本日5/28に元日本赤軍最高幹部の重信房子氏が出所しました。かわぐちかいじの漫画「メデューサ」のモデルで、出所直後の会見も高齢ながら安定な印象でした。
私はブントや赤軍派に批判的ですが、書籍「日本赤軍!」のインタビューを読むと、重信氏を「義侠心、ロマンチスト」と呼んだ一水会のツイートも納得感あるタイプのリーダーかと思えました。
はじめに
日本赤軍とは
日本赤軍自体の説明は、警察や公安の資料が意外と日本赤軍側の主張もポイント良く引用していて、わかりやすいです。
もちろん公安側の文章は「現在も危険だから監視対象にしてます」との予算正当化でもあります。
なお「攻撃対象」の先頭の「天皇・皇族」は公安側の記載順序で、日本赤軍を含めた当時の左翼側の優先は政治経済ですね。
簡単にまとめると、
- 既成左翼(ソ中や各国社共)を批判して西側諸国で新左翼が生まれた
- 日本では共産同(ブント)の分派として軍事路線の赤軍派が生まれた
- 赤軍派が軍事訓練中に大量逮捕(大菩薩峠事件)
- 獄外グループの一部がハイジャックして北朝鮮へ(よど号グループ)
- 残る獄外グループから重信らが中東に渡り「日本赤軍」となって独立
- 更に残る獄外グループが他派と合流して「連合赤軍」を結成し壊滅
ところで赤軍派は「政党」なのか、「分派」(フラクション)とは分裂なのか。
- 憲法の「結社の自由」では、結社は自由で、政治団体届出などは任意なので、議会政治を認めるかは無関係に、政治的党派(パーティー、セクト)なら全て「政党」とも呼べるでしょう。
- ロシア革命のボリシェヴィキ(後のロシア共産党)もロシア社会民主労働党の分派なので、レーニン主義の影響が強い新左翼では分派は普通で、執行部や機関紙は独立しますが、塩見氏も重信氏もブントを離脱した認識は無いと書いてます。あくまで「共産同赤軍派」ですね。これに対してスターリン以降のコミンテルンは「一国一共産党原則」で、カトリック的な中央集権(破門されたら異端扱い)です。
赤軍派の軍事路線
しかし私自身は赤軍派の「軍事路線」は子供のころから批判的です。
- 理想を持ち社会変革や革命を目指すのは良いが、そもそもブントは政治思想は薄く、後先考えない勢い頼りな学生運動の面を感じる
- 「軍事路線」で仮に数百人の兵士で官邸や国会を占拠できても、警察に包囲されて終了で軍事的合理性が無い
フランス革命やロシア革命も一部兵士が革命側につき、また東欧革命では軍が「中立」を守ったために成功したように、実際には既に破綻した政府の「腐った扉を蹴破った」ケースが多く、一般人だけの武装蜂起による暴力革命は困難です。
実は当時の新左翼中でも、赤軍派の「軍事路線」は「プチブル冒険主義」(成算の無い無謀な方針)と激しく批判されて全体では少数派でしたが、より武闘派ほど目立つのも現実です。
懲役20年は軽いか
ネットでは「何十人も殺したテロリストが懲役20年とは軽い」との声も見かけますが、法的には重信氏はハーグ事件での逮捕監禁罪・殺人未遂罪などの共謀共同正犯容疑で起訴され、本人は無罪を主張し続けたが、有罪確定したものです。
殺人罪はなく、実行犯でもなく、罪状と比較すればかなり重い量刑でしょう。
共産主義者はみんな仲間か
また「出所なのに意外と左翼が静か」との声も見かけましたが、それは「ロシアも中国も北朝鮮も、更に日本共産党も革マル派も中核派も赤軍派も、みな共産主義者だから仲間のはず」程度の認識の方に多いようです。
実際には大半の新左翼各派と、中ソや日本共産党は最初から敵対関係で、それは新左翼が登場した歴史上も当然でしょう。
逆に、代表的な戦後右翼テロの浅沼社会党委員長刺殺事件も、保守派の大多数は歓迎した訳ではないし、実行犯の山口少年の出所も騒がれなかったのと同じでしょう。
書籍「日本赤軍!」に見る重信氏
「日本赤軍!世界を疾走した群像」は、元最高幹部の重信氏や、途中で日本赤軍を去って重信氏らを批判した和光氏、(日本赤軍ではなく)赤軍派元議長の塩見氏などのインタビュー集ですが、メンバーによって内容やトーンが違うのが面白いです。
例えば元赤軍派議長の塩見氏は、氏が獄中に結成され、同志連続殺人事件を起こした連合赤軍は、以下のように整然と論破します。
- 上部(塩見議長)の承認無しで、配下の非公然部門が勝手に合流した
- 反スターリン主義者とスターリン主義者の合流で、思想的にも野合
- 武装蜂起なら都市ゲリラなのに、地方に逃亡
- しかも山小屋に篭るのでは、毛沢東主義の「人民の海」にもならない
- つまり連合赤軍は全てデタラメで話にならない
