らびっとブログ

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消費減税論に反論する。

衆院選から1週間だが、4野党共闘の共通政策にも含まれた「消費減税」に遅まきながら反論したい(4党中、立憲民主党は抵抗したが最後は共闘を優先して合意した)。

 

まずネットで見かける以下の二元論は(一面の真理は含まれているが)単純すぎると思う。

  • 消費増税=緊縮=財政健全派=財務省=高齢者向け政策=悪
  • 消費減税=景気=庶民の味方=市民派=若者向け政策=善

 

結論を先に言うと、私はコロナ禍など非常事態下での一時的な減税は必ずしも否定しないが、消費税(間接税)は世界的に一般的で、それ自体を敵視するのは間違っているし、最後はバランスだと思う。

 

まず自由放任だけで理想の所得分配はできない以上、富裕層への課税と貧困層への再分配は必要で、社会安定化は資本主義のためにもなる。(富裕層による自発的寄付だけで済むというフリードマンなどの極端なリバタリアニズムや、無限に赤字国債を発行して大丈夫という無謀なMMT理論などでない限りは。なお岸田首相の表現は単なる賃上げ誘導を含めた「分配」で、課税強化を含めた「再分配」とは比重が違う。)

 

北欧で「税金とは何か」と聞くと「投資」と返って来るという記事を見たが、民主主義(人民支配)らしい発想で、うらやましい。日本なら「お上が召し上げて勝手に使うから、取られるのは少ない方がいい」などの被支配者の発想が根強い気がする。確かに国庫に亡者が群がるのは万国共通だが、家計でもサークルでも国家でも、課題を整理して議論して透明性を上げて徐々に改善するのがオーナーシップ、しかし不信感で忌避するのは懐疑で、結果はその集団全体の弱体化だろう。

 

では何に課税するか。所得課税は基本だが、景気次第で不安定だし、所得捕捉率次第なので税率が上がれば業種間の不公平感は増す。ブラック経済など豪華消費も課税対象外な現実が広くあり、税務署よ摘発がんばれ、だけでは限界がある。

 

次に資産課税は判り易いが、今は法人化や海外移転など回避策も多く、相続家屋の分散など弊害もある(将来的にはグローバル税制ですが)。

 

消費税(間接税)は消費額に比例するので、富裕層が贅沢するほど沢山払う。なお庶民のマイホーム購入や高額医療などは個別の緩和制度がある。ランチに500円も5万円も個人の自由だが納税額は100倍で、これは節税大企業も暴力団も貧乏人も平等だ。

 

ここで主な消費税批判にコメントしたいが、一部は知られてないだけ、一部は消費税題というより日本の政治の問題と思う。

  • 貧困層エンゲル係数(生活必需品)も高く不利→実は消費税導入時の減税で相殺済、富裕層は全体の消費も多い
  • 贅沢品は高くすべき→それは昔の物品税で、ピアノやワインは税率高いなど、基準が恣意的で業界団体の政治介入を招き、今は貿易条約上も困難で、酒税の発泡酒競争など不毛な企業努力や税金逃れを誘発する
  • 財源あるだけ使われる→事実だが、それを許さないのが民主主義では(悪循環)
  • 全額社会保障が裏切られた→裏切者を批判して戻すべきでは(三党合意では全額社会保障だったが、安部政権は消費税の用途変更を選挙公約に解散し大勝した。)
  • 増税分が法人税減税に充てられている→これは本当で、背景にはグローバル化での各国の減税競争があるが、ピケティ提案のグローバル税制の整備を待つしかないかも。

 

そして「インボイス導入個人事業主が大変」について。

  • インボイスは間接税の追跡可能性、つまり公正な課税の証明だから、先進国の常識で、日本も消費税導入時に「最初は5%なので省略、今後の税率アップ時に検討する」とされたのに放置されてる。これは「関係者も利益を得れば消費税反対しにくいよね」との不健全な益税(日本的買収)なので、早々に正常化すべきと思う。領収書の発行や保管と同じだ。

 

最後にまとめ。そもそも左右とか、若者と高齢者間の対立の話ではない。

  1. 一定の税金は必要だ(再分配=社会安定=進歩主義
  2. 税制の柱として消費税は重要だ(安定性、網羅性、物品中立性)
  3. インボイスも是非必要だ(公正性、不明朗な益税の排除)
  4. 非常時の消費減税はあっていいが、会計や小売りの手間もあり長期的に

 

最後の最後に、上記の「増税進歩主義」の補足です。よく「世界的には左派は増税(大きい政府)なのに、日本の左派は増税反対でおかしい」と言われるが、この理由は小熊英二(慶大教授)の「日本は戦前戦中の軍国主義全体主義・重税)が激しかったため、戦後の左派は平和主義(自由主義増税反対)になった」が妥当に思える。米国では建国の経緯で「右が反中央集権(反連邦)」となり、ドイツは戦間期ハイパーインフレの影響で左右問わず財政規律に厳しくなったように、各国の経緯があるのは自然と思うし、細かく見れば左にも右にも色々な意見があると思う。

 

以上です。

 

(出典集)靖国神社は「英霊の顕彰」(戦死兵士の表彰)施設で、「全戦没者の追悼・慰霊」施設ではない

靖国神社の趣旨を、靖国神社自身やその支持者側、そして批判者側のそれぞれがどのような表現で説明しているかをまとめたミニ出典集です。簡単に確認できる出典から引用し、一言コメントを付けました。

 

先に結論を言ってしまうと、靖国神社は明治の創建以来一貫して「英霊の顕彰」(天皇側で戦死した兵士を優れた霊として祀り、その功績を広く知らしめ表彰する)ことを目的とした施設で、批判的立場からの「死者を選別して戦死を名誉と美化賞賛している」なども立場や表現は異なるものの、基本的な認識は一致しています。つまり、どちらも正しい。

 

しかし「戦争犠牲者全体の追悼の場」とか「不遇な死を哀悼・慰霊する場」とか「不戦を誓う場」などは、どの立場であれ、純粋に間違いとしか言えない。勿論、何を信じ何を祈るかは個人の自由ですが、施設の基本的性格を出典により再確認してみました。

 

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靖国神社(明治時代)

 

1.用語について

もちろん時代や立場により幅や変化もありますが、一般的には以下でしょう。

  • 英霊:特に戦死者の霊を尊敬していう言葉(明治以降)
  • 戦死者:戦死した兵士(民間人犠牲者は通常含めない)
  • 戦没者:戦死と同じだが、全国戦没者追悼式では民間犠牲者も含めている
  • 顕彰:功績を広く知らしめ表彰すること(哀悼や慰霊とは異なる)

 

高橋哲哉著「靖国問題」(ちくま新書)では「追悼・哀悼」と「顕彰」の相違を説明しています。

靖国の祭(祀り)は(略)本質的に悲しみや痛みの共有ではなく、すなわち「追悼」や「哀悼」ではなく、戦死を賞賛し、美化し、功績とし、後に続く模範とすること、すなわち「顕彰」である。

→これは戦前から仏教会と靖国神社の間で議論が続いています。

 

三戸修平「靖国問題の深層」(幻冬舎)も靖国神社と、それまでの伝統的な仏教や神道との相違を説明しています。

靖国神社の起源は、幕末の動乱の中で勤王の志士たちが営んだ同士追悼の招魂祭にある。(略)官軍側の戦死者のみ神道形式で祀り、賊軍の死者は捨ててかえりみないという彼ら独特の追悼方式が確立されていく。これは、怨親平等を宗とするこれまでの仏教的な戦死者追悼のあり方とは異なっていた。また敗死した者の怨霊を恐れて神として祀る御霊信仰菅原道真を神様にするような信仰)の系譜にも、直接は結びつかないものであった。

 

(略)さらに靖国神社の場合(略)それまでの伝統にはなかった「祭神を次々に増やしてゆく神社」という特異な存在となっていった。

 

2.靖国神社

 

「靖国神社社憲(昭和27年9月30日制定)」首相官邸ホームページ)

本神社は明治天皇の思召に基き、嘉永6年以降国事に殉ぜられたる人人を奉斎し、永くその祭祀を斎行して、その「みたま」を奉慰し、その御名を万代に顕彰するため、明治2年6月29日創立せられた神社である。

靖国神社自身による戦後の社憲でも、「顕彰」との表現が使われています。

 

 

靖国神社ホームページ「靖國神社の由緒」(2021年現在)

靖國神社は、明治2年(1869)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた招魂社がはじまりです。
明治7年(1874)1月27日、明治天皇が初めて招魂社御親拝の折にお詠みになられた「我國の為をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉かき」の御製からも知ることができるように、国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊みたまを慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社です。

→ 一般向けのためか曖昧で無難な表現に見えます。このホームページを更に見ていきます。

 

 

 靖国神社ホームページ 「靖国神社崇敬奉賛会  ご挨拶」(会長 中山 恭子)

靖國神社は、国家のために亡くなられた方々をまつり、平和な世界を実現しようと創建された神社です。本来は国家によって維持される神社ですが、戦後はそれが許されない状況にあります。

→こちらも一般向けのためか曖昧ですが、後半では戦後批判と靖国国家護持(再国営化)の想いが伺えます。

 

 

靖国神社崇敬奉賛会 青年部 あさなぎ 入部のしおり

英霊を崇敬し遺徳を検証することは、今に生きる私達の務めであると考えます。

→こちらは靖国神社ホームページからリンクされているが、少し内輪な別サイト(別ドメイン)のためか、「英霊を崇敬」との従来通りの表現が現在も使われています。

 

 

神道政治連盟「神政連が目指す国づくり」

日本を守るために尊い命を捧げられた、靖國神社に祀られる英霊に対する国家儀礼の確立をめざします。

→神政連は神社本庁関連の政治団体で、靖国の首相参拝や天皇参拝を主張しています。参加国会議員295名。「国家儀礼」とは首相公式参拝天皇参拝、再国営化などと思われます。なおホームページには表面的な内容しか掲載されていません。

 

 

日本会議 「靖国神社Q&A」

Q3 靖国神社に参拝する目的は何か?

