1年前の朝日新聞のオピニオン記事だけど読み返しても面白い。
①佐伯啓思は
保守派の思想家と言われるが、単に知識の多い学者というより、左右の知識を元に自分自身の意見を語る感じで、納得できない主張も多いが、視点を発見できるのは楽しい。
例えば、トランプ・プーチン・エルドアンなどの権威主義的政権の登場を「民主主義への脅威というより、民主主義が効きすぎている」などと言う。
この場合の「民主主義」は、自由な市民による議論という自由主義的な意味では無く、大衆の喝采を得るというカール・シュミット(ヒトラーを支持した法学者)風の意味で使っていると思われるが、氏の根底には元々は左翼思想である「民主主義」への保守派としての懐疑も感じられて、時々ムカッともするが、視点としては面白い。
②「資本主義」は否定的な語
記事に戻ろう。
ついに、というべきか、はてさて、というべきか、岸田文雄首相の所信表明演説にまで「資本主義」が堂々と登場することになった。
1970年前後、マルクス主義の影響もあり「資本主義」は徹底してマイナス価値を付与された言葉であった。ほとんど悪の象徴のようなものである。
オーソドックスな経済学では「資本主義」の語はまず使われない。もっぱら「市場経済」の用語が使われる。
「資本主義」の語が肯定的な意味を帯びるようになったのは、90年前後の冷戦終結あたりからである。
全く同感だ!そもそも「資本主義」(キャピタリズム)は「カネが人間を動かす体制」との批判語で、肯定的に使う方がおかしい。肯定的ならば「市場経済」か、より哲学的には「経済的自由主義」と思う。
もちろん絵画の「印象派」のように批判語が通称に転ずる事もあるが、ある程度は本来の意味は知っていて欲しい。
③「資本主義」は「市場経済」とは違い資本の自己増殖運動
資本は未知の領域の開拓によって利益を生み出し、自らを増殖させる。
「資本主義」は「市場経済」とは違っていることに注意しておきたい。「市場経済」はいくら競争条件を整備しても、それだけでは経済成長をもたらさない。経済成長をもたらすのは「資本主義」であり、経済活動の新たな「フロンティア」の開拓なのである。
これも全く同感だ!そもそも単なる交換経済の「市場経済」なら中世にもある。しかし産業革命以降の「資本が資本を生む」つまり「資本の自己増殖運動に、資本家も労働者も動かされる」という産業社会が「資本主義」だ。
どうも「社会主義=共産主義 の否定が資本主義=市場経済」みたいな単純視を世間で見かけるが、自由に商業できるだけでは資本主義とは言えない。
ここは保守派の佐伯氏の資本主義の説明が、マルクスと全く同じなのが興味深い。(佐伯氏は学生時代に批判的ながらマルクス経済学を学んだらしい。)
④しかしフロンティアは限界
歴史の話は少し長いので以下の1文に要約する。
歴史を振り返ると15世紀の地理上の発見(新大陸、アジア)、19世紀のイギリス産業革命、20世紀のアメリカ大量生産・大量消費、80年代のグローバル化などが資本主義のフロンティアだったが、先進国は成長率鈍化や格差問題、そして一握りの情報関連企業に巨額の利益を集中させた(GAFA問題)。
空間、技術、欲望のフロンティアを拡張して成長を生み出して来きた「資本主義」は臨界点に近づいているといわざるを得ない。「分配」と「成長」を実現する「新しい資本主義」も実現困難といわざるをえないだろう。
ここは賛否あるだろう。50年前には冷戦崩壊・グローバル化やIT革命がほぼ予想できなかったように、将来発生するパラダイムシフトの有無を予想する事は難しい。
しかし現状に問題があり、今後の経済成長策と言われているグローバリズムは逆に国家間の国益競争に陥り、またイノベーションは勤労者の所得を低下させる、という点は正しい気がする。
ところで「企業が儲かれば、少しは給与も上がるかも」と思う人がいるが、そういう人は家庭の収入が2割増えたら、電気水道ガスやスーパーの同じ買い物にも「いつもありがとう」と今後は1割アップで払うのだろうか。
収入が増えたからと、同じものに必要以上の単価を払う人はいない。家族経営ならともかく、より良いものか、より多くか、貯蓄だろう。「本来の昇給を延期していた」とか「給与を上げないと他に取られる」などの事情が無ければ給与を上げる必要性はない。せいぜい一時金(プレゼント、賞与)だろう。
これは経営者の良い悪いではなく、労働市場での労働力調達という一般常識で考えれば判る事だ。「社員」や「家族主義」などの言葉で「私も会社の一部だ」と騙される人がいるが、法的には交換可能な「従業員」で「労働者」にすぎないし、だからこそ良くも悪くも自由な市民、でもある(先進国では)。
⑤問題は近代人の欲望
そこで結論。
われわれはようやく「資本主義の無限の拡張」に疑いの目を向けつつある。とすれば、われわれに突き付けられた問題は、資本主義の限界と言うより、富と自由の無限の拡張を求め続けた近代人の果てしない欲望の方にあるのだろう。
なんか一部市民運動家の「反成長路線」のような結論ですが、良くある生活者視点の反近代ではなく、「資本主義」のダイナミズム分析側の近代思想批判なのが興味深いですね。
なお歴史的には保守主義は反自由主義(反資本主義)なので、本来は保守こそ思想的な近代批判をすべきとは思います。
⑥参考
全文ではなく抜粋のブログ
朝日新聞のトピックス
なお朝日新聞には確かに左派論調もしばしば乗りますが、同時にクオリティペーパーとして左右幅広くの主張が読めるところは利点に思います(他紙はほぼ1種類の論調で単調だったり)。
これも面白かった。
以上です。