らびっとブログ

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映画「シン・ウルトラマン」が「シン・ゴジラ」と同じ処と違った処

公開2日目の5/14(土)に二子玉川の映画館で見て普通に面白かったので、ネタバレ控えめで感想を書いてみました。

 

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(映画館の入口ディスプレイの写真)

 

公開後の最初の土曜の午前で、IMAXは混んでいたので普通の2Dで、座席は7割ほどで子供から若者・年配まで幅広かった印象です。

 

なお「シン・ゴジラ」ほどではないですが、画面に巨大な字幕が次々映るシーンもあるので、なるべく読みたい人は後ろの座席が良いと思います。

 

シン・ゴジラ」とスタッフやキャストの共通点も多く、実際似ていたので、つい色々比較しながら観てしまいました。

 

 

テレビの初代「ウルトラマン」は

さてテレビの初代「ウルトラマン」は幼稚園の頃で、続く「ウルトラセブン」と「帰って来たウルトラマン」まで見たけれど、特に初代「ウルトラマン」はオムニバス的で回によってコメディ調だったり、単純な正義で割り切れない話があったのが子供心にも印象的でした。

 

例えば相手の怪獣や宇宙人も、

  • 村人に差別される孤児の女の子(雪んこ)を助けに現れるウー
  • 自分から攻撃しないのに、巨大で迷惑と人間に攻撃される不条理なスカイドン
  • 宇宙開発競争の犠牲者が、元は人間と隠されたまま抹殺される悲惨なジャミラ
  • ウルトラマンが過去に退治した、静かな宇宙墓場に帰りたいだけの嘆きのシーボーズ
  • 母星が核実験で滅んで宇宙難民となり地球への移住を希望するが、数多すぎと闘いになり、最後にウルトラマンが母船で眠る20億人を当然のように母船ごと破壊して終わるバルタン星人(!)

 

うーん、今見ても凄いものを子供向けに放送していたもので、今のエンタメ枠では収まらない。

 

「怪獣もの」の中に、正義とは何か、人間とは何か、の問いかけが潜んでいる。沖縄出身の脚本家の金城氏や、実相寺氏の特徴的な映像にも熱心なファンが多いのも納得です。

 

シン・ゴジラ」と同じところ

①主人公側は常に自衛隊と行動する

初代の「科特隊(科学特捜隊)」は特別な研究機関か特殊部隊か、という感じですが、この映画の「禍特対」は政府配下で、現地で自衛隊の指揮権も引き継いだりします。

 

攻撃シーンでの連携を考えれば自然かもしれないですが、それではまるでゴジラガメラシリーズで、謎追及で探偵要素な「ウルトラQ」後継シリーズに思えない気がします。

 

特に最初の2回の出動は自衛隊の野戦テント内の映像までそっくりだし、主人公が突然「子供を助けに行きます」と単独行動するウルトラシリーズのお約束も背後に屈強な自衛官が多数映っているのでは「出口に近い隊員に指示した方が早いのに不自然すぎ」でしょう。まぁ前半は「シン・ゴジラ」ファン向けのサービスシーンでしょうけど。

 

②政府や外交の駆け引き

これも「シン・ゴジラ」同様にテンポ良く早口セリフと表情で見せるのがうまいけれど、「シン・ゴジラ」では感情移入させたいためか日本被害妄想な視点も感じましたが、この「シン・ウルトラマン」は色々な思惑が並立している感じウルトラシリーズ風に思えて私は良かったです。

 

③仲間との描写

相棒役の長澤まさみの「こんな奴いるか」感は「シン・ゴジラ」と同じですが、変態的な「匂い」シーンも主人公側は健全で、「バディ」軸の会話もシンプルで判りやすかったと思う。ゼットンと人類の関係も(賛否あるけど)まぁオリジナル尊重でした。

 

シン・ゴジラ」と違ったところ

①意図的に昭和な特撮

怪獣もののリメイクでは、ハリウッド版「ゴジラ(GODZILLA)」のようにオリジナルの雰囲気とは異質すぎて別物なものや、逆に「キング・オブ・モンスターズ」のようにオリジナルへのオマージュは素晴らしいしリアルだけど「CGでリアルにすれば良いのだろうか」とも思えてしまう(なんとも勝手なものだが)。

 

シン・ゴジラ」ではオリジナルの雰囲気を保ちながらもリアル路線だったけれど、「シン・ウルトラマン」は意図的な「着ぐるみ&人形」表現なのが、いかにも庵野氏の趣向に思え、しかし光線合戦などはド迫力で、これは一つの方向性と思いました。

 

当然「お粗末な画像、幼稚な特撮」との批判も多いし、予算制約もあるようですが、良くも悪くも意図的かと。

 

②オムニバス的

ゴジラシリーズは映画なので巨大な敵を倒しておしまいですが、ウルトラシリーズはテレビシリーズなので毎回相手が変わり、たまに関連性もあったりします。

 

「シン・ウルトラマン」も複数の怪獣(禍威獣)や宇宙人との闘いで構成されていて、実は関連したり、「何故日本ばかり襲われるのか」とのお約束へのツッコミにも関連して、ここはウルトラ風で良かったと思います。

 

カタルシスが少ない(軽いネタバレ)

いくつか感想を拝見すると、やはり感じている方は結構いる気がします。

 

怪獣ものはどれも最後はクライマックスや必殺技で盛り上げるし、それはウルトラシリーズや、スポ根もガンダムエヴァも基本は同じでしょう。

 

ところが「シン・ウルトラマン」は実は最後の2戦は余り激しくないし、子供の憧れだった「光の国」が実は敵みたいで最後もすっきりしないので、観終わると消化不良に感じます。

 

ただ初代「ウルトラマン」は最初に書いたように、ウーやシーボーズなど最後は倒さないけれど人気の高い回も結構あるので、これもスタッフの意図的な構成かなとも思いますが。

 

賛否をまとめると

  • 禍特対が数人だけで不自然」これは「マジンガーZ」の光子力研究所とか「ガッチャマン」の科学忍者隊も含めて「ヒーロー側の部隊は数人まで」な伝統だけど、前半で「シン・ゴジラ」風に中途半端にリアルに自衛隊と行動したせいもあって目立ってしまった。
  • 画像も特撮も下手」これは人形・着ぐるみの昭和の特撮再現とか、人間巨大化の静止画風も異質感を出す意図的と思うけど、ここは評価が分かれて仕方ないと思う。何でも「リアル」が良い訳ではないけれど、「シン・ゴジラ」と比べると映像全体が安っぽいのは否めない。
  • 複数の話が詰め込まれて散漫」これもウルトラシリーズ再現なので半分は仕方ないのでは。
  • なぜ人間の味方するのかわからない」これもウルトラシリーズだから(こればっか笑)。いくら説明しても、最後は論理的ではない「責任感と想い入れ」で仕方ないのでは。
  • 腰を叩くアップがセクハラ長澤まさみはセクシー役で、真面目な主人公には効いてないから必ずしもNGではないと思うけど、過剰なドアップの繰り返しが下品に見えたと思う。例えば画面の隅でポンとやって、気付く人は気付く程度がスマートだったかと。
  • 最後に爽快感が無い」実は初代テレビ版のラストは、もっとあっけなく倒して「ええー」だったので、これでも無理やり共同作業にして盛り上げたとは思う。ところで一番最後の「結局どうなったのか」の判断を観客に委ねるスパッとしたエンドは個人的には良かった(後日談を延々はダサイ派なので)。これも賛否は分かれているようですが。

 

それではまた。

映画「アイの歌声を聴かせて」実は名作説は本当だった

10月29日公開で既に打ち切り懸念の「アイうた」だが、ツイッターで実は名作説が聞こえて試しに観たら、普通にとても良くできた映画だった。騙されたと思って無情報のまま観るのが吉。アニメというより映画ファンに。(最終更新 2021/11/14)

 

ポスターなどの画像は、悪いけどキャラデザ、美術、作画どれもキャッチーでないし、新しさが感じられない、つまり地味すぎ。歌の土屋太鳳のファンだけが行く作品かな、とか思う(失礼

www.youtube.com

 

ところがSNSで一部ファンから熱狂的な評判が聞こえてくる。ほんとか?

