にはその更改もされた。

 

以下はアローヘッド構築を振り返った座談会。「"決して落としてはならないシステム”ができるまで 」とのタイトルが今は皮肉だが、しかし技術者から見れば「絶対落ちないシステム」などこの世に存在しないのも事実だ。

www.itmedia.co.jp

 

以下は2019年更改時の富士通プレスリリース。

pr.fujitsu.com

 

以下は当日夕方の富士通の声明で「当社の納入したハードウエアに障害が生じて多くの関係者の皆様に多大なるご迷惑をおかけしたことを、おわびいたします」と報道されたが、富士通Webサイトの当日のプレスリリースには掲示されていない。

www.nikkei.com

 

現時点で上記以上の詳細原因は未発表だが、部外者ながら関連していくつかコメントしたい。

  1. 大規模システム障害が発生するとすぐ「ベンダーはどこだ」「損害賠償すべき」と報道される。東証の基幹システムは富士通だが、周辺システムを含めればマルチベンダーで、各システムは通常は法的にはそのユーザーのシステムだ。要件も予算もユーザーで、ベンダーの瑕疵担保責任や故障等の役割分担は契約による。もちろんベンダーの各製品品質や技術力が影響する事もあるが、原因判明前に構築運用ベンダーを吊るし上げるのはおかしいし、背景には日本特有の「契約無視して業者に責任丸投げ」の日の丸親方的発想があると思う。今回東証の「市場運営の責任の所在は私どもにあり、(富士通への)損害賠償は現時点で考えていない」との発言は、主体性・責任感ある発言と思う。(勿論内部ではベンダーも率先して協力すべきだが。)
  2. また今回東証は、日中に復旧しても取引再開しないとの判断で、終日取引停止となった。過去の証券会社や銀行の大規模障害でも、障害直後の突然の取引再開でリトライ目的の重複入力や取引先ごとの不公平など不測の問題が発生して傷を広げたケースが多かった。特に株式売買では順序性が超重要だ。これも勇気のいる安全重視の決断だったと思う。
  3. システム障害があると「冗長性不足」との単純批判も見られる。しかし大組織の基幹業務で冗長化されていないシステムなど無く、普通の故障なら継続稼働(停止しても短時間)できる。それでも発生するのは、障害対策システム(クラスタリングなど)自体のレアな潜在不具合、中途半端な故障(間欠障害など半分壊れた状態で動き続ける)、ネットワーク定義変更、そして人間系(オペミス)など複雑な要因がありうる。
  4. 中には「クラウドの時代に」との批判もあるが、クラウドは重要だが適材適所で、応答性能命でAI高速取引(光ファイバーの光速を競い証券会社システムの1mでも近くに場所を借りて設置する)を競う東証基幹システムでクラウドは全くありえない
  5. 今回、東証マザーズジャスダック、更に同じシステム使用の札幌/名古屋/福岡も「全滅」に陥った。昔の大証東証に統合済だ。繰り返すが「絶対に落ちないシステム」は技術的にはこの世に存在しない。合理化・効率化には集約化だが、リスク分散でシステム分離(少なくとも疎結合)も組み合わせるべきではないか。(なお伝統的な大手銀行の勘定系システムは、2系統バックアップ構成で、本番機とバックアップ機のセットが2系統あり、各支店やATMへの回線も2系統あるので、クラスタ引継ぎ不可発生時でも半分の支店はまず落ちない。もちろん前提は2系統間のデータベース共有なので、物理筐体は冗長化する。更に全滅時でも最低限の応答を返すフロントエンドプロセッサも併用していたりする。高可用性・高コストが本当に必要か、過剰品質かは要件定義の問題だ。)

 

最近はデジタル庁も話題だが、技術の新旧より地道な障害対策(障害があっても最低限回る仕組み)を常に検討・構成・運用していることが重要と思う。

 

(2020/10/4 追記)以下の続編を書きました。

rabit-gti.hatenablog.com

 

(了)

 

政府IT化は必要だがIT産業推進は邪道

菅内閣成立前に書いた前回の「デジタル庁は天下の愚策」の続編です。

 

前回の要点は

  • 行政IT化が進まない原因は各省庁の「文化」
  • デジタル庁では原因解消せず屋上屋、マイナンバー推進に矮小化
  • e-Japan戦略など電子政府/IT産業推進は長年大失敗

 

今回の要点は以下目次の3点

 

マイナンバーが普及しない原因

基本は「課題の解決には原因特定と、その原因への対応が必要」との当たり前な話だが、政治の世界では過去の「政治腐敗の解決には小選挙区制導入が必要だ」のように意図的に誘導/変質されるので要注意だ。

 

まずマイナンバーが普及しない原因は利便性が低いからで、ITシステムの出来ではない(細部ではITシステムのデザインも多々あると思うが)。

 

例えば銀行口座の新規開設には既にマイナンバーが必要だが、マイナンバーには口座は紐づけられていないから、コロナ対策の緊急給付10万円の振込先口座は毎回確認しないと行政にも判らない。

 

しかしこの原因は漏洩防止のため個人情報紐づけ禁止で、ITシステムではない。仮に今後法改正なら制度/セキュリティの再検討が必要だ。つまり業務要件/政治の世界で、デジタル庁に技術者を集めても意味が無い。

 

マイナンバーは運転免許/健康保険/年金/銀行口座/クレジットカードの紐づけ論もあり、その場合は所得/納税/病歴/購入歴の漏洩リスクもある。

 

個人的にはエストニアのように全国民全所得を全国民にネット公開するラジカル案に賛成だが、大半の日本人には懸念/抵抗もあり、どう政治変革できるかの話で、やはりITシステム構築の話ではない(制度決定後、どう設計/運用するかの話はあるが)。

 

菅内閣成立後の報道でも、デジタル庁はマイナンバー推進に矮小化され、時限官庁とのこと。つまり行政デジタル化全般は既に無い。

 

昔から「ふるさと納税」「携帯料金引き下げ」など官案件は個別すぎで、庶民に目先のアピールするが、税制/民業の全体の方向性が不明確で、それを指摘する官僚は飛ばされて沈黙し、長期間方針転換されない。デジタル庁も早速同じパターン懸念だ。

 

IT産業推進が成功しない理由

ネットを見ても「IT推進、デジタル化、DX」の話題で「利用」の混同が多いと思う。

 

問題は既存IT技術の利活用が日本の行政/社会で遅れていること。紙/FAX/郵送/印鑑/窓口/平日日中/履歴不明確などで、行政全体の「文化」変革が必要だが、最新技術の必要性は無い。もちろんITにはIT格差/セキュリティなど課題もあるし、大企業も災害時の最後の運用手順は手動だ。適材適所で使い分け、利用者側からは選択の自由が望ましい。

 

しかし「日の丸GAFA」などのIT産業推進は全く別物だ。

GAFA - Google, Amazon, Facebook, Apple - 主に日本での用語

FAANGFacebook, Amazon, Apple, Netflix, Alphabet (Google) - 主に米国での用語 

 

前回書いたが経産省のIT推進は既存の官庁と関係の深い企業/組織へのばらまきで終わったプロジェクトばかりだ。

 

日本の国家主導の成功分野は重工業/造船など「欧米に追いつけ追い越せ」モデルで、成功した自動車/家電/漫画/アニメ/ゲームなどは国の関与は少ない。前者は更に中韓に追われて停滞し、後者の激しい市場競争/早い決断をした民間分野で成功している。

 

更にGAFAアイディア先行/リスク負担/先行投資で勝者総取りの世界。政官は先行事例分析/調整/安全重視/予算確保の長期計画の世界。政官がGAFAと同じ事はできないし、国民の税金でギャンブルすべきでもない。(中国は政治は共産党独裁だが、経済はベンチャー気質が高く、官僚的な日本企業と対象的。)

 

またGAFAも中国も、優秀なら年収億単位でスカウト、状況次第で即解雇だが、この労使慣行も日本に導入するのか/できるのか。しなければ集団竹槍戦法で討死必至、すれば社会が自由放任/新自由主義市場経済に変質するが、移民も厳格制限の国に開国の覚悟はあるのか。

 

「国が日本のIT産業を推進すべき」論は、これらの前提を押さえていない。税金をばらまけばカンフル剤で企業/雇用は一時的に元気になるが、企業/製品/産業自体は強くならず、却って依存度/官僚制を高めて沈没の例が多い。

 

あるべき電子政府とIT活用

政府が行うべきは以下と思う。上述のようにIT産業ばらまきではない。

 

つまり「活用して効果のあるものは利点/難点を理解して活用する」「活用への障壁は利点/難点を議論し見直す」が基本。

 

行政自体のIT活用は、行政内の書類電子化/手順のワークフロー化/定常作業の自動化/会議や勤務のリモート化/調達のB2B化/研修のe-learning化/単純QAのAI化、などもあると思う。民間では既存技術で実施中。目的は高度化/効率化/利便性。

 

しかし民間のIT活用障壁の見直しは、行政が推進しないと民間は困る。

 

最近「契約は電子化でも成立する」と発表されたが、八百屋での大根の売買契約など、最初から契約は口頭でも成立する。しかし口頭では万一の裁判で「言った言わない」の証明困難のため書面の確実性が高い現実ある。つまり電子署名の基準が問題で、単に「契約は電子化でもOK」宣言では無意味だ。この推進は1企業/業界ではできない。

 

またEUは個人情報保護でGDPRを制定したが日本は受け身対応で、国際的主導は苦手だ。

 

