靖国神社の趣旨を、靖国神社自身やその支持者側、そして批判者側のそれぞれがどのような表現で説明しているかをまとめたミニ出典集です。簡単に確認できる出典から引用し、一言コメントを付けました。
先に結論を言ってしまうと、靖国神社は明治の創建以来一貫して「英霊の顕彰」(天皇側で戦死した兵士を優れた霊として祀り、その功績を広く知らしめ表彰する)ことを目的とした施設で、批判的立場からの「死者を選別して戦死を名誉と美化賞賛している」なども立場や表現は異なるものの、基本的な認識は一致しています。つまり、どちらも正しい。
しかし「戦争犠牲者全体の追悼の場」とか「不遇な死を哀悼・慰霊する場」とか「不戦を誓う場」などは、どの立場であれ、純粋に間違いとしか言えない。勿論、何を信じ何を祈るかは個人の自由ですが、施設の基本的性格を出典により再確認してみました。
1.用語について
もちろん時代や立場により幅や変化もありますが、一般的には以下でしょう。
- 英霊:特に戦死者の霊を尊敬していう言葉(明治以降)
- 戦死者:戦死した兵士(民間人犠牲者は通常含めない)
- 戦没者:戦死と同じだが、全国戦没者追悼式では民間犠牲者も含めている
- 顕彰:功績を広く知らしめ表彰すること(哀悼や慰霊とは異なる)
高橋哲哉著「靖国問題」(ちくま新書)では「追悼・哀悼」と「顕彰」の相違を説明しています。
靖国の祭(祀り)は(略)本質的に悲しみや痛みの共有ではなく、すなわち「追悼」や「哀悼」ではなく、戦死を賞賛し、美化し、功績とし、後に続く模範とすること、すなわち「顕彰」である。
→これは戦前から仏教会と靖国神社の間で議論が続いています。
三戸修平「靖国問題の深層」(幻冬舎)も靖国神社と、それまでの伝統的な仏教や神道との相違を説明しています。
靖国神社の起源は、幕末の動乱の中で勤王の志士たちが営んだ同士追悼の招魂祭にある。(略)官軍側の戦死者のみを神道形式で祀り、賊軍の死者は捨ててかえりみないという彼ら独特の追悼方式が確立されていく。これは、怨親平等を宗とするこれまでの仏教的な戦死者追悼のあり方とは異なっていた。また敗死した者の怨霊を恐れて神として祀る御霊信仰(菅原道真を神様にするような信仰)の系譜にも、直接は結びつかないものであった。
(略)さらに靖国神社の場合(略)それまでの伝統にはなかった「祭神を次々に増やしてゆく神社」という特異な存在となっていった。
2.靖国神社側
「靖国神社社憲(昭和27年9月30日制定)」(首相官邸ホームページ)
本神社は明治天皇の思召に基き、嘉永6年以降国事に殉ぜられたる人人を奉斎し、永くその祭祀を斎行して、その「みたま」を奉慰し、その御名を万代に顕彰するため、明治2年6月29日創立せられた神社である。
→靖国神社自身による戦後の社憲でも、「顕彰」との表現が使われています。
靖国神社ホームページ「靖國神社の由緒」(2021年現在)
靖國神社は、明治2年(1869)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた招魂社がはじまりです。
明治7年(1874)1月27日、明治天皇が初めて招魂社御親拝の折にお詠みになられた「我國の為をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉かき」の御製からも知ることができるように、国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊みたまを慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社です。
→ 一般向けのためか曖昧で無難な表現に見えます。このホームページを更に見ていきます。
靖国神社ホームページ 「靖国神社崇敬奉賛会 ご挨拶」(会長 中山 恭子)
靖國神社は、国家のために亡くなられた方々をまつり、平和な世界を実現しようと創建された神社です。本来は国家によって維持される神社ですが、戦後はそれが許されない状況にあります。
→こちらも一般向けのためか曖昧ですが、後半では戦後批判と靖国国家護持(再国営化)の想いが伺えます。
英霊を崇敬し遺徳を検証することは、今に生きる私達の務めであると考えます。
→こちらは靖国神社ホームページからリンクされているが、少し内輪な別サイト(別ドメイン)のためか、「英霊を崇敬」との従来通りの表現が現在も使われています。
→神政連は神社本庁関連の政治団体で、靖国の首相参拝や天皇参拝を主張しています。参加国会議員295名。「国家儀礼」とは首相公式参拝、天皇参拝、再国営化などと思われます。なおホームページには表面的な内容しか掲載されていません。
Q3 靖国神社に参拝する目的は何か?
