らびっとブログ

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アニメ業界の低賃金は手塚治虫のせいではない?

2020/8/30 に掲載された中川右介氏の記事「アニメ業界の低賃金は手塚治虫のせいなのか? 見えてきた意外な真実 - 虫プロは「高賃金」だった!」は論点がずれてると思う(敬称略。最終更新 9/3 20:30)。

 

まとめると

  1. 中川氏の記事は「1989年の宮崎駿による手塚治虫への批評」への批判
  2. 宮崎は「鉄腕アトム製作費安値の前例になった」と書いた
  3. 中川氏は「当時の虫プロ高給で、悪いのは後続2社、宮崎の手塚評は間違い」と主張
  4. ただし中川氏記事の元ネタは2007年の津堅信之氏書籍と思われ、新情報は無い。また津堅氏主張には、くみかおる氏からの批判もある。

  

つまり、製作費の話に給与の話で反論して「間違い」との主張は、論点がずれてる(製作費の話は事実)。また高給に経営的裏付けは無く大赤字虫プロは倒産した。

 

以下が焦点の、上記2の宮崎による手塚批評(後述の田川さんツイート画像より)。

f:id:rabit_gti:20200901102723j:plain

 

そして問題の中川氏の記事は以下。

gendai.ismedia.jp

 

この記事の趣旨は以下だ。

  1. 手塚が鉄腕アトムを安く作ったから低賃金になった」と言われる。
  2. この誤った歴史を拡散したのが宮崎駿の1989年インタビューだ。
  3. これは宮崎が有名になった後で、手塚の追悼特集中だ。特異/非礼だ。
  4. 確かにアトム受注55万円は、当時の東映動画作品の時間当たりと1桁安い
  5. 「手抜き」だが、そのお陰で「ストーリー重視」になった。
  6. しかし虫プロはキャラクター収入で高給だった
  7. 続いたエイケン/東映動画がキャラ収入ないのに安値受注したのが悪い。
  8. 宮崎の手塚評はみんな間違いだ。

 

筆者は「人は断片的な「事実」をもとに物語を「捏造」してしまいがちだ」とある。全く同感だ。ただ問題は、この記事自体がそれをやってないかということだ。つまり、事実の断片から、恣意的な手塚弁護&宮崎批判を捏造しているようにしか見えないのだ。

 

ちょっと考えてみよう。

  1. 鉄腕アトム(1963年)の「手抜き」批判は放映当初から(特に東映動画関係者から)
  2. 1989年の宮崎発言は従来からの持論を繰り返しただけ(有名になったので広く知られた)
  3. アトムが製作費安値の前例となった/されたのは事実(間違いではない)
  4. 虫プロのキャラクター収入は予想外の結果(事前計画ではない)
  5. 後続2社がアトムを超える製作費を要求できたかは疑問(別の争点)
  6. 宮崎は「引き金を引いたのがたまたま手塚さんだっただけ」と記載(テレビアニメ参入は突然発生)

 

今回は新事実もなく、製作費の話に給与で反論して論点がずれており、また手塚が最初からキャラクター収入を計画していたような誤解を招く表現などが散見されるのは残念だ。

 

 なお以下は蛇足ですが念のため。

  • 「手抜き」(リミティッドアニメーション)の結果は「ストーリー重視」だけではなく、止め絵を含め枚数のメリハリで効果を出す日本の演出作画にも発展した(中川氏は当然ご存知で省略しただけと思うが)。
  • もちろん手塚は漫画界に絶大な影響を与え、虫プロから多くの人材が広まった。ただ手塚は経営者として有能だったとは言えない(鈴木敏夫なき宮崎も同じかも)。また手塚はアニメを作りたくて漫画を描き、漫画にあれほど映画的手法を取り入れたのに、手塚本人演出のアニメは必ずしも面白くない。人間は得意分野も色々なのに、単純に善玉や悪玉に分けて断定するのは(試みは面白いが)不毛ではないか。
  • 没後直後なら批判しないのが非礼、と言う優等生的美学?は、クリエイターに要求すべきことか。(大変失礼ながら)両者とも子供な面も残せているから凄いのではないのか。
  • 筆者はいい事も書いているのに、上記の論点ずれが残念だ。