人によってさまざまだが、国のために生命を捧げた人々感謝し、敬意を表し、その霊を慰めるという点で共通している。

→近年注目度の高い日本会議ですが、一般向けQ/Aのためか、意外とマイルドな表現が使用されています。なお、こちらもホームページには表面的な内容しか掲載されていません。

 

 

安倍前首相(2021年)

ご英霊に尊崇の念を表した

→典型的な保守派として、基本的な表現を踏襲しています。以下は「英霊」を説明した記載を見ていきます。

 

 

西部邁(「妻と僕 - 寓話と化す我らの死」2008年)

英霊と言うのは、優れた魂ということです。

→保守派の文献では意外と「英霊とは何か」を説明した記載は少ないですが、通常の霊(死者)よりも格上な霊(死者)で、崇敬すべき対象、というニュアンスがあります。なお靖国神社で「英霊」の語を使用したのは明治44年が初出、のようです。

 

 

なお1934年 靖国神社の賀茂百樹宮司は、戦死した兵士は「陛下の万歳を叫んで」死に、「国家大生命に合一した大安心、歓喜」を抱いており、天皇の認可によって靖国神社の祭神となった事を兵士の霊も遺族も「臣子たるもの最高裁上の栄誉として感涙すべき」と説明しました。(高橋哲哉著「靖国問題」より)

 

→これは上述の仏教的な「無念ながらも倒れた者への哀悼や慰霊」ではなく、「国のために歓喜して死んだ英霊への感謝感激」という発想と一致しています。

 

 

自由民主党「自民、靖国巡り「不戦の誓い」削除 運動方針最終案」(2014年)

靖国神社について「参拝を受け継ぎ、国の礎となられた方々に対する尊崇の念を高め、感謝の誠をささげ、恒久平和への決意を新たにする」と明記した。例年とほぼ同じ内容。原案にあった「不戦の誓いと平和国家の理念を貫くことを決意し」との表現は削除した。党内で「不戦の誓いをする所ではない」などと反発が出たため。

→「国の平和を祈る」とは言えても、「不戦」は靖国神社の趣旨には無いので、削除は正しい(というか当然)と思います。削除しなければ、欺瞞になってしまいます。

 

 

3.批判的立場

 

全日本仏教会「首相及び閣僚の靖国神社公式参拝に関する見解並びに要請」(2021年)

国家神道の象徴的な神社(中略)先の大戦まで戦争遂行の精神的支柱の役割を果たした(略)靖国神社特定の基準をもって合祀の対象とした戦没者をまつる神社(略)国家の中心的な戦没者追悼施設であるかのような誤解を招く

→政府主催の全国戦没者追悼式典や、仏教系各派が千鳥ヶ淵戦没者墓苑で行っている慰霊追悼式などと比較して、靖国神社は戦争遂行目的で、民間の空襲犠牲者なども対象としておらず、国の中心的な戦没者追悼施設ではない、との見解。(仏教系各派は戦前・戦中に国家神道により弾圧された。)

 

 

浄土真宗本願寺派 「首相の靖国神社参拝に対する抗議」(2001年)

靖国神社は、軍国主義を推進する政府のもとで、戦争に携わり亡くなられた方を英霊としてまつりあげるため、政治的に創設されたものであります。

→これも立場は批判的だが、「英霊を顕彰(表彰)」との基本性格は一致している。

 

 

真宗教団連合 「首相・閣僚による靖国神社公式参拝中止要請のこと」(2021年)

靖国神社は、国難に殉じた戦没者を「英霊」として顕彰し、祀る神社として創設され、先の大戦まで戦争遂行の精神的支柱として国家神道体制の中心的な役割を担ってきた

→これも同じ。(真宗10派で組織し、1969年の結成より要請している。)

 

 

新宗連靖国神社の政治利用に関する意見書」(2001年)

政府を代表する総理はじめ閣僚が、靖国神社に国の役職を表明して「公式参拝」をすることが、憲法に定める「政教分離原則」に違背し、「信教の自由」を侵害する

靖国神社の基本性格には触れず、憲法上の問題を挙げている。新宗連新興宗教系の立正佼成会、PL教団などが加盟。(各派は戦前・戦中に国家神道により弾圧された。多くは自民党の有力支持団体でもある。)

 

 

日本キリスト教協議会「靖国神社問題委員会 首相へ参拝中止の要請」(2021年)

靖国神社明治維新以来、天皇の側に立って死没した者たちを、神道式で「神」として祀る神社です。(略)戦後靖国神社は、一宗教法人となりましたが、侵略・加害への反省はなく、戦前・戦時下と変わらず戦没者を神として祀り、その死を殉国行為として無条件に美化する思想を推し進めています。

→これも批判的表現だが、靖国神社の基本性格としては正しい。(キリスト教各派は戦前・戦中に国家神道により弾圧された。日本キリスト教教会は「天皇制強化」にも反対している。)

 

 

公明党「国立追悼施設の検討必要 山口代表」

一つの解決策として、わだかまりなく国民や外国人、天皇陛下も含めて追悼できる施設の在り方は積極的に模索されていい。

→後述の政府の追悼・平和懇と同じ。(創価学会は戦時中に弾圧された過去がある。)

 

 

日本共産党 「靖国神社って何? 「参拝」何が問題?」

靖国神社は、明治時代の1869年、新政府軍と旧幕府側との間で戦われた戊辰(ぼしん)戦争で戦死した軍人をまつるために創建された「東京招魂(しょうこん)社」が前身です。(中略)天皇制政府と軍部は、天皇への「忠義」を尽くして戦死し「靖国の英霊」になることを最大の美徳として宣伝。靖国神社を、侵略戦争に国民全体を動員するための精神的な支柱として持ち上げました。

→これも立場は批判的だが、「英霊の顕彰」との基本性格は一致。なお日本共産党は、綱領から「君主制廃止」を削除して、当面の政権では天皇制維持だが、将来的には共和制を主張している。

 

 

社会民主党「敗戦76年の千鳥ヶ淵靖国」(2021年)

日本の閣僚による靖国参拝は、自らがどう「思い」を語ろうと、日本の戦争責任の否定に直結する。玉串料や真榊(まさかき)の奉納についても同じだ。これらの行為は、憲法20条3項の「政教分離原則」に抵触する可能性も高い。

別の記事の「先の戦争でアジアの国々で犠牲者2,000万人、日本人310万人の戦死者を出しながら、先の戦争は正しかったとする靖国歴史観こそが問題にされている」のように、靖国神社歴史観と、憲法政経分離原則を問題にしている。

 

 

4.その他

 

政府「追悼・平和懇」(2001~2001年、小泉内閣、主催 福田官房長官

何人もわだかまりなく戦没者等に追悼の誠を捧げ平和を祈念することのできる記念碑等国の施設の在り方について幅広く議論するため

→婉曲的ながら「現在の靖国神社では、人によっては、わだかまりがある」との表現。1960~70年代に靖国神社国家護持法案が廃案となった以降も、靖国神社や支持者は「靖国神社が唯一の国の追悼施設」と主張し、これに対して千鳥ヶ淵戦没者墓苑の拡充案などもある。

 

 

全国戦没者追悼式(政府が毎年の終戦記念日に主催)

先の大戦戦没者に対し、国を挙げて追悼の誠をささげるため

靖国神社とは異なり、対象は「先の大戦の全戦没者」(空襲など民間人犠牲者も含む)で、国営で、追悼(顕彰ではない)で、いわゆる無宗教形式(特定の宗教形式にはよらない)。

 

 

国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑

千鳥ケ淵戦没者墓苑は、昭和34年(1959年)国によって建設され、戦没者のご遺骨を埋葬してある墓苑です。先の大東亜戦争では、広範な地域で苛烈な戦闘が展開されました。この戦争に際し、海外の戦場 において、多くの方々が戦没されました。戦後、戦友等によりご遺骨が日本に持ち帰られ、又昭和28年より海外の遺骨収集が開始されました。この墓苑は日本に持ち帰られたご遺骨において、お名前のわからかない戦没者のご遺骨が 納骨室に納めてある「無名戦没者の墓」であるとともに、この墓苑は先の大戦で亡くなられた戦没者の慰霊追悼のための聖苑であります。

靖国神社とは異なり、国営の墓苑(法的には遺骨保管場所)だが、全戦没者の追悼施設で、拝礼式や慰霊祭には首相、皇族、自衛隊、諸宗教団体、各国大使などが出席。施設としては、いわゆる無宗教形式(特定の宗教形式にはよらない)。

 

 

防衛庁・自衛隊 第一師団 その他の活動千鳥ヶ淵戦没者墓苑秋季慰霊祭)

六角堂に安置された36万余りの御柱をはじめ、先の大戦で亡くなられた全ての戦没者に対して 、整然と捧げ銃の敬礼を行い、哀悼の誠を示しました。

 

 

【各施設の特徴比較】

  靖国神社 千鳥ヶ淵 全国戦没者追悼式 (参考)
米国アーリントン墓地
国営 ×
常設 △ *1 ×
民間犠牲者 ×*2 ×
性格 顕彰 追悼 追悼 追悼
特定宗教に
よらない
×

*1 大規模式典には拡充が必要

*2 空襲・原爆犠牲者を含め民間人は原則含まない(軍属、準軍属など例外はある)

 

→色々確認した感想としては、ホームページなどでは一般向けに無難な表現を使用しているが、内輪になるほど「顕彰」や「崇敬」の用語が現在も使われている。また最近では「中韓外交問題視」との報道ばかり多いが、靖国神社の性格を巡る議論は戦前から続いており、戦後は憲法問題が加わり、仏教系、新興宗教系、キリスト教系、左派政党などの公式参拝批判は現在でも続いている。

 

→共通する事は、立場により色々な表現はあるが、靖国神社は過去も現在も「英霊の顕彰」つまり「天皇側の戦死兵士の賞賛」施設で、政府主催の全国戦没者追悼式と比較すると、国営ではなく、空襲など民間人犠牲者は含まず、内容は追悼というよりも顕彰であり、特定の宗教形式による、ところが異なる。

 

以上です。よければ過去の以下も見てね。

 

東京五輪の話題(競技以外)を振り返る

東京オリンピックも8月8月に閉幕したので、前回の開催是非議論に続いて昔の関係者として、競技以外の話題に軽くコメントしたい。

 

1.最初にフランス語はなぜ?

オリンピックの第一公用語はフランス語だから。公式資料はフランス語・英語・現地語が最低必要で、解釈相違時はフランス語が優先される。長野でも組織委員会にフランス政府から翻訳者が数年間派遣され、最初の頃は内部会議で他の職員から「フランス語版も作るけどしまっておくだけだけどね、あはは」などと言われてちょっと可哀そうでしたが、フランスの国際語の地位を維持する強い意思を感じました。

 

2.映像に納得できない

各国・各局の独自映像ではなく、国際映像を共有しているので仕方ない。個人的には開会式でのライブと事前準備映像の見分けが付きにくいのは抵抗ありました(閉会式ではアナウンサーの説明があった)。

 

3.開始後は各局一斉に五輪ばかりは異様

大本営発表との批判もあったが、これは国家圧力ではなく各局の経営理由と思う。高騰一方の放映権を、日本のNHK民法各局はJC方式で集団一括契約したので、莫大投資で事前購入した担当分を放映しない経営判断は困難かと思う。

 

4.ミライトワをみかけない

実は珍しくない。各会場などは大会ロゴとピクトグラムで厳密に統一デザインされるが、キャラクターは元々オマケでデザインも公募などで一致ではなく、基本使われない。前回も書いたがアトランタのイジーは開会までにほぼ消えた。成功例はモスクワのミーシャ(リンク先の2分目の閉会式マスゲームの涙は有名)などか。なおミライトラは着ぐるみが会場を回る計画が無観客で消えたそうです。

 

5.ボランティアは完全無給

やりがい詐欺との批判もあるが、五輪ボランティアは長野でも交通費含め自腹が基本(当初は昼食も自腹と言われていたが結局出ていた)で、ボランティアとはそういうものだ。ただ支給されたユニフォームや身分証(アクレディテーションバッジ)などは記念に貰える。

 

6.旭日旗は禁止なのか

勘違いの主張も多いが旭日旗自体の善悪の話ではない。旭日旗自体は大漁旗朝日新聞の社旗海上自衛隊などでも広く使用されているが、FIFAは「相手チームのサポーターが許容できない挑発や攻撃的な」旗を禁止し、シャルケは「軍事標章」を禁止し、そしてIOCは「政治的な宣伝活動」を禁止している。事実上の軍で使われている以上は禁止されて不思議は無いが、それはこのデザイン自体の善悪とは関係ない。

 

7.スピーチが長い

予定時間超過はどうかと思うが、IOC会長の公式発言は細部まで歴代大会と比較されるので各方面への謝礼や評価などは長々しくても簡単に省略できない事情もある。例えば閉会式では「過去最高の大会だった」と言うのが基本なので、これを言わなかったアトランタIOCとして相当な不満があったという意味を持ったので、長野で先輩職員はこれを聞いて「よっしゃー」とガッツポーズしていた。

 

8.開閉会式の演出が...

