らびっとブログ

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オリンピック開催vs中止議論でおかしいこと

今日(7/23)は東京オリンピック開会式で、コロナ禍拡大中の開催批判や中止論も根強いが、長野オリンピック組織委員会事務局(NAOC)に4年、アトランタ同事務局(ACOG)に半年ほどスポンサー会社から出向して所属した縁もあり、議論の前提がおかしいと思う点を個人的に書いてみたい。(2021/8/1追記)

 

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写真は左上は1996年アトランタ大会のロゴ、左下はそのキャラクターだが絶不評で大会当日までに姿を消してしまった不憫なジー(Izzy)、右上は1998年長野冬季オリンピックのロゴとピクトグラム、右下はそのキャラクターで手描き風のデザインが新鮮なのに余り人気の出なかったキャラクターのスノーレッツ(SNOWLETS)の、それぞれピンバッチ。関係者間の交換や、路上販売などがされた(ネット販売は一般普及前)。

 

(2021/8/1追記)やはり同じパターンのようです。

smart-flash.jp

 

 

 

⓪最初に

  • 無観客決定後の世論調査「無観客開催」「中止」各4割(読売新聞、7月)
  • 政府への批判が強いが、オリンピックは大規模ながらスポーツ大会の一つなので、過剰な賛美推進も過剰な非難攻撃もどちらもおかしい
  • コロナ禍でのスポーツ大会の客観的な開催基準、判断日程が必要だった
  • 背景には「自粛はお願い、補償なし」の国民忍耐頼りの政治的無策がある
  • 過剰な政治利用は「盛り上がれば成功、問題点は忘れよう」にも繋がる

 

①開会当日まで盛り上がらない

実は大会の多くは事前に盛り上がってない。近年の多くの大会は財政・環境・警備問題などを抱え、2012年ロンドン大会ではテロ対策や交通渋滞、2016年のリオ大会では貧困問題などで批判が続き、批判が表面化しないのは中国やロシアなど権威主義的な国ばかりだ。

 

特に長野大会では招致疑惑での帳簿問題、環境五輪を掲げての競技場建設や国立公園を通過するアルペンスキーコース、多数の新設競技会場の後利用不安、長野新幹線開業に伴う在来線廃止などもあり、開会式後もチケットもグッズも大量に売れ残り、通勤経路の競技会場や各種ブースや長野駅前も閑散で「これで本当に開催中なのか」と皆で話していた。

 

事前に国際オリンピック関係者から「オリンピックの成功は、メディアの満足と開催国選手の活躍次第」と聞いた時は「乱暴すぎ」と思っていたが、白馬のスキー・モーグルで里谷が予想外のメダルを獲ると、わずか数日で不人気競技や更には(閉会式後に行こうと狙っていた当時は別大会の)パラリンピックのチケット、各種グッズまで完売し、駅前も競技会場も人だかりで歩く時間も倍増、盛り上がりは最期まで続いたが、その前後の露骨な明暗は、何年も準備した大会の内容は同じなのにと関係者としては複雑な想いでもあった。

 

「勝った、やって良かった、問題点は忘れよう」は、第一次世界大戦日清戦争での日本と同様に流されやすく懲りない国民性で、今回も「コロナ禍の逆風にめげず努力しメダルの選手、感動をありがとう」の安易な掌返しになる気もしている。

 

(オマケ)上述の「メディアの満足次第」も1996年アトランタ大会で実感した。ボランティアを大幅活用したシステム運営が大混乱で、到着時の認証から直後の輸送宿泊、情報提供とメディア関係者を直撃した結果、大失敗との評価が確定した。IOC組織委員会がメディアに非常に気を遣う理由はここにある。

 

②コロナ禍での開催是非

中止ならば感染リスク最小化となる事は当然だが、サッカーやプロ野球など他のスポーツイベントは制限下で開催中でオリンピックだけ中止ではダブルスタンダード(統一基準で全スポーツ禁止ならば判るが)。

 

オリンピックは規模は大きいが無観客となり、選手・関係者・メディアの入出国やバブルなどゾーニングの不備は常にある(現実の人の流れの100%制御は不可能)ので、これは運用改善を重ねるしかないのも他イベントと同じだ。