更に日本に何故GAFAが生まれないのか。日本でもオープンソースなど世界で活躍の技術者は多いが、ベンチャーの起業/発展が困難な土壌がある。会社自体は簡単に設立できるが、若い企業は融資/雇用/取引/税制自体が不利。GAFAは判断次第で無名の日本企業ともリスク覚悟で取引するのと対象的。日本のサラリーマンは前例/確実/安定に弱い。個々の社員より、日本社会全体の官僚化/硬直化。

 

過去も政治家/財界がベンチャー推進を掲げたが、ほとんど変わっていない。

 

こんな話がある。「ソニーやホンダは初期のベンチャー精神を取り戻せ」と言う人は多い。でも既に大企業がベンチャーとは矛盾だ。そう言う人は本当のベンチャーは創業/支援しない。これは安易なナショナリズムを背景にした日の丸GAFA構想も同じで、「政府公認の安心ベンチャー」は自己矛盾だ。それは実現しないし、実現しても失敗確定だ。

 

(まとめ)

経済の主体は民間セクターで、政府は政府自身のIT活用と、民間のIT活用障壁の除去を進めるべきで、政府がIT産業(企業)を推進/支援するのは「ばら撒き/えこひいき」で間違いだ。ITのイメージで、混同したり騙されてはいけない。

 

菅政権の10の性格

2020/9/16 菅(すが)内閣発足に10の感想。

 

  1. 官房長官から総理は、福田康夫首相の例など突然の辞任表明の混乱回避/政策継続には自然。しかし各派閥の雪崩的支持の背景は、派閥が強いのではなく派閥弱体化と思う(主体性より勝ち馬殺到)。自民党の保守勢力連合体から単色的政党への変質か。
  2. 叩き上げ豊臣秀吉/田中角栄(今太閤)など庶民的で明るいイメージもあるが、ムッソリーニ/ヒトラー/スターリン/金日成も叩き上げで、後ろ盾の無い庶民出身こそ権力維持を徹底する例や、創業者ワンマンもいる。叩き上げと政治姿勢は関係ない
  3. 無派閥アピールだが、菅グループは弱小で有力者もいないから派閥均衡に乗るしかない。菅氏は官僚統制は得意だが、バルカン型政治家と言われた三木首相のように党内遊泳術が上手いかは疑問で基本は二階政権か。
  4. 安倍政権継承を掲げながら、復古/タカ派色はフェードアウトか。菅氏は公明党とパイプが太く、二階幹事長は親中派。そもそも戦後レジーム脱却の安倍氏と対照的に、菅氏の国家像は聞かない。既存政策は継続でも、愛国教育/北朝鮮脅威論/強引な憲法改正などは控えて内政優先ではないか。
  5. 消費減税否定は正しいと思う。消費税は富裕層ほど払う安定財源。仮に所得税/法人税収入が5年間1/5になっても、社会保障費1/5では持続不可。新型コロナ緊急対策なら流通負担も多い消費税ではなく直接給付(月額)を。
  6. 官邸官僚の影響低下。安倍政権後半では経産省の補佐官がアベノマスク/唐突な休校/GoToなど、従来の自民党政権では考えられない素人な思い付き政策を乱発したが、今回ようやく退任した。プロの常識的な運営を希望。
  7. デジタル庁は屋上屋なので反対(デジタル庁は天下の愚策)だが、IT化推進は賛成だ。しかしマイナンバー普及に矮小化されそうなのが懸念だ。
  8. 経済対策は前政権の世論調査でも常にトップ要望だが、そもそも主体は民間で政府は間接誘導しかできない。菅氏の会見では個々の規制緩和(という名の利益誘導)がまた続きそうな懸念。少子化も本来はキャリア/出産の両立、待機児童解消などだが、菅氏の会見では出産費用無償化/避妊治療保険化などまた矮小化しそうで蛸壺化。
  9. 外交は米国/中国/ロシア/北朝鮮ともに誰がやっても大きな変化は困難。たかが北朝鮮ミサイルを選挙前にアラートで不安を煽る手法は、却って北朝鮮の思惑通りで望ましくない。
  10. 年内解散は無いのでは。元々引継ぎ内閣でコロナ優先もあるが、現在の圧倒過半数消失リスクより長期政権の基盤作りを有力派閥が選ぶとは思えない。解散は首相の専権事項と言うが、法的には内閣で閣議決定が必要。反対大臣は罷免が必要だが、小泉郵政改革のように信念/ブームがある訳でもない。

 

(おまけ)

  • (新)立憲民主党。党名/党首/幹事長も同じで新味なし。シンプルに「民主党」で良かったのでは。旧民主党のバラバラの反省というが枝野氏は独裁的過ぎ。排除反発が起源なら包括性/多様性が必要。なお小選挙区制で野党統一候補なら社共連携も必要で連立条件明確化は必要(世界各国では極右/極左も連立参加)。
  • (新)国民民主党。小型化して更に旧民社党純化、支持組織も旧同盟(産別)。日本では提案型も妥協/抱き着きとなり、保守二大政党を掲げた政党は常に消えた歴史がある。
  • 社民党立憲民主党への合流論もあるが、今の社民党(特に地方組織)はそもそも旧民主党への合流拒否組なので難しいと思う。
  • 共産党。過去の武装闘争/自衛隊廃止/安保廃止/天皇制廃止などが叩かれるが、本来は民族独立/武装/非同盟/レーニン主義。綱領は他党と異なり当面/将来/可能性を全部書くため誤解も多い。しかし最近の護憲/社民化は戦略か変質か。いずれにせよ過去の独善主義が今も尾を引いてる。

 

(了)

デジタル庁は天下の愚策

自民党総裁選の各候補者からデジタル庁/データ庁/DX推進委員会などが提唱されている。IT関係者としては、行政のIT推進は必要だが新省庁設立は愚策と思う。

 

まとめると

  1. 日本の行政はIT後進国(IT推進が必要)
  2. しかしITはただの道具(現状の原因は各省庁の文化)
  3. 新省庁は無意味(原因を変えないと無意味、下手すると業界ばらまき)

 

まず今回の構想は政府のお粗末な新型コロナ対応にある。急造した給付金オンライン申請システムが実用にならず混乱して却って遅延要因になった。感染者数がFAX台数不足のパンクで把握できない、計上基準も不統一、などだ。(話題となった目先の対応を大きく取り上げるのは最近の政治の悪い特徴と思うが、ビジネス期待で経営団体は賛同だ。)

 

しかし日本の行政のIT後進性は元々だ。部分的にオンライン化しても、縦割りは変わらず、結局紙を併用しないと申請できなかったり。

 

例えば新型コロナの給付金申請は、韓国ではオンラインで数分(給付もクレジットカードに即時)、欧米の郵送でも2週間程度。そもそも韓国は引越し時の申請(市役所、警察、運転免許、小学校など)もオンライン1回で済むが、経済危機の時にIT化を進めた成果だ。エストニアでは脱税防止のため全国民の収入が相互にオンライン確認でき、国政選挙もオンライン投票できる(私はいずれも賛成)。

 

ITは道具なので、情弱格差/停電/災害/セキュリティなど課題もあるが、利用者側/運用者側の双方の手間/費用/環境負荷や、検索/保管/複製/再利用の容易性もあるので、利点と難点を比較し進めるべきと思う。(紙も紛失漏洩や災害消失もある。)

 

ITの話では「政治家や官僚はバカ、優秀な人に替えるべき」論が多いが、政治家や官僚が技術に詳しい必要は無い。提案された活用方法をオーナーとして選択/調整/決定するのが仕事だ。逆に技術者には政治的な調整/決定はできない。

 

日本の行政でIT化推進が進まない原因は、行政内の司令塔/予算/技術者の不足ではなく、各省庁の文化にある(縦割り、前例踏襲、減点主義、紙・ハンコ文化など)。

 

司令塔/予算/技術者(協力IT企業)は過去に多数あるが、皆さん覚えているだろうか。

 

仮に「優秀なIT大臣と技術者」を集めてデジタル庁を作っても、各省庁が不服従/骨抜きにすれば意味が無いし、協力が無ければ構築できず、無理に押し付けても使われなければ意味が無い。(多額の予算を投じた共通システムに省庁の利用がほとんど無く無駄との報道もある。)

 

省庁横断なら総務省、それ以外は各省庁がオーナーなので、更にデジタル庁を新設しても、役割分担や縦割りが複雑になるだけではないか。

 

各省庁の文化も一応理由はある。減点主義だから前例踏襲でないと評価されない、改革すると前任者である上司先輩のメンツや利益構造を潰す事になる、紙/ハンコでないと万一の訴訟時のリスクが高いし、紙/ハンコ前提の多数の規則の修正は手間がかかり評価されない。そもそも費用/人員削減より予算/人員増が評価される、短期で配属替えなので業者任せになり内容が理解できない(責任回避で意図的に無知でいる)などなど。

 

本来この各省庁文化を長期継続的に改善すべきで、それは期間限定の新省庁にはできないと思うし、するなら総務省(せいぜいIT担当大臣)の役割と思う。(復興庁のように期間限定なプロジェクトならともかく、IT推進は「最新システムを作って終わり」ではない。)

 

最近新設の消費者庁も、各省庁はエースを送り込むはずもなく、現場の国民生活センター出身者とは視点が異なり、残念ながらうまく回っていないと聞く。ましてデジタル庁は何年存続するかも怪しく、省庁はシステムを将来使い続ける立場だ。そんなデジタル庁からの指示は面従腹背だろう。