SNSで広がる『アイの歌声を聴かせて』の感動!ミュージカルアニメ映画史上最高の名作を絶対に今週末に観てほしい理由 | cinemas PLUS

 

公開2週間後の11月13日、早くも渋谷で上映館が消え、109シネマズ二子玉川でも早朝8:30のみで、館内にはポスターなど皆無の扱いで、10シアター中で一番座席の少ない部屋なのに空席半分の中で観ながら思った。

 

クチコミ人気爆発作品は事前認知度は低くても、「カメラを止めるな!」は一見してうまいカメラワーク、「この世界の片隅に」は原作通りのキャラと映像美、そして「若おかみは小学生!」は全編驚きの作画・美術・音響レベルと、冒頭から誘因力があるのに「アイうた」は冒頭もやっぱりキャラデザも美術も作画も平凡な感じだ。

 

最初は「サマーウォーズ」チックに始まり、少しローカルな普通の街で各デバイスだけ最新AI搭載の描写は今風で良いなーとか、主人公サトミがAIシオンに会ってすぐ秘密を守らねばと思うあたり説明セリフが最少でうまいな、と思う程度だったが、典型的な勘違い嫉妬のヤナ女役で出てきたはずのアヤが教室の画面の左下隅で微妙なリアクションをするあたりから、あれ、実は群像劇で演技が細かいんじゃないの、と。

 

そして「ポンコツAIが引き起こす学園ドタバタコメディ」なのに早々に皆にバレて、残り時間は何するんだーとか思ってると、万能イケメン風なのに悩みもあるゴッちゃん、それを理解はできないままで友人達でもある、マニアなトウマや柔道一直線なサンダーとの会話がリアルでホントにありそうだ。

 

そう、2階に居るシオンをサトミの彼氏と誤魔化すトウマが画面隅ではたかれたり、サトミのためのトウマの歌に「歌詞も違うし」と突っ込んだり、アヤがシオンの身代わりに歌おうとしてすぐ諦めてゴッちゃんに突っ込まれたり、登場人物ごとの背景ある細かいセリフや演技が、画面の端を含めて全編続くのだ。実写なら俳優のアドリブもあるけど、アニメでこれって凄いんでは。

 

とまあ細かい発見は以下の長すぎるタグが面白いし、再発見が沢山あるくらい実は凝っている。

#細かすぎて伝わらないアイの歌声を聴かせてのここが好き選手権 - Twitter Search

 

アヤとゴッちゃんだけで1本作れるのでは、なんてツイートも見かけるようにサブキャラも実在感がある。

 

つまり「アイうた」には、宮崎アニメの超絶作画とか、「天気の子」の主観的リアル新宿美術とか、「竜とそばかすの姫」の魅力的な細田キャラとか、そんな花は一切ない。星間エレクトロニクスのツインタワーの外見は最後まで平面的だし、滅茶苦茶動き回るようなアクション作画シーンもない。

 

むしろ、星間に捕まって個別に説教を受けるシーンで、椅子だけ映ったらサンダーが窓に壁を押し付けられる(単細胞!)とか、ベッドでシオンが眼を開けるとか、無暗に枚数を使わずに効果を出しているのがうまい気がする。

 

観終わってから、この作品は地味なキャラデザや作画や美術で正解なのではと思えて来た。シオンの美少女やゴッちゃんのイケメン扱いも所詮はこの高校内の話だし、「桐島、部活やめるってよ」みたいに普通の高校生の登場人物数名に実在感があれば良くて、アニメで映画してて凄いんじゃないか...とか。

 

なおIT関係者としては、古典的な人間vsロボット対立ではなく、代わりに一般人がみな非常停止ツールを持ってるのは納得感あるし、ファイヤーウォールとかビル全体オフラインとか最低限のセリフでうまく済ませてたし、ラストの「空へ」は歌詞だけでなく、ネットへ脱出では別れにならないし人類の生死をAIが握ったホラーで終わらせない配慮もあると思う。まぁパスワードに誕生日(数字8桁だけ?)は、半沢直樹じゃあるまいし、今ではありえないが一瞬のセリフなのでご愛敬スルー。

 

まぁ巨大企業とのバトルはちょっとテンプレ感だけど、最後のカタルシスには仕方が無いし、単純な善悪では終わらないし。

 

そしてミュージカルだけど単なるファンタジーパートではなく、劇中で実際に歌ってるシーンだし、歌詞がいちいち話にシンクロして、エンドロールの後まで旋律が残るのが良い。

 

最後にネタバレは避けるが、AIものなので、やはりアシモフの古典的SF名作「私はロボット(われはロボット)」や、その影響を受けた手塚治虫の「火の鳥」シリーズ、そしてスピルバーグの映画「A.I.」などに流れる、ロボットは果たして自己学習(自己進化)ができるのか、できるならばそれはもはや生命(友達)と言えないのか、といった哲学的発想も共通するし、また作中ではそんな話に触れないのもいいと思う。今もいるのかもって夢があるし。

 

そして一般的日本人が最初に身近な学習型AI(育成ゲーム)としてすりこまれたのは、やはり「たまごっち」と再認識させられた。(オタク向けには赤井さんキャラのPCゲーム「プリンセスメーカー」が先でしたが。)

 

という訳で、地味要素満載ながら、実は映画好きにはお勧めしたいし、伏線回収の嵐なので映画館でじっくりが向くけど、果たして打ち切りか逆転ロングランか注目されますね。

 

PS. これ書いてる途中でTV CFを初めて見たけど、やはりとっても地味~(苦笑

 

(了)

 

映画「時計じかけのオレンジ」実は政治風刺が現代的だ

前回書いた「博士の異常な愛情」の次はやはりこれ。「時計じかけのオレンジ」(1971年、監督 スタンリー・キューブリック)。

 

多くの記事やブログで紹介の通り、美しい音楽に合わせた暴力シーンが衝撃的なキューブリック監督映画だが、見返して感じた事をいくつか。

 