 

確かに「オリンピック開催と聞いて、自粛疲れの反動で蔓延」の影響は大きいと思うが、その原因は従順な日本人に依存の「自粛はお願い、補償はしない」政策で、蔓延状況に応じた客観的な開催基準と判断時期を明確化せずに、直前まで「ワクチン接種が進めば有観客で大丈夫」との楽観論だけでイケイケドンドンと強行したお粗末な政治(特に官邸)にあり、大会が悪いわけではない。

 

本来は政治は国民全体の公平なプロの調整者であるべきで、特定大会は政策の1つにすぎず、過度な政治利用はおかしい。そもそも「大会成功後に解散して衆院選すれば勝利」とか「政府のコロナ対策に不満なので、政府の進める大会は中止せよ」などの安易なスポーツ政治利用に疑問を持たない国民も、自ら愚民に甘んじているのではないか。

 

③オリンピックは特別か?

日本人は1964年東京大会の経験からオリンピックを特別視し、過度な美化や非難が多いと言われるように、他の先進国の高級紙の一面にはオリンピックは載らない。「日本語は世界でも難しい言語、単一民族」など学術的根拠のない「日本特殊論」は多いが、過剰な「オリンピック特殊論」も同類と思う。繰り返すが、大規模ながら商業スポーツイベントにすぎない。

 

④オリンピックは商業主義か?

もちろんオリンピックは商業イベントだが、特にロス五輪以降は商業五輪で、中でも巨額のTV放映権料の欧米視聴者の時間帯に開会式や競技の時間帯を合わせるなどの選手・開催国軽視の弊害は批判されるべきと思う。

 

ただ商業イベント自体はJリーグプロ野球やプロテニスも同じで、逆にオリンピック会場では指定箇所以外はスポンサーの社名やロゴは表示されない(ブランディング戦略上)。またIOCの収入の大半は競技運営を行う各競技連盟に流れ、特にマイナースポーツでは貴重な収入源になっている。IOCは建設業なら元請け、IT業界ならインテグレーターのような共存共栄の形だ。更に運営には多数のボランティアが不可欠で、全体が商業主義とも言えない。

 

商業主義自体が悪なのではなく、その弊害の程度と、それを補完する税金による公共スポーツ振興とのバランスが議論されるべきで、極論は不毛と思う。

 

IOCは貴族か?

実はIOC委員には本物の欧州貴族や独裁者一族も多い。もともとスポーツは特権階級の遊戯で初期の近代五輪はアマチュアリズムを掲げて下層階級の多いプロ選手を排除したし、世界を廻れる名誉職でイラクフセイン元大統領の長男のウダイ・フセインは乱暴者で有名だった。書籍「オリンピックの汚れた貴族」も有名で、IOCはその後の改革を主張するが、評価は色々だ。

 

もちろん帳簿外の賄賂などの利権構造は継続的に批判されるべきだが、単なる悪者視のレッテル張りでは差別的で不毛と思う。

 

⑥バッハ会長個人が悪人か?

氏を擁護する義務はないが、権力者であれ個人へのネットリンチは良くないし論点をずらしてしまうIOCの背景には競技連盟とスポンサーがいるので「できれば有観客」との代弁自体は自然だし、日本の村社会な「問題視された側は謙虚に沈黙すべき」感覚の非難の方が世界的にはおかしい。

 

迎賓館の歓迎会は日本側主催で飲食なしディスタンス確保と報道されているし、開催に迷いやあった事や、広島訪問なども批判するのは過剰と思える。

  

コロナ関係では昨年はWHOテドロス事務局長が叩かれ、東京オリンピックでは新国立競技場デザインのザハ氏が叩かれた。しかしWHOの説明自体はほぼ適切だったし、ザハ氏は要件に従って設計し選出されただけなのに、政府の国土強靭化の公共事業の影響で費用高騰すると主犯扱いされて、再設計には候補参加も許可されず、結局ベースはほぼザハ案が使用されたというスケープゴートであった。