 

菅内閣安部内閣と同様の経済産業省主導と予想され、デジタル庁もその影響下となるのだろう。旧通産省第五世代コンピュータ、シグマ計画、エルビーダメモリ、ジャパンディスプレイ、和製検索エンジンなど多数の日の丸プロジェクトに多額の予算を投じては、その業界を潤して延命させただけで成果がほとんど残らないという長年の実績を持つが、今回も同様の業界ばらまきプロジェクトに終わらない事を祈りたい。

 

そのためにはマイナンバーのように「将来性ある新規システムを多額の予算を投じて作ったけど、普及しないので今後も推進予算を投じます」ではなく、より根本的な「各省庁の文化自体を、省益優先から利用者優先に変える、評価基準も見直す」にしないと意味が無いと思うのでした。(これが本当の意味の行政改革。)

 

そして Society 5.0 とかのバズワード(煽り文句)に騙されないこと。用語の意味を判って使い分けるならいいが、IT業界には新しものアジテーターも多い。

 

「日本の行政はメインフレームCOBOLを使い続けるから駄目」論も良く聞くが、これらは民間でも現役で、単に新技術を推したい/売りたいだけの場合が多い。各要素技術はメリデメに応じて選択すれば良いだけで、最新技術至上主義者も困りものだ。(時代に応じて、メインフレーム、クライアント・サーバー、オブジェクト指向、分散技術、Web技術などがトレンドとなったが、結局は適材適所や、全体最適部分最適のバランスと思う。)

 

どの業界も基幹システムは枯れて安定した技術を組み合わせるし、行政ワンストップ・オンライン化は20年前の技術でも十分できる(日本はやらなかっただけ)。技術の問題ではなくオーナーの文化の問題で、そこを変えない限りは意味が無い。

 

(2020/9/19追記)

菅政権がスタートし、デジタル化はマイナンバー普及に矮小化されそうだ。しかも現在のマイナンバーの使い勝手が悪いのは、情報漏洩対策で個人情報の紐づけを最低限にしいる(そのため個人口座には紐づけされていない)ためだ。つまり再検討対象は業務要件自体で、IT専門家を集めても意味が無い。

 

(参考)

・韓国の行政IT(オンライン ワンストップ)

enterprisezine.jp

 

エストニアの行政IT(全国民情報のデジタル化)

www.itmedia.co.jp

  

・e-Japan戦略(ほぼ成果なし)

www.itmedia.co.jp

 

・i-Japan戦略(ほぼ成果なし)

xtech.nikkei.com

 

通産省第五世代コンピュータープロジェクト(大失敗)

xtech.nikkei.com

  

通産省人工知能プロジェクト(大失敗)

ascii.jp

(了)

(続)広島アニメフェスの最後 (追記 2022/5)

広島国際アニメーション・フェスティバルは、今年のオンライン開催で最後(打ち切り)のようです。 前回ブログ(広島アニメフェスの最後)に続いて各記事やネットの反応を見返してみました(最終更新 2022/5/27)。

  

広島アニメフェス2020の唐突な終了

 2020年は新型コロナ対応で大半のプログラムは中止され、コンペティションのみオンライン開催となった。残念ながら状況から見てやむを得ないと思う。

 

前回2018年の最終日には「次回大会でまたお会いしましょう!」とツイートされた。(アカウント名はその後2020に改名されたが。)

 

しかし今回2020年は以下の受賞作品発表が最後のツイートで、終了宣言も次回大会の話も無い(9月11日現在でも)。

 

広島市の方針で、次回から音楽も含めた「総合文化芸術イベント(総合フェス)に一新」され、更に体制も従来のASIFA共催から地元団体中心になる。

 

しかし体制変更の報道は8月15日、つまり大会(8月20日~24日)開始の5日前とギリギリで、推測ながら運営側は次回への言及ができなかったのだろう。 まるで突然死だ。

 

オンライン開催への反応

大会は限定オンライン開催となったが、一部ファンによるオンライン活動も行われた。

 

ツイッター上では #エア広島アニメフェス 。もちろん妄想上の企画で色々な参加者の色々な年の話題もまざっているが、会場のアステールプラザに行ったかのような雰囲気と各参加者の視点や愛着が感じられる。以下はそのまとめ。

togetter.com

  

また大会前後の一部関係者による広島を語るZoomオンライン会議。以下は月刊近メ像インターネットの記事です。

 

「終了」への反響

「広島アニメーションフェスティバル」などでネット検索すると「終了」には否定的な反応が大半だ。(当然ながら従来参加者が多い影響はあると思いますが、総合フェス化を歓迎・期待する意見は発見できなかった。)

 

 

 

 

 

 

 

 

月刊近メ像インターネット 「広島国際アニメフェス 終る」 

 

(2020/9/25 追加)

 

(2020/12/31 追加)

tsugata.hatenablog.com

 

 

打ち切りの原因

関連資料(後述の①)を読み直して、非関係者ながら無責任に推測してみたい。

 

8月15日の記事では木下小夜子フェスティバルディレクター(FD)の「根耳に水」との表現が載っている。

 

しかし市の担当課長からの「やめるわけではなく、発展的見直し」で、「アニメ芸術の振興と地域活性化の両立」のため木下FDに話はしたが「共催という形以外は受け入れられない」との回答だった、との話も載っている。

 

もともと「市民から見て敷居が高い」との批判は当初からあり、市からの打診も(形式的かは別にして)あったので、「不満はあっても、従来通りを主張していれば今回も跳ね返せるだろう」と思っていたところ、突然の共催切り決定で「根耳に水」となってしまったのかも知れない(部外者の結果論な推測で大変失礼ながら。)

  

ところで私の今の仕事はIT系アウトソーシング(運用委託)で、長期契約は楽に見えるが実は築城3年落城3日、打ち切りリスク回避のため(現場だけでなく)顧客上層部の意向を確認/分析/検討/対応して合意文書を積み重ねる地道な努力も欠かせない。

 

特に相手からの批判や要望が減るのは、順調な場合もあるが「言っても無駄だ」と諦められた場合は怖いパターン。水面下で進めて次契約で突然切るのは良くある。

 

もちろん木下FDは市長にご挨拶を希望したり上部とのリレーションシップも重視している。ただ木下FDはASIFA-JAPAN会長兼ASIFA会長なので、仮に市が不満を持っても相談する「上」は居ない形なのも「継続または共催切り」の両極端な二者択一になったのかも知れない。

  

なお大会も「子供のためのアニメーション」など一般市民にも敷居が低いプログラムも毎回組んでいるが、素人の一般市民がプログラム一覧を見て「国際フェス、一般市民向け」の色分けがわかりやすいとは思えない。

 

大会ゆかりの作品でも「ピカドン」、「風 1分40秒」、「おんぼろフィルム」などアニメーションは言語に頼らなくても通じるのが利点だが、とはいえ日本語が楽な観客も多いので「日本部門」を設ける方法もあったかもしれない。 

 

もちろん正論では作品を「アート/一般」や「世界/日本」に分けるのはおかしいし、市民も気軽に色々な表現や作品に触れて欲しいのが理想だが、結果論ながら落としどころは探れなかったのかとも思う。(落としどころがあっても今回の動きはあったかも知れないが、「敷居」の理屈は弱められたかも。)

 

今後の体制(HACとHIFF)

今後の体制は来年決める予定とのこと。

 

アニドウなみきたかし氏は「木下FDの続投を」とツイートした(広島アニメフェスの最後を参照)が、従来からの協力者としては自然と思うが一般観客としては同等の質/量/レベルが維持できるかが重要と思う。

 

体制だけならば ASIFA-JAPAN が共催から協力などに一歩引いて、計画主体は地元団体に任せて、各国アニメーション作家との調整などを ASIFA-JAPAN が協力してもいいような気もする。

 

その地元団体には、従来より大会関連イベントも運営してきたNPO法人広島アニメーションシティ(HAC)などが想定されているらしい。

 

HACは2012年に広島市から認可を受けたNPOで、代表者・役員の名前も載っている。

hac.or.jp

 

同じHACでも、1995年に全国アニメーション総会静岡大会を主催した浜松アニメーションサークル(HAC)とは違うようだ (^^;

 

Webサイトや公式ツイッターを見ると「広島ゆかりのアニメーション」上映会や「広島アニメーションだより」発行など、幅広く地道に活動しているようだ。 

twitter.com

  

なお以下ツイートはHAC理事の松浦妙子さんかと思われる。

 

HACへの期待のツイートも。

 

市としては、一定のノウハウを蓄積した地元団体をメインの計画主体に格上げして、頑固な ASIFA-JAPAN は共催打ち切り、せいぜい業者委託(下請け)にして主導権を奪還したいのかも知れない。

 

オーナーの提携相手切りと言えばインテルAMDダイムラー・ベンツとヤナセナビスコヤマザキなども連想するが、期間をかけて相手のノウハウを吸収してから切るのは共通と思う。

 

更に推測では、広島の松井市長は2019年に3選を果たし任期は2023年までなので、3期目を確実にしてから早速懸案の刷新に着手したのかも。

www.city.hiroshima.lg.jp

 

また2014年より広島国際映画祭(HIFF)が毎年開催されている。この実績とノウハウを元に「そもそもアニメーションなんて映画の一部だから簡単」と思ったのかも知れない。

hiff.jp

 

