らびっとブログ

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映画「時計じかけのオレンジ」実は政治風刺が現代的だ

前回書いた「博士の異常な愛情」の次はやはりこれ。「時計じかけのオレンジ」(1971年、監督 スタンリー・キューブリック)。

 

多くの記事やブログで紹介の通り、美しい音楽に合わせた暴力シーンが衝撃的なキューブリック監督映画だが、見返して感じた事をいくつか。

 

  1. 近未来SFでCGも無い時代もあるのか、大半が屋内、屋外もごく一部で舞台演劇な感じ。やはり造形が印象的な近未来SF映画華氏451度」(1966年、原作 ブラッドベリ、監督 トリュフォー)も連想して、古臭い印象もあるし、断片映像から人間の内面を象徴的に描く作品なのでこれでいいのだ、な気もする。
  2. 時々のワンカット長廻しが異様でいい。冒頭から観客を引き込む有名なアレックスの眼からミルク・バー室内への引きは勿論、定点的な客観描写が逆に怖い「雨に唄えば」の暴力シーン、開放的な川辺から暗い橋下まで情景が暗転して恐ろしい高齢浮浪者再会シーンなど、記憶に残ってしまう。
  3. なんか最初の紹介部分は大友のAKIRAにも似てる。若者不良グループがドラッグで暴走族、対立抗争では敵側を更に悪く描く、主人公は大人には卑屈さを込めた言動で馬鹿にする、など。読者の共感ゲットには自然な構成ながら。
  4. 今回、政治風刺がかなり入ってる事に気が付いた。ごく断片でしか語られないが近未来のイギリスでは政府は効率重視な全体主義(格差拡大、人権軽視の新政策で刑務所を開けて政治犯を入れる)で、悪い意味のポピュリズム(国民は愚かと思い当面の選挙優先で政策を簡単に変える)な政府で、それに反対する作家など(恐らく左派陣営)は政府の新政策の反人道性を訴えて主人公の自殺を望むが、政府に排除された(ようだ)。ディストピア的な舞台背景はオーウェルの名作「1984年」にも通じるが、「時計じかけ」ではマスコミと選挙はあり右派は新自由主義的な権威主義、左派は政府批判重視でルサンチマンを抱えるなど、既に現代的な構図なのがさすがと思う。イギリス人の皮肉を込めた政治的嗅覚なのだろうか。そしてこの世界で主人公の両親が、本当に普通で平凡で善良で愚かな一般市民で、でもその立場になって想像すると悲しくなってくる作品でもあるのでした。

 

(了)