らびっとブログ

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映画「アナ雪1」このシーンが凄い

映画「アナと雪の女王」1作目の「このシーンが凄い」を書いてみました。2作目は1作目のイメージを保って丁寧に良くできているけれど、やっぱり1作目の方が共感できるので、その映画的な凄さを振り返ってみました。

 

 

ミュージカルが主役

 「アナと雪の女王」(2013年、ディズニー、監督 クリス・バック)は原作「雪の女王」とクレジットされるけど、ほぼ完全なオリジナルで、アカデミー賞の長編アニメーション賞と歌曲賞(レット・イット・ゴー)も受賞した大ヒット作ですね。

 

もちろんディズニー長編アニメの伝統のミュージカル仕立てのプリンセスものファンタジーなのですが、前半30分の感情引き付けが半端ない映画と思うのです。

 

ディズニーも含めた多くのミュージカルは、登場人物が「楽しい、悲しい」となってから、ミュージカルパートが始まって空想を膨らませて表現する。ミュージカルシーンは楽しいけれど、ストーリー上はオマケで修飾にすぎないとも思います。

 

でも「アナ雪」ではミュージカルシーンの中で登場人物の想いやストーリーが展開する。うまくいけば音楽・歌・踊りに合わせて文字通り「劇的」なインパクトを観客に与える事ができるけど、下手すると登場人物の想いやストーリーが観客に説明不足になりかねない。

 

個人的には、1作目も2作目も良くできているけど、1作目(特に前半)はミュージカル自体がドラマチックで「単なる子供向けではなく深い」「これぞ映画」と思わせるのに、2作目はちょっと「登場人物がそうする必然性がわからないなぁ」と思えてしまったのでした。

 

そこで1作目の前半のミュージカルパートを3つほど、振り返ってみました。

 

「雪だるま作ろう 」

 まず冒頭の村人シーンは、作品世界やクリストフらの紹介に加えて「氷は美しく役に立つ」の伏線かと思うけど、省略。(なんとなく東映動画の「太陽の王子 ホルスの大冒険」を連想してしまいましたが ^^;)

 

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「雪だるま作ろう」は明るく楽しいメロディーなのに「常に拒絶される歌」。事故の記憶を消されたアナが無邪気に歌うほど痛々しく、エルサの拒絶もアナの安全を想うが故、という悲しい背景が描かれ引き込まれる。民謡の「シャボン玉飛んだ、屋根まで飛んだ」が、実は死んだ子供を想った歌と知った時のようだ。

  

そして途中で挿入される国王夫妻の海難シーンは、荒波がゆっくり高く伸びて水面に何も見えなくなるだけのシンボリックな映像表現が映画的だし物語的。そして再開する悲しげな「雪だるま作ろう」の歌では扉を挟んだ二人の世界の断絶が描かれ、最後まで救い無く、ただの子供向けとは思えない。(この楽しかった子供時代との対比が、後のオラフ活躍にも活きてくる。)

 

「生れてはじめて」

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次の「生まれてはじめて」がまた凄い。この軽快なメロディー内で、戴冠式での開門を前に外の世界に明るい希望を持つアナと、自分の魔法の秘密を隠し通そうと決意するエルサの、相反する想いが異なった調子で交互に歌われる。しかも途中参加するエルサは後の「ありのままで」のメロディー(いわばテーマソング)を先取り披露。そして両者とも「開門」に集中する事で、観客も「いよいよどうなるのか」と没入する。

 

このキャラクターにメロディーを持たせるのは、ワーグナーや「スターウォーズ」などの手法(ライトモチーフというらしい)と思うし、異なる想いの歌が交互に重なり共通ワードに集中するのは「ウェストサイド物語」の「トゥナイト」を彷彿させますが、「アナ雪」ではこれをハイライトシーン直前ではなく導入で早々使うのが大胆で贅沢ですね。レイアウトを含め、本当に何回見ても鳥肌が立つ凄いシーンです。

 

「ありのままに」

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そして実質ハイライトの「ありのままに」(レット・イット・ゴー、レリゴー)。

 

ここでもエルサの想いの変化は、歌の前ではなく、歌の中で描かれる。トラウマとコンプレックスの重圧から、開放感、達成感、そして最後の勝ち誇ったような表情。まさにミュージルパートがドラマ本体で、前後が補足説明なくらい。

 

途中、能力封印の手袋や、王族の象徴である暗いマントを投げ捨て、優しげに子供時代のオラフを作ると、暗い「谷」を軽々と飛び越え、自力で「城」を構築して引き籠る。音楽もセリフも演技(作画)も全てタイミングぴったしで、これぞミュージカル映画だし、ビジュアルと暗示が細かく一致していて、何度見ても泣けます。