広島国際映画祭実行委員会のメンバーには経済・観光関連団体が並んでいる。総合フェスもこれをモデルとするのではないか。

広島県広島市広島商工会議所広島経済同友会広島県観光連盟、広島観光コンベンションビューロー広島市文化協会、広島中央部商店街進行組合

 

いずれにしても、2019年9月の市議会での「見直すべき」との質問、2020年1月の総合芸術祭への一新の発表、同8月の体制変更は、この1年間の急展開にも見えるが何年も水面下で進められて来たのかも知れない。

 

今後の内容(広島市の基本仕様書)

もともと「隔年で、コンペティションは短編のみ」との課題はあった。今後はどんな内容になるのか。お役所的資料ながら、市の計画書といえる基本仕様書(後述の②)を見てみたい。

 

本市では、世界平和の実現とアニメーション芸術の普及・発展を目的として、広島国際アニメーションフェスティバルを昭和60年に初めて開催し、以後、隔年で30年以上にわたり実施してきた。本フェスティバルは、世界四大アニメーション映画祭の一つに数えられ、米国アカデミー賞公認の映画祭になるなど、世界的に高い評価を受けている。

本フェスティバルの成果を更に広げていくという視点に立って、イベントは、アニメーションのコンペティションの充実強化(短編部門のクオリティの維持と長編部門の導入など)を図るとともに、例えば、映画や漫画等も含めたメディア芸術全般を対象とすることを想定する。

 

上記を見ると、実績評価と拡充に読める。しかし、大半の人が反対しない表現を多用して、実は都合よく誘導できる事が行政文書のポイントだ。深読みすれば以下とも読める。

 

広島ならではのイベントとするため、各ジャンル・コンテンツのプログラム企画等については、地元の音楽・文化関係団体が主体となることを想定する。

 

上記が従来の「共催 ASIFA-JAPAN」を否定した箇所。なんと従来の大会は「広島ならでは」ではなかったのだろうか(愛と平和、平和のためのアニメーション、ヒロシマ賞など「広島ならでは」と長年信じていたが)。なお「想定」との文言は、単に保険で断定を避けただけかと(お役所文書)。

 

○ 検討委員会構成員(想定)

④メディア芸術関連団体
NPO法人広島アニメーションシティ、広島国際映画祭実行委員会

 

上記が映画/漫画関係の「地元団体」に想定されているようだ。

 

音楽」ジャンルでは、「クラシック音楽」を中核に、「吹奏楽」、「合唱」、「オペラ」及び「ポップス」を必須コンテンツとする。「メディア芸術」ジャンルでは、「アニメーション」を中核に、「映画」及び「漫画」を必須コンテンツとする。

 

総事業費は2億円程度を想定する(プレイベントを含む。)。

 

上記が決定的と思う。市から見ればジャンルも予算も拡大だが、広く薄くとなり従来内容は大幅縮小ではないか。

 

従来は1大会の事業費は約1.5億円という(①)。仮に単純計算で2億円を必須7コンテンツで割ると、「映画」全体で3000万円弱と従来の1/5。もちろん実際には広報宣伝や会場など共通費も多いが、プレイベント費用も含まれ、「映画」には長編も含み、音楽も楽器管理やプロ招待にも相応の費用はかかる。従来のプログラムはコンペティション以外はほぼ不可能ではないだろうか。

 

つまり新しい「総合フェス」のアニメーション部門は、国際アニメフェスとは言えない内容に変質するのは必然に思える。いっそ別都市に移動して、東京/千歳/広島などと良い意味で競えればいいのに、などと無責任に思う。

 

最後に

ファンの立場では、中身が伴えば名称や体制はどうでも良い。ただ問題は、その中身(質/量/レベル)が本当に維持できるかどうか。

 

もちろん地元団体に大会関係者も多く、熱心な活動もされると思う。ただ世界のアニメーション作家との協力関係は、お役所的権威だけでは限界もあると思うし、何より仮に「映画」全体の予算が1/5ならばコンペティションくらいしかできないのでは。

 

目先の「拡充と経済効果」を狙って、35年間で積み上げた世界的優位点(コンピテンシー)を喪失してしまうのではないか。フェス目的だけで広島を何度も訪れ、ついでにあちこち観光してきた1人として懸念は尽きない。

 

 

参考資料

①2020/8/16 朝日新聞デジタル小原篤のアニマゲ丼」。無料会員登録で読めます。(2020/8/15 朝日新聞記事の詳細版。恐らく一番詳しい記事。)

digital.asahi.com

 

広島市「総合フェス基本仕様書」 

総合フェス基本仕様書(PDF)

 

上記は以下リンク先の下部に掲示されている。

www.city.hiroshima.lg.jp

 

 

追記

(2020/9/21 追記)

広島アニメーションシティ(松浦さん)のツイート。以降のコメントも参照。

 

(2020/9/25 追記)

 

(2020/12/31 追記)  ASIFAによる広島国際アニメーションフェスティバル救援キャンペーン

 

(2021/1/10 追記) ASIFA-JAPAN の公式声明およびFAQ

asifa.jp

 

上記のFAQより抜粋

Q1-1: 広島大会は終わったのですか?
A1-1: ASIFAが公認し、ASIFA-JAPANが共催してきた広島大会は、不本意ながら、2020年8月に実施した第18回大会をもって終了することとなりました。

 

Q3-2: 新しい催しの「アニメーション部門」はこれまでの広島大会の後継ですか?
A3-2: これまでの広島大会とは全く異なる別の催しです。

 

Q4-1: ASIFA-JAPANは、ASIFAの精神を受け継ぐ新しい国際アニメーションフェスティバル - International Animation Festival in Japanを設立しますか?
A4-1: その方向で考えております。

 

(2022/5/27 追記)  ようやくひろしまアニメーションシーズン」(ひろしまアニシズ)の具体的な情報が出て来たけれど、個人的には従来の広島フェスのような熱心なウォッチは全く見かけず、国際イベントから地方文化祭になった事を改めて実感するし、寧ろ新規の新潟が話題のような...

 

 

アニメ作品のコンペはやるようだが、当初の「環太平洋・アジア」に「ワールド」部門も加えるなら、分ける意味はあるのだろうか。

 

とはいえ選考委員の座談会は、選考委員が毎回入替の従来のASIFA方式との比較の話などもあり面白い。

 

広島に代わり2023年予定の「新潟国際アニメーション映画祭」の方が世界イベントを目指すのかも。名称は過去の「広島国際アニメーションフェスティバル」に似ているがASIFAの名前は見当たらず長編特化らしい。

 

 

 

 (了)

アニメ業界の低賃金は手塚治虫のせいではない?

2020/8/30 に掲載された中川右介氏の記事「アニメ業界の低賃金は手塚治虫のせいなのか? 見えてきた意外な真実 - 虫プロは「高賃金」だった!」は論点がずれてると思う(敬称略。最終更新 9/3 20:30)。

 

まとめると

  1. 中川氏の記事は「1989年の宮崎駿による手塚治虫への批評」への批判
  2. 宮崎は「鉄腕アトム製作費安値の前例になった」と書いた
  3. 中川氏は「当時の虫プロ高給で、悪いのは後続2社、宮崎の手塚評は間違い」と主張
  4. ただし中川氏記事の元ネタは2007年の津堅信之氏書籍と思われ、新情報は無い。また津堅氏主張には、くみかおる氏からの批判もある。

  

つまり、製作費の話に給与の話で反論して「間違い」との主張は、論点がずれてる(製作費の話は事実)。また高給に経営的裏付けは無く大赤字虫プロは倒産した。

 

以下が焦点の、上記2の宮崎による手塚批評(後述の田川さんツイート画像より)。

f:id:rabit_gti:20200901102723j:plain

 

そして問題の中川氏の記事は以下。

gendai.ismedia.jp

 

この記事の趣旨は以下だ。

  1. 手塚が鉄腕アトムを安く作ったから低賃金になった」と言われる。
  2. この誤った歴史を拡散したのが宮崎駿の1989年インタビューだ。
  3. これは宮崎が有名になった後で、手塚の追悼特集中だ。特異/非礼だ。
  4. 確かにアトム受注55万円は、当時の東映動画作品の時間当たりと1桁安い
  5. 「手抜き」だが、そのお陰で「ストーリー重視」になった。
  6. しかし虫プロはキャラクター収入で高給だった
  7. 続いたエイケン/東映動画がキャラ収入ないのに安値受注したのが悪い。
  8. 宮崎の手塚評はみんな間違いだ。

 

筆者は「人は断片的な「事実」をもとに物語を「捏造」してしまいがちだ」とある。全く同感だ。ただ問題は、この記事自体がそれをやってないかということだ。つまり、事実の断片から、恣意的な手塚弁護&宮崎批判を捏造しているようにしか見えないのだ。

 

ちょっと考えてみよう。

  1. 鉄腕アトム(1963年)の「手抜き」批判は放映当初から(特に東映動画関係者から)
  2. 1989年の宮崎発言は従来からの持論を繰り返しただけ(有名になったので広く知られた)
  3. アトムが製作費安値の前例となった/されたのは事実(間違いではない)
  4. 虫プロのキャラクター収入は予想外の結果(事前計画ではない)
  5. 後続2社がアトムを超える製作費を要求できたかは疑問(別の争点)
  6. 宮崎は「引き金を引いたのがたまたま手塚さんだっただけ」と記載(テレビアニメ参入は突然発生)