開会直前のドタバタもあった、と庇う人もいるが、歌の4分間差替以外は変更無く、最終調整への影響はあったにせよ、基本はリハーサルを繰り返した当初からの構成演出のはず。ロンドンやシドニーと比べてもストーリーなく散漫で、懐古と内輪受けが多く、一番センス良かったのは次回パリの映像だった。長野では長くて退屈とも言われたが、演出とストーリーはしっかりあった(演出は浅利慶太)。推測だが、政治家など各方面から、あれを出せこれをやれと言われてツギハギになったのではないだろうか。 

 

(追記)開閉会式演出家の置貴之氏は「カオス」と語ったが、想定外の連続と、ただの断片は違うと思う。

 

9.コロナ禍での大会

これも前回書いたが、オリンピックは大規模なスポーツイベントに過ぎないので、他のスポーツイベントと同様の合理的な制限や中止ならば当然と思うが、五輪だけ政治案件化しての賛成論も反対論もおかしい。日本人は五輪信仰が強すぎるし、開催を選挙狙いに利用しすぎだ。諸外国では各スポーツのファン以外は開催されている事も話題にならないのが普通だ。なお五輪終盤の朝日新聞世論調査で内閣支持率は最低の28%、五輪開催「よかった」が56%で「開催すれば、やって良かったが増える」との予想通りの結果だが、これが大衆社会というものか。

 

(追記)2週間前の無観客決定、前夜の競技開始時間変更など、政府のコロナ対策と同様に「ギリギリまで代替策なし、唐突に思い付きで変更」が多く、背景には「別案を出すと劣勢になるから当初案で突進」という旧日本軍・官僚的的な日本の政治文化が背景にあると思うが、会社経営や戦争と同じくリスクと複数案を比較考慮してスケジュールを立てて関係者と認識合わせて順次決めていく合理的なマネジメントが欠落していると思う。

 

以上です。

 

オリンピック開催vs中止議論でおかしいこと

今日(7/23)は東京オリンピック開会式で、コロナ禍拡大中の開催批判や中止論も根強いが、長野オリンピック組織委員会事務局(NAOC)に4年、アトランタ同事務局(ACOG)に半年ほどスポンサー会社から出向して所属した縁もあり、議論の前提がおかしいと思う点を個人的に書いてみたい。(2021/8/1追記)

 

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写真は左上は1996年アトランタ大会のロゴ、左下はそのキャラクターだが絶不評で大会当日までに姿を消してしまった不憫なジー(Izzy)、右上は1998年長野冬季オリンピックのロゴとピクトグラム、右下はそのキャラクターで手描き風のデザインが新鮮なのに余り人気の出なかったキャラクターのスノーレッツ(SNOWLETS)の、それぞれピンバッチ。関係者間の交換や、路上販売などがされた(ネット販売は一般普及前)。

 

(2021/8/1追記)やはり同じパターンのようです。

smart-flash.jp

 

 

 

⓪最初に

  • 無観客決定後の世論調査「無観客開催」「中止」各4割(読売新聞、7月)
  • 政府への批判が強いが、オリンピックは大規模ながらスポーツ大会の一つなので、過剰な賛美推進も過剰な非難攻撃もどちらもおかしい
  • コロナ禍でのスポーツ大会の客観的な開催基準、判断日程が必要だった
  • 背景には「自粛はお願い、補償なし」の国民忍耐頼りの政治的無策がある
  • 過剰な政治利用は「盛り上がれば成功、問題点は忘れよう」にも繋がる

 

①開会当日まで盛り上がらない

実は大会の多くは事前に盛り上がってない。近年の多くの大会は財政・環境・警備問題などを抱え、2012年ロンドン大会ではテロ対策や交通渋滞、2016年のリオ大会では貧困問題などで批判が続き、批判が表面化しないのは中国やロシアなど権威主義的な国ばかりだ。

 

特に長野大会では招致疑惑での帳簿問題、環境五輪を掲げての競技場建設や国立公園を通過するアルペンスキーコース、多数の新設競技会場の後利用不安、長野新幹線開業に伴う在来線廃止などもあり、開会式後もチケットもグッズも大量に売れ残り、通勤経路の競技会場や各種ブースや長野駅前も閑散で「これで本当に開催中なのか」と皆で話していた。

 

事前に国際オリンピック関係者から「オリンピックの成功は、メディアの満足と開催国選手の活躍次第」と聞いた時は「乱暴すぎ」と思っていたが、白馬のスキー・モーグルで里谷が予想外のメダルを獲ると、わずか数日で不人気競技や更には(閉会式後に行こうと狙っていた当時は別大会の)パラリンピックのチケット、各種グッズまで完売し、駅前も競技会場も人だかりで歩く時間も倍増、盛り上がりは最期まで続いたが、その前後の露骨な明暗は、何年も準備した大会の内容は同じなのにと関係者としては複雑な想いでもあった。

 

「勝った、やって良かった、問題点は忘れよう」は、第一次世界大戦日清戦争での日本と同様に流されやすく懲りない国民性で、今回も「コロナ禍の逆風にめげず努力しメダルの選手、感動をありがとう」の安易な掌返しになる気もしている。

 

(オマケ)上述の「メディアの満足次第」も1996年アトランタ大会で実感した。ボランティアを大幅活用したシステム運営が大混乱で、到着時の認証から直後の輸送宿泊、情報提供とメディア関係者を直撃した結果、大失敗との評価が確定した。IOC組織委員会がメディアに非常に気を遣う理由はここにある。

 

②コロナ禍での開催是非

中止ならば感染リスク最小化となる事は当然だが、サッカーやプロ野球など他のスポーツイベントは制限下で開催中でオリンピックだけ中止ではダブルスタンダード(統一基準で全スポーツ禁止ならば判るが)。

 

オリンピックは規模は大きいが無観客となり、選手・関係者・メディアの入出国やバブルなどゾーニングの不備は常にある(現実の人の流れの100%制御は不可能)ので、これは運用改善を重ねるしかないのも他イベントと同じだ。

 

確かに「オリンピック開催と聞いて、自粛疲れの反動で蔓延」の影響は大きいと思うが、その原因は従順な日本人に依存の「自粛はお願い、補償はしない」政策で、蔓延状況に応じた客観的な開催基準と判断時期を明確化せずに、直前まで「ワクチン接種が進めば有観客で大丈夫」との楽観論だけでイケイケドンドンと強行したお粗末な政治(特に官邸)にあり、大会が悪いわけではない。

 

本来は政治は国民全体の公平なプロの調整者であるべきで、特定大会は政策の1つにすぎず、過度な政治利用はおかしい。そもそも「大会成功後に解散して衆院選すれば勝利」とか「政府のコロナ対策に不満なので、政府の進める大会は中止せよ」などの安易なスポーツ政治利用に疑問を持たない国民も、自ら愚民に甘んじているのではないか。

 

③オリンピックは特別か?

日本人は1964年東京大会の経験からオリンピックを特別視し、過度な美化や非難が多いと言われるように、他の先進国の高級紙の一面にはオリンピックは載らない。「日本語は世界でも難しい言語、単一民族」など学術的根拠のない「日本特殊論」は多いが、過剰な「オリンピック特殊論」も同類と思う。繰り返すが、大規模ながら商業スポーツイベントにすぎない。

 

④オリンピックは商業主義か?

もちろんオリンピックは商業イベントだが、特にロス五輪以降は商業五輪で、中でも巨額のTV放映権料の欧米視聴者の時間帯に開会式や競技の時間帯を合わせるなどの選手・開催国軽視の弊害は批判されるべきと思う。

 

ただ商業イベント自体はJリーグプロ野球やプロテニスも同じで、逆にオリンピック会場では指定箇所以外はスポンサーの社名やロゴは表示されない(ブランディング戦略上)。またIOCの収入の大半は競技運営を行う各競技連盟に流れ、特にマイナースポーツでは貴重な収入源になっている。IOCは建設業なら元請け、IT業界ならインテグレーターのような共存共栄の形だ。更に運営には多数のボランティアが不可欠で、全体が商業主義とも言えない。

 

商業主義自体が悪なのではなく、その弊害の程度と、それを補完する税金による公共スポーツ振興とのバランスが議論されるべきで、極論は不毛と思う。

 

IOCは貴族か?

実はIOC委員には本物の欧州貴族や独裁者一族も多い。もともとスポーツは特権階級の遊戯で初期の近代五輪はアマチュアリズムを掲げて下層階級の多いプロ選手を排除したし、世界を廻れる名誉職でイラクフセイン元大統領の長男のウダイ・フセインは乱暴者で有名だった。書籍「オリンピックの汚れた貴族」も有名で、IOCはその後の改革を主張するが、評価は色々だ。

 

もちろん帳簿外の賄賂などの利権構造は継続的に批判されるべきだが、単なる悪者視のレッテル張りでは差別的で不毛と思う。

 

⑥バッハ会長個人が悪人か?

氏を擁護する義務はないが、権力者であれ個人へのネットリンチは良くないし論点をずらしてしまうIOCの背景には競技連盟とスポンサーがいるので「できれば有観客」との代弁自体は自然だし、日本の村社会な「問題視された側は謙虚に沈黙すべき」感覚の非難の方が世界的にはおかしい。

 

迎賓館の歓迎会は日本側主催で飲食なしディスタンス確保と報道されているし、開催に迷いやあった事や、広島訪問なども批判するのは過剰と思える。

  

コロナ関係では昨年はWHOテドロス事務局長が叩かれ、東京オリンピックでは新国立競技場デザインのザハ氏が叩かれた。しかしWHOの説明自体はほぼ適切だったし、ザハ氏は要件に従って設計し選出されただけなのに、政府の国土強靭化の公共事業の影響で費用高騰すると主犯扱いされて、再設計には候補参加も許可されず、結局ベースはほぼザハ案が使用されたというスケープゴートであった。

  

問題はバッハ個人の些細な言動より、政府やIOCを含めた構造的な話で、仮にバッハが辞めれば「ざまぁみろ」で終わりで良い話ではないだろう。

 

⑦オリンピックは平和主義か国家主義

 良く議論されるがこれも本筋ではないと思う。

 

古代オリンピックの開催期間中は古代ギリシャ人の間で休戦した事を理由に、近代オリンピックは平和を掲げて、南北朝鮮統一チーム、台湾(中華民国)の参加など緊張緩和に貢献しており、これらは参加単位が国家・地域単位の各国オリンピック委員会(NOC)な事もあり実現できている。

 

他方、ナチスがベルリン大会で国威発揚に発案した、西洋文明発祥の地であるギリシャからドイツまでを辿る聖火リレーや、表彰時の国歌・国旗などは、スポーツに国境は無い筈なのに演出効果が高く人気があり継続され、批判もある。

 

平和の理念はムーブメントやブランディングに重要だが、オリンピックは国連でも主権国家でもなく、実際に第二次世界大戦ベトナム戦争も休戦はなく、個別の緊張緩和への貢献しかできないのが現実なので、平和の理念が本物か表面だけかを議論しても余り意味は無いと思う。(なおナチスも開催を前に緊張緩和政策を行ったが、政治は常に情勢次第なので、これを一定の成果と見るか最初からの偽装と見るかは後世の判断次第と思う。)

 

組織委員会の意見が見えない

森元首相の辞任と橋本聖子就任の際も「指導力を期待」との報道も見たが、元々組織委員会指導力を発揮すべき組織ではないから無理筋な願望と思う。

 

オリンピックはIOCの資産で、開催するのは都市(東京都)、スポーツ界のトップはJOC、コロナ対策は政府と自治体、そして各競技の運営は各競技連盟で、各会場にオーナーがいる。組織員会はJOCと都に出資されて、実態は都・政府・スポンサーなどの時限出向者による時限的な寄り合い所帯(一部は翻訳者、デザイナー、警察など)で、調整が主任務だ。

 

「こんな大会にしたい」などオーナーシップを発揮できる組織ではなく、案は出しても決定権はIOC・都・政府などにあり、下手に発言して責任のとりようがない。実際に無観客は組織委員会と都は早くから提案していたが、官邸が有観客をギリギリまで粘ったと報道されており、未決定時点では対応しようが無い。

 