  

問題はバッハ個人の些細な言動より、政府やIOCを含めた構造的な話で、仮にバッハが辞めれば「ざまぁみろ」で終わりで良い話ではないだろう。

 

⑦オリンピックは平和主義か国家主義

 良く議論されるがこれも本筋ではないと思う。

 

古代オリンピックの開催期間中は古代ギリシャ人の間で休戦した事を理由に、近代オリンピックは平和を掲げて、南北朝鮮統一チーム、台湾(中華民国)の参加など緊張緩和に貢献しており、これらは参加単位が国家・地域単位の各国オリンピック委員会(NOC)な事もあり実現できている。

 

他方、ナチスがベルリン大会で国威発揚に発案した、西洋文明発祥の地であるギリシャからドイツまでを辿る聖火リレーや、表彰時の国歌・国旗などは、スポーツに国境は無い筈なのに演出効果が高く人気があり継続され、批判もある。

 

平和の理念はムーブメントやブランディングに重要だが、オリンピックは国連でも主権国家でもなく、実際に第二次世界大戦ベトナム戦争も休戦はなく、個別の緊張緩和への貢献しかできないのが現実なので、平和の理念が本物か表面だけかを議論しても余り意味は無いと思う。(なおナチスも開催を前に緊張緩和政策を行ったが、政治は常に情勢次第なので、これを一定の成果と見るか最初からの偽装と見るかは後世の判断次第と思う。)

 

組織委員会の意見が見えない

森元首相の辞任と橋本聖子就任の際も「指導力を期待」との報道も見たが、元々組織委員会指導力を発揮すべき組織ではないから無理筋な願望と思う。

 

オリンピックはIOCの資産で、開催するのは都市(東京都)、スポーツ界のトップはJOC、コロナ対策は政府と自治体、そして各競技の運営は各競技連盟で、各会場にオーナーがいる。組織員会はJOCと都に出資されて、実態は都・政府・スポンサーなどの時限出向者による時限的な寄り合い所帯(一部は翻訳者、デザイナー、警察など)で、調整が主任務だ。

 

「こんな大会にしたい」などオーナーシップを発揮できる組織ではなく、案は出しても決定権はIOC・都・政府などにあり、下手に発言して責任のとりようがない。実際に無観客は組織委員会と都は早くから提案していたが、官邸が有観客をギリギリまで粘ったと報道されており、未決定時点では対応しようが無い。

 

⑨コロナ対策の問題点

最後に、政府のコロナ対策には問題点が山とあるが、構造的な問題と現政府の問題は分けて考えるべきで、仮に政権交代してもどこが変わる可能性があるのかは重要だと思う。

  1. 先進国内でワクチン供給が遅れた事自体は、日本の感染者比率やメーカーとの関係から見て、ある程度は仕方が無かったと思う
  2. ただしワクチンの国内生産力衰退、保健所減少などは日本の長期的で構造的な問題
  3. PCR検査・給付金配布・ワクチン供給などの混乱と遅延は、中期的で構造的な問題で、法制度見直し・IT活用などが必要。これは仮に政権交代があっても急には変わらない。原因には過去のSARS対策の反省点の未共有・未実施もある。
  4. 最後に突然の小学校休校・アベノマスク・GoTo・1回限りの給付金・直前の無観客決定などの混乱は、純粋に安倍・菅両内閣の弊害。官邸主導の場当たり的な思い付き政策の強行を、政治的リーダーシップと勘違いしている。

 

最後の点だが、安倍氏が影響を受けた小泉政権は大衆人気を背景に劇場型と呼ばれたが、実際には審議会などを利用する、観測気球を上げる、不利になると諦めた振りをして逆襲の機会を伺う、など色々な組織や専門家も活用して進めた。田中角栄も官僚をうまく利用した。

 

プロの経営者や管理者は、部下や外部の提案を評価し判断すべきで、自分自身がアイディアマンである必要はなく、むしろ有害だ。専門家によるメリデメを無視して安易に「私にはアイディアがある」などと言う候補者は落とすべきだと思っている。

 

以上です。