 

今回は新事実もなく、製作費の話に給与で反論して論点がずれており、また手塚が最初からキャラクター収入を計画していたような誤解を招く表現などが散見されるのは残念だ。

 

 なお以下は蛇足ですが念のため。

  • 「手抜き」(リミティッドアニメーション)の結果は「ストーリー重視」だけではなく、止め絵を含め枚数のメリハリで効果を出す日本の演出作画にも発展した(中川氏は当然ご存知で省略しただけと思うが)。
  • もちろん手塚は漫画界に絶大な影響を与え、虫プロから多くの人材が広まった。ただ手塚は経営者として有能だったとは言えない(鈴木敏夫なき宮崎も同じかも)。また手塚はアニメを作りたくて漫画を描き、漫画にあれほど映画的手法を取り入れたのに、手塚本人演出のアニメは必ずしも面白くない。人間は得意分野も色々なのに、単純に善玉や悪玉に分けて断定するのは(試みは面白いが)不毛ではないか。
  • 没後直後なら批判しないのが非礼、と言う優等生的美学?は、クリエイターに要求すべきことか。(大変失礼ながら)両者とも子供な面も残せているから凄いのではないのか。
  • 筆者はいい事も書いているのに、上記の論点ずれが残念だ。

 

 

(追記1)

アニメーションにも造詣の深い漫画家の田川滋さんの一連のツイートの一部です。

 

  

 

  

(追記2)

今回の中川氏の記事の元ネタと思われるのは書籍「アニメ作家としての手塚治虫 - その軌跡と本質」(2007年、津堅 信之)。

 

この本の感想を一つ。

fujipon.hatenadiary.com

 

次は、津堅氏の本に対する、研究家のくみかおる(久美薫)氏の批判をまとめたサイトの、サワダさんツイート。

 

上記サイトの概要。 

  1. 手塚自伝の「出血大サービスで55万円で請けてしまった」が広く普及

  2. 津堅氏調査では実は155万円(広告代理店から100万円補填)

  3. しかし費用400万円超なので、受注55万/155万どちらも大赤字

  4. 虫プロ高給で「作家集団」を自称、しかし経営不在/持続不可

  5. 労使闘争激しい東映動画は冷ややか。宮崎駿「お金持ちが趣味でやった」

  6. どのスタジオも低賃金化虫プロ倒産

 

つまり津堅氏は「通説の55万円ではなく、実は155万円だった」と手塚を弁護したが、くみかおる氏は「費用400万超なので、55万でも155万でも大赤字なのは同じ。まともな経営が無かった」と津堅氏を批判。

 

個人的には、業界初のプロジェクトではパイオニアが情熱とリスクを持って参入するのは自然だと思う。しかし、収支が合わないと気づいてからも継続したのでは、経営不在と言われて仕方が無い。 

 

上述のくみかおる氏のツイート

  

 

(追記3)ツイッター見ると中川氏の記事を真に受けた方が9割以上に見える(手塚は悪くなかった、宮崎発言は嘘だった、遂に真実が解明された、など)。会議派は発言を控える面もあると思うが。

 

新事実も無いのに(元ネタは2007年)、いままで誰も指摘しなかったのは何故だろうと思わないのだろうか。しかも全世代では手塚ファンの方が宮崎ファンより多いはず。

 

なお手塚は漫画界でも原稿料を低く抑え続けた事でも有名だ。これは「私利私欲より、多くの読者に読んで欲しい」との美談と同時に、意図/良し悪しは別にして「日本で手塚先生より高い原稿料はありえない」との新規参入障壁ともなり、多数の連載/印税を持つ先行者以外には、新規参入は仕事というより人生を賭けるハイリスクな「まんが道」となった。悪く言えば一種のダンピング(不当廉売)による寡占で、テレビアニメも同じ流れ。これが寧ろ漫画/アニメの発達に繋がったとの議論もあるとは思うが、経済/経営視点では客観的事実と思う。

 

ちょっと脱線。製作費安値の責任論は歴史の if なので推測しても結論は出ない。もしアトムが500万だったら今の製作費も高額なのか、いずれ過当競争/買い叩きで最低水準の宿命ではないか、それともディズニー的な高品質/高費用のスタジオが複数できて競っていたのか、それは誰にも判らない。

 

一般論で言えば、当時結束した東映動画の激しい労働運動でも敗北し、まして参入容易で多様なテレビ業界では、よほど差別化/組織化できない限りは低水準だったのではないか。だからアトムに現状の全責任を押し付けるのはおかしいが、少なくとも初期はアトムが製作費前例(上限)とされ交渉困難だったのも多分事実ではないだろうか。

 

(まとめ)

客観的事実と評価は分けて考えるべき。無理な正当化のために事実を脚色するのでは歴史修正主義に陥る。

  1. 「手塚がアニメーター低賃金を始めたわけではない」のは事実
  2. 宮崎主張の「アトムが制作費安値の前例となった/された」も事実
  3. 上記2の責任論は色々考えられるが、結論が出るものではない。

(了)

 

安部政権を振り返る10の特色

2020/8/28 安部首相が辞任表明した。2回目だが体調なら仕方ない。安部政権の特色を10のワードで振り返りたい(敬称略)。

  1. 改革路線。第一次安倍政権は小泉改革継承を掲げて始まった。しかし田中角栄の列島改造、中曽根の民営民活、小泉の郵政改革などと比べると「働き方改革」「一億総活躍」など表面的/断片的で選挙/野党対策的なスローガンが多く、やってる感重視なのは残念だ。(過去の内需転換/民活/低炭素/持続可能社会など、次の方向性を打ち出して欲しかった。)
  2. 仲間重視。第一次安倍内閣での最初の批判は郵政造反派の大量復党だった。その後のお友達内閣、アベノマスク/GO TOの業者まで、良くも悪くも仲間重視が一貫。小泉は都市型政党への変換を目指したが、安倍氏は内輪重視。田中派は野党とのパイプを誇ったが、安部氏は国会内エレベーターで口を聞かないとの話も多い。性格なのか。(首相は本来、与党トップ 兼 全体の代表と思う。)
  3. 政治主導。実は民主党政権の官邸強化が基盤だが、調整型の多い自民党では珍しく、日銀/内閣法制局/検察庁人事など伝統的慣例を破り強引な運営を行った。保守というよりプーチンなどの権威主義に近い(政府の長というより、皇帝/共産党的に政府を指導するスタイル)。官邸の維新との蜜月は、公明党牽制もあるが政治スタイルも似ていた。
  4. 攻撃中心。調整重視の谷垣氏とは違う。仮想的を作り強い支持を集める。「日本を取り戻す」「この道しかない」。しかし愛嬌もあるレーガン/小泉と違って権威的/内輪的で「安部嫌い v.s. 安部サポーター」構造に陥った。悲願の憲法改正では安易な野党批判で審議停滞など老練さが無く一本調子すぎる。特に憲法修正案をコロコロ変えて信念が無い。他方で守備は苦手なのかコロナ対策では官邸の思い付き重視。(首相は本人がアイディアマンではなく、プロの上位マネジメントであってほしい。)
  5. アベノミクス。当初の三本の矢は「1.金融政策、2.財政出動、3.規制緩和」。3が本命で1,2は時間稼ぎ、つまり小泉改革の継承だった。しかし3が消えて次第に「デフレ対策、インフレ誘導」だけになり古い産業構造延命に変質。そもそもアジア輸入拡大やIT効率化の価格低下はデフレではなく自由経済の恩恵と思う。インフレ目標は最初から無理筋で当然未達成。震災後に借金して金を流せば株価/景気向上は当然だが、財政/生産性は悪化、少子化/移民も進まず閉塞感。(個人的には経済は労働人口が母数なので、ナショナリズム観点で計画的な移民受け入れが妥当。現状は内輪批判を恐れた先延ばし。)
  6. 消費税。安倍政権は財務省/消費税を敬遠する。2度延期し、増税しても全額社会保障財源の政府約束を変えて自分の政策に流用してしまう。(災害対策など時限的な減税はありうるが長期的には、実消費に比例した税金を取る消費税は、富裕層の負担が多く節税困難で、その富裕層からの税収を再分配し投資するのが社会保障だ。社会全体の再分配の話で、目先の個人的損得に騙されてはいけない。)
  7. 選挙に強い。国政選6連勝は偉業だ。ただし自党に有利な論点の無い時期に解散するなど解散権の濫用が激しく、野党自滅も大きい。首相の解散権に制約が無いのは先進国では日本だけだ。また1強で政府/当内多様性も低下した。(個人的には投機的自由主義の強いアングロサクソン的な二大政党制は時代遅れ/夢想で、欧州大陸的な多様性ある比例代表制と長期間の連立交渉が理想だ。)
  8. 空前の親米。歴代政権も親米だが、氏の政治信条は戦前復古(反米民族派)なのにTPP/防衛装備購入など空前の対米開放。一水会など民族派右翼からの「売国」呼ばわりも仕方ない。中国/北朝鮮対策での対米譲歩説が一般的だが、安部氏はアメリカ留学時に感動したとの説が意外と本当かも。大統領的な政治主導も同じだ。
  9. 外交。氏の得意分野だが、実は成果は少ない。相手のある事とはいえ、北方領土/拉致問題は硬直化だけで相手にされない。「自由と繁栄の弧」は死語。嫌いな相手ともギブアンドテイクでカードを切っていくのが外交では。(北朝鮮は非常に冷静合理的な外交をする。国民は予想不能で怖いなどと騙されてはいけない。)
  10. 辞め方。2回とも健康問題だが、1回目は最初は「私が辞めて国会が進むなら」と愛国的犠牲精神を演出し、後に健康問題と判ってカッコ悪かった。2回目は戦後最長を待ってからに見えるが、記者会見は判り易かった。(普段からこのような会見をしていれば良かったのに、との声多数ですが同感。)

