らびっとブログ

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アニメ「幼女戦記」戦争とビジネス、悪魔と人間、そして劇場版

アニメ「幼女戦記」のTV版と映画版の感想です。

 

 

作品世界は

第1次世界大戦のドイツ風なので、昔なら敵役だけど東西南北と色々な戦線が描けるし、やたら双頭の黒鷲、権威的な参謀本部、葉巻、ビールとソーセージとか出るし、何より「貴様らが帝国のために死ぬことは永遠に生きる事だ」的な時代錯誤的なセリフ満載なのが当時の帝国主義的でいい。

 

作中で「帝国」「協商」「共和国」などの略もリアルい。突然第2次世界大戦のV1や戦車が出てきたり、両大戦が混ざっているのは中々馴染めないけど(^^;

 

戦争とビジネス

サラリーマンが転生して指揮官で活躍するが、ビジネスと戦争は親和性高いので自然だ。特に外資系では多くのビジネス用語が軍隊用語で、HQ(司令部=本社)、戦略、戦術、ロジスティイクス(兵站)、ゲーム(戦い)は日常用語だし、プロジェクトマネジメント技法の多くは軍から生まれたし、産学軍の交流も多い。

 

そもそも特定分野で複数の相手と調査・分析・方針・訓練・投入・戦闘・反省のPDCAサイクルを繰り返すのは戦争とスポーツとビジネス。(日本の古い会社では農耕民族的な静的階層と現場努力主義が強いが、変化し続ける市場では動的な変革の永続的反復が必要と思う。ただ狩猟民族型の「走りながら考える」も現場、特に板挟みの日本人は非常に大変だが。)

 

悪魔と人間

「さも悪魔的な絵柄」はどうかと最初は思ったが、この作品の悪魔は主人公ではなく人間だと思う。悪魔は人間性の中に潜む。メフィストフェレスキュウべえは人間の自由意思を尊重して丁寧に契約をオファーする。本当に怖いのは人間だ。

 

主人公は独善的で適者生存の競争社会を信奉して、畏怖せよと強要する神(存在エックス)と対立する。慈悲深いキリスト的な神でも、人間味あるギリシャ神話的な神でもなく、前近代の神、強権的で権威主義的で服従を要求する理不尽な神だ。つまり主人公も神もヤな奴だ。

 

転生した主人公ターニャも自己中心で冷酷な悪魔だが、同時に目的達成のために(時に誤算で)部下に配慮したり鼓舞して、自分は野蛮人や動物では無いと独白する。これ、優秀なビジネスマンとそっくりだ。自分とチームの成績を最大化し、周囲に配慮し、コンプライアンス上も問題ない証跡を残す。悪魔と人望は裏表だ。

 

これは神を捨てて合理主義・自由主義を選んだ近代人の業を描いた話と思う。魔導士は実際には急降下爆撃機とヘリボーン程度の位置付けで、ダキア戦では古臭い敵軍を馬鹿にして近代兵器で大量殺害する、協商戦や共和国戦では電撃戦の任務を優先する、そして対パルチザン戦では住民多数を含む都市を包囲砲撃して、更に攻撃したのは敵戦闘員だけと正当化の理論武装を試みる。悪意はなく、効率化への地道な努力。まさに近代化が生んだ悪魔だ。

 

ところで帝国では参謀本部が一見丁寧ながら、作戦を軍機として(皇帝には話したようだが)大臣らに伝えず主導権を握っている。ここは軍人ファンが喜んで政治家は無能と批判しそうだが、これは統帥権と勅令を盾にした戦前の日本の軍部(参謀本部、軍令部)と同じで、タイやパキスタンのように政治自体が軍部に従属する結果を招く。

 

そして劇場版は...

TVシリーズの続きだが、話をターニャとメアリーの対決を中心にしたためか、TVシリーズより色々と見劣りして残念だ。

 

まずターニャの悪魔面が、ラストのオマケエピソード以外は全く無く、部下想いで全体主義を批判する自由の戦士に見えるし、連邦の上層部はあまりに漫画的な悪役で深みが全くない。TVではターニャは基本は悪魔で、各国の上層部も単純な善人・悪人には描かなかったので、TV版と世界が違いすぎて良くある映画のようで残念。

 

そしてほぼ全体、TV版より画像が手抜きに見える。色々な制約かもしれないが、メアリーとの市街地チェースは動画のコマが少なくカタカタ見せるくらいなら、最初から枚数を押さえたカット割りにして欲しかったし、美術もTVの方が頑張っていたように見えたので、ちょっと残念でした。