⑨コロナ対策の問題点

最後に、政府のコロナ対策には問題点が山とあるが、構造的な問題と現政府の問題は分けて考えるべきで、仮に政権交代してもどこが変わる可能性があるのかは重要だと思う。

  1. 先進国内でワクチン供給が遅れた事自体は、日本の感染者比率やメーカーとの関係から見て、ある程度は仕方が無かったと思う
  2. ただしワクチンの国内生産力衰退、保健所減少などは日本の長期的で構造的な問題
  3. PCR検査・給付金配布・ワクチン供給などの混乱と遅延は、中期的で構造的な問題で、法制度見直し・IT活用などが必要。これは仮に政権交代があっても急には変わらない。原因には過去のSARS対策の反省点の未共有・未実施もある。
  4. 最後に突然の小学校休校・アベノマスク・GoTo・1回限りの給付金・直前の無観客決定などの混乱は、純粋に安倍・菅両内閣の弊害。官邸主導の場当たり的な思い付き政策の強行を、政治的リーダーシップと勘違いしている。

 

最後の点だが、安倍氏が影響を受けた小泉政権は大衆人気を背景に劇場型と呼ばれたが、実際には審議会などを利用する、観測気球を上げる、不利になると諦めた振りをして逆襲の機会を伺う、など色々な組織や専門家も活用して進めた。田中角栄も官僚をうまく利用した。

 

プロの経営者や管理者は、部下や外部の提案を評価し判断すべきで、自分自身がアイディアマンである必要はなく、むしろ有害だ。専門家によるメリデメを無視して安易に「私にはアイディアがある」などと言う候補者は落とすべきだと思っている。

 

以上です。

 

 

映画「竜とそばかすの姫」は細田ワールド集結で面白かったけど少し気になった事

7月16日の公開初日に見たけど面白かったし観て良かった。写真は映画館の壁画像で右下はオマケ配布のシール。 (ネタバレないです)

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映画は予備知識なしで見る派だけど今回は予告編も見ず、カンヌ映画祭で上映されたと聞いたけど、仕事の代休で近所の映画館の上映予定見たら公開初日だったので急いで予約。

 

細田守監督の劇場6作品目で、劇中の現実世界と仮想世界でキャラクターデザインが違うので、どれを目にしたかで第一印象が随分変わる。実は最初は仮想世界のベルを見て、趣味じゃないからパスと思ったが、現実世界のいつもの細田キャラを一瞬見て、やっぱり見たいと思った。

 

細田キャラは単に「絵があって、動く」ではなく、「動かすために作ったデザインで、少ない線で微妙な表情も表現できる手書きチックなタッチ」なのが魅力的で常習性がある。キャラだけで動きが見えてきちゃう感じだ。

 

予約した二子玉川の109シネマズはいつも混みすぎず観客もマナー良くお気に入り。午前11時にコロナ制限客数の1/3くらいだった。

 

まず前半は「サマーウォーズ」の世界観、「バケモノの子」みたいな巨大クジラ、そして「時をかける少女」風の周囲の登場人物や三角関係など、細田ワールド集結な感じが楽しい。

 

そして中盤の仮想世界ではディズニーアニメ版「美女と野獣にここまで瓜二つにしなくても、とも思う。まぁ主人公の「すず → ベル → 映画副題に BELLE」など最初から確信犯だけど。あと悪者役のヒーローが手塚アニメ風に見えた。

 

脱線するが、ディズニーアニメ版を元にしたミュージカル版「美女と野獣」は、ブロードウェイでは豪華な特殊効果が素晴らしく、ロンドンでは地味ながらティーカップ達のタップダンスの職人芸が異常にうまく、劇団四季は全てにそつのない優等生的で、観たのは1回づつなのでたまたまかもだがお国柄を感じたので見比べもお勧めしたい。

 

後半の展開は書かないが、この話は小さい頃の出来事から自信の持てない少女の話なので、ネットでの体験を経て、そして最後は世界を救ったりはしないで身近な世界に戻るのが良いと思うし構成がきれいだ。そして(今回は名前も知らない子供も含めて)家族へのこだわり細田世界で良いと思った。

 

またネットの描き方も「サマーウォーズ」では「ネットの仮想世界で次々参戦する、更に現実世界ではアナログで繋がって危機回避する、どちらも最期は人間だ」という前向きな胸熱展開だったが、今回は「匿名社会でデマや誹謗中傷が蔓延してるが、個々人には現実の顔があるし、人を救う事もできる、結局は使い方次第の道具(ツール)だ」という感じで時代の変化を感じるし、いちおうIT業界関係者としても納得だ。

 

賛否ありそうなのは駅改札前の長廻しで、キャラが完全に動かない数秒が何回もあるので「枚数節約の手抜きだ」と批判されそうだが、画面隅に歩く猫を入れて経過時間表現とかの対策もせずに劇中の表現ギャップ狙いで敢えて完全静止させてると思ったので、私は面白かった(勿論枚数節約にもなってるけど)。

 

という訳で、最後まで見て、振り返っても、面白かったし観て良かった

 

ただ個人的に最後に気になった3点です。

 

後半の仮想世界で歌うシーンは、観客の感動描写が画一的すぎて全体主義的に見えた。目つきや口の形まで同一に動いて、昔の漫画映画やミュージカル調を狙ったのかもしれないが、ネットでの個別ユーザーのコラボではなく、統制下の洗脳のようで不気味だ。制作側も一般観客も、あのような光景が感動的シーンに見えるのだろうか。そんなリテラシーでいいのだろうか(大きなお世話かもしれないが)。

 

最後の捜索はいくらフィクションでも非現実的すぎなので嘘でも追加ヒントか伏線が欲しかった。ただ坂が多い住宅地は納得(近所なので)。

 

仮想世界の手間かけた作画に対して、後半の現実世界の作画はちょっと残念だ。アクションで見せるシーンではないけれど、例えば顔を赤らめるカットでも時間経過に応じた芝居が少しはあるのでは。観客を世界に引き込めれば、ラストシーンは演出と声優で持つので作画は簡単で良い、ってわけでもないと思う(手間かければいい訳ではないし、感動すれば作画は気にしないのが一般観客かもしれないけど)。

 

以上、感想でした。

 

(2021/7/17 追記)ネットで感想を拝見してのコメントです。

  1. 最後が小さい」確かにスペクタクルやカタルシスを期待して観に行くと違うと思う。ただこれは一少女の成長の話だから、小さく終わらせたのは制作上の勇気かと思った。これは「サマーウォーズ」と「未来のミライ」の違い、更には「君の名は。」と「天気の子」の違いに通じる。
  2. あなたは誰」の正体。予定調和か意外な展開かの話かと。ネットの仮想世界は虚偽だが、その先には個々の生身の人間がいて、それを探し結び付けるツールにもなる、というメッセージなのでは。断片的な画像の中の違和感に、後で出てくるなと伏線を感じられたかどうかの差かも(このへんは「君の名は。」にも通じる気がする)。
  3. ディズニーすぎ」まぁ同感。プロットやシチュエーションが似てるのはいいけど、階段とか広間とかバルコニーとか、デザインまで酷似の必要があったかは疑問だけど、オリジナルを見てる人と古典に思える人の世代差もあるかも。
  4. 「ちょっと出た登場人物が、後から関係のご都合」いやそれは単に、最初から主要登場人物が明かされてる作品と、断片に見えた要素が後で繋がっていって収束していく快感を味わう作品かの違いで、「サマーウォーズ」や「竜とそばかすの姫」は後者なのでは。

 

更にオマケ。今、金曜ロードショーで「サマーウォーズ」やってるが、ヒロインの少女の描き方が時代によりかなり違う。憧れの対象か、実在的な悩める人間か。宮崎駿作品もそうですが、どちらもいいですね(ただ地上波はカットが多いので余り見たくないけど)。

ネトゲ「ラスバレ」無課金で強くなる(2)

前回の続編です。「アサルトリリィ Last Ballet」(ラスバレ)の2021年7月21日のハーフ・アニバーサリー(リリース半周年)を前に、変わったところ、変わらないところ、そして無課金ユーザーへのおすすめ(裏技ではなく誰でもできる正攻法)を書いてみました。

 

なお私は2月のリリース直後から2アカウント(iPhone版、PC DMM版)で、毎日デイリーと外征して、週3でレギオンマッチ、各総戦闘力はおまかせで20万、参加レギオンはランクA~Sな無課金中堅?です。

 

まずラスバレの特徴で、変わったところと変わらないところ。

  1. バトルのテンポが良いのは変わらない。ソロの「レジェンダリーバトル」や、マルチの「レギオンリーグ」などコンテンツのバリエーションは増えたが、基本の戦闘モデルは今も1種類だけで、役割(衣装)・カード(メモリア)・武器(CHARM)などバトルに影響する要素も共通なので、どのコンテンツもまずは適当に進められて、こだわりたくなればコンテンツごとの微妙な条件を調べて最適化する、との2段階が可能で敷居は低いと思う。
  2. しかし最初に何を選んでも大差はないからキャラ(リリィ)や武器(CHARM)は好きで選んでOK、という面はイベントでの強力な衣装限定CHARMなどが徐々に増えてきて変化した。複数ユーザー用の各種コンテンツでも、従来の各ユーザー推しの多彩なリリィから、強いチーム(レギオン)ほど特定のリリィがズラリが常態化してきた。各アイテムの差別化と課金誘導は運営の既定路線と思うが、推し重視か勝利重視かは二極化傾向に見える。
  3. 自動巡回で強くなるのも同じだが、経験値で上昇するランクの上限(当初は100、現在は110まで)の長期化や、6月後半からの各種報酬へのスキップチケット大幅増は、新規参入者との格差縮小や、通信エラーなど環境差の負担縮小があるのかも。自動巡回はITリソース的には純粋な無駄遣い(ユーザーはプレイもせず双方負荷のみ)なので、報酬のスキップチケット増が継続されれば歓迎だ。
  4. 不具合は相変わらず多いが改善傾向と思う。自分のiPhone版とDMM版でもプレイ中のアプリ突然ダウンは1日数回から週1回程度に減ったと思う。外征救援の参加時の黒画面(スマホでは画面上下で再接続可)、外征勝利後の無限Loading(リザルト画面に遷移せず報酬が得られない、再ログインでも変わらず)などは何か月も直らないが、これも発生は毎日から週1ほどに減った印象だ。ところでイベント外征で「後衛の一部キャラが岩に隠れて見えない」が批判され「不具合」として修正されたが、あれは意図的(ちょうど頭以外を隠す形の岩で、プレイヤーの後衛キャラは中央上部固定なので影響せず、隠れたキャラもインジケータは岩の手前で実害はなく、水着回での運営のお遊び)と思うので、安易な批判や受容も考えもの。まぁ設計不備や考慮不足も「不具合」とも言えるけど。

 

(不具合例1)イベント「超越のアーセナルハート」での背景不具合(一部背景が露光過多で良く見えない。特定のデバイスで発生する。最初は透過光な大胆な演出かと思った。)。私の環境ではiPhoneで本編とイベ外征で100%発生し続けたが、プレイはできるので実害は少ない。

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(不具合例2)外征で勝利後に「Loading」画面のままリザルト画面に遷移せず、報酬が得られないので痛い。発生時は参加者全員に発生し、アプリ強制再起動後に再開しても変わらない。自分のレギオンからの開始、救援ともに各リリース時より発生し続けている。