 

(了)

三浦瑠麗氏の徴兵制平和論は雑

三浦瑠麗氏の主張「日本に平和のための徴兵制を」が、ハッシュタグ #Amazonプライム解約運動 で改めて話題に。氏の主張はそれほど特異ではないが雑に思える。(最終更新 8/20)

 

 

三浦瑠麗氏の主張

まず、これを先に読むと、そう違和感ないのではないか(2019年)。シビリアンコントロールなどの表現は色々不適切と思うが。

「反論や批判を待っています」 三浦瑠麗が日本に徴兵制を提案する理由 | 文春オンライン

 

良く引用され批判されているのがこちら。長いが趣旨は上記とほぼ同じだ(2014年)。

三浦瑠麗「日本に平和のための徴兵制を」 | 文春オンライン

 

2020年7月にAmazonプライムのCMに三浦氏が起用され、解約運動発生後にCM削除された。

三浦瑠麗氏CM削除、「#Amazonプライム解約運動」との関係は? 会社側に聞いたが...: J-CAST ニュース【全文表示】

 

民主主義との関係

歴史的に民主主義は主体的な兵士が獲得したのは事実だ。

  1. 古代は君主による傭兵(戦時の用役も含む)が普通だった。
  2. 古代ギリシア/古代ローマ市民軍が民主主義の基礎になった(広くはゲルマン民族アメリカ原住民などの部族共同体も)。
  3. しかし中世は騎士/武家の軍事独占で長い身分制社会に。
  4. フランス革命市民参加の常備軍と近代国家が確立した。
  5. 2度の世界大戦で空前の徴兵/動員、後に民主化/男女平等の進展。
  6. しかし分業進展/兵器高度化/反対運動などで大多数は志願制に移行。

 

こう見ると「徴兵制=民主主義」論自体は、それほど突飛ではない。ただし2度の大戦は総力戦となり軍だけでなく経済力自体が国力となった。現在のアメリカ合衆国や中国も、経済力を背景にした政治/軍事/文化力で、既に兵士や徴兵だけの話ではない。

 

三浦氏の主張の問題点

三浦氏の論理は雑なので、必要以上の反発を受けるのではないか。

  • 三浦氏が言いたいのは徴兵制(兵士募集が志願でなく徴用)より国民皆兵(国民主体の軍)では。西ドイツで「軍の民主化には一般市民の参加が必要」と徴兵制を主張した例はある。しかし旧日本軍や旧ロシア帝国軍も徴兵制で「徴兵制なら民主的になる」とは到底言えない。重要なのは軍組織自体が全体主義的か民主的(軍事命令は絶対でも議論/意見保留/監査制度など)で、募集の方法(徴兵)ではないだろう。
  • 三浦氏は「リベラルが戦争推進、保守派は反対」説も主張している。これはベトナム戦争時に保守派がリベラル攻撃に使用した説(世界革命指向の元トロツキストが世界民主化戦争を推進した、など)で、保守派伝統のモンロー主義も受け継いでいるが、三浦氏自身も例示の湾岸戦争イラク戦争共和党政権(ブッシュ親子)で論理が合わない。そもそも戦争開始は政治イデオロギー以上に国際情勢や強いリーダー像にもよるだろう。
  • 特に批判の多い「血のコスト」だが、要は「民衆は軍を犠牲にしたがるが、家族や知人も参加の軍なら無理な戦争は主張しないのでは」程度の意味らしい。しかし第1次世界大戦の欧州各国国民の熱狂的戦争支持も、日比谷暴動や日中戦争泥沼化のマスコミや政府方針なども、全て徴兵制時代だ。「徴兵制なら国民が好戦的にならない」との主張は根拠がない
  • 上述の2019年の発言も、「シビリアンコントロールが強すぎると戦争になる」との趣旨で、「軍人は平和志向、国民は好戦的」との発想は一貫している。しかしシビリアンコントロールは究極的には「国民の代表/文民/最高指揮官である首相が軍人を統制する」ことだ。三浦氏の発想では「首相の指揮を軍が守らない方が平和」で、これでは軍部独走/軍閥で民主主義の真逆だ。また自衛隊が保身で命令拒否する事も平和との主張なら、逆に自衛隊侮辱だろう。
  • 思想系の学者が新規な発想や用語を使うのも一般的だが、「平和のための徴兵制」は細部が雑で、保守思想を時代や経緯を無視して断片的に寄せ集めて都合よく使おうとするから墓穴に思える。
  • 仮にまともな徴兵論なら、現代では良心的兵役拒否(非軍事の活動強制)も併せて論じないと、自由主義(選択の自由と公共の義務の両立)の立場では意味が無いとも思う。

 

(了)

 

 

広島アニメフェスの最後

広島国際アニメーション・フェスティバルは2020年の第18回を新型コロナ対応でオンライン開催中ですが、次回2022年より芸術祭に一新、更に従来体制は今回が最後と報道された。私は数回ほど個人参加しただけですが、あれこれ書いてみたい。(最終更新 8/23)

  

 

今年が「最後」との報道

広島市の発表は以下の2段階。

  1. 2020年1月 総合文化芸術イベントへの一新を発表
  2. 2020年8月 第1回以来の体制(共催 ASIFA-JAPAN共催、フェスティバルディレクター 木下小夜子さん)は今回が最後。以後は地元団体による開催に。

 

8月15日に以下記事が掲載された。正確には次回の形式は未定なので 「最後」はカッコ書きになっている。無料登録で全文が読めます。

 

同日の朝日新聞 夕刊 2面はこちら

 

記事は当フェスを実現し継続させたディレクターの木下小夜子さんへのインタビューが中心なこともあり「根耳に水。残念です。」が中心のトーンになっている。

 

またアニメーション研究家の五味洋子さんツイートによる広島市サイトの資料「総合文化芸術イベント基本計画策定支援業務 基本仕様書」はこちら。

 

 ここでは従来イベントの中心である「コンペティションの充実強化」と、長編や音楽を含めた拡大、市民参加(敷居を下げる)、多くの人の呼び込み(経済効果)などが併記されている。(お役所文書は併記が多いし問題なのは優先順位だが。)

 

なお第18回広島フェスのサイトはこちら。過去大会の受賞記録もある。

広島国際アニメーションフェスティバル HIROSHIMA 2020 [2020.8.20(木)-24(月)]

 

広島アニメフェスとは

1985年の「被爆40周年」を契機に広島市などが主催、国際アニメーションフィルム協会日本支部(ASIFA-JAPAN)が共催。ASIFA公認の世界4大アニメーション祭アヌシー、オタワー、ザグレブ、広島)の1つ。ほぼ隔年開催。

 

このフェス開催に駆け回ったのは木下小夜子さん。過去に夫の木下蓮三氏(故人)と短編アニメ「ピカドン」を製作して広島に。中心イベントのコンペティションには、グランプリと並んでヒロシマ賞(平和のためのアニメーション)が設けられている。

 

会場のアステールプラザにいると、世界的に著名なアニメーション作家が歩いてたり、木下小夜子さんが縦横無尽に歩き回ってニコニコと歓待したり紹介したり話題を振ったり大活躍に見えた。失礼ながらディズニーランド盛り上げ役のミッキーマウスのようだ。

 

木下小夜子さんはASIFA会長 兼 ASIFA-JAPAN会長 兼 大会ディレクターだが、部屋の奥で座ってる事務局長ではなく、作家集団ASIFAとのコネクションと巨大イベントを回すバイタリティに圧倒される。ライフワークなのだろう。

 

私は朝から夕まで会場を回って、夜はお好み村がパターンだった。東京から旅費はかかるが、数日まとめて色々鑑賞できるので実はお得なイベントだ。(結婚後は広島出身の妻に、お好み村は観光客向けと叱られ毎晩広島市民球場に連行されたが。)

 

アートか一般向けか

これは第1回の直後から繰り返し言われている。

 

広島フェスの中心のコンペティションは、一般のテレビアニメや劇場版などの商業アニメではなく、短編中心のアートなアニメーションでファインアート(大衆芸術に対しての純粋芸術)とも。いわゆる「アニメ」と「アニメーション」の区別なら後者だ。

 

だから「アニメは子供向けなので市民が気軽に参加できると思って開催したら、一般人にはわからない芸術的作品など敷居が高くて当初歓迎の市民の熱意も下がった」との批判は常に聞こえた。

 

これに対して木下小夜子さんは「そいういう声も多かったが、続けていくことで、世界に認められたアートなイベントなんだという理解が徐々に広がったと思う」と話していたと思う。しかし今回遂にちゃぶ台返しされたのかも。

 

アニメ(に限らないが)大多数の商業系と少数派のアート系の分離対立?は根深い。よく見れば相互の影響や交流もあるのに。いわゆるアニメファン内でも昔からと思う。

 

個人的には、基本はテレビアニメだったが、学祭でNFB(カナダ映画庁)のマクラレンや「風」や「クラック!」を気に入って上映し、アニメーション'80とかアニメーション研究会連合などの自主制作アニメーションも観に行った。