  1. 近未来SFでCGも無い時代もあるのか、大半が屋内、屋外もごく一部で舞台演劇な感じ。やはり造形が印象的な近未来SF映画華氏451度」(1966年、原作 ブラッドベリ、監督 トリュフォー)も連想して、古臭い印象もあるし、断片映像から人間の内面を象徴的に描く作品なのでこれでいいのだ、な気もする。
  2. 時々のワンカット長廻しが異様でいい。冒頭から観客を引き込む有名なアレックスの眼からミルク・バー室内への引きは勿論、定点的な客観描写が逆に怖い「雨に唄えば」の暴力シーン、開放的な川辺から暗い橋下まで情景が暗転して恐ろしい高齢浮浪者再会シーンなど、記憶に残ってしまう。
  3. なんか最初の紹介部分は大友のAKIRAにも似てる。若者不良グループがドラッグで暴走族、対立抗争では敵側を更に悪く描く、主人公は大人には卑屈さを込めた言動で馬鹿にする、など。読者の共感ゲットには自然な構成ながら。
  4. 今回、政治風刺がかなり入ってる事に気が付いた。ごく断片でしか語られないが近未来のイギリスでは政府は効率重視な全体主義(格差拡大、人権軽視の新政策で刑務所を開けて政治犯を入れる)で、悪い意味のポピュリズム(国民は愚かと思い当面の選挙優先で政策を簡単に変える)な政府で、それに反対する作家など(恐らく左派陣営)は政府の新政策の反人道性を訴えて主人公の自殺を望むが、政府に排除された(ようだ)。ディストピア的な舞台背景はオーウェルの名作「1984年」にも通じるが、「時計じかけ」ではマスコミと選挙はあり右派は新自由主義的な権威主義、左派は政府批判重視でルサンチマンを抱えるなど、既に現代的な構図なのがさすがと思う。イギリス人の皮肉を込めた政治的嗅覚なのだろうか。そしてこの世界で主人公の両親が、本当に普通で平凡で善良で愚かな一般市民で、でもその立場になって想像すると悲しくなってくる作品でもあるのでした。

 

(了)

 

映画「博士の異常な愛情」この美しくクレイジーな核爆発

U-NEXT解約前に古い映画を再鑑賞してる。U-NEXTに特に不満は無いが、4 ユーザーIDあっても家族は見ないし、1人なら月額1990円は割高なので。

 

正式タイトルは「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」、鬼才キューブリックの最後のモノクロ作品で、ブラックな風刺コメディでピーター・セラーズ主演(一人三役)だ。

 

小学生の時にTV、学生の時の池袋文芸座と、今回で3回目と思う。文芸座では観客が、陰謀論に陥った将軍の説明の「体液」あたりで笑っていたのがちょっと違和感。面白いけど、陽気にアハハと笑えるシーンなのだろうか。

 

「政府や軍の首脳陣のドタバタ劇」と思われそうな作品ながら、実は各登場人物はよくやってる。だからこそ「これでもダメとは、今の世界の方が変なのでは」との風刺が効いてくる。

 

  • まず美しい音楽と手描きクレジットにB-52爆撃機空中給油の映像が違和感なオープニングが洒落てる。
  • 爆撃機機長のコング少佐はテキサス訛りの不器用な軍人だが、「R作戦」発動後の機内スピーチは名演説と思う。「私は演説は苦手で、皆も複雑と思う。平気で核兵器を落とす奴は人間じゃない。しかし我々を期待している国民がいる。うまくいけば皆昇進できるぞ。人種や宗教の差なく皆一緒だ。」素朴ながら皆の不安を汲み取り、士気を高めて一致団結、モラルあり差別主義もなく、みんなでこのB52を応援したくなる(それが人類破滅になるのがブラック)。反軍や反米に見えないための重要な存在だ。
  • アメリカ大統領は決断まで20分の中、冷静に状況を聞いて、次々に手を打ち、酔っているロシア(ソ連)の首相に懸命の説得を試み、全面攻撃は即却下する。ほとんど理想的対応なのが凄い。これはイギリス派遣将校のマンドレイク大佐も。
  • ストレンジラブ博士マッドサイエンティスト風だけど実は解説役が大半。でもラストの「私に考えがあります。総統、私は歩けます」はナチス選民思想復活か、人類非運命論か、両方に解釈できそう。
  • そして美しい「また会いましょう、笑顔を忘れずに、青い空の輝きが黒い霧を払うまで」の名曲が核爆発連発映像にかかり、放射能半減期の100年後まで地下生活する人類の明るい将来を希望を持って歌い上げる?有名なブラックすぎるエンディングは、後の「時計じかけのオレンジ」や「2001年宇宙の旅」でのクラシック音楽(更には「DAICON IV」核爆発による地球再生)にも通じる映画ならではの価値転倒なミスマッチの妙ですね。

 

この作品は良く「米ソ冷戦時核兵器均衡を風刺」と形容されるけど、STARTなどの戦略兵器制限条約は色々できたものの、相互確証破壊(MAD)自体は今の米ロ間も全く変わっておらず、世界が慣れただけ。双方の規模も体制も中国や北朝鮮の比ではないのですけどね。

 

(参考)

予告編(なんか、わけがわからないですね)

オープニング

エンディング

町山智浩の映画塾!「博士の異常な愛情」<予習編> 

『博士の異常な愛情』シリアスドラマをブラック・コメディへと変貌させたキューブリックの革新性

 

(了)

 

映画「TENET テネット」うーん

映画「TENET テネット」(2020公開)見た。軽いネタバレあり。

 

クリストファー・ノーラン監督が「ダークナイト」で見せた、表情を抑えたアップ連続での観客が窒息しそうな息詰まるダークな人間描写は健在だった。

 

前回作「ダンケルク」では得意の主観映像と違ってスペクタクルシーンに無理を感じたけれど(以前の 映画「ダンケルク」いまいち 参照)、今回は戦争ものでもない。

 

しかもタイムリープの時間ものとなれば、ハインラインの古典小説「夏への扉」、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」、「君の名は。」などのファンとしては見ない訳にはいかない。

 

(脱線)ところで私はコロナ禍以来初めての映画館で、入口で半券を切らない、1席間隔の座らないでください表示、20分間で全空気入替との換気案内映像を初体験。たまたま109シネマズのファーストディ(毎月1日は大人 1200)で、ファンな「NO MORE映画泥棒」の逃げ回る新作もスクリーン鑑賞できた。

 

タイトルの「TENET」は「信念」などの意味だが、回文で主題の時間逆行にかけてる。

 

冒頭のキエフの劇場でのテロ事件はガス攻撃を含めて、2002年のモスクワ劇場襲撃事件(チェチェン独立運動)がモデルと思うが、広いホールと狭い通路の対比が効果的な導入。

 

ちょっと不可解な画面があちこち出ても「君の名は。」同様に覚えておきたい。

 

ただスパイものなので絶体絶命の危機連続は良いが、敵の機嫌次第で簡単に殺される場面や、銃撃の中で全く当たらない場面が何回も繰り返されると、偶然すぎてリアリティが減ってくる気がする。せめてパターンを変えて欲しかった。

 

売りの時間逆行は、SF的に時間の整合性を発見したり語り合って楽しむ作品なのか、「マトリックス」のように「んなバカな」と気軽に映像を楽しむ作品なのか。多分後者かな。

 

バンジージャンプでのビル侵入は、ゆっくり上昇が新鮮だった。

 