 

ディズニー初の長編アニメ映画「白雪姫」も、城から逃れる際に森で王族の象徴である黒いマントを失い、以後は7人の小人と明るく生活する。小道具の意味が暗示されていて面白い。また引き籠ると人々が天候異変で困るのは「天の岩戸」みたいですね。

 

そしてここも、歌の表面は「少しも寒くないわ」とポジティブに終わるけど、観客は「逃げて城を捨てただけで本当にいいのだろうか」とネガティブに思えるところがまたも深くて全世代向け。

 

おまけ

 ちょっと脱線しますが、いいなと思う点。

  

エルサが能力で水上を走る、谷にかけた氷の階段を登る、氷の城を建てる、ティアラを投げ捨てるなどの重要なシーンの直前で「ちょっと確認」する演技(作画)がリアリティを出していてうまいなぁと思います。

 

宮崎駿作品でも、「カリオストロの城」の屋根ジャンプ前の100円ライター操作、「千と千尋の神隠し」で外階段ダッシュ前のそろそろ歩きとか連想します。アニメは「絵空事」が容易だからこそ、(本当のリアルではなく)もっともらしさが重要かなと。

 

またアナが小川でスカートを凍らせてテケテケ歩きとかは1950年代の漫画映画を連想します。単なる王子様ものではなかった現代的な面も、古典ファン向けの面もあり、幅広い層を満遍なく配慮してるかと。

 

オラフも単なる子供向けおちゃらけキャラだけでなく、雪だるまだから気候が元に戻れば消えてしまうという悲劇的宿命を持っているのが、なんか日本の歌舞伎やアニメのような。

 

また実は悪役のハンス王子も、本国では13人王子の末っ子で恐らく子供のころから自分の国を持ちたいと願っていて、留守もちゃんとアレンデールを守っていて、本来なら優秀な国王になれた人物にも思えるのがいい。

 

最後に純粋悪役のヴェーゼルトン侯爵は登場時から自分は悪者だと喋りまくっていて逆に愛嬌がある。こちらはディズニー伝統のキャラで、これまた両方揃えているところがうまいですね。

 

(今回を踏まえて、次回は「『アナ雪2』このシーンが凄い」 です。) 

映画「翔んで埼玉」さすがの配慮

映画「飛んで埼玉」は映画館で泣けたが地上波も良かった。作品上の配慮がうまい。CMが多くて流れ寸断だけどノーカットは嬉しい。しかしTV放映直前のネタばらしまくりは悪質だった。なお私は高知生まれ埼玉育ちの神奈川在住です。

 

www.tondesaitama.com

 

徹底した配慮

この映画は、「パタリロ!」で有名な魔夜峰央が1982年の埼玉・所沢在住時に自虐的に描いた僅か数話で中断の同名漫画が、2015年頃に何故か「この漫画が凄い」と話題になって2019年に実写映画化され大ヒットした「埼玉ディスリ映画」(主演 二階堂ふみGACKT)ですね。「パタリロ!」同様に、お耽美・男色・時代錯誤・様式美なギャグ漫画をどう実写化できるか、過激な差別描写がどうなるかかなり心配でした。

 

しかし公開直後から「良かった」感想が多く、徹底した配慮尽くしのお陰かと。まずポスターからして「茶番劇」と相対化して「何も無いけどいい所」とヨイショ。

 

映画の構成も、原作部分は「伝説パート」で、映画独自の「現代パート」で劇中劇にして、現代パートの菅原愛海(実際に埼玉出身の島崎遥香)が「伝説パート」を「都市伝説」で「バカバカしい」と繰り返す。原作で友情出演のパタリロが作者に「浦和から文句が来てもしらんぞ」とか突っ込む描写の代わりですね。

 

更に「伝説パート」内でも、原作ではデパートで埼玉県民とバレた麻実麗らが一般客から冷たい眼を向けられ差別の根深さを再認識するという結構重要なシーンが、映画では一般客はアホっぽく卒倒だけで問題は一部の上流階級だけのように変更されている。

 

あと原作の「埼玉県解放連盟」は、映画では「埼玉(千葉)解放戦線」とネーミング変更で更に架空っぽく。

 

そして、あの魔夜峰央のお耽美世界を敢えてそのままコスプレ再現して「伝説パート」の架空性を強調し、交互の「現代パート」対比で飽きさせないのも効果的。「男色」嫌悪者も、現代パートの「BLになってる」との突っ込みセリフで相対化されてる。

