らびっとブログ

趣味で映画、本、政治思想とか時々書きます(^^)/ ご意見はツイッター @rabit_gti まで

2020年回顧 (2)新型コロナ禍とWHO/中国/日本政府/テレワーク

2020年は新型コロナ(COVID-19)が世界に蔓延したが、WHOの説明は実は正しく、中国は人道軽視の戦時対応し、日本政府は相変わらず場当たり的に見え、テレワークはグローバル社会では元々必要、との話です。

 

  1. WHOなど国際機関への日本人の信頼性が大幅に下がったとの報道を見た。「拡大した以上は悪い」との結果責任や、WHOテドロス事務局長の政治的すぎる発言もある。しかし感染症は半分天災で、WHOに権限はない。そもそも多くの国際機関は専門家集団として計画や助言はできるが、権限は各加盟国で仮に拒否されれば何もできない。このため加盟国(特に発生国=協力国)に気を遣って迎合的発言も多いのは、立場上はある程度やむを得ない。そしてちゃんとニュースを読んでいればWHOの説明は常に正しかった。良くある批判「WHOは最初は人同士の感染は無いと言った」なども、当時のWHO説明は「人同士の感染はまだ確認されていない」で、専門家は一定の証拠が揃わないと断言できない(若者感染しない、春に消える、免疫ができる、なども同じ)のだが、ワイドショーなどが不正確に報道したのを後でWHO責任にしているだけ。国際専門家組織は科学的な判断をすべきで、勘で先読み判断する立場(政治家?ギャンブラー?)ではない。
  2. 次に「中国の初動に問題あり、武漢封じ込めに失敗」は事実だ。しかし以後は、憲法にも「独裁」明記の一党独裁国家が準戦時体制で、患者を自宅に閉じ込める、軍が周囲を封鎖する、医療関係者を本人同意なしで強制動員する、病棟を急造する、全住民にPCR検査を何回も強制する、などの人権軽視の強権発動を行った。しかしアフリカで封じ込めに成功したエボラ出血熱とは異なり、新型コロナは感染で発症しない場合もあり、封鎖前に脱出した人も多かったそうだ(自分でも当時は無症状なら無感染と思って脱出しただろう)。先進諸国でも初動失敗は連続し、中国ほどの人権軽視の戦時体制は困難だろう。再検証はすべきだが、単純な発生国叩きでは逆に将来の隠蔽を増やすだけと思う。
  3. そして欧米各国は首脳が国民に忍耐を呼びかけ、ロックダウンも行った。しかし日本政府は1年後も場当たり的対応に見える(なお日本が欧米より感染者/死者が1桁少ないのは、東アジア全体に共通だが原因未解明で、日本が優秀だからとは言えない)。常識的には、戦時/災害にはレベルと対応の大枠を決めて、細部は随時調整し、国民も「仮にレベルBなら仕事はこうしよう」と多少の準備はできるが、これがない(緊急事態宣言の上が未定)。現金給付も先進国は毎月数万円だが、日本は一時金(前回10万円)なので計画が立たない。予算ごと検討のパフォーマンスでなく、月2万でも良いので一律月額化して、(更に高収入の人からは後から税務で回収など)制度設計すべきと思う。政府は「事前に計画を出して反対やパニックになるの避けて、隠して唐突に出すべき」のようで、愚民観なのか、「唐突がリーダーシップ」との誤なのか、本当に不思議だ。トップは優秀な管理者であるべきで、独断行動のパフォーマーではないと思う。過去の小泉改革も結構慎重に進めていたが、今の政治家や国民は「指導力」をパフォーマンスと勘違いしているのではないだろうか。
  4. 最後に新常態(ニューノーマル)候補のテレワーク。私はIT企業で元々テレワーク環境もあり、4月以降はほぼ在宅勤務で通勤時間/昼食費もかからず、現場必須の方には大変申し訳ないが、ありがたい恵まれた環境です(部門内でも現場必須のプロジェクトは多いが、たまたま)。世間ではテレワークのセキュリティ/作業効率/ストレスが課題だが、運用を含めた積み重ねが重要なので、やはり限定範囲で良いので始めておくべきだったと思う。そもそも長年対面に最適化した業務がテレワーク化で効率悪いのは当然だが、従来の仕事も電話/FAX/Eメール/グループウェア/テレビ会議と対応してきており、環境/ツールに応じたそれなりの仕事ができるのがプロだろう。例えば1980年代はFAXの使い方知らない年配社員もいたし、1990年代の出向先では本人宛E-メールを毎朝部下に印刷させて机上の未決箱に入れさせる郵便扱いな管理職もいた。私は今は(使いこなせてないけど)相手/用途にも応じてVPN, Zoom, WebEX, Skype, Slack, BOX, Trelloなど。PCは会社貸与でセキュリティ対応はてんこ盛り(Mac標準だが理由をつけてWindowsに逃げた)。また何年間も業務プロセスの切り出しと管理を積み重ねさせられていたのが、結果的に活きているのはグローバル化の利点。むしろ「相手の席に歩いて行ったが離籍中でメモ残して戻った後にメモを更新したくなった」などが消滅して作業効率は向上した(ホワイトカラー業務前提ですが)。そもそもツールはただの道具なので、良し悪しは無く、必要に応じて使い分ければ良い。「対面が人間の文化」とか言う人の気持ちも判るが、電話/メールは使ってるだろう。仮に「若い頃に覚えたまま、新しいものは覚えたくない」なら単なる精神的老化による拒否感情(私もできれば覚えたくないが)。更には年功序列/学歴重視/学閥/移民反対/夫婦同姓/現行踏襲なども「同族同士が楽、新しい出会いは避けたい」な村社会的で、グローバル社会では生産性低下に直結とも思うのでした(私もできれば同族だけが楽ですが、そうもいかない)。

 

(了)