ただ普通のスパイ映画は小さな工夫で大きく実現なのに、空港もハイウェイもヨットレースも大作戦な割に目的が単純だ。見せ場と伏線作成優先なのか、無駄すぎる作戦に思えてしまう。

 

ハイライトの赤/青腕章の2部隊突入は映像的には面白く、遠景でどう見ても後ろ向き歩きしてるのはご愛敬だが、なんで逆行部隊先行で先に地上の敵を一掃しないの?と、つい思ってしまう。

 

そしてハイライト山場の対決は、相変わらず主要人物は流れ弾も気にせず、結局は普通の地味なバトルなのはちょっと残念。時間ものなのに時間が決定打には見えない。

 

後半で種明かしは「カメラを止めるな!」形式かも。

 

人間も映像も魅力的で緊迫感あるけど、気楽に見ると話がわからず、真面目に見ると色々気になってしまう、ちょっとうーんな感じでした。

 

(了)

アニメ「リズと青い鳥」

劇場アニメ「リズと青い鳥」(2018年)は「響け! ユーフォニアム」シリーズ(TV 1,2期、劇場版 1,2)のスピンオフ作品で、無口なみぞれと良く喋る希美(のぞみ)の2人を描いた映画的な佳作だった。

 

U-NEXTで2か月前の別料金から「見放題」(標準料金のみ)になってたので観た(我ながらせこい)

 

ユーフォ」は吹奏部という珍しい舞台とアニメでのリアルな演奏描写で話題になったが、実は学園スポーツもの王道で、経験者の主人公が入部、そこへ鬼監督登場、割れる仲間、実は複雑な人間関係、過去や想いですれ違い、でも最後は大会に一致団結、ハイライトシーンは音楽で盛り上げ、という判り易い青春群像ものが背骨だった。

アニメ「響け!ユーフォニアム」1, 2期の感想 - らびっとブログ

 

「リズ」は違う。

 

宣伝画像も地味だが中身も地味。極論すると女子高生2名だけの全編百合、何日か練習してるだけ、事件は何も起きない、大きな変化すらない、最後の大会もない。「なにこれ」と思う人は多いと思う。

liz-bluebird.com

 

 

でも冒頭の20分間がもう圧巻だ。

 

カラフルで水彩風の絵本パートでの、暖色系のリズと赤いアクセントのある青い鳥。

 

直後の対比的にくすんだ色調のシャープな現実パートで、3年生カラーの水色の中に瞳の中の赤がアクセントなのぞみ。

 

そしてただ校門から部室へ登るだけの主人公2人の、足元アップでの微妙な感情描写、ハンディカメラ撮影風の画面揺らしフォーカス(背景や前景のピンボケ)の多用、露光過多のような自然な明るさなどが、これでもかこれでもかの連続波状攻撃で観客を引き込む。

 

そして頻度は変わるがこれらは全編ちゃんと続いて統一感。

 

画面揺らしやフォーカスはハルヒの God Knows! でも効果的だったが、「リズ」では頻度や細かさがパワーアップしてる。もはや特殊効果というより標準効果か。

涼宮ハルヒの憂鬱 God Knows!

 

京都アニメーションは、最初はハルヒのGod Knows! やらきすた OPなど特定パートがオタク的に評判になり、次にけいおん! で生活感ある作画とシリーズ全体の安定品質が更に評価されたと思うけど、この「リズ」はアニメと実写の境界的な描写をギリギリに、でも単なる「リアル風な絵」ではなく「絵」を基本にした、情感を丁寧に伝える1つの到達点かと。もはや映画だ(映画だけど)

 

同じシリーズ内でファンのイメージも守りながら、登場人物によって世界の描き方(演出)自体が大きく違うというのは、チャレンジングと思う。更に発展できそう。

 

細かい話では、ちょっと昔のカルピス劇場(世界名作劇場)みたいな絵本パートでリズのハンカチが風で空に舞い上がると、青い少女が思わず飛ぼうとする足元のアップ(これまた足元だ)。これだけで十分でうまい。

 

ただハイライトシーンと思われる最後の練習シーンは、画面揺らしやフォーカスの総動員ながら無理に盛り上げてないのがいいけど、そのせいでちょっと盛り上がらない(どっちだ!)。ここは悩ましい。趣味が判れそうだ。(実はフルートとオーボエの変化がさっぱり聞き分けられない自分が悪い気もする。)

 

そしてラスト。2人の会話のすれ違いが、やっぱりずっとズレたまま、でも少し変化している。多分そうして続いていくのだろう。それだけなのがまたリアルだし納得感。

 

従来手法を丁寧にリファインしていった形での京都アニメーションの、もはやアニメというより1つの映像作品に思うのでした(アニメだけど)

 

(了)

「カメラを止めるな! スピンオフ 『ハリウッド大作戦!』」

タイトルが長いがクレジット表示通りなので仕方ない(笑)

同作(2019年)は、前作 「カメラを止めるな!」(2017年)のスピンオフドラマとしてAmeba TV配信と限定劇場公開された。これも劇場は見損ねたので今回U-NEXTで観た。未見の方も多いと思うので前作以上にネタバレは最小限に書きたいが、ネタバレ無くすと書く事が無くなってしまうので困る。

 

前作のスタッフ・キャストがほぼ再結集。続編や新作というより、スポンサーのネスレ提供の前作ファン向けの同窓会的なプレゼント企画という感じだから、厳しいコメントは野暮かも。

 

こういうのは同じキャラやパターンを期待するファンも、新展開を期待するファンもいるのでバランスが難しいと思うけど、「全く同じじゃないか」という構成と、「でも重要なポイントがいくつか違う」の両面があり、どうにか両方クリアできたように思える。

 

なお前作は緻密な伏線回収の宝庫だったけど、当作は単純化して絞っている。こだわりたい人には物足りないが、メインテーマはシンプルになったのでは。「ハリウッド」がいくつかの意味を暗示している。

 

とはいえ、前作は見返すと再発見が楽しめたが、当作の前半のハリウッドサインは白すぎて詐欺っぽい(我ながら苦しい表現)。

 

最後に。前作では従来はヒロイン役(秋山ゆずき)と監督役(濱津隆之)がうまいと思っていたけど、前日に前作を見返したら実は娘役(真魚)がすごくうまい気がしてきた。そして本作を見たら確信に変わった。演技に見えない雰囲気だ。今後も期待したい。

 

映画「カメラを止めるな!」はワンカットと悪役が良い - らびっとブログ

 

(了)

映画「カメラを止めるな!」のワンカットと悪役評価

話題作「カメラを止めるな!」(2017年)は劇場で1回、テレビ録画で3回見たが、スピンオフの「ハリウッド大作戦」を観る前にとU-NEXTで見直した。公開当時はSNS時代なのにネタバレ防止がかなり守られて映画ファンのモラルも話題となった。

 

最初は既に評判が高まってからだが「冒頭37分はワンカット・ワンカメラ」だけの知識で観て、何故か静かな劇場で、監督が実は私怨で女優・男優に詰め寄るシーンは吹き出してしまった。

 

この作品は映画製作や業界モノに興味がある人には面白いと思う。でも現実から離れて美しい映像や感動ドラマを求める人には「なにこれ」かも。「面白さがわからない」という感想も結構あるけど、それでいいと思う。