人によってさまざまだが、国のために生命を捧げた人々に感謝し、敬意を表し、その霊を慰めるという点で共通している。
→近年注目度の高い日本会議ですが、一般向けQ/Aのためか、意外とマイルドな表現が使用されています。なお、こちらもホームページには表面的な内容しか掲載されていません。
ご英霊に尊崇の念を表した
→典型的な保守派として、基本的な表現を踏襲しています。以下は「英霊」を説明した記載を見ていきます。
英霊と言うのは、優れた魂ということです。
→保守派の文献では意外と「英霊とは何か」を説明した記載は少ないですが、通常の霊(死者)よりも格上な霊(死者)で、崇敬すべき対象、というニュアンスがあります。なお靖国神社で「英霊」の語を使用したのは明治44年が初出、のようです。
なお1934年 靖国神社の賀茂百樹宮司は、戦死した兵士は「陛下の万歳を叫んで」死に、「国家大生命に合一した大安心、大歓喜」を抱いており、天皇の認可によって靖国神社の祭神となった事を兵士の霊も遺族も「臣子たるもの最高裁上の栄誉として感涙すべき」と説明しました。(高橋哲哉著「靖国問題」より)
→これは上述の仏教的な「無念ながらも倒れた者への哀悼や慰霊」ではなく、「国のために歓喜して死んだ英霊への感謝感激」という発想と一致しています。
自由民主党「自民、靖国巡り「不戦の誓い」削除 運動方針最終案」(2014年)
靖国神社について「参拝を受け継ぎ、国の礎となられた方々に対する尊崇の念を高め、感謝の誠をささげ、恒久平和への決意を新たにする」と明記した。例年とほぼ同じ内容。原案にあった「不戦の誓いと平和国家の理念を貫くことを決意し」との表現は削除した。党内で「不戦の誓いをする所ではない」などと反発が出たため。
→「国の平和を祈る」とは言えても、「不戦」は靖国神社の趣旨には無いので、削除は正しい(というか当然)と思います。削除しなければ、欺瞞になってしまいます。
3.批判的立場
全日本仏教会「首相及び閣僚の靖国神社公式参拝に関する見解並びに要請」(2021年)
国家神道の象徴的な神社(中略)先の大戦まで戦争遂行の精神的支柱の役割を果たした(略)靖国神社は特定の基準をもって合祀の対象とした戦没者をまつる神社(略)国家の中心的な戦没者追悼施設であるかのような誤解を招く
→政府主催の全国戦没者追悼式典や、仏教系各派が千鳥ヶ淵戦没者墓苑で行っている慰霊追悼式などと比較して、靖国神社は戦争遂行目的で、民間の空襲犠牲者なども対象としておらず、国の中心的な戦没者追悼施設ではない、との見解。(仏教系各派は戦前・戦中に国家神道により弾圧された。)
浄土真宗本願寺派 「首相の靖国神社参拝に対する抗議」(2001年)
靖国神社は、軍国主義を推進する政府のもとで、戦争に携わり亡くなられた方を英霊としてまつりあげるため、政治的に創設されたものであります。
→これも立場は批判的だが、「英霊を顕彰(表彰)」との基本性格は一致している。
真宗教団連合 「首相・閣僚による靖国神社公式参拝中止要請のこと」(2021年)
靖国神社は、国難に殉じた戦没者を「英霊」として顕彰し、祀る神社として創設され、先の大戦まで戦争遂行の精神的支柱として国家神道体制の中心的な役割を担ってきた
→これも同じ。(真宗10派で組織し、1969年の結成より要請している。)
政府を代表する総理はじめ閣僚が、靖国神社に国の役職を表明して「公式参拝」をすることが、憲法に定める「政教分離原則」に違背し、「信教の自由」を侵害する
→靖国神社の基本性格には触れず、憲法上の問題を挙げている。新宗連は新興宗教系の立正佼成会、PL教団などが加盟。(各派は戦前・戦中に国家神道により弾圧された。多くは自民党の有力支持団体でもある。)
日本キリスト教協議会「靖国神社問題委員会 首相へ参拝中止の要請」(2021年)
靖国神社は明治維新以来、天皇の側に立って死没した者たちを、神道式で「神」として祀る神社です。(略)戦後靖国神社は、一宗教法人となりましたが、侵略・加害への反省はなく、戦前・戦時下と変わらず戦没者を神として祀り、その死を殉国行為として無条件に美化する思想を推し進めています。
→これも批判的表現だが、靖国神社の基本性格としては正しい。(キリスト教各派は戦前・戦中に国家神道により弾圧された。日本キリスト教教会は「天皇制強化」にも反対している。)
→後述の政府の追悼・平和懇と同じ。(創価学会は戦時中に弾圧された過去がある。)
