らびっとブログ

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映画「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」が残念だった理由

前作の「この世界の片隅に」(2016年)は、本当に素晴らしい作品だった。それに約40分間を追加した新たな映画「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」(2019年12月)を、是非見たくてやっと正月に見たが、好きな作品なだけにとても複雑だった。

 

前作は、映画館で最初のシーンを見たとたんに引き込まれた。いきなり絵本のような緑がかった青い海と空、空想と混ざった幼い記憶が劇中劇のように語られて、オーバーアクションも紙芝居も避けた人間の細かい動作に枚数かけた実に丁寧な作画、そして物不足とか憲兵とか悲惨なはずのシーンまで最後はギャグっぽく軽妙にまとめてしまう原作の味、その品質がなんと全編続くのだ。こんな職人気質の良質な長編アニメーションが、大手商業ベースでなく(まぁ採算取れると思えない)クラウドファウンディングまで使って地道にこつこつ作り上げられた事に本当に驚いたし、素晴らしいと今も思っている。

 

もちろん「どこが良いか」は人それぞれで良いけれど、単純に「戦争もの」とか「反戦アニメ」や「戦争の悲惨さ」などの言葉を見ると「うーん違う」と思えるほど当時の世界や人間を描けている、少なくとも並のステレオタイプな実写よりはるかに。超ロングランが続いたのも納得の作品。

 

だから長尺版は楽しみだった。ただ題名は1作目題名への追加挿入が「さらにいくつもの」と「(さらにいくつもの)」が混在して検索でややこしかった(スクリーンでは「さらにいくつもの」が後から浮かび上がってくる。つまり括弧は無い。)

 

しかし劇場でショックを受けた。考証の進展に合わせて背景など細部が改良されていたが、肝心の追加シーンは全て色合いも作画もいまいちで、「あ、このシーンいいな!」と思うと、常に実は1作目のシーンだと気づいてしまう。

 

遊女の白木リンのエピソードが1作目映画では大幅に削られていたので、長尺版で「復活」したのは正しかったと思う。ただ、平版なカメラアングルで、長い会話の間も動作や表情変化も少なく、すずさんのまつげも妙に黒く硬くて、原作や映画1作目のような軽妙なオチも無い。お花見の桜も普通に見えてしまった。

 

歴史考証もいいけど、基本は人間ドラマなので人を丁寧に描いて欲しかった。まぁ1作目が秀逸すぎで、普通のアニメなら十分な品質ですが、一緒になると作品全体のレベルを引き下げてしまって哀しい。

 

救いは長尺版が「別作品」扱いなこと。これが「映像研には手を出すな」にロボ出演した「やぶにらみの暴君」のように、作者が後年作った低品質改悪版(「王と鳥」)を「本物」として、旧作を見つけ次第廃棄しだしたら「人類文化の損失だー」と耐えられないところでした。でもこれから観る人の多くは「さらにいくつもの」だけを観てしまうのだろう。

 

今も好きな作品にネガティブな事を言うするのは気が進まない(2か月弱かかってしまった)。

 

お詫びに「この世界の片隅へ」ファンの方へ。原作者のこうの史代の漫画「夕凪の街 桜の国」は短編ながら超名作です。こちらも是非(^^;