 

まず冒頭37分は本来「違和感だらけの素人フィルムだ金返せ」と思わせて、後半で伏線回収(というか種明かし)する構成と思うのに、個人的にはワンカットが凄すぎて驚愕して、いまいちのれなくて困った。

  • もちろんB級ゾンビ映画は、特殊メイクとカット割りで持ってる低予算の代表格なので、「ゾンビ映画をワンカット・ワンシーン」は聞いただけで無謀だ。
  • そこでワイドショーの芸能人街歩きのように、絵になる地点は決めるけど後はカメラが単に役者に同伴する形と思っていた。
  • ところがいきなりハイライトシーンで個々のカット(?)が本格的、廃墟の特徴的な丸窓や天井や機械をうまく映す、カメラは室内別通路で並行移動、そして劇中劇とスタッフ視点の間の切替もスムーズ(監督がカメラの後ろに回り込むと劇中劇復活とか)など、37分間の撮り方を綿密に計算してたとしか思えない。
  • 更に後半は細い地下道や屋上階段で、スタッフ並走もできずカメラがこけたら全部取り直しで、無謀すぎ、バカなんじゃないの(ほめ言葉)と手に汗を握ってしまった。

 

そして後半のメイキングもどき。

  • よろしくでーす」は何回見ても本当にムカつく(これもほめ言葉)名セリフだ。
  • 多数のスタッフがカメラに映らないよう黒子として大活躍するのが目玉だ。
  • しかし何回見ても事故で参加できなかった2名(劇中劇の監督役とメイク役)は印象に残らない。もう少しキャラ立てても良かったのでは。(すみません顔を覚えられない人なので。)
  • 好きなシーンは主人公の監督がラストシーンの変更を迫られた時に娘の真央がそれを見つめるカット。他よりやや長めで、何も言わない、動きもしないが、制作者の情熱が親子間で初めて共有できた瞬間だ。主人公の「わ、わっかりました」の飲み込むようなセリフは社会人なら共感できるのでは。

 

最後に。2人のプロデューサーはもちろん「上の都合で現場に無理難題を押し付ける悪者役」だけど、社会人視点で見ると結構有能。何故かこの評価は少ないけど、色々に思えるのは深い。

  • イケメン・プロデューサーの古沢は、思わぬトラブルに直面しても、すぐに次善の判断をする。現場の手伝いはしない。実は実世界で一番困る上司は、判断を先送りしたり曖昧にしたり、逆に現場の手伝いを始めて本来の役割(ロール、決断)から逃げてしまうこと。特にテレビ生放送なら、職人の拘りより放映を守る事が優先だ。最後に放送中止に傾いたのも、良い手段が無ければ正しい判断だった。(強要されたにせよ)彼がOKを出したのでラストシーンもできた。決して個々のスタッフに介入したり、精神論などの圧力はかけない。日本人的には悪役かもしれないが、自分の役割を判っているマネージャで、ある意味理想の上司かと。
  • キャラ抜群のテレビディレクターの笹原は、無茶な企画の根源だし、トラブルを「こだわりのポイント~」などと適当な事を言って最後はスポンサー?と飲みにいくなど終始現場無視だ。しかしもし真面目なプロデューサーなら、スポンサーにトラブル続出がばれまくりで、放映中止されなくても責任や賠償や処分で現場を巻き込み大騒ぎになる筈なのに、結果的に上層部から現場を守って大成功の形にしたのは凄い。彼女の場合、ごまかす以前に本当に判って無いようだが、しかし不思議と現場とは別世界で、明るさで会社や人間を繋ぐ人もいて世の中は回っている面もあるなぁと痛感させられた。

 

無茶もトラブルも続出の困った世界だが、結果的に皆いいチームだったと思えるハッピー映画でした。

 

「カメラを止めるな! スピンオフ 『ハリウッド大作戦!』」 - らびっとブログ

(了)

映画「ダンケルク」いまいち

映画「ダンケルク」(2017年)は映画館で見損ねて、やっとU-NEXTで観た。ダンケルク第二次世界大戦初期の重要な撤収戦だが描いた映画は珍しく、「ダークナイト」などで人間の描写に迫力あるクリストファー・ノーラン監督だからとても楽しみだった。

 

映画は以下が同時進行で交互に描かれ、最後にほぼクロスする。

  1. ダンケルクからイギリスへ陸から船で脱出(1週間)
  2. イギリスからダンケルクに救援に向かう民間徴用船(1日)
  3. イギリスからダンケルクに向かう戦闘機(1時間)

 発想は面白いが各シーン間の時間が異なるので、シーンが変わると突然夜になったり、その次は前の昼がまだ続いてたり、同じイベントが別の視点でかなり後から再び描かれたり、変な感覚だ。

 

映画でもドイツ軍の戦車が止まったと話が出る。ヒトラーが袋のネズミ状態の憎き英仏軍を前に停止を命じたのは謎とされるが、電撃戦の空前の大成功の後で最後に慎重にしたのはわかるような。そもそも数や国力で劣るドイツは消耗戦は避けて戦略的勝利を重ねるしかない。しかしこの間にイギリスは民間徴用船を含めた大撤収を成功させてしまい、後の連合軍による西部戦線反攻(D-Day)に繋がってしまうのだ。仮にナポレオンなら撃滅戦を行ったのではないか。

 

映画の冒頭ではイギリス歩兵が街で銃撃に追われ海岸に辿り着くが、説明なし、敵は見えない、主人公にカメラが付いて回ると、後の「1917 命をかけた伝令」(2020年)の奔りみたいだ。

 

しかし細かい揚げ足を取るようだが、色々とリアルに感じられない。

  • 人間なら撃たれたくない。まず銃撃された方向を考えて物陰に隠れながら逃げるのが普通なのに、道の中央を皆でどんどん歩いて次々撃たれて減るなんて映像&ストーリー優先とは思うが不自然すぎ。
  • 船のすれ違いもスピットファイアの編隊も間隔近すぎ。映像優先はわかるが、これではアクロバットだ。
  • 砂浜に並ぶ兵士を上空から海岸線に沿って延々と何回も映す、ここが I-MAX 撮影の見せ場と思うが、30万人もの大撤収なのに人数が余りに少ない。民間徴用船も10隻くらいしか見えない。安易にCGを使わないのは偉いが、予算制約なら見せ方を考えて欲しい。しかも後ろの街並みは現代風で綺麗なのも違和感。
  • スピットファイヤは何回も敵機と遭遇しては撃ちまくる。弾切れが心配になる。「紅の豚」ではここぞという瞬間だけ押してたが、なんか幼児用テレビゲームみたいだ。あと弾が届く時間を考えて敵機より少し先を狙うべきじゃないのか。

 

それでも肝心の人間が描けていれば良い。民間船の3名、特に船長のドーソンと息子のピーターの演技はなかなかで、息子の変化がかっこいい。ただそれ以外は、船の沈没などの恐怖を監督得意の描写で描いて窒息恐怖症になりそうで迫力満点なのだが、しかし同じようなシーンが反復される。まぁダンケルクは海に追い詰められた話なので当然とはいえ、やっぱりワンパターン。どうせ細部はフィクションなので、「ダークナイト」のようにキャラクターに合わせた山場が欲しかった。