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最後に特に無課金ユーザーへのおすすめ。

  1. 報酬など配布の石(マギジュエル)のみでの効率よい強化には、神琳(しぇんりん)もいわく「敵を知り己を知れば百戦危うからず」(孫氏)で、運営はイベントガチャが最大の収入源なので特効メモリアの魅力などで課金誘導して、その後は出現率5%ガチャ、星5確定ガチャなど過去メモリアの割安セールでまた誘導する。また石も、複数イベントや記念を理由に一定期間に大量配布して消費に麻痺させてから、1~2週間ほど供給を絞って飢えさせるパターンの循環が続いている。しかし重複メモリア救済用のメモリアメダルには、新イベ開始直後にそのイベ特効が追加されるパターンが続いている。そこでイベ特効はイベントガチャ(ギャンブル)には頼らず、イベ開始直後にメモリアメダルで交換する、その分の石は溜めておいて星5確定ガチャなど確実優先で使って次回用のメモリアメダルをまた溜める、との循環が効率的。ギャンブルは余裕資金を使って「消えても良い」と思った範囲で遊ぶべきで、生活費は賢く計画して踊らされずに使うべきなのと同じだ。
  2. 最近のイベント限定の強力なCHARMも、メモリアメダルなどから該当の衣装を計画的に入手できる。ただCHARMを装備できる衣装(役割)は限定なので、どのコンテンツで有用か考えて、使わなくなった過去のCHARMは後衛用(防御ステータス重視)とかサポートリリィ用などに転用したい。
  3. CHARM強化(限界突破、特性)には大量の素材CHARMを作る必要があるが、最後はCHARMオプション厳選で苦労するので、素材は次回に作りたいCHARMを選んで大量作成して、たまたま欲しいCHARMオプションが付いたCHARMを次回用に残しておきたい(例えば「特殊攻撃1500以上」など特定の値は数十分の1程度の確率なので、オプション3個中の1個だけでも最初に付いていれば違う)。
  4. 追加されたソロイベントのレジェンダリーバトルは運要素が強いと不評で7月末の改善待ちだが、全参加者のハイスコア時の編成が参照できるので、まずは戦闘力(装備メモリア数)より有利属性(水など)と範囲攻撃(複数攻撃)を優先した編成にして、繰り返して高スコアが出れば、翌月曜までは報酬目当ての日1回で良く、報酬やミッションは開始直後のリタイアでもカウントされる。そしてAランクあたりから、オーバーキル(一撃で倒す)を増やすよう総戦闘力を上げて単体攻撃も増やせば良いようだ。(参加者も減ったのかランクの昇級も緩くなった。)

 

(参考1)メモリアメダル交換所には、新イベント開始時にその特効メモリアも追加され続けているので、メモリアメダルを溜めていれば新イベント開始時に確実入手でき、イベントガチャへの依存度を減らしてのイベント巡回効率化ができる。

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(参考2)CHARM強化で素材CHARMの大量作成時には、次回作りたいCHARMを素材に選び、たまたま欲しいCHARMオプションが付いたものを残しておけば、次回でのオプション厳選がかなり楽になる。

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以上です。

 

ネトゲ「ラスバレ」無課金で強くなる(1)

ネトゲ「アサルトリリィ Last Ballet」(ラスバレ)の2021年1月21日にリリース後に完全無課金の2アカウントでほぼ毎日やれば結構強くなれた話です。

 

私は「無課金で、どこまでいけるか」を目的にやってるので、課金ユーザーから見れば寄生虫ですが、無課金の新規ユーザーでも楽しめる事は運営も裾野拡大に重視と思ってご容赦願いたい。

 

 

 

なおネトゲはほぼ素人で、「デレステ」は(当時はジュエルも無く)最上位レア度のアイドル(カード)入手には数年かかり、「 グラブル」は壁が高く止めたが、このラスバレはデイリー報酬や各種イベントでのバラマキ配布が大きいので毎日こつこつで結構強くなれた

 

では何故ラスバレか。まずはリリース時イラストインパクト、次にアニメがシャフトで「まどマギ」も連想する色合い、そしてメディアミックスの一環なので早期撤退リスクは低いと推測(その後はウマ娘に話題をさらわれた感があるが)。

 

 

最初に感じたこと。

  1. 世界観はタイトル通りに百合100%で、健全風だが強引に太ももの絵が多く、アサルトだが強襲でなく迎撃で、慣れると古典少女漫画的な名門女学院でドジっ子主人公(梨璃)とクールな先輩(夢結)の百合ヶ丘女学院、ミリタリでベルばらや欅坂チックなエレンスゲ女学園、普通に自由でふわっとフランス乃木坂風な神庭女子芸術高校と選択肢広く、能天気なストーリーに時々戦争犠牲の影が覗くのが印象的だ。
  2. メディアミックスに積極的で、TVアニメの1話全体や(著作権など事前調整済の企画)、YouTubeの「攻略講座」(動画内のチャネル登録してねで笑)までアプリ内にダウンロードされて、オプション設定で音声や画像を絞ってもiPhoneストレージ3.5GBを占有し、アプリ内で舞台配信などもする重量級だ。そのせいか不具合(バグ)も多く、かなり改善されたが1日にアプリ再起動数回は普通(iPhone版、DMM版とも)で新機能追加直後は特に多く、見切りリリースして走りながら直すアジャイルでRADなシステム開発方法みたいな印象だ。
  3. とはいえ作品やゲームに疎くても気軽に始められて敷居が低い。カードゲーム的なバトルはテンポ良くアイキャッチャーはカッコ良く、キャラ(リリィ)や武器(CHARM)は適当に選んでも大差はなく、戦闘力さえ上げれば苦戦相手も嘘のようにクリアできてバトル > 報酬 > 強化の循環だ。
  4. 個人的には1月イベント「ブーステッドフレンド」は予告編もカッコいいが挿入歌「月あかりのコントラスト」はタイトルまんまに同じ情景を歌う鶴紗の絶望と梨璃の希望の対比がドラマッチクにぐっと来る。

 

 

 ただ無課金で強くなるには時間はかかる。

  • 朝のデイリー消化とユニット強化(30分)
  • 日中の巡回(朝入手のラムネ数やイベントにより2~5時間)
  • 夜のチームイベント(レギオンマッチ・外征任務と報酬での強化に1時間)

 

これを比較用に2アカウント並行で3ヵ月と、自宅テレワーク中ながら再就職の手続き中にブログも3ヵ月空けて我ながらバカだが、育て出すと手を緩めにくいのも人情か。

 

特に最初の1~2か月は毎日どんどん強くなる。2アカウントともほぼ同じ。

  • 3日で総戦闘力 3万(ランクアップ連続でAP余りまくり)
  • 1か月で総戦闘力 10万、RANK100(CHARM強化で一時的にコイン不足)
  • 2か月で総戦闘力 15万(コインやアイテムが余り出し、成長速度は鈍化)
  • 3か月で総戦闘力 18万(完成CHARMは各4本、星3メモリアは全て素材に)
  • 所属レギオンはレギオンマッチでランクA~B

 

  

遊び方は人それぞれですが、個人的に感じたこと。

  1. 最初に選ぶキャラ(リリィ)は後で変えられる(LOADINGアイコンには残る)が、キャラ固有魔法的な「レアスキル」はキャラの性格に合わせて異なり、主人公梨璃の火事場の馬鹿力的な「カリスマ」より、各校トップ(楓、一葉、叶星)の「レジスタ」が使い勝手良い。個人バトル(ソロイベント)でサポートリリィ3名全員がレジスタ持ちで、更に2名は回復(衣装=ロール)なら楽ちんだ。
  2. 最初に選ぶ武器(CHARM)も何でもよい。説明には「最初のパラメータは同じ」とあるが(CHARMオプションを除けば)最大パラメータも同一と「カタログ」でもわかる(最近追加のイベント系CHARMは例外)。
  3. 売却は避ける。メモリアもCHARMも強化素材の方がお得。使えないのは限界突破MAX以上に入手したオーダーくらいか。
  4. ディリーのイベントとミッションは大きい。今は不要なアイテムも後で必要になる。毎朝用にスキップチケットを残すと楽。
  5. リリィパスポートに最初の一ヶ月だけ無料で入る。初期はデイリーの報酬2倍は大きい(私は使わなかった。なおDMM版は定期引落し決済機能が無いためか売ってない。)
  6. マギジュエルはガチャとデイリーイベント以外は避ける。運営の狙いは課金(マギジュエル販売)で (1)正攻法のガチャ (2)足元を見た誘惑で誘うが、(1)は確率的に11連、できればメモリアメダルも狙い11連 x 15回分を溜めてから引く。ギャンブルは余裕資金で遊ぶべきで生活費をかけては自滅だ。次に敗北時延長などの(2)は避ける。ドーピングで勝てても強化が無ければ無意味だ(ただCHARMオプションのオプションキープ設定は仕方ない)。なおガチャ等の確率は適正と感じる。
  7. 勝てない場合、まずは属性使い分け(火 < 水 < 風 < 火で、相手ターゲット指定、または属性別ユニット)。更に基本攻撃/特殊攻撃への特化(染め)は戦闘力15万以降か。外征ボスは基本、レギオンマッチは特殊が有利な印象。
  8. オーダーやレアスキルは同時開始で相乗効果
  9. バトル巡回は倍速、AUTO(オーダー、レアスキル、チャット可能)、AUTO巡回(複数バトルの連続AUTO)、スキップチケット(AUTO困難なレベルも可)を使い分け。
  10. 更にスマホ版とDMM版でデータ連携し、普段はスマホ、AUTO巡回はPC側で非占有もできる(引継ぎせずに交互使用もできる。ただレギオンマッチのMP回復はマウスやキーボードでは遅い。)
  11. ギオンに入る。心的抵抗や相性もあると思うが、利点は多く、探せば無言も自由放任も色々あり、3月以降はメンバー不足(特に後衛)が大半。

 

 

最後に感想。

  1. 各種イベントや仕様変更時の「補填」でのマギジュエル大盤振る舞いに「神対応」とか逆に「やりすぎ」との声も聞くが、運営の「ユーザーの声を聞きました」は基本的に企業の変更時の方便で、議論になったゴーグル実装時の過去のセーフティメモリ購入のマギジュエル返却も「ユーザーの足元を見る課金要素を減らして、前向きなガチャ付加価値に変更」した形だし(CHARMのやり込み要素は他にもあり、むしろ複数CHARM使い分けも推進したい)、また大量のマギジュエルの消費快感を覚えさせて次を期待させ、平常1~2週間に我慢できず購入を狙った陰謀と思うので、その心理戦を理解して計画的に使うのが賢いユーザーと思う。
  2. 敷居が低い事が魅力だが、ソロ用ユニットの「サポートユニット」など複雑化して、各属性別だけでもユニットがマルチ用に4個、ソロ用に4個、更にレギマ用など増えてメモリア増加のたびの再構成が大変だ(リリィ内のメモリアやオーダーのみのクリアや自動配置が欲しい)。難しくなったと辞めたユーザーも見かけ、更に新機能も多数予定され、果たして吉と出るか凶と出るか。

  

(オマケ)表示不具合の画像だが面白い笑 

  

以上です。

 

映画「風の谷のナウシカ」見返して気づいたこと、やはり納得できないこと

映画「風の谷のナウシカ」(1984年、監督 宮崎駿)を2020年末のテレビ放送録画で見返しての感想です。

 

劇場公開時は「アニメージュ」連載の漫画版を読んでいたので、曲者のクロトワとか色々なエピソードが削られて断片つぎはぎ作品に見えたが、今になって見ると劇場版の約2時間に結構うまくまとめられている気がする。

 

メーヴェガンシップが実在かと錯覚する宮崎作品ならではのデザインと描写は、何回見ても凄いとしか思えない。リアルを圧倒する宮崎空想リアリズム。もはや異常だ(誉め言葉)。

 

そして敵役ながら道具を積極活用したい近代文明人のクシャナ、その戦闘相手で平和主義のようで実は同じ近代側のペジテ、この両者に対してエコロジー視点の価値転換を主張するナウシカ、との対比(脱近代な文明論)も簡潔に描かれていて、エンタメ系アニメーション映画では蝶矢だったと思う。