靖国神社は、明治時代の1869年、新政府軍と旧幕府側との間で戦われた戊辰(ぼしん)戦争で戦死した軍人をまつるために創建された「東京招魂(しょうこん)社」が前身です。(中略)天皇制政府と軍部は、天皇への「忠義」を尽くして戦死し「靖国の英霊」になることを最大の美徳として宣伝。靖国神社を、侵略戦争に国民全体を動員するための精神的な支柱として持ち上げました。
→これも立場は批判的だが、「英霊の顕彰」との基本性格は一致。なお日本共産党は、綱領から「君主制廃止」を削除して、当面の政権では天皇制維持だが、将来的には共和制を主張している。
日本の閣僚による靖国参拝は、自らがどう「思い」を語ろうと、日本の戦争責任の否定に直結する。玉串料や真榊(まさかき)の奉納についても同じだ。これらの行為は、憲法20条3項の「政教分離原則」に抵触する可能性も高い。
→別の記事の「先の戦争でアジアの国々で犠牲者2,000万人、日本人310万人の戦死者を出しながら、先の戦争は正しかったとする靖国の歴史観こそが問題にされている」のように、靖国神社の歴史観と、憲法の政経分離原則を問題にしている。
4.その他
政府「追悼・平和懇」(2001~2001年、小泉内閣、主催 福田官房長官)
何人もわだかまりなく戦没者等に追悼の誠を捧げ平和を祈念することのできる記念碑等国の施設の在り方について幅広く議論するため
→婉曲的ながら「現在の靖国神社では、人によっては、わだかまりがある」との表現。1960~70年代に靖国神社国家護持法案が廃案となった以降も、靖国神社や支持者は「靖国神社が唯一の国の追悼施設」と主張し、これに対して千鳥ヶ淵戦没者墓苑の拡充案などもある。
→靖国神社とは異なり、対象は「先の大戦の全戦没者」(空襲など民間人犠牲者も含む)で、国営で、追悼(顕彰ではない)で、いわゆる無宗教形式(特定の宗教形式にはよらない)。
千鳥ケ淵戦没者墓苑は、昭和34年(1959年)国によって建設され、戦没者のご遺骨を埋葬してある墓苑です。先の大東亜戦争では、広範な地域で苛烈な戦闘が展開されました。この戦争に際し、海外の戦場 において、多くの方々が戦没されました。戦後、戦友等によりご遺骨が日本に持ち帰られ、又昭和28年より海外の遺骨収集が開始されました。この墓苑は日本に持ち帰られたご遺骨において、お名前のわからかない戦没者のご遺骨が 納骨室に納めてある「無名戦没者の墓」であるとともに、この墓苑は先の大戦で亡くなられた全戦没者の慰霊追悼のための聖苑であります。
→靖国神社とは異なり、国営の墓苑(法的には遺骨保管場所)だが、全戦没者の追悼施設で、拝礼式や慰霊祭には首相、皇族、自衛隊、諸宗教団体、各国大使などが出席。施設としては、いわゆる無宗教形式(特定の宗教形式にはよらない)。
防衛庁・自衛隊 第一師団 その他の活動(千鳥ヶ淵戦没者墓苑秋季慰霊祭)
六角堂に安置された36万余りの御柱をはじめ、先の大戦で亡くなられた全ての戦没者に対して 、整然と捧げ銃の敬礼を行い、哀悼の誠を示しました。
【各施設の特徴比較】
靖国神社 | 千鳥ヶ淵 | 全国戦没者追悼式 | (参考) 米国アーリントン墓地 |
|
国営 | × | 〇 | 〇 | 〇 |
常設 | 〇 | △ *1 | × | 〇 |
民間犠牲者 | ×*2 | 〇 | 〇 | × |
性格 | 顕彰 | 追悼 | 追悼 | 追悼 |
特定宗教に よらない |
× | 〇 | 〇 | 〇 |
*1 大規模式典には拡充が必要
*2 空襲・原爆犠牲者を含め民間人は原則含まない(軍属、準軍属など例外はある)
→色々確認した感想としては、ホームページなどでは一般向けに無難な表現を使用しているが、内輪になるほど「顕彰」や「崇敬」の用語が現在も使われている。また最近では「中韓が外交問題視」との報道ばかり多いが、靖国神社の性格を巡る議論は戦前から続いており、戦後は憲法問題が加わり、仏教系、新興宗教系、キリスト教系、左派政党などの公式参拝批判は現在でも続いている。
→共通する事は、立場により色々な表現はあるが、靖国神社は過去も現在も「英霊の顕彰」つまり「天皇側の戦死兵士の賞賛」施設で、政府主催の全国戦没者追悼式と比較すると、国営ではなく、空襲など民間人犠牲者は含まず、内容は追悼というよりも顕彰であり、特定の宗教形式による、ところが異なる。
以上です。よければ過去の以下も見てね。