 

そして遂に3つのストーリーがクロス、といっても特に劇的に絡むわけでもなかった。これはリアルなのか拍子抜けなのか。

 

エンドはチャーチルイギリス賛美で終わる。「1917 命をかけた伝令」のように「実はもう一つ」がある訳でもない。この撤収成功で「ダンケルク・スピリッツ」が盛り上がったのは事実だが、なんだーただの英国ナショナリズム映画か、みたいな感じだ。

 

ただイギリスの田舎町で住民が「敗残兵」を温かく迎えるのは良いシーンだ。生きていれば次の希望もある。旧日本軍のような「お国のために死ぬことが名誉」「自分だけ生きて帰るのは恥辱」の精神論的美学ではない、しぶとい歴史と国民性を感じる。

 

確かにノーラン監督作品だったけど、なんだかなー、いまいちな作品でした。

 

映画「1917 命をかけた伝令」のワンカットと塹壕戦 - らびっとブログ

大林監督は「HOUSE ハウス」が一番

大林宣彦監督が亡くなったとの報道を見て、突然だが「HOUSE ハウス」(1977年)について書きたい。大場久美子でハウスでもククレカレーではなく映画の話です念のため。

 

著名な作品は皆さんが沢山触れてくれると思う。

  • ハイライトシーンが演劇か!の「ねらわれた学園」(1981年)
  • 元祖TS学園映画の「転校生」(1982年)
  • これぞ知世神格化映像の「時をかける少女」(1983年)

 

でも私には大林監督と言えば「HOUSE」だ。

 

CMで活躍していた監督の初劇場映画作品だけど「最初だからインパクト」ではない。大林作品を色々見てから、初期の作品らしいと雑誌「ぴあ」で見て板橋区あたりの名画座で一人で観たと思うがそのインパクトは忘れない。

 

映像の魔術師」と言われる監督だが、映像はリアルや幻想的というより、コラージュやサブカルの世界と言うか、安易なマンガでチープで手抜きにしか見えないシーン続出なのだが、それが前後の情緒的で耽美な当時の少女漫画的世界と不思議に繋がって飽きない。

 

そこが次第に世間一般向けに名作調になってしまった作品群とはまた別の、「こんな表現もしてみたい、これはどうだ」「映像は爆発だ!」なニッチでストレートな初期の破壊力が感じられる気がする。

 

それでいてファンタが可愛いアイドル映画だし(すみません大場久美子目当てで観ました堪能した)、友情出演の農夫(小林亜星)は笑えるし、おばちゃま(南田洋子)はディズニー映画悪役のように圧倒感あって美しい。

 

この予告編だけでもカオス満載(4/12 11:00 リンク訂正/追加)。

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AFSイベントでの予告編。アートだ。

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そしてこの導入部だけでも女学生世界の妙な平和さが違和感で既に怖い。

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違和感と美、破壊と計算が共存した気軽なコメディホラーかなと思う。良くこんな変な劇場映画を作れたものだ。

 

騙されたと思って探して観て欲しい。ただ「ほんとにチープじゃんか」とのクレームはスルーさせて頂きます(^^)/

 

ご冥福をお祈りします。

映画「ジョジョ・ラビット」に見るナチス

映画「ジョジョ・ラビット」(2019年、監督 タイカ・ワイティティ)を観た。

 

題名は「臆病者のジョジョ」の意味。コメディーだが主人公の少年ジョジョの心の友がヒトラーという一見あぶない映画で、アカデミー脚色賞受賞。

 

ヒトラーナチスも年月経過で色々な表現が一般にも許容されてきた流れですね。

 

例えば、後に「全体主義の起源」を書いた政治学者のハンナ・アーレントは、ナチス・ドイツから運良く逃亡できたユダヤ人だが、戦後のイスラエルでのアイヒマン裁判を傍聴して、彼らは邪悪な暴力主義者ではなく、むしろ我々と同じ小心者の人間と分析して、大多数の家族友人から非難され絶縁された。(なお周辺諸国は大量のユダヤ人亡命に対して国境閉鎖したため、多くが脱出できず強制収容所送りとなった。表面では反ナチスや理想を掲げても、目前の難民は見捨てたいのは変わらない。)

 

確立されたステレオタイプは強固。私が子供のころは、ヒトラーナチスは精神異常者で性的倒錯者の集団という主張が普通だった。(逆差別は不毛かと思う。「愛の嵐」なんて倒錯愛の映画もあったが。)

 

しかし、ヒトラーを人間として描いた「ヒトラー 〜最期の12日間〜」(2014年)や、現代にヒトラーがタイムワープしてくるコメディ「帰ってきたヒトラー」(2015年)などと同様に、本作も、相手を悪者に描くだけではなくて、あなたはどうなの的な視点もあって重層的なエンタメだった。勿論ナチスの主張や行為も後半かなり描かれている。

 

映画的には、主人公が映画デビュー作とか、コメディアン出身の監督がヒトラー役も兼任とか、観てから知った。多才だ。ビートたけしか。

 

大きなネタばれは避けるが、まずオープニングやジョジョの部屋が親衛隊などナチス風の凝ったデザイン満載で引き付けられる。そしてヒトラーの振る舞いや消え方が徐々に変化するのもうまいし、最後の方は記録映画かと思うほど演説が似ていてさすがコメディアン(これは少年の成長も表していると思う)。そしてジョジョの目線の高さに母親の靴のレイアウトがトラウマになりそう。

 

終盤では武器マニア風の女性事務員が子供達に「ほら、アメリカ兵にハグしておいで」と次々送り出すのが、ごく軽く描かれているのが却ってブラックだが、本国に攻め込まれて窮した国がやることはどこも大差ないということか。

 

つい、守備側は街頭に出て突撃しては不利だろうとか、敵占領直後に若い女性(ユダヤ人でもドイツ人)が身ぎれいにして家から出るのは危険とか心配してしまう。演劇に近いと思えば良いのですが。

 

いきなりソ連が出て、ここはエルベ川近郊かと驚いたが、直後の展開で納得。しかしこの使い分けはリアルだけどちょっとずるい。演劇に(以下略)

 

そしてラストは少女役のトーマサイン・マッケンジーの正面映像が目に焼き付いてしまったカットで終了。別の意味でずるい。しかし映画的な見事な構成でした。

 

映画「パラサイト 半地下の家族」勘違いな批評も多い

映画「パラサイト 半地下の家族」(2019年、監督 ボン・ジュノ)を観た。劇場混んでた。

 

個人的には絶賛の「グエムル 漢江の怪物」の監督で、カンヌやアカデミー受賞と聞いて期待してたら、うーん普通のテレビドラマみたいな展開で演出も普通、これはハズレだったかと思ってみていたら...