 

どれも面白いから見るだけなのに、「自分はテレビアニメしか興味ない」とか、逆に「商業作品は敵だ」みたいに世界を分ける人、わざわざ他ジャンルを批判する人が結構多く思えた。時には大学同士や自主制作サークル間でも。壁を作りたがるのは、対抗心なのか、集団心理なのか、ただの細分化なのか。不思議だ。

 

知人のアニメ演出家はアニメスタジオで広島フェスに誘ってもほとんど来ないと言っていた。知人のアニメ研究家は毎年広島フェスを精力的に取材してはアニメージュに記事を書いてるが、どれだけ読まれているのだろう(昔アステールプラザ内で東大SF-Aメンバーをフランス語通訳に拉致してたけど)。新海監督は「君の名は。」で転向したと随分叩かれたと書いていた。

 

もちろん広島フェスも商業作品を無視してる訳でもなく、大会には色々なプログラムがある。子供向けの一般向け作品を別ホールで上映したり、小部屋での自主制作のワークショップなど。

 

 

また公式には言えないが口頭なら言える事はある。ILMスタッフ講演でのジュラシックパークのCGの裏話では、出演者帰国後に修正が入ったからCGスタッフが演技して顔だけCGで貼り付けたとか。

 

また通訳さんが「セル」や「FTP」を判らずILMスタッフにいちいち質問してしまい、通訳は各分野の知識も必要と痛感させられたのも現場リアルタイムならでは。テレワークでもメール、Web会議、チャット、電話は使い分ける。優先度は変わるが対面の利点はゼロにはならない。

 

しかし「アニメは子供向け」との思い込みによる文化摩擦も色々ある。

 

ごく普通に見える親子づれがコンペティションに入って来るのを見かけると、多分期待に沿えないなぁ申し訳ないような気持になる。逆に私が子供を連れて入った年は、通り過ぎる人が何組も「このイベントは子供向けではないよね」と聞こえるように話して、あー教えてくれてるんだありがとうと思ったりの逆パターンも。

 

また「アニメのイベントだからみんなで出品しよう」と学校等で多数の集団習作を送り付けて国際審査員が延々と素人映像を見させられるのも問題となったようだ。中にはダイヤの原石があるかもと思いながらも、自分の知人以外の作った素人映像を見続ける苦痛は経験者以外にはわからないのかもしれない。

 

「外国人を見たら英語で話しかけましょう」と同じで、基本は良い事でも集団でやると迷惑行為になってしまう。(審査方法も徐々に改善されたようですが。)

 

今後に注目

結局アートなど特化型イベントの継続にはメディチ家みたいな「金は出すが口は出さない」都合の良いパトロン的な理解が必要だけど、民主主義では政治家や市も身近な一般市民の声を無視しずらいのも事実と思う。

 

私は広島市は、こんな分野限定のハイレベルな国際イベントを長年主催して、凄いものだとずっと思ってきた。

 

(良い意味での)権威ある賞は一朝一夕には作れない。信頼実績がなければ参加も増えない。しかし信頼喪失は築城3年落城1日。そして権限は市にある。

 

2年後の組織は未定だが、仮にコンペティション従来品質を保つにはやはりASIFAとの連携は必須に思える。仮に単純な市民参加なら良くある地方イベントになってしまうのでは。

 

海外や東京から有名アーティストを呼んで一時的な目玉にする以外には、築き上げた国際的評判が消えてしまえば経済効果も果たして出るものだろうか、と心配になってくる。(行政主体のイベントは方向性散漫で取らぬ狸の皮算用に終わった例が多いと懸念する。)

 

一般論として、適時見直す事自体は良い事だ。変化も必要だ。ただの旧守やノスタルジーでは未来が無い。世代交代も必要かも。本気で変えるならば明確な方針とリーダーシップも必要だ。

 

ただし自分のコンピテンシー(優位分野)を見定めて選択集中する事は、どんな組織でも意外と難しい。あれこれ変革したいのも人情だが、下手すると「支配権奪還、人民参加」という名の文化大革命(文化破壊)かも。

 

全国や世界の都市の中で、広島市が既に持っている優位点は何なのか。それを殺さず伸ばすにはどうすべきなのか。

 

建設的な方向に進むのか、今後に注目したい。

 

追加情報

8/16 朝日新聞の「小原篤のアニマゲ丼」に、前日の記事の詳細版を掲示。これも同じ無料会員登録で読めます。

www.asahi.com

 

上記アニマゲ丼を読むと広島市の方針は以下かと。

  • アニメ祭は一般市民にとって敷居が低いとは言えなかった
  • 音楽や長編を含め、市民に開かれ、もっと気軽に参加できるイベントに
  • プログラムは地元団体が作る、業者委託はありうる(ASIFA共催はNG)

 

行政ガバナンス的にはわかりますが、やはり以下に思えます。

  • 良くある地方都市文化祭に変質の恐れ
  • 国際アニメフェスは実質終了、または別都市?

 

8/16 自主制作出身でもある片淵監督のツイート。もはや過去形で書かれている...

 

8/16 アニドウなみきたかしさんのツイート。

 

8/17 広島市が地元団体として想定のNPO広島アニメーションシティのさとたえ/まつうらたえこさんのツイート。

 

8/19 五味洋子さんのツイートと記事。

 

(参考)1月の「一新」発表

以下は上述の、2020年1月の「広島国際アニメフェスから芸術祭への一新」の発表と、その記事です。

 

2020年1月4日 中国新聞。無料登録で全文が読めます。

www.chugoku-np.co.jp

 

上記の記事には、2019年9月の市議会一般質問で「短編アニメの芸術性は高いが、幅広い層への浸透が困難で認知度が低い。インバウンド促進や産業創出につながる内容に見直すべきだ」との声

 

しかし常識的に見れば、前年9月の一般質問から1月の「一新」発表は短すぎる。内部的に方針を固めたうえで、形を整えるために議会の質問をお膳立てしたと見るのが妥当だろう。

 

そして木下小夜子さんは「アニメ業界から信頼され、広島の誇りとなる映画祭に育ってきた。近く臨時総会を開き、なぜ見直すのか、市から説明を聞いた上で今後の対応を協議したい」との発言が書かれている。

 

しかし上記は結局、8月の朝日新聞記事まで(少なくとも新体制の)話は聞けなかった事になる。普通に考えれば、市が相手からの巻き返しや混乱を避けるために中途半端な交渉は避けて、内部で方針を固めて外部には漏らさず、一気に「もう決めた事だ」と「共催切り」をした形と思う。(ビジネス界でも強いパートナーを切る際には良くある手法と思う。)

 

そして上記の中国新聞報道を受けてのアニメーション・ビジネスジャーナルの記事。総合芸術祭が浮上した背景と、文化庁も含めた今後の映画祭のありかたが問われるとしている。現在でもその通りではと思う。

animationbusiness.info

  

(参考)広島市サイトには以下もあります。

広島市の「市政へのご意見・ご要望」

 

2020/9/11 続編を書きました。

広島アニメフェスは今年で打ち切り - らびっとブログ

 

 

(了)

半沢直樹 3話の最新ITセキュリティ

8月2日放映の「半沢直樹 3話」のITセキュリティがネットで突っ込み多発だが、IT最新セキュリティの観点から作品を擁護したい。

 

 パスワード誤入力3回アウトなのにブルート・フォース・アタック?

「パスワードを3回間違えたらアウト」のセリフの直後で、ブルート・フォース・アタック(辞書攻撃などの総当たり攻撃、つまり大量のパスワード入力試行)できてるのがおかしい、との指摘がある。

 

セキュリティの高いシステムではパスワード誤入力の回数制限と超過時のロックなどは基本だ(銀行ATMとか)。ブルートは乱暴との意味で「ポパイ」のブルートが有名だ(世代がばれる)。

 

しかし最近の多くの金融機関は不正検知システムを併用しており、パスワード入力速度など入力者の振る舞いパターンをAI分析して、本人/別人/ツールなどの判別が高確率で可能だ。

 

そこで「人間による入力は本来ルールで3回ロックさせるが、ツールによる入力は専門家によるものなので本来ルールを回避してツールからのアタックは許容する」とのセキュリティ・ポリシーを持つ企業ならば、説明もつくし問題ない。

 

バックドアを後から仕込む?

瀬名洋介(尾上松也)が「これからセントラル証券のクラウドバックドア仕込むよ!」と言う。

 

バックドアは通常、製造元が事前にこっそり仕込む「裏口」なので、侵入直前の操作をバックドアとは呼ばないし、バックドアを含む製品は不良品との批判がある。

 

しかしバックドアは悪意の他に管理者の緊急対応用(障害対応、法令上の犯罪調査など)もありうる。アメリカで司法当局のパスワード突破命令をアップルが拒否したのも、仮に最初から方法が存在して秘匿中なら広義のバックドアといえるだろう。

 

また単に一時的に設定を緩くしては他者の侵入も容易になるため、まずは自分だけ入れるバックドアをリアルタイムで(恐らくオンメモリの稼働中プロセスにパッチを当てて)仕込み、その後にバックドア経由で「安全に」侵入したと考えられる。

 

つまり瀬名は顧客ユーザーの安全を確保しながら侵入したと推測でき、さすがである。

 

半沢のパスワードが脆弱すぎ!