 

もちろん最後は「この映画は埼玉解放戦線制作か」と評されたヨイショのオンパレード、とどめがエンディングのはなわで、これまた最後は評価で終わる。冗談慣れしてない観客を含めて、うっかり本気にしたり怒ったりしないよう、何重もの配慮がされているのがすごい。

 

埼玉ネタ 

 

埼玉ネタが、大きいものから細かいものまで仕込まれていて、知っているレベルでそれぞれ笑えるのもいい。

 

山田うどん」は行きと返りの2回も出てくるし、愛海の婚約者(これまた実際に埼玉出身の成田凌)の車が赤いのも浦和レッズファンだからと思うし(浦和地区は昔からサッカーが盛んだが、レッズは熱心すぎるファンも多く、等々力のホーム側入口にトラブル防止の警告が置かれるのは対レッズ戦のみなのも元サイタマンとして恥ずかしい、どうにかならないのか (^^;)

 

与野は黙っとけ」は、昔から行政都市で県庁所在地の浦和(いわばワシントン)と、商業都市で大都市の大宮(いわばニューヨーク)の対立があり、合併交渉は難航して「さいたま市」という変な市名で双方妥協したが、中間の小都市の与野は昔も今も発言権が無いというリアルな話。

 

もともと埼玉は独自の有名戦国武将もおらず、特に熊谷を中心とした北部と、大宮を中心にした南部が明治の廃藩置県で無理やり同じ県にされた事もあり、何回も分離騒動もありまとまりには乏しい。だから強者を前に分裂気味なのもリアル(^^;)

 

まぁ名所が無いといっても、川越や秩父や所沢航空公園の他に、長瀞吉見百穴、サイボクハム、森林公園とか、鉄道博物館渋沢栄一記念館、ぎょうざの満州、(発祥は富山ですが)富士薬品セイムスとかもあるけど...北部は疎いけど、どれもマイナーでしょうか(^^;)

 

まとめ

 

あの問題作の原作を元に、洒落の通じない人も含めて楽しめる、何重ものうまい配慮が活きている。

 

脱線するけど、西武・そごうのパイ投げ広告が批判されたのは、画像が暗くて一般人が単にいじめられて見える写真だからだし、赤十字の最初の宇崎ちゃん献血ポスターは中央のバストだけ視線集中する構図のせいだし。

 

世間はすぐ「表現の自由派」と「公共規制派、平穏生活権派」で不毛な喧嘩をするけど、多くの人は一見での直感判断なので、大半は単に作品制作時のセンスの問題と思う。(特定層向けや批判覚悟で過激表現するのは勿論良いけど、一般狙いのプロなら両立も練ってほしい。)

 

映画「翔んで埼玉」は、あの原作の作品世界をかなり忠実に実写化して、過激セリフはそのままに、でも多くの一般客にも受容できて見終わって笑顔で帰れる形にして、さすがと思うのでした。

 

感想『ジョーカー』お勧めです! 好き嫌いは分かれそうですが(笑)

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はじめに

初めての個人ブログです。よろしくお願いします。趣味で好きな事を書きます(^^)/

公開2日目(10/5)の朝に2D吹替版で。初日夕方はも今回も満席でした。直前にヴェネツィア国際映画賞 金獅子賞受賞と知りましたが、これならなるほどなーの見応え満点でした。ただ相性はありそうなのでご注意を(笑)

この映画は「バットマン」を全く知らなくても多分楽しめます。ただ「ゴッサムシティ―はアメリカの架空の都市、ジョーカーは悪役、バットマンの本名はブルース・ウェイン」だけ知っていると良いかと。

多分「ヒーロー、アクション、明るい活劇」を期待すると「うーん」ですが、人間の善意と狂気、社会の不条理、(被写体は汚いけど)美しい映像を観たい人にはいいかもです。

以後は多少のネタバレご注意です。

暴力シーンが過激?

「面白いけど暴力シーンが過激」とか「街で暴力を誘発するのでは」との評が多い気がしますが、実は過激シーンや時間はごく少ない。『ゴッドファーザー』や『キル・ビル』の方が過激満載、『マトリックス』なんか普通の人にしか見えない警備員を、こちらは嘘の世界だと黒服が無表情で殺しまくるとか、狂信団体テロ肯定風ですよね(そこがいいのですが)。

『ジョーカー』は日常感が丁寧で強いからリアルに怖いのでは。良くあるアクション物のように短いカットでテンポ良く見せるのではなく、『パルプ・フィクション』や『万引き家族』のように一見必要性が不明な日常シーンを長々演技させる事で観客が色々解釈できる、時間を支配できる映画ならではの魅力が圧倒的でした。でも実は音楽が「ここから不安なシーンだよ」とか細かく暗示誘導してくれるから、「難解でタルい」にはならないのが上手い気がします。