 

www.parasite-mv.jp

 

予告編で「ネタバレ厳禁」と出るけれど、実際そう思うので後半の展開は書かない。

 

サイトの監督メッセージには「道化師のいないコメディ」「悪役のいない悲劇」。なるほど。

 

まず、好き嫌いは分かれる作品と思う。それで良い。誤解を恐れずに言えば、映画好きな人にはお勧めしたい

 

次に、経済格差を舞台にしているけれど、単純な格差批判の社会派映画ではない。ある新聞が、貧困にしては半地下が広いと書いていたけれど、ちょっとズレてる。

 

また、貧しい家族が皆才能ありすぎとか、避難生活の日も立派な服装で出勤とかは確かに不思議だけど、そこは本筋ではない。

 

あと「日本は韓国に映画で負けてる」とかの単純な国家比較も見当違い。監督の作品はもともと面白いし、どの国でもつまらない作品は多い。受賞数での単純比較は形式の権威主義だろう。

 

登場人物が自分の想いをべらべら喋ったりしないから、「万引き家族」のように、観客が登場人物やシーンを感じたり解釈できる作品かな。

 

細かい伏線や暗示が多くて、宅配ピザが何回も出てきたり、家のカメラアングルが凝っていたり、何故か何回も見たくなる感じ。なお「プラン」は韓国で良く使われた言葉とか。なるほどです。

 

そして、最後は家族愛なのか、絶望なのか、将来への希望なのか、不思議なラストには江戸川乱歩の小説「人間椅子」を連想したのでした。あれは怖い!

映画「1917 命をかけた伝令」のワンカットと塹壕戦

映画「1917 命をかけた伝令」(日本公開 2020年2月、監督 サム・メンデス)良かった。お勧めです。戦争映画の形ですが、とても映画らしい映画でした。

 

ただ原題は単に「1917」。スピルバーグの「1941」やオーウェルの「1984」も連想する。日本人に第一次大戦が馴染みが低いのはわかるが、「命をかけた伝令」との副題はベタすぎると思った。

 

 

疑似ワンカット映像

 監督が祖父から聞いた実話がベースで、第一次世界大戦西部戦線を舞台に、無名の伝令が攻撃中止命令を伝令するだけの話だが、宣伝文句の「全編ワンカット映像」がうまく効果を出している。

 

「全編ワンカット」とは、事前の準備はとても大変だが、カメラは1台で済み、撮影も編集もわずか2時間で終了するので、大変楽な映画製作方法で、今後は主流になるといわれている。なーんてことは勿論ない(^^;

 

「カメラを止めるな!」の前半パートなどの「本当のワンカット」ではなく、ミュージックビデオによくあるデジタル編集でうまくカットを繋いで、ワンカットに見せているから、いわば「疑似ワンカット映像」。しかしそれでも、カメラ(観客)はほぼリアルタイムで主人公に同伴し続けて、更にレイアウトや映像が美しいので、体験共有できる没入感はなかなか。

 

しかし本当のポイントは「主人公がその時に見聞きできた以上の説明は一切無い」ことで、背景とか相手の想いとか、全て推測するしかない。ここは好き嫌いが分かれるし、分かれて良いと思う。私は良かったと思う。

 

1泊2日を2時間にするため、距離や時間はデフォルメされている。主人公の主観的時間軸でもあり、監督が演劇出身なのもなるほど。そして監督が人間の善悪対比のうまいクリストファー・ノーランの影響を受けているのもなるほどです。

 

ここで舞台背景の復習を。

 

西部戦線塹壕

 第一次世界大戦サラエボの皇太子暗殺事件を契機に、英仏露などの連合国と、独墺などの中央同盟国の間で4年間も続いた。当時は世界経済も好調で、各国は開戦を避ける努力をしたが、勢力均衡による平和を主張して数十年かけて構築した軍事同盟が、この時は単なる一地方の偶発的事件を世界戦争に発展させてしまった。

 

特に仏独間の西部戦線」といえば悲惨な塹壕だ。機関銃の発達と大量運用により、従来の騎兵や歩兵による突撃は鉄条網で足止めされ機関銃でなぎ倒されて、死傷者は激増、英仏海峡からスイス迄の長い国境線に大小の塹壕が何重にも掘られて、戦線は膠着状態に。

 

塹壕にいても狙撃や砲撃で死傷が続くが、無人化すれば占領されるため、ナショナリズムに燃えて戦場での華々しい活躍を夢見る若者が続々と補充されては、湧き水など劣悪な環境の塹壕で延々死傷する「消耗戦」が何年も続くという地獄。そう、兵士は消耗材なのだ。

 

だから塹壕戦は英仏独などのトラウマで、この悲惨を描いた小説・映画には「西部戦線異状なし」がある(悲惨な消耗戦の状態が「異状なし」という怖い題名だ)。またロンドンの「王立戦争博物館」には塹壕を模擬体験できるアトラクション風の展示もある(おもわず「かわいい」と思ってしまう悩ましい兵器の展示もあり、お勧めです!)。そして今も不発弾処理が続いている。

 

なお塹壕戦対策として毒ガス、そして塹壕突破のため戦車(イギリスでの暗号名「タンク」)が登場するが、この大戦では状況打破にはならない。(映画では放置された1台が見えるだけ。)

 

そして連絡は有線電話が中心のため、まだまだ「伝令」が重要だった(後に第二次世界大戦を引き起こすヒトラーもドイツ側の伍長で伝令でした)。

 

戦争映画かスリラーか

 映画に戻ります。

 

最初は木陰での休息から塹壕へ。それも平和そうな景色から、後方の食事洗濯などの生活から、簡易な浅い塹壕、そして前線の深い塹壕や疲れて荒れた様子まで、画面どうりに「地続き」なのが圧倒される。生活も戦闘も同時に続いているのが戦争だ。そして観客には、時間と距離のデフォルメも最初から始まっていることが判る。

 

途中で兵士の「クリスマスに帰れるか」の会話が聞こえるが、これは1914年の大戦勃発時の各国兵士の楽観論「この戦争はすぐ終わる、クリスマスには帰れる」をイメージしていると思う。

 

この映画は「戦争映画」か「スリラー」かの議論があるが、戦争映画としてシビアに見ると、いくつか気になった。

 

まず主人公ら2名が前線を突破するシーンでは、敵前かもしれない場所でも2名が常に一緒に移動する。ここでカメラは嘘のように離れたり回り込んだり水上を通ったりと「ワンカット」映像の凄さを見せつけるので、2名を常に近い位置に入れたかったのはわかる。しかしこれでは2人は良い標的だ。1名が構えて援護、1名が進むを繰り返さないと危険すぎ。戦闘は未熟な兵士なのかもしれないが、これは気になりまくりだった。

 

逆にドイツ軍の塹壕(要塞の一部?)はやけに立派でいかにもドイツという感じで面白かった。エイリアンとか異文化への侵入(^^;

 

そして狙撃兵の潜む建物への突入などは、映画の変化や時間経過の必要性はわかるが、兄を含めた1600名の命を救う使命を持った伝令としては任務の優先順位が疑問。同等の人数と武装なら守備側が有利だし、仮に勝率が0.5でも、川に沿って大きく迂回も可能な地形に見えるし、伝令を優先すべきと思ってしまった。

 
とはいえ相手の意図などが見えないのはリアル。助けた敵パイロットに仲間が刺されるシーンは「ひどい」とか「戦争の狂気」との感想も見ますが、捕虜は可能なら敵を殺して自力帰還すべきなのは基本任務。だから確保側も本来は威嚇しなから武装解除する。

 