半沢のセリフ「英文字6文字のパスワードは”ZANSIN”(斬新)です!」に、いまどきアルファベットのみ6桁は甘すぎとの声が。

 

確かに従来は辞書攻撃対策で「j@Y#8s」など推測困難な大文字・小文字・数字・記号の混在が推奨されていた。

 

しかし2017年にアメリカ政府機関NISTが「複雑で覚えにくいパスワードの定期変更は、本人がメモを残したり変更パターンを作ってしまい却って危険なので、逆に覚えやすい一般用語が推奨」とし、日本の総務省も方向転換し、対応済のシステムも存在する。

  

"ZANSIN" は覚えやすい一般用語なので問題無い。

 

なお更にはハッカーの裏を書いて古典的な "PASSWORD" や、更に一部記号/数字化を加えた "P@SSW0RD" なら更に最強といえる。

 

(注)全て冗談です 念のため m(__)m

 

(追記)蛇足ですが念のため (^^;)

  1. 不正検知システムは通常パスワードポリシーと連動させないし、仮にしても強化すべきで、プロの攻撃を許容では真逆。
  2. バックドアは、もし無理やり弁護したらの話。
  3. NIST推奨は「一般用語の組み合わせでも良いので桁数増加」がメイン。

 

(了)

ディズニーの戦争宣伝アニメ

ディズニーの戦争プロパガンダ・アニメーション作品について。

 

 

第2次世界大戦は総力戦で各国で国策映画が作られたが、アメリカ合衆国のディズニー作品は数も多く質も高く、ディズニーお得意のドナルドなどの元気キャラクターと、魔女シーンなどで積み上げたダークな迫力描写が注目ポイントだ。

 

これらの多くは普通には市販や上映されず、昔はマニアな上映会か海外DVDだけでしたが、今はネット上で簡単に観ることができる。

 

「総統の顔」("Der Fuehrer's Face" 1943 約8分)

多分一番有名。これは政府発注の国策映画ではなく、普通のディズニー作品のドナルドダックシリーズだが日本では市販されていない。アカデミー賞受賞。

 

原題の一部ドイツ語風は「ガールズ und パンツァー」と同じだ。中身はナチス・ドイツ世界のドナルドで、ステレオタイプなキャラ(日本人は細目、眼鏡、出っ歯)や、「ハイル・ヒトラー、ハイル・ヒロヒト、ハイル・ムッソリーニ」など枢軸国への揶揄だらけだが、前半はコメディ調、後半は更に漫画チックな悪夢に発展、そしてオチという当時のディズニー短編アニメーションに良くある基本展開だ。

 

ただ、やんちゃキャラのドナルドがやられっぱなしで全体に暗く、すっきりしない。ベルトコンベアーは動きの面白さもあるけどチャップリンの「モダン・タイムス」同様に当時の典型的な工場労働者イメージなのだろう。

 

(HDだけど字幕はフランス語)

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空軍力の勝利("Victory Throuth Air Power" 1943 約66分)

これは「総統の顔」とは逆に、キャラクターものではなくリアル風な迫力満点だ。

 

原作本を元に実写・アニメ併用で、大規模な爆撃機による日本への戦略爆撃の必要性を訴えている。

 

本編は1時間6分だが、以下のアニメパート短縮版だけでも迫力だ。最初のアラスカからの夜間出撃シーンはフライシャーのスーパーマンシリーズかと思うリアルさ。コクピットから遠くに見えてくる白い(たぶん)富士山も美しい。

 

そして上空からの爆撃先は都市にしか見えないのに地上の破壊シーンは軍事関係しか描かれない。ラストはアジア諸国に触手を延ばし剣を突き刺している巨大な蛸(日本)アメリカを象徴するハクトウワシが上空から繰り返し襲って退治すると、アジアに色が戻り、(本編では)星条旗アメリカ国歌で終わる。

 

色々な点で都合よく、ラストは有無を言わさぬ迫力で愛国的に終わり、良くも悪くもこれぞ戦争プロパガンダな作品と思う。

 

(アニメ中心の短縮版 約4分)

www.youtube.com

 

(本編 約66分)

www.youtube.com

 

余談だが日本の住宅地を含む無差別(絨毯)爆撃は国際法違反ではないかとの議論は当初からアメリカにもあり、しかし日本は家内制手工業で民家も軍需工場との理屈が作られ、またこの作戦を推進したカーチス・ルメイは戦後に航空自衛隊育成に貢献として日本から勲章を授与された。

  

理性と感情("Reason and Emotion" 約9分)

これもなかなかだ。

 

頭の中に理性と感情が住んでいる。ところがヒトラー演説は恐怖・共感・誇り・憎悪を煽って、感情だけの野蛮なドイツ兵にしてしまう。

 

しかし理性と感情は役割を持って共存すべきで、その人物とはアメリ爆撃機パイロットで、その大編隊と星条旗で終わる。

 

ドイツ兵は野蛮でアメリカ兵は理想的人格なのだ。延々と合理的分析の話をしながら、最後はヘイト的な感動で締める。

 

これは実は戦争プロパガンダに限らず、名作の基本パターンなのが怖い(バトルもので合理風に進めて、最後はいきなり根性スーパーパワーで感動とか)。

 

www.youtube.com

 

おまけ

ネット検索でこんな論文を発見。以下が載っておりお勧めかと。

  • ディズニーが国策映画を作るに至った背景
  • ドナルドが多く、ミッキー等は少ない理由
  • ミッキーは悪者ネズミから優等生へ 

第二次世界大戦とディズニー

 

 また以下も有名ですが次の機会に。 

(ディズニー)

  • 新しい精神 (1942) - 戦争のためのドナルドの納税促進
  • 1943年の精神 (1943) - 上記の続編
  • 死への教育 (1943) - ヒトラーユーゲントへの批判

 

(フライシャー)

 

(日本)

 

(了)

アニメ「リズと青い鳥」

劇場アニメ「リズと青い鳥」(2018年)は「響け! ユーフォニアム」シリーズ(TV 1,2期、劇場版 1,2)のスピンオフ作品で、無口なみぞれと良く喋る希美(のぞみ)の2人を描いた映画的な佳作だった。

 

U-NEXTで2か月前の別料金から「見放題」(標準料金のみ)になってたので観た(我ながらせこい)

 

ユーフォ」は吹奏部という珍しい舞台とアニメでのリアルな演奏描写で話題になったが、実は学園スポーツもの王道で、経験者の主人公が入部、そこへ鬼監督登場、割れる仲間、実は複雑な人間関係、過去や想いですれ違い、でも最後は大会に一致団結、ハイライトシーンは音楽で盛り上げ、という判り易い青春群像ものが背骨だった。

アニメ「響け!ユーフォニアム」1, 2期の感想 - らびっとブログ

 

「リズ」は違う。

 

宣伝画像も地味だが中身も地味。極論すると女子高生2名だけの全編百合、何日か練習してるだけ、事件は何も起きない、大きな変化すらない、最後の大会もない。「なにこれ」と思う人は多いと思う。

liz-bluebird.com

 

 

でも冒頭の20分間がもう圧巻だ。

 

カラフルで水彩風の絵本パートでの、暖色系のリズと赤いアクセントのある青い鳥。

 

直後の対比的にくすんだ色調のシャープな現実パートで、3年生カラーの水色の中に瞳の中の赤がアクセントなのぞみ。

 

そしてただ校門から部室へ登るだけの主人公2人の、足元アップでの微妙な感情描写、ハンディカメラ撮影風の画面揺らしフォーカス(背景や前景のピンボケ)の多用、露光過多のような自然な明るさなどが、これでもかこれでもかの連続波状攻撃で観客を引き込む。

 

そして頻度は変わるがこれらは全編ちゃんと続いて統一感。

 

画面揺らしやフォーカスはハルヒの God Knows! でも効果的だったが、「リズ」では頻度や細かさがパワーアップしてる。もはや特殊効果というより標準効果か。

涼宮ハルヒの憂鬱 God Knows!

 

京都アニメーションは、最初はハルヒのGod Knows! やらきすた OPなど特定パートがオタク的に評判になり、次にけいおん! で生活感ある作画とシリーズ全体の安定品質が更に評価されたと思うけど、この「リズ」はアニメと実写の境界的な描写をギリギリに、でも単なる「リアル風な絵」ではなく「絵」を基本にした、情感を丁寧に伝える1つの到達点かと。もはや映画だ(映画だけど)

 

同じシリーズ内でファンのイメージも守りながら、登場人物によって世界の描き方(演出)自体が大きく違うというのは、チャレンジングと思う。更に発展できそう。

 

細かい話では、ちょっと昔のカルピス劇場(世界名作劇場)みたいな絵本パートでリズのハンカチが風で空に舞い上がると、青い少女が思わず飛ぼうとする足元のアップ(これまた足元だ)。これだけで十分でうまい。

 

ただハイライトシーンと思われる最後の練習シーンは、画面揺らしやフォーカスの総動員ながら無理に盛り上げてないのがいいけど、そのせいでちょっと盛り上がらない(どっちだ!)。ここは悩ましい。趣味が判れそうだ。(実はフルートとオーボエの変化がさっぱり聞き分けられない自分が悪い気もする。)

 

そしてラスト。2人の会話のすれ違いが、やっぱりずっとズレたまま、でも少し変化している。多分そうして続いていくのだろう。それだけなのがまたリアルだし納得感。

 

従来手法を丁寧にリファインしていった形での京都アニメーションの、もはやアニメというより1つの映像作品に思うのでした(アニメだけど)

 

(了)