 

ただ、やはり納得できないのは以下3点だ。

  1. これは作品責任外だが、当時から「優しい女性視点の文明論」言説で全面賛美のマスコミが多かったのは疑問だ。確かに当時の大多数の子供向け作品は、「アトム」「マジンガーZ」から「ヤマト」「ガンダム」「999」は勿論、更には宮崎氏自身の「ホルス」「ど宝」「コナン」も含めて「少年が主人公で女性らを守る」構図で、少女が主人公の活劇は少数派だった(男性版のサブ作品ながら、ワンダーウーマンバイオニックジェミー、後のセーラームーンくらい)。しかし「女性なら優しい母性」自体がジェンダー視点だし、ナウシカと対比のクシャナは女性の近代人だし、ザコン要素の作品昇華が実態に思える。(なお性癖の創造活用自体は肯定派です、念のため)
  2. ラストシーンはやはり自己犠牲の特攻隊の宗教的美化を連想して後味が悪い。制作時にも議論があったらしく、最近の記事もあり、映画のカタルシス必要性もわかるが、やはり映画ラスト以前のナウシカもコナンもバズーも(ただの無知/暴勇ではなく一定の経験と確証を持った)可能性を信じての行動なので、仮に結果的に死ぬ場合にも達観/観念ではなく死中に活を求める表情であって欲しかったし、安易な感動狙いに思える。(そもそも王蟲暴走は胞子を撒き散らしながらでなかったのか、すぐ脇で大勢が大丈夫は詐欺ではないのか)
  3. これが一番肝心だが、宮崎作品の中では「ナウシカ」(と「もののけ姫」)は作品自体のレベルが高くないと思う。前後の「カリ城」「ラピュタ」「魔女宅」「トトロ」の方が全体も細部も作画も美術も明らかに良いと思う。もちろん予算/期間など与えられた制約の中で良い作品を作るのがプロだし、ナウシカが特に悪いとは言わないが、王蟲など荒い止め絵も多いし、「ここぞ」という以外の作画は必ずしも丁寧ではないのに、多くの観客が「感動した、作画も背景も美しかった」と言うのは不可解だ。(完成画よりラフ絵に感動する事も多いように、完成度が高ければ感動/名作という訳では無いが、「感動したから出来が良かった」というのは違う、と思うのでした。)

 

世間に多いナウシカファンから批判されそうですが、個人的に納得できない点を書いてみました。なお過去に入力した事も無いPCで「おーむ」入力で「王蟲」と漢字変換できて驚き(笑

 

(了)

2020年回顧 (3)ポピュリズム退潮(安倍/菅政権、英国EU離脱、大阪都構想、愛知知事リコール署名)

2020年回顧の最後。なるべく長期観点で振り返りたい。

 

なおポピュリズムは元々は米国ポピュリスト党(人民党、大衆党)など悪い意味はなく、大衆の支持を背景に大衆の希望を実現する面では民主主義的だ。ただしここでは、後に批判的に使われた悪い意味(大衆迎合主義)で使用する。ポイントは従来の「左 v.s. 右」ではなく、「エリート v.s. 大衆」軸の観点で、支配層(エリート)を批判して大衆迎合するため、反近代(法治より人治、反知性主義)で場当たり的で分断主義、そして差別主義や排外主義と結びつきやすい(ナチスなどもポピュリズムとされる)。

 

  1. 年末に「菅政権支持率40%台」が続出中だが、支持率は長期で見たい。「安部政権退陣表明後の70%」や「菅政権発足直後の70%」は一時的要因なので、「70%から40%に急減」との指摘は余り意味が無い。ポイントは両政権の最大支持理由の「他に良い人がい無いから」で、つまり消極支持(安定優先で皆が推す人を推す)が今の世論の大半。実際に安倍氏辞任表明直後の菅氏人気は低く、菅・二階連合のなだれ現象直後に支持率も急上昇した。つまり「皆が支持を止めれば私も見放す」との薄情な支持で、逆境には弱く、福田/麻生政権と似ている。そもそも両政権の特色は(安倍政権を振り返る10の功罪でも書いたが)「抜本改革は先送り、官製相場で人為景気、やってる感政策」なので、実体経済は生産性低下の亡国路線。アベノミクスでは当初本命の規制緩和/成長戦略は不発、受益者負担に反するふるさと納税やGoTo、民間介入の携帯料金、屋上屋のデジタル庁など、悪い意味のポピュリズムが多い。統治/経営のプロの仕事をして欲しい。
  2. ブレグジットも年末にやっと決着。この主犯はキャメロンで、残留派なのに党利党略で立法化し、不正確な離脱メリットを拡散して、意外にも成立するとさっさと逃げた。メイ首相やジョンソン首相は尻ぬぐいだ。ところでこの混乱を理由に「直接民主主義国民投票は、拮抗すると国論分断/不測結果になるので良くない」との説もおかしい。間接投票の日本の首相指名/不信任案可決/法律可決も51%で情勢に左右されるし大平政権ハプニング解散もあった。票読みの難易はあるが「否決見込みなので賛成した」などは直接/間接無関係で、重要な決定は慎重に(51%はギャンブル)という一般論と思う。
  3. 大阪都構想も2度目の住民投票で否決された。そもそも都構想は内容も疑問だが、今回は「コロナ対応で知事がテレビ露出して人気が高まったから、急遽実施して維新の目玉に」という露骨な党利党略が住民にしっぺ返しを食らった形で、動機も結果も安易なポピュリズムだ。
  4. 更に愛知大村知事リコール署名運動が法定数未満&8割超不正疑惑の醜態で終わった。トリエンナーレでの展示自体には議論もあるが、そもそも愛知知事が「憲法表現の自由はある」と言った事を問題視してリコールという発想が自己矛盾だ。古典的な保守主義パターナリズム(父権主義)や排他的な共同体主義ならばある程度わかるが、「自由」を主張して好き嫌いで少数意見排除を進めるという面がSNS的な自己矛盾ポピュリズムかと思う。

 

(まとめ)コロナ禍もあり多くのポピュリズムは退潮した(分断より共同体、専門家批判の限界)が、「多数派である民衆の直感が正しく、エリートは信用できない」の想いがある限りポピュリズムは繰り返す。「民主主義=多数決」ではない。大多数の社会では「男は強く女はかわいく、好きなものにひいき、凶悪事件の犯人は裁判不要、空気を壊す奴は出ていけ」なので、エリートが自由平等や法治を長年説得して、最後は全体で承認して正統性を持たせたのが近代社会の実際と思う。

 

(了)

2020年回顧 (2)新型コロナ禍とWHO/中国/日本政府/テレワーク

2020年は新型コロナ(COVID-19)が世界に蔓延したが、WHOの説明は実は正しく、中国は人道軽視の戦時対応し、日本政府は相変わらず場当たり的に見え、テレワークはグローバル社会では元々必要、との話です。

 

  1. WHOなど国際機関への日本人の信頼性が大幅に下がったとの報道を見た。「拡大した以上は悪い」との結果責任や、WHOテドロス事務局長の政治的すぎる発言もある。しかし感染症は半分天災で、WHOに権限はない。そもそも多くの国際機関は専門家集団として計画や助言はできるが、権限は各加盟国で仮に拒否されれば何もできない。このため加盟国(特に発生国=協力国)に気を遣って迎合的発言も多いのは、立場上はある程度やむを得ない。そしてちゃんとニュースを読んでいればWHOの説明は常に正しかった。良くある批判「WHOは最初は人同士の感染は無いと言った」なども、当時のWHO説明は「人同士の感染はまだ確認されていない」で、専門家は一定の証拠が揃わないと断言できない(若者感染しない、春に消える、免疫ができる、なども同じ)のだが、ワイドショーなどが不正確に報道したのを後でWHO責任にしているだけ。国際専門家組織は科学的な判断をすべきで、勘で先読み判断する立場(政治家?ギャンブラー?)ではない。
  2. 次に「中国の初動に問題あり、武漢封じ込めに失敗」は事実だ。しかし以後は、憲法にも「独裁」明記の一党独裁国家が準戦時体制で、患者を自宅に閉じ込める、軍が周囲を封鎖する、医療関係者を本人同意なしで強制動員する、病棟を急造する、全住民にPCR検査を何回も強制する、などの人権軽視の強権発動を行った。しかしアフリカで封じ込めに成功したエボラ出血熱とは異なり、新型コロナは感染で発症しない場合もあり、封鎖前に脱出した人も多かったそうだ(自分でも当時は無症状なら無感染と思って脱出しただろう)。先進諸国でも初動失敗は連続し、中国ほどの人権軽視の戦時体制は困難だろう。再検証はすべきだが、単純な発生国叩きでは逆に将来の隠蔽を増やすだけと思う。
  3. そして欧米各国は首脳が国民に忍耐を呼びかけ、ロックダウンも行った。しかし日本政府は1年後も場当たり的対応に見える(なお日本が欧米より感染者/死者が1桁少ないのは、東アジア全体に共通だが原因未解明で、日本が優秀だからとは言えない)。常識的には、戦時/災害にはレベルと対応の大枠を決めて、細部は随時調整し、国民も「仮にレベルBなら仕事はこうしよう」と多少の準備はできるが、これがない(緊急事態宣言の上が未定)。現金給付も先進国は毎月数万円だが、日本は一時金(前回10万円)なので計画が立たない。予算ごと検討のパフォーマンスでなく、月2万でも良いので一律月額化して、(更に高収入の人からは後から税務で回収など)制度設計すべきと思う。政府は「事前に計画を出して反対やパニックになるの避けて、隠して唐突に出すべき」のようで、愚民観なのか、「唐突がリーダーシップ」との誤なのか、本当に不思議だ。トップは優秀な管理者であるべきで、独断行動のパフォーマーではないと思う。過去の小泉改革も結構慎重に進めていたが、今の政治家や国民は「指導力」をパフォーマンスと勘違いしているのではないだろうか。
  4. 最後に新常態(ニューノーマル)候補のテレワーク。私はIT企業で元々テレワーク環境もあり、4月以降はほぼ在宅勤務で通勤時間/昼食費もかからず、現場必須の方には大変申し訳ないが、ありがたい恵まれた環境です(部門内でも現場必須のプロジェクトは多いが、たまたま)。世間ではテレワークのセキュリティ/作業効率/ストレスが課題だが、運用を含めた積み重ねが重要なので、やはり限定範囲で良いので始めておくべきだったと思う。そもそも長年対面に最適化した業務がテレワーク化で効率悪いのは当然だが、従来の仕事も電話/FAX/Eメール/グループウェア/テレビ会議と対応してきており、環境/ツールに応じたそれなりの仕事ができるのがプロだろう。例えば1980年代はFAXの使い方知らない年配社員もいたし、1990年代の出向先では本人宛E-メールを毎朝部下に印刷させて机上の未決箱に入れさせる郵便扱いな管理職もいた。私は今は(使いこなせてないけど)相手/用途にも応じてVPN, Zoom, WebEX, Skype, Slack, BOX, Trelloなど。PCは会社貸与でセキュリティ対応はてんこ盛り(Mac標準だが理由をつけてWindowsに逃げた)。また何年間も業務プロセスの切り出しと管理を積み重ねさせられていたのが、結果的に活きているのはグローバル化の利点。むしろ「相手の席に歩いて行ったが離籍中でメモ残して戻った後にメモを更新したくなった」などが消滅して作業効率は向上した(ホワイトカラー業務前提ですが)。そもそもツールはただの道具なので、良し悪しは無く、必要に応じて使い分ければ良い。「対面が人間の文化」とか言う人の気持ちも判るが、電話/メールは使ってるだろう。仮に「若い頃に覚えたまま、新しいものは覚えたくない」なら単なる精神的老化による拒否感情(私もできれば覚えたくないが)。更には年功序列/学歴重視/学閥/移民反対/夫婦同姓/現行踏襲なども「同族同士が楽、新しい出会いは避けたい」な村社会的で、グローバル社会では生産性低下に直結とも思うのでした(私もできれば同族だけが楽ですが、そうもいかない)。