このシーンでは救助を優先して武装解除の余裕は無かった訳ですが、パイロットは狂信的だったのか、パニック状態だったのか、捕虜は惨殺されると信じていたのか、何か誤解があったのか、そもそも主人公は見ていないので何もわからない。ただこの後で、それでも主人公は若い敵兵士を殺さないようと行動するが、また別の結果に終わる。結果的には間違った判断だったかもしれないが、戦争や人間はそういうものかとも思う。主人公はその時点でできる事を選択している連続なだけだし、説明セリフが一切無いだけに後々も考えさせられる。


そして後半は、照明弾らしき光で照らされる夜の廃墟、燃える街でのフランス人の婦人、合流した部隊などは、主人公も疲弊しているためか、戦争映画なのに美しくもあり、もはや幻想世界のようだ。

 
最後には任務の後で、実は別の伝令が残っており、木陰で休む映画の最初に回帰するようなシーンで終わる。伝令は総攻撃を中止させただけで、特に英雄でもなく、当時は多数繰り返された小さな物語の一つすぎない事を暗示しているようだ。

 

まとめ 

 「1917 命をかけた伝令」はスペクタル戦争映画ではないが、塹壕戦を舞台に、個人の小さな体験を観客が同伴し続けて、そして何を感じたかも観客次第という、売りは最新映像でも、実はとても映画らしい映画でした。

映画「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」が残念だった理由

前作の「この世界の片隅に」(2016年)は、本当に素晴らしい作品だった。それに約40分間を追加した新たな映画「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」(2019年12月)を、是非見たくてやっと正月に見たが、好きな作品なだけにとても複雑だった。

 

前作は、映画館で最初のシーンを見たとたんに引き込まれた。いきなり絵本のような緑がかった青い海と空、空想と混ざった幼い記憶が劇中劇のように語られて、オーバーアクションも紙芝居も避けた人間の細かい動作に枚数かけた実に丁寧な作画、そして物不足とか憲兵とか悲惨なはずのシーンまで最後はギャグっぽく軽妙にまとめてしまう原作の味、その品質がなんと全編続くのだ。こんな職人気質の良質な長編アニメーションが、大手商業ベースでなく(まぁ採算取れると思えない)クラウドファウンディングまで使って地道にこつこつ作り上げられた事に本当に驚いたし、素晴らしいと今も思っている。

 

もちろん「どこが良いか」は人それぞれで良いけれど、単純に「戦争もの」とか「反戦アニメ」や「戦争の悲惨さ」などの言葉を見ると「うーん違う」と思えるほど当時の世界や人間を描けている、少なくとも並のステレオタイプな実写よりはるかに。超ロングランが続いたのも納得の作品。

 

だから長尺版は楽しみだった。ただ題名は1作目題名への追加挿入が「さらにいくつもの」と「(さらにいくつもの)」が混在して検索でややこしかった(スクリーンでは「さらにいくつもの」が後から浮かび上がってくる。つまり括弧は無い。)

 

しかし劇場でショックを受けた。考証の進展に合わせて背景など細部が改良されていたが、肝心の追加シーンは全て色合いも作画もいまいちで、「あ、このシーンいいな!」と思うと、常に実は1作目のシーンだと気づいてしまう。

 

遊女の白木リンのエピソードが1作目映画では大幅に削られていたので、長尺版で「復活」したのは正しかったと思う。ただ、平版なカメラアングルで、長い会話の間も動作や表情変化も少なく、すずさんのまつげも妙に黒く硬くて、原作や映画1作目のような軽妙なオチも無い。お花見の桜も普通に見えてしまった。

 

歴史考証もいいけど、基本は人間ドラマなので人を丁寧に描いて欲しかった。まぁ1作目が秀逸すぎで、普通のアニメなら十分な品質ですが、一緒になると作品全体のレベルを引き下げてしまって哀しい。

 

救いは長尺版が「別作品」扱いなこと。これが「映像研には手を出すな」にロボ出演した「やぶにらみの暴君」のように、作者が後年作った低品質改悪版(「王と鳥」)を「本物」として、旧作を見つけ次第廃棄しだしたら「人類文化の損失だー」と耐えられないところでした。でもこれから観る人の多くは「さらにいくつもの」だけを観てしまうのだろう。

 

今も好きな作品にネガティブな事を言うするのは気が進まない(2か月弱かかってしまった)。

 

お詫びに「この世界の片隅へ」ファンの方へ。原作者のこうの史代の漫画「夕凪の街 桜の国」は短編ながら超名作です。こちらも是非(^^;

 

 

映画「アナ雪2」このシーンが凄い

映画「アナと雪の女王2」(2019年、監督 クリス・バック)の感想です。「ここが凄い」と「ここが気になった」をなるべく簡単に。軽いネタばれあり。

 

 

ここが凄い

 

2013年の前作「アナと雪の女王」の6年ぶりの続編で同じ監督。ディズニー長編ヒット作の「2」なので、前作のイメージや各キャラクターのファンを裏切らず、しかし新しい面も求められ、勿論「政治的な正しさ」(PC)も厳格に求められるので大変だ。

 

でも「2」は「1」の世界観を保ちながら、舞台や話を発展させて、スペクタクル要素の爽快感も出せたと思う。いきなり国王と王妃まで出てきたのは驚いたけど。

 

最初の登場人物紹介も、エルサがうっかりバルコニーの手摺を氷らせたり、街の子供に氷細工を依頼されて苦戦した表情したり、クールで万能なだけでないところが幅があって楽しい。

 

また「1」ではほとんど描かれなかった城の従者や、王族関係以外のシニアなカップルや平民同士のカップルも登場して、さすがの多様性配慮。

 

アナとクリストフの似た者同士漫才も面白い。

 

「イントゥ・ジ・アンノウン」(心のままに)も慣れてくると今回も名曲で松たかこさすが。

 

そして「2」ではエルサが陸海空の戦闘シーンで大活躍。今回も能力を使う前の「ため」がうまく、いざとなると両脚をふんばる古典的プリンセスを超えたポーズまで。でも必殺技はティアラ形の氷バリヤーで、実は「1」の戴冠式と同じデザインのサイズ違い、あくまで防御メインと一貫しているとこがいいですね。

 

ここが気になった

 舞台的に仕方ないけれど暗い画面(夜間、霧、水中、地下)が多かった。

 

そして今回のテーマ「なぜ、エルサに力は与えられたのか―。」は、何故危険を冒して、一緒に行くとのアナとの約束を破ってまで、エルサが謎の解明に突き進んだのか、その心情がいまいちわからなかった

 

もちろん「何故エルサだけ魔法が」「謎の声は」「アレンデールの異変は」「深い霧は」「戦闘理由は」「ダムは」「複数の魔法が」「あの海難は」「北の島とは」と謎三昧の構成ですが、「私はどうしても解明したい」と想いが、「イントゥ・ジ・アンノウン」の歌詞以外には見えなかった。

 

「1」でも想いはミュージカルパート自体で語っているけれど、ミュージカルの中で揺れる想いが描かれていたのと比較すると、「2」ではちょっと一本調子に見えてしまって、やっぱり「1」の方に共感できたのでした。

 

(おまけ)「3」も可能な終わり方でしたね。さすが商売上手(^^;