この連合赤軍批判は論理的ですが、しかし「だから私には全く責任ない」とも読めるし、逆に自分自身のブント書記長暴行事件は「ちょっと殴っちゃった」と軽く説明するなど、頭はいいが保身ばかりの官僚的にも読めてしまう。
次に途中で日本赤軍を抜けた和光氏は、リッダ闘争(テルアビブ空港乱射事件)は「京大パルチザン」として参加したのに重信氏らが後から「日本赤軍の作戦」のように言った、パレスチナでの軍事訓練中に「思想学習」の名で執行部の方針を押し付けようとした、などと日本赤軍を批判してます。ただ「学習でベクトルを合わせる」事は企業でも多く、どこまでが押し付けかは難しいのと、少なくとも連合赤軍のような「総括」という名の暴力は無く平和的に離脱できたし、自分だけ正当化しているようにも読めてしまいます。
ところが重信氏だけは全く違うトーンで驚きました。現地で軍事訓練を受けた「共産主義革命戦士」のはずなのに、思想や軍事の話は全く無い。多くの活動家のような「この思想や路線が正しい、批判者は理解不足だ」との正当化も無い。
重信氏は、学生の時は弱小セクト(明大社学同)の方に協力し、パレスチナでは強大なイスラエル占領下の難民へ共感し、和光氏の日本赤軍批判には「当時は気づかなかったすれ違いの責任は我々にもある」と反省を連ねる。
企業や大学はもちろん左翼党派内でも「女性は男性の補助役」との意識が強かった時代に、リーダーのタイプでは理論家や思想家より、教師を目指していたのが「なるほど」な人間性(恐らく理想を語ってブレず、相手も理解しようとする共感力・抱擁力)で組織をまとめていたように思えます。
「そう見せるのが上手い」のかもしれませんが、プロジェクトマネジメントでもメンバーへの見せ方(振る舞い)はリーダーに必要なスキルとされています。
学生時代にオルグ(勧誘)が得意で仲間から「魔女」と呼ばれたとか、塩見氏評の「普通の学生だった」とか、今でも「ふーちゃん」と親しみを持ったツイートを見かけるのも納得味があります。
義侠心でロマンチスト
重信房子受刑者が出所へ、一水会代表「義侠心には敬意」。かつて拘置所で面会、「ロマンチストな方」。インターネットニュースのSAKISIRU編集部の取材を受けた記事が掲載されました。民族団体「一水会」代表の木村三浩氏に所感や見解を聞いた。「山の右側から登る者と左側から登る者」と敬意を表す。
— 一水会 (@issuikai_jp) 2022年5月28日
新右翼と新左翼は正反対のようで、反政府や反米の少数派同士として昔から交流がありますが、この「義侠心、ロマンチスト」は、うまいこと言うなと思いました。
上記書籍でも、常に弱い立場の側に立つ信念で、基本はブレない、という感じです。
なお塩見氏は壊滅状態の赤軍派残党に、無謀な「反右派闘争」(内部の敵を探して打倒する)の指示を繰り返して完全分解させてしまいます。支持者からは「日本のレーニン」とも呼ばれましたが、本領は分裂を繰り返す「壊し屋」だったのかもしれません。
(ジェンダー発想ではありますが)政治理論に固執しやすい男性リーダーの方が、自縛となり挫折しやすいのかもしれません。
おまけ
出所時のコメント映像
多数のカメラを前に、高齢でゆっくりながら、後から文字に起こしてもOKそうな長文を語れるとは、なかなかできないと思いました。
出所時の質問回答全文
確かに当時はマスコミも「武装勢力」「ゲリラ勢力」などの中立的表現が普通で、以前からロシア革命の「白色テロ、赤色テロ」などの言葉もありましたが、安易に「テロ」という非難を込めた政治的用語が一般に普及したのは911以降と思います。
ところで今回の出所は産経新聞が前日も当日も異様に詳報しています(笑)。法的には出所すると一般人に戻るため、積極的には報道しない事が大手マスコミの通常なのですが。
映画「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」予告編
メインは連合赤軍ですが、重信氏役も美人役で何回か登場します(笑)。監督は日本赤軍関係者の若松氏なので、赤軍側を好意的に描いてるのかと思ったら、史実を客観的に淡々と描写し続けるので、これは怖いです、トラウマになります。(ただ映画オリジナルのラストの安易な叫びには、本人など当事者から批判もあり、私も変と思いますが、一般観客向けのカタルシス用と思ってます)
映画『革命の子どもたち』予告編
日本赤軍の重信とドイツ赤軍のマインホフの、それぞれの娘を描いた映画。
かわぐちかいじの「メデューサ」
陽子はオルグのプロで、パレスチナに渡って革命戦士となるなど、露骨に重信氏がモデルですね。
それでは。