 

(了)

2020年回顧 (1)トランプ退場

突然ですが2020年の政治や社会の振り返りシリーズです。政治の話題は、右派と左派が一方的に相手を批判する事が多いけど、単なるウォッチャーとしては現時点の個々の賛否より、定点観測的に一定期間の動向を見る事が重要かと思ってます。(最終更新 2021/1/7)

 

  1. トランプ敗北。選挙結果を都合よく解釈する人も多いけど、アメリカ大統領選は選挙資金も青天井で実績ある現職が圧倒的に有利で、過去も再選失敗はカーターなどごく少数だ。だから再選失敗は「得票数でほぼ互角だった」ではなくて、4年間の幻滅が大きかった事だし、共和党内はブッシュ一家など既存エスタブリッシュ追放、民主党側は前回無投票のバーニー派結束も大きいと思う。(同じ投票用紙で、両院選は共和党堅調で、大統領選のみ民主党が勝った。)
  2. 前回2016年当選時のトランプの主張は (1)メキシコの金で国境に壁を作る (2)オバマケア廃止 (3)雇用重視・インフラ整備 (4)在外米軍撤退などだったが、(1)はメキシコを関税で脅したが成功せず米国費用で僅かな延長のみ (2)「より良い制度」の設計ができず早々に頓挫 (3)工場誘致など個別のディールだけで庶民期待の広範囲なインフラ整備は無し、(4)は進めたが同盟関係のクルドを見捨てたり長中期的な国益の損得は無視。結局、個別の外交や制裁などディールばかりだった。
  3. 北朝鮮、対中国の強硬派」と信じる人がいて不思議だ。支持者なら本人の言動を追って欲しい。もともと強いリーダーとの直接会談指向で中国・北朝鮮・ロシア・トルコ・フィリピンなど権威主義的政権に友好的で、対中強硬主張のボルトンやバノンは追放、北朝鮮には米国と対等に会談できる威厳を与え、対中包囲網のTPPから離脱してWTO機能不全化させて世界経済の中心を中国に明け渡した。新型コロナやファーウェイやTIKTOK対応も個別の「見せしめ」的で法的網羅性が低く、将来のディール次第で覆し容易なのが難点だ。
  4. 大統領選で「民主党による大規模な選挙不正の証拠多数」を主張し続けて信じる人がいるのも不思議だ。これも支持者なら本人の言動を追って欲しい。トランプは2016共和党候補選から相手に「うそつき」等のレッテルを貼って連呼して評判を下げ、「みんな知ってる」「今にわかる」など具体的根拠は説明しないのが基本スタイルで、それをマスコミが面白おかしく報じて人気が高まった。レッテルと大衆人気で世界を動かすとの運動論を今も実践し続けているだけで、客観的証拠が必要な近代司法での訴訟連敗は当たり前なのに、それを陰謀と言い出すのでカルトじみてくる(もともと宗教右派系だが、統一教会法輪功、日本では幸福の科学も支援中)。
  5. 共和党内で今後も一定の影響力を保てるかどうか話題だが、歴史的にポピュリズム(大衆人気)傾向の強い運動は、カエサル・ナポレオン・ムッソリーニヒトラー・ドゴールなど本人消滅後は急速縮小の傾向が強い。現在はツイッター社の大統領例外で未禁止のツイッターアカウントも、禁止されればマイナーなケーブルテレビ等に移動するしかなく、政敵批判だけで政治パフォーマンスできない4年間の勢い持続は飽きやすい大衆に対しては厳しいと思う。
  6. なおアメリカ大統領選の選挙人制度を「古い制度の欠陥で廃止の動きも」の声もあるが、歴史文化を考えれば困難では。アメリカは「合衆国」と訳されるが、複数の共和国による連邦国家で、外交は連邦でも内政は各州で、大統領も州ごとに選び、人口差は選挙人数に比例だから、州ごとの選挙制度も可能な「下からの民主主義」だ。仮に直接選挙なら制度も連邦で統一しないと不平等だが、建国以来の州の独立(自治)に反する。なお民意の正確な反映優先なら、日本の小選挙区も地域選出の地域代表でもあり激戦区以外は注目されず死票も多いので、「全国単位の比例区のみ」にすべきだろう(持論)。

 

(2021/1/7 追記)

予定通り1/6米国議会でバイデン当選が公式決定したが、トランプ支持者が乱入し4名死亡、トランプのツイッターは一時停止された。大規模銃撃戦や戒厳令の話もあった中、4名で済んだのはかなり軽かったと思う。トランプも保守派ご用達SNSパーラーに移動したそうで、日本のトランプ支持者も倣うべきではないか。

 

(了)

 

映画「時計じかけのオレンジ」実は政治風刺が現代的だ

前回書いた「博士の異常な愛情」の次はやはりこれ。「時計じかけのオレンジ」(1971年、監督 スタンリー・キューブリック)。

 

多くの記事やブログで紹介の通り、美しい音楽に合わせた暴力シーンが衝撃的なキューブリック監督映画だが、見返して感じた事をいくつか。

 

  1. 近未来SFでCGも無い時代もあるのか、大半が屋内、屋外もごく一部で舞台演劇な感じ。やはり造形が印象的な近未来SF映画華氏451度」(1966年、原作 ブラッドベリ、監督 トリュフォー)も連想して、古臭い印象もあるし、断片映像から人間の内面を象徴的に描く作品なのでこれでいいのだ、な気もする。
  2. 時々のワンカット長廻しが異様でいい。冒頭から観客を引き込む有名なアレックスの眼からミルク・バー室内への引きは勿論、定点的な客観描写が逆に怖い「雨に唄えば」の暴力シーン、開放的な川辺から暗い橋下まで情景が暗転して恐ろしい高齢浮浪者再会シーンなど、記憶に残ってしまう。
  3. なんか最初の紹介部分は大友のAKIRAにも似てる。若者不良グループがドラッグで暴走族、対立抗争では敵側を更に悪く描く、主人公は大人には卑屈さを込めた言動で馬鹿にする、など。読者の共感ゲットには自然な構成ながら。
  4. 今回、政治風刺がかなり入ってる事に気が付いた。ごく断片でしか語られないが近未来のイギリスでは政府は効率重視な全体主義(格差拡大、人権軽視の新政策で刑務所を開けて政治犯を入れる)で、悪い意味のポピュリズム(国民は愚かと思い当面の選挙優先で政策を簡単に変える)な政府で、それに反対する作家など(恐らく左派陣営)は政府の新政策の反人道性を訴えて主人公の自殺を望むが、政府に排除された(ようだ)。ディストピア的な舞台背景はオーウェルの名作「1984年」にも通じるが、「時計じかけ」ではマスコミと選挙はあり右派は新自由主義的な権威主義、左派は政府批判重視でルサンチマンを抱えるなど、既に現代的な構図なのがさすがと思う。イギリス人の皮肉を込めた政治的嗅覚なのだろうか。そしてこの世界で主人公の両親が、本当に普通で平凡で善良で愚かな一般市民で、でもその立場になって想像すると悲しくなってくる作品でもあるのでした。

 

(了)

 

映画「博士の異常な愛情」この美しくクレイジーな核爆発

U-NEXT解約前に古い映画を再鑑賞してる。U-NEXTに特に不満は無いが、4 ユーザーIDあっても家族は見ないし、1人なら月額1990円は割高なので。

 

正式タイトルは「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」、鬼才キューブリックの最後のモノクロ作品で、ブラックな風刺コメディでピーター・セラーズ主演(一人三役)だ。

 

小学生の時にTV、学生の時の池袋文芸座と、今回で3回目と思う。文芸座では観客が、陰謀論に陥った将軍の説明の「体液」あたりで笑っていたのがちょっと違和感。面白いけど、陽気にアハハと笑えるシーンなのだろうか。

 

「政府や軍の首脳陣のドタバタ劇」と思われそうな作品ながら、実は各登場人物はよくやってる。だからこそ「これでもダメとは、今の世界の方が変なのでは」との風刺が効いてくる。

 

  • まず美しい音楽と手描きクレジットにB-52爆撃機空中給油の映像が違和感なオープニングが洒落てる。
  • 爆撃機機長のコング少佐はテキサス訛りの不器用な軍人だが、「R作戦」発動後の機内スピーチは名演説と思う。「私は演説は苦手で、皆も複雑と思う。平気で核兵器を落とす奴は人間じゃない。しかし我々を期待している国民がいる。うまくいけば皆昇進できるぞ。人種や宗教の差なく皆一緒だ。」素朴ながら皆の不安を汲み取り、士気を高めて一致団結、モラルあり差別主義もなく、みんなでこのB52を応援したくなる(それが人類破滅になるのがブラック)。反軍や反米に見えないための重要な存在だ。
  • アメリカ大統領は決断まで20分の中、冷静に状況を聞いて、次々に手を打ち、酔っているロシア(ソ連)の首相に懸命の説得を試み、全面攻撃は即却下する。ほとんど理想的対応なのが凄い。これはイギリス派遣将校のマンドレイク大佐も。
  • ストレンジラブ博士マッドサイエンティスト風だけど実は解説役が大半。でもラストの「私に考えがあります。総統、私は歩けます」はナチス選民思想復活か、人類非運命論か、両方に解釈できそう。
  • そして美しい「また会いましょう、笑顔を忘れずに、青い空の輝きが黒い霧を払うまで」の名曲が核爆発連発映像にかかり、放射能半減期の100年後まで地下生活する人類の明るい将来を希望を持って歌い上げる?有名なブラックすぎるエンディングは、後の「時計じかけのオレンジ」や「2001年宇宙の旅」でのクラシック音楽(更には「DAICON IV」核爆発による地球再生)にも通じる映画ならではの価値転倒なミスマッチの妙ですね。

 

この作品は良く「米ソ冷戦時核兵器均衡を風刺」と形容されるけど、STARTなどの戦略兵器制限条約は色々できたものの、相互確証破壊(MAD)自体は今の米ロ間も全く変わっておらず、世界が慣れただけ。双方の規模も体制も中国や北朝鮮の比ではないのですけどね。

 

(参考)

予告編(なんか、わけがわからないですね)

オープニング

エンディング

町山智浩の映画塾!「博士の異常な愛情」<予習編> 

『博士の異常な愛情』シリアスドラマをブラック・コメディへと変貌させたキューブリックの革新性

 

(了)

 

天皇は日本国民か?(法律論)

皇族は法律上は日本国民では無い」との伊吹氏発言が一部で話題だが、法律上は従来からの議論で両論ある。しかし「基本的人権を認めるべきなので日本国民」とか「パスポートがあれば日本国民」など、ちょっと変な話も見かけるので簡単に整理してみた。

 

まず話題の伊吹元衆院議長の発言はこちら(以下A)。(天皇だけでなく皇族もかは異論があるが)

国民の要件を定めている法律からすると、皇族方は、人間であられて、そして、大和民族日本民族の1人であられて、さらに、日本国と日本国民の統合の象徴というお立場であるが、法律的には日本国民ではあられない

 

これを批判した横田耕一 九州大学名誉教授の説明(以下B)。(こちらは皇族の話。ただし皇族会議はある。)

皇族の婚姻に関しての制約は法律上何もないので、制約されるという根拠がないわけです。『法的にはちょっと違う』という伊吹さんの発言は、基本的に間違っているといえます

 

上記A、Bを前提に海外の例も挙げて「現状では不明確で無国籍者とも思える、法整備を」との提案(以下C)。(面白い内容です)