あと最後に違和感無いようにか、主人公(アーサー)は実は悪い奴や嫌な奴しか危害を加えず巻き添えも無い。ピエロ仮面による少年の両親射殺も、そのセリフは私利私欲や愉快犯ではなく義憤に感じる。もちろん悪人も善人も白人と非白人が配置されている。隅々まで良くできている気がしました。

ちょっと脱線ですが、作品は明らかにトランプ現象など「忘れられた人々」を模しているので、この映画に触発された犯罪や暴動を懸念する記事も多いですね。ただ歴史を見れば、身分制度など格差が大きくても経済が安定していればそう暴動は起きないと思います。映画にもある、失業や福祉サービス切り捨てなど「悪化する一方だ、この社会は続かない、子供のためにも立ち上がらないと」と広く思われだした時に、フランス革命ロシア革命も、あるいはファシズムやナチズムも拡大したのだと思います。日本ではゴザ暴動でしょうか(突発的ながら、目標限定で整然とした暴動だったようですが)。私は平和主義ですが、歴史的には民衆蜂起が常に悪とは限らないと思います。

ジョーカーのイメージって?

個人的にはジョーカーのイメージは合ってました

子供の頃見た白黒のテレビシリーズではバカげた騒動を起こす怪人で、ティム・バートン監督の映画『バットマン』以降は「面白ければ良い」のクレージーで実はインテリそうな多弁な道化師。「悪の組織のラスボス」ではなく、すぐ前面に出てくるパフォーマーで、有利不利より悪趣味優先がお約束。映画『ダークナイト』の登場シーンでは自分が射殺される恐れも高いのに面白いからとぼけてたとしか思えない。凶悪だがどこか間抜けで愛嬌あるヒール役というイメージがあります。(優等生的な後期ミッキーよりドナルド、ウルトラマンより怪獣側、ティム・バートン作品にも通じますね。)

ただ映画『ジョーカー』では観客感情移入や作品後味のためか善人すぎて、教育もろくに受けられなかったようなのに突然知的なセリフが出るのがちょっと違和感でした。

個人的に印象的だったシーン

アーサーが母が大好きなテレビ番組の観客席にいると、思いもかけず舞台に呼ばれて司会はノリノリ、想いが伝わり抱擁、それを映すテレビカメラ。その一連を流れるように捉えるカメラワークが見事。あぁアーサー、ずっと苦労ばかりだったけど良かったじゃないか、母親もきっとテレビで見て感激だろう、一夜限定でもまさに夢のような展開と映像だなぁ、夢のような... うまいなぁ。

アーサーがウェイン邸に行き少年ブルースに会う。門で偶然会うのではわざとらしいが、ただカメラが横に引いていくとふと目が合って、両者が同じ方向に歩いていって... これもうまいなぁ。アーサーが子供に優しいのはバスの伏線があるし、少年が関心を持ったのは手品だけど、もしや将来の宿命を感じたのかも知れない。セリフが最小限なので観客が色々解釈できる。更に勝手に妄想すると、もしかして裕福だけど冷たそうな館で「笑わない」少年が最初に魅かれたのは貧しいが優しい将来のジョーカーで、彼の引き起こした騒動で両親が殺されたのに、彼は人を憎まず犯罪と延々ストイックに闘っていくのか、なんとドラマチックな構成なのか、とか考えすぎでしょうか(笑)

暴動のシーンでアーサーがキリストに見えたって評を見かけました。私もです(同志!)

最後に

最後のシーンは解釈が分かれそう。病院が現実で暴動は妄想だったのか。ジョーカーが誕生しないならバットマンのシリーズ全体もフィクションということか。でも福祉サービスの担当者がアーサーの話を真剣に聞きたいなんて違和感ある、もしやこっちがアーサーとしての最後の想い「僕はただ聞いて欲しかっただけなんだ、でももういいんだ、こっちは終わったんだ」なのか(悲しい)。ジョーカーは誰の中にもいるのか。

全体に重いので、映像と音楽、そして最後のレトロで明るいエンドタイトルが素敵です。

私は...映画館を出て、とても爽やかで、世界がとても優しく見えました。(うーん私が異常なのか、否定はしませんが笑)

PS.冷蔵庫は子供が真似しないことを祈ります。R15なので保護者の皆様、忘れずよろしくお願いします(いやこれマジで)。