 

 

(追記1)

アニメーションにも造詣の深い漫画家の田川滋さんの一連のツイートの一部です。

 

  

 

  

(追記2)

今回の中川氏の記事の元ネタと思われるのは書籍「アニメ作家としての手塚治虫 - その軌跡と本質」(2007年、津堅 信之)。

 

この本の感想を一つ。

fujipon.hatenadiary.com

 

次は、津堅氏の本に対する、研究家のくみかおる(久美薫)氏の批判をまとめたサイトの、サワダさんツイート。

 

上記サイトの概要。 

  1. 手塚自伝の「出血大サービスで55万円で請けてしまった」が広く普及

  2. 津堅氏調査では実は155万円(広告代理店から100万円補填)

  3. しかし費用400万円超なので、受注55万/155万どちらも大赤字

  4. 虫プロ高給で「作家集団」を自称、しかし経営不在/持続不可

  5. 労使闘争激しい東映動画は冷ややか。宮崎駿「お金持ちが趣味でやった」

  6. どのスタジオも低賃金化虫プロ倒産

 

つまり津堅氏は「通説の55万円ではなく、実は155万円だった」と手塚を弁護したが、くみかおる氏は「費用400万超なので、55万でも155万でも大赤字なのは同じ。まともな経営が無かった」と津堅氏を批判。

 

個人的には、業界初のプロジェクトではパイオニアが情熱とリスクを持って参入するのは自然だと思う。しかし、収支が合わないと気づいてからも継続したのでは、経営不在と言われて仕方が無い。 

 

上述のくみかおる氏のツイート

  

 

(追記3)ツイッター見ると中川氏の記事を真に受けた方が9割以上に見える(手塚は悪くなかった、宮崎発言は嘘だった、遂に真実が解明された、など)。会議派は発言を控える面もあると思うが。

 

新事実も無いのに(元ネタは2007年)、いままで誰も指摘しなかったのは何故だろうと思わないのだろうか。しかも全世代では手塚ファンの方が宮崎ファンより多いはず。

 

なお手塚は漫画界でも原稿料を低く抑え続けた事でも有名だ。これは「私利私欲より、多くの読者に読んで欲しい」との美談と同時に、意図/良し悪しは別にして「日本で手塚先生より高い原稿料はありえない」との新規参入障壁ともなり、多数の連載/印税を持つ先行者以外には、新規参入は仕事というより人生を賭けるハイリスクな「まんが道」となった。悪く言えば一種のダンピング(不当廉売)による寡占で、テレビアニメも同じ流れ。これが寧ろ漫画/アニメの発達に繋がったとの議論もあるとは思うが、経済/経営視点では客観的事実と思う。

 

ちょっと脱線。製作費安値の責任論は歴史の if なので推測しても結論は出ない。もしアトムが500万だったら今の製作費も高額なのか、いずれ過当競争/買い叩きで最低水準の宿命ではないか、それともディズニー的な高品質/高費用のスタジオが複数できて競っていたのか、それは誰にも判らない。

 

一般論で言えば、当時結束した東映動画の激しい労働運動でも敗北し、まして参入容易で多様なテレビ業界では、よほど差別化/組織化できない限りは低水準だったのではないか。だからアトムに現状の全責任を押し付けるのはおかしいが、少なくとも初期はアトムが製作費前例(上限)とされ交渉困難だったのも多分事実ではないだろうか。

 

(まとめ)

客観的事実と評価は分けて考えるべき。無理な正当化のために事実を脚色するのでは歴史修正主義に陥る。

  1. 「手塚がアニメーター低賃金を始めたわけではない」のは事実
  2. 宮崎主張の「アトムが制作費安値の前例となった/された」も事実
  3. 上記2の責任論は色々考えられるが、結論が出るものではない。

(了)