皇族が国民かどうかすら説明がつかない法の状態は、いかがなものかと思う。

 

しかし天皇は日本国民か」は昔からの議論だ。整理してみたい。(話の単純化のため皇族を天皇に絞る。)

 

主な学説(詳細後述)。

  • A説:天皇・皇族は国民  ←通説
  • B説:天皇は国民ではない、皇族は国民
  • C説:天皇・皇族は国民ではない

  

  1. 戦前の「大日本帝国憲法」では「第1章 天皇」「第2章 臣民権利義務」で、第2章の各条文の大半は「日本臣民ハ」で始まる。天皇は君主で、臣民は臣下だ。当然ながら戦前の天皇は日本臣民ではない
  2. 戦後の「日本国憲法」では「第1章 天皇」「第3章 国民の権利義務」で基本構成は似ているが、第3章の各条文は「国民は」「すべて国民は」「何人も」、そして対象記載なし(例 「学問の自由は、これを保障する。」)など色々な表現だ。
  3. 学説では上述の3案がある。「国民案」も地位に応じた制約を認め、「国民ではない案」でも人権を全く認めない訳ではないので、結果に大差はないが、「天皇」や「人権」などへの姿勢が変わってくる。
  4. 伊吹氏などの伝統的保守派は、天皇と国民を分ける傾向がある天皇は現在も「君主」で同列は「畏れ多い」と考え、現行憲法は「押し付け」と軽視し、現行憲法の「日本国民」は「日本臣民」と考え、現行憲法の「天皇の地位は日本国民の総意に基く」などは「含まれない」に読めるし、そもそも「民(たみ)」は民衆や平民を指す、などなど(なお伊吹氏は過去に「天皇陛下万歳」の反復にも苦言。)
  5. 逆に戦後民主主義に慣れた層は「国民=国籍=基本的人権と考えると思う。こちらが通説だが、他説が非常識という訳ではない。
  6. ところで基本的人権が必要なので日本国民」は不正確。在日外国人にも思想信条の自由や納税義務はある。憲法の各条文で「国民は」は国籍保持者のみ、「何人も」は人間全て、との解釈もあるが、明確な単純化は困難だ。
  7. 次に「パスポート(日本国籍)ありが日本国民」も一概に言えない。天皇には戸籍も苗字もパスポートも無い。歴史的経緯では、戸籍は「臣民簿」で、苗字は「上から与えられたもの」で、パスポートは「政府が国籍証明するもの」(一般に君主は政府の上)なので。なお天皇にも住民票や住民税はあるが、それは在日外国人も同様だ。
  8. 海外の例でも君主はその国の国民か。イギリスは今も法律で「国王、臣民」を分けている。カナダやオーストラリアなど英連邦(コモンウェルス)諸国は今も国王がイギリス国王(同君連合)だが、エリザベス女王は各国の国民(多重国籍)なのか。
  9. 以上から天皇無国籍論もある。普段は日本人のように生活していても、日本で生まれ育った在日外国人も多く、日本国民の子供が事情で無戸籍・無国籍も実は多いから、そう不自然ではない。特に「国籍は君主が臣民に与えるもの」という立場では、君主自身が国籍を持たないのは突飛な説ではない。

 

なお個人的には、現在の天皇は「国家の奴隷」(三笠宮)で、職業選択の自由、居住の自由、そして実質的には言論の自由、信教の自由、婚姻の自由も無く、更に身分差別(血統)、男女差別(長男相続)かと思う。

 

歴史的には明治の「国営天皇」が不自然で、君主と非君主が中間半端な現行憲法により問題が拡大してしまった。

  1. 明治までは明文規定なく退位可、権威あり(血統による資格)
  2. 明治に法的に退位不可、君主の権利あり(選択不可の権利と義務)
  3. 戦後は政治権力無し、義務だけあり(選択不可の義務のみ=奴隷

 

以下のどちらかが良いと思う。

  1. 退位の自由を認める(皇室典範改正。権利制限は本人選択の結果に。後継者は遠縁含め探せば良く、それを国民が支持するかはその時代の国民次第)
  2. 憲法上の天皇廃止憲法改正。民間の神社、仏教、家元などと同様に、国民の支持が続く限りは皇室存続する。いわゆる尊皇的天皇制廃止案)

 

いずれの案でも国民支持による存続は実は現行憲法でも同じ。退位の自由や天皇制廃止を「左翼の陰謀」という自称保守派もいるが、天皇・皇室・日本国民などを信用しないから、近代的な法的強制(憲法による奴隷化)に頼っているのでは、日本の古来からの文化伝統とも関係ない。

 

(参考)

人権の主体⑤(学説の比較)

  • A説:天皇・皇族は国民(ただし特例あり)←通説(多数説)
  • B説:天皇は国民ではない、皇族は国民(特別扱いあり)
  • C説:天皇・皇族は国民ではない ← 著者(佐藤氏)

 

佐藤幸治日本国憲法論p141)

A説(通説)…日本国憲法下では、明治憲法のような皇族と臣民との区別は存在しないはずであるとの基本的認識から、天皇および皇族はともに享有主体である「国民」とし、ただ天皇の職務および皇位世襲制からくる最小限の特例が認められるとする説

B説…天皇が象徴にしてあらゆる政治的対立を超越した存在であることを重く見て、天皇は享有主体である「国民」には含まれないとし、皇族については「国民」に含まれるとしつつ、天皇との距離に応じた特別扱いが認められるとする説

C説…行為の世襲制を重く見て、天皇および皇族ともに「門地」によって「国民」から区別された特別の存在にして基本的人権の享有主体ではないと説かれる説

(中略)結局C説のように解さざる得ないと思われる。

 

天皇は国民か?(上記と同一内容の部分引用)

 

以下は憲法の「国民」も箇所(意味)により異なるとの見解。

皇族の「人権」どこまで? 目につく「不自由さ」(朝日新聞)

高見勝利・上智大名誉教授

まず、日本に定住する国家構成員という広いくくりの「日本国民」(憲法10条)には、天皇も皇族も、私たちと同じように含まれていると考えられます。そのため憲法が保障する基本的人権は有しているというのが前提です。

ただ天皇については、「国の象徴」(同1条)であり、政治の大もとを決める「国民(主権者)」からは除かれます。またその地位は「世襲」(同2条)で、「国政に関する権能を有しない」(同4条)とされているため、職業選択や政治参加などの権利は認められないと解されています。

 

 

(了)

私のブログ選び

個人的にブログを選んだり使ったりの感想です。

 

2002年以降の日本のブログ普及より以前は、個人単位のインターネット発信には自分のサイトを、HTML を覚えてゴリゴリ書くかホームページビルダーなどのツールを使って自分で管理運用するかだったから、便利になったものだ。なおfacebook日本語版は2008年から。

 

私の基本要件は以下だが、これが意外と難しいと思う。

  1. とにかく無料アフィリエイトも不要)
  2. 普及してる(終了リスクが低い)
  3. 基本機能で十分(簡単操作、でも表は使いたい)

 

ブログ以前だが例えば2000年 第31回 アニメ全国総会(東京大会)ホームページは、既に自動削除され、更に 2019年 Yahoo!ジオシティーズ サービス終了済だ。

 

(教訓)IT業界は変化が早くて大手でも撤退はあるから予想は困難だ

 

 

シーサーブログ

2011年に翌2012年の「全国アニメ総会 東京大会」のお知らせ用に作成した。ブログのプロバイダもURLも、前年の静岡大会ブログを勝手に猿真似させてもらった(当時は紙を見てURL手入力も多かった)。

 

当時は将来性も懸念したが2020年現在も現役で、1画面で大抵の編集と設定ができ、標準で表も簡単に作れて、(年1回も更新してませんが)地味ながら初心者にも結構いいのではと思う。以下はPCでの編集画面。

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(教訓)まずは真似から。後から振り返ると意外と良かったりすることも。

 

アメーバブログアメブロ

2018年にサークル資料掲示用に選んだ。国内大手で終了リスクが低く、知人も使っており、各投稿の投稿日を自由に編集して好きな順序に固定できる(日々投稿のブログというより、固定ページを随時更新する保管サイトにできる)事が確認できたから。

 

しかし始めて見ると欲が出るもので

  • コミュニティの場違い感。日常の気軽な投稿が大多数な中で、固定的な資料保管(気にしなければ良いだけですが)
  • が標準で使えない(はあるが少し面倒)
  • 画像の月次容量制限がある(他ブログもあるとは思うが、制約がわかりにくく試行錯誤した)

 

(教訓)始めてから気になる事もあるから、まずは始めないと始まらない

 

はてなブログ

個人で好きに書くブログが欲しくなり、2019年に色々比較して「はてな」にした(このブログです)。

 

はてな」を選んだ理由は

  • 世界大手で無料のGoogle Blogerは、すぐポップアップが出て、良くも悪くも直感的(選択が何を意味しているかは選択しないと判らないが、即時反映なので戻しにくい)とアメリカンすぎ
  • 日本大手で無料のアメブロには場違い感(上述)
  • テキスト(文字)中心なら、実績ある「はてな」か、よりスマートな「note」か(企業ITもGUIよりCUI派)
  • 一画面で大抵のことができる(PC上は他のウィンドウも色々開いて整列も面倒なので画面の探し回りは避けたい)
  • HTMLモードもある(将来「やっぱり複雑な事もしたい」時も後悔しない)

 

1年やって基本は満足だ。

  • 一画面で大抵できる」は本当だった。これは快適!(シーサーも編集一画面だがプリビューは新規画面、はてなはプリビューも一画面内のタブ切替)
  • HTMLモードは普段は使わなくても時々重宝(標準の「見たまま」モードでは何故か以前の属性(タグ)が消せない場合など)
  • コミュニティは「はてな」内ブログの更新情報や評価マーク付け合いなどの刺激はある。ただ自分はランキングに出るような人気ブログでは無いので、コミュニティはそれほど関係ない気がしてきた(笑)
  • スマホ用アプリは便利。アメブロも同様だが、PCから投稿後にスマホで誤記発見/即修正できる。ただアプリから見るだけでもアクセス計上はいまいち(投稿直後に毎回数アクセスあり有難いなぁと思っていたら、自分のスマホからの再確認でがっかり)。またアプリからは画像貼付後のサイズ調整ができないみたい(知らないだけ?)

 

(教訓)気になっていた事が、実現するとあまり関係なかった事もある(苦笑

 

そのうちシンプル・イズ・ビューティフルなnoteもやってみたい。

 

(おまけ)アクセスの高い記事

面白い記事は書けないので(悲)、一日のアクセスは普段は数件、瞬間最大風速で数百件ながら、好奇心で確認してみました。

  

アメブロでは同人誌の表紙など絵の多いページが圧倒的。普段は更新も無く0件も多いのに突然に数十件あったりで、画像収集勢の方かなと推測(記録目的なので意図的に画像解像度は下げてますが)。絵の描ける方はほんと尊敬(学生時挫折者)。

 

はてなでは継続的にアクセスが高いのはこちら。

 

自分の意見を書いたというより、自分のためにネット検索結果を保管しただけの地味な記事ばかりで「何故?」と思ったが、どうもGoogle/Yahoo!検索などのキーワード検索で割と上位に出るようだ。逆に言えば、ちょっと専門的で類似記事が少ない分野。

 

つまり自分で色々書いたものほどアクセスが低い(苦笑)。結局「自分が書きたいものではなく、自分が読みたいものを書くと良い」は正しいのかも。

 

ただ以下も意外と継続的にアクセスされるのは少し不思議。ブルート・フォース・アタックとか話題のワードがネット検索にヒットだろうか。ここらは予測困難/結果論だ。

 

(教訓)アクセス数はタイミングや運も大きいのであまり気にせず、好きに書くのが良い、と考えないと悲しい(笑

 

(了)