らびっとブログ

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映画「風の谷のナウシカ」見返して気づいたこと、やはり納得できないこと

映画「風の谷のナウシカ」(1984年、監督 宮崎駿)を2020年末のテレビ放送録画で見返しての感想です。

 

劇場公開時は「アニメージュ」連載の漫画版を読んでいたので、曲者のクロトワとか色々なエピソードが削られて断片つぎはぎ作品に見えたが、今になって見ると劇場版の約2時間に結構うまくまとめられている気がする。

 

メーヴェガンシップが実在かと錯覚する宮崎作品ならではのデザインと描写は、何回見ても凄いとしか思えない。リアルを圧倒する宮崎空想リアリズム。もはや異常だ(誉め言葉

 

そして敵役ながら道具を積極活用したい近代文明人のクシャナ、その戦闘相手で平和主義のようで実は同じ近代側のペジテ、この両者に対してエコロジー視点の価値転換を主張するナウシカ、との対比(脱近代な文明論)も簡潔に描かれていて、エンタメ系アニメーション映画では蝶矢だったと思う。

 

ただ、やはり納得できないのは以下3点だ。

  1. これは作品責任外だが、当時から「優しい女性視点の文明論」言説で全面賛美のマスコミが多かったのは疑問だ。確かに当時の大多数の子供向け作品は、「アトム」「マジンガーZ」から「ヤマト」「ガンダム」「999」は勿論、宮崎氏自身の「ホルス」「ど宝」「コナン」も含めて「少年が主人公で女性らを守る」構図で、少女が主人公の活劇は少数派だった(男性版のサブ作品ながら、ワンダーウーマンバイオニックジェミー、後のセーラームーンくらい)。しかし「女性なら優しい母性」自体がジェンダー視点だし、ナウシカと対比のクシャナは女性の近代人だし、ザコン要素の作品昇華が実際に思える。(なお性癖の創造活用自体は肯定派です、念のため)
  2. ラストシーンはやはり自己犠牲の特攻隊の宗教的美化を連想して後味が悪い。制作時にも議論があったらしく、最近の記事もあり、映画のカタルシス必要性もわかるが、やはり映画ラスト以前のナウシカもコナンもバズーも(ただの無知/暴勇ではなく一定の経験/確証ある)可能性を信じての行動なので、仮に結果的に死ぬ場合にも達観/観念ではなく死中に活を求める表情であって欲しかったし、安易な感動狙いに思える。(そもそも王蟲暴走は胞子を撒き散らしながらでなかったのか、大勢大丈夫は詐欺ではないのか)
  3. これが一番肝心だが、宮崎作品の中では「ナウシカ」(と「もののけ姫」)は作品自体のレベルが高くないと思う。前後の「カリ城」「ラピュタ」「魔女宅」「トトロ」の方が全体も細部も作画も美術も明らかに良いと思う。もちろん予算/期間など与えられた制約の中で良い作品を作るのがプロだし、ナウシカが特に悪いとは言わないが、王蟲など荒い止め絵も多いし、「ここぞ」という以外の作画は必ずしも丁寧ではないのに、多くの観客が「感動した、絵も背景も美しかった」と言うのは不可解だ。(完成画よりラフ絵に感動する事も多いように、完成度が高ければ感動/名作という訳では無いが、「感動したから出来が良かった」というのは違う、と思うのでした。)

 

世間に多いナウシカファンから嫌われそうですが、個人的に納得できない点を書いてみました。なお過去に入力した事も無いPCで「おーむ」で「王蟲」と漢字変換できて驚